竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

根本創造主の孤独

  • 2010年11月18日 19:12
  • Posted by Yamatofuji

私達人間は、自と他が分かれた世界の中で、愛する人がいない、恋人がいない、家族がいないと寂しさを感じ、孤独を感じたりします。
また、愛する人や家族がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わう事が出来ない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもいいかも知れません。

この大宇宙には、絶対世界と相対世界があります。
絶対世界は実相の世界であり、ここには、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみが実在しています。
これに対して、相対世界とは、根本創造主が想像したものが、物質化されて創造された、この物理的大宇宙の事を表します。

相対世界である、この現象界、物理的大宇宙とは、絶対世界にある根本創造主の意識を映し出す鏡の世界であり、根本創造主の光が物質化されて、様々な色、形、音などで表現された世界であり、言わば、幻の世界です。
大宇宙の全ては、根本創造主の光の中にあり、大宇宙に存在する無数のものは、全て、根本創造主の顕れに他なりません。

そして、絶対世界に実在するのは、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみであり、絶対世界とは、色も形も音も無い、非物質な実相の世界であり、そこにあるのは、敢えて分かりやすく表現するとすれば、意識、心、知性、気付き、気というような言い方になるかと思います。

それを、大宇宙意識とか、全知全能の知性とか、無限定の気付き、というような言葉で表現出来るかも知れません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、孤独という言葉で表現するとしたら、この孤独は、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独では無く、絶対的な孤独であり、それは永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

サンスクリット語に、リーラ(神の戯れ)という言葉があり、全ては神の戯れであるという考え方があるようです。
この大宇宙の森羅万象の全てが神の戯れであり、唯一にして絶対、至高の存在である根本創造主の意識の中で繰り拡げられる、壮大なゲームであると言ってもいいかも知れません。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を想像し続けており、それが物質化され創造されて大宇宙の森羅万象が営まれています。
そして、大宇宙の営みの全てが大宇宙の光の中にあり、全ては神の戯れ(リーラ)であり、根本創造主が織り成す壮大なゲームであると言えるかも知れません。


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