竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取ると、「かみ(神)」になる

  • 2011年4月 7日 18:47
  • Posted by Yamatofuji

神社に行きますと、御神体として、鏡が祀られていますが、私は、日本の神社に御神体として鏡が祀られている事に、とても奥深いものを感じます。

「かがみ」から、中心にある「が」という字を取ると、「かみ」になります。
「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取ると、「かみ(神)」になります。

既に何度も書いているとおり、自分が見ている現実世界とは、自分の意識を、空間というスクリーンに投影した、自分の内面の世界を見ているのであり、言わば、インナーワールドです。
自分の心の中の心象風景を映し出して見ているに過ぎないので、自分が見ている現実世界とは、自分の心を映し出す「鏡(かがみ)」の世界であるとも言えます。

自分の肉体の場合もそうなのですが、自分の顔や姿・形を知る為には、「鏡」が必要になります。
映し出す「鏡」がないと、自分がどんな顔や姿・形をしているのかが分かりません。

それと同じように、自分の意識というものも、それを映し出す「鏡」がないと、自分の意識がどんな状態なのかが、分からないのです。
意識というものは、それを映し出す「鏡」が必要であり、それが、現実世界と呼ばれるものなのです。

自分が見ている現実世界とは、本源の我であり、真我であり、神の分霊(わけみたま)である、我が魂が創造したものなので、それを映し出して見ているに過ぎないのです。

真我である我が魂が「想像=創造」した「鏡」の世界が自分の現実世界なので、本当は、望んだとおりに映し出されている完璧な世界なのですが、自分の現実世界が、イヤだ、面白くない、苦しい、こんな筈はない、おかしい、在り得ない、などと感じるのは、全て、「我」があるからなのです。

自分が見ている現実世界が、イヤだ、苦しい、面白くない、自分はついていない、などと思うのは、全て、肉体の自我意識によるものです。
肉体の自我意識の関心事と、真我である魂の関心事は違うので、そこにどうしても、ギャップ(差)が生じてしまいます。
差(ギャップ)を取る事が、「悟り=差取り」という事でもあります。

魂の関心事というのは、「魂の進化」という事であり、光輝く魂になる事だけが魂の関心事なので、自分が最も進化・成長出来るような現実を創造します。
自分が見ている現実世界とは、神の分霊(わけみたま)である我が魂が、魂を進化させる為に100%望んだ事なのです。

自分の肉体の自我意識の「我」を外して、その事を、受け入れ、認めていく事が、心の成長であり、意識の福化と呼べるものなのです。
「魂の記憶を蘇らせる」事が出来るようになってくると、自分の現実は全て、真我である我が魂が創造したのだという事を、受け入れ、認める事が次第に出来るようになってきます。

神の分霊(わけみたま)である我が魂が「想像=創造」した、現実世界という「かがみ(鏡)」の世界から、自分の肉体の自我意識という「が(我)」を外すと、「かみ(神)」としての、本当の自分自身、本源の我の姿が見えてきます。

神社で鏡を御神体として祀る神道と言い、世界に類を見ない独特の言語である日本語と言い、私達日本人は、とても奥深い国に生かされているのだと感じます。


 

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