竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

「一厘の仕組み」「最後の一厘」について

  • 2011年4月 5日 20:04
  • Posted by Yamatofuji

本日は、旧暦三月三日にあたり、旧暦の上巳節、即ち、雛祭り、桃の節句のルーツにあたります。
桃(もも)=百(もも)であり、百というのは、神を表す数字でもあります。

人が神として出産する最後の最後の部分を、「最後の一厘」、あるいは「一厘の仕組み」と言います。
「一厘の仕組み」に関心のある人達は、「一厘の仕組み」というものを、色々研究されたり、あるいは、様々な御神業をされたりしておられるようですが、本当は、「一厘の仕組み」というのは、私達一人一人の心の中に仕掛けられています。

人が、「人となりを完成」させ、神として出産する一番最後のプロセスなので、実は、「一厘の仕組み」は、人皆それぞれ違います。
70億人の人が地球上にいれば、70億とおりの顔があり、70億とおりの魂の進化のプロセスがあるように、「一厘の仕組み」、「最後の一厘」は、一人一人皆違います。

「一厘の仕組み」、「最後の一厘」は、一人一人の心の中に仕掛けられているので、自分の心の内面を見ようとせずに、自分の外の世界に「一厘の仕組み」を探し求めて、色々な知識・情報を集めてみたり、様々な御神業を行ってみたところで、「一厘の仕組み」を知る事は出来ません。

越すに越されぬ大峠、越してみて初めて分かるのが、「一厘の仕組み」であり、「最後の一厘」は、神(天)が入れるので、「最後の一厘」に関しては、自分で知ろうとしても分かるものではありません。
「最後の一厘」を自分で入れようとしても、九分九厘で神(天)にひっくり返されますから、私達は神(天)に生かされている存在であり、自分の力だけでは、一呼吸すら出来ない存在なのだという事を、常に忘れない謙虚さが求められます。

越すに越されぬ大峠なので、大峠の頂が何処にあるのかも見えず、自分が今、どのくらい登って来ているのかさえ分からないような、気の遠くなるような、内的な旅の連続になります。
そして、大峠を越えた時に初めて、そこが大峠の頂であった事が分かります。
大峠の頂に至る「最後の一厘」は、本当に、神(天)が入れるので、神(天)に入れてもらうまでは、「最後の一厘」は分からないという事になります。

「最後の一厘」に至る、締め九九理(くくり)の九分九厘の所では、肚(はら)を九九(くく)る事が求められる事になり、肚の九九(くく)りとは、白山菊理媛(はくさんくくりひめ)の働きでもあります。
以前「99=白 白山菊理媛(白山比咩神)」というタイトルで書きましたが、「白」には、「九十九」という意味があり、白山菊理媛の働きと深く関係しています。

「一厘の仕組み」、「最後の一厘」というのは、本当は、自分の心の中に仕掛けられているので、徒に、知識・情報や御神業など、外の世界に答えを求めようとせず、「人となりを完成」させ、神として出産するまでの産道を、地道に一歩一歩歩んで行く事が大切だと思います。

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