竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

永遠とは

  • 2013年3月23日 12:30
  • Posted by Yamatofuji

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠とは

永遠という言葉は、遙か悠久の時の流れ、気の遠くなる程の永い時間、というような意味でよく使われているかと思います。
確かに、永遠という言葉は、とてもとても永い時間というものをイメージさせる言葉だと思います。

しかしながら、永遠とは、別の言い方をするなら、「今この時」という事になります。

遙か悠久の時間と、「今この時」とは、まるで正反対の対極にあるような感じですが、「今この時」というものこそ、永遠というものの本質なのです。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

永遠とは、別の言い方をするなら、時間は存在していない、という事であり、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」しか存在していない、という事なのです。

「今」という「この時」しか実在していない、だからこそ、永遠なのです。
「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

今の地球の科学では、約137億年前に宇宙が誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎず、実際には、この宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
137億年というのは、人間の時間の感覚からすると、気の遠くなるような時間かも知れませんが、無限の大宇宙から見れば、ほんの一瞬かも知れません。

それはともかく、137億年というのは、たかだか137に0(ゼロ)が8個付いただけの数字でしかありません。
例え、一千億年であろうと、一千兆年であろうと、あるいは、一千京年であろうとも、それらは、所詮、有限の時間でしかありません。
仮に、137に0(ゼロ)を一億個付けたとしても、所詮は有限な時間でしかないので、本当の意味で、それを永遠と呼ぶ事は出来ないという事になります。

そして、「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

この事は、時間は幻想であり、本当は時間は存在していない、という事を体験として知らない限りは理解出来ないと思いますが、もし体験出来れば、自ずと理解出来る事だと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
究極的には時間は存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

私達は、今、「永遠(とわ)の中今」に生かされ、生きているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


最近の記事|recent Entry

カテゴリー|Category

月別アーカイブ|Archives

リンク|Links

フィード|FEEDS