竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2013年9月のアーカイブ
13 Entries
神武三千年の神計り
この二一世紀に実現する、「至福千年王国」は、ここ日本から花開きます。
これは、太古の昔から決まっていた天のプログラムであり、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、その為に用意されてきた国であり、そして、私達日本人は、その為に用意されてきた民族なのです。
私達日本人が、この二一世紀に、新たな精神文明、花咲く都・黄金文明を花開かせて、「至福千年王国」を実現させる事が出来るように、人類の歴史で言うと、約三千年に亘って、天の用意周到な計画が、神界のプログラムとして発動してきました。
これを、「神武三千年の神計り」と言います。
日本建国、大和民族形成の、大きな基礎が築かれたのが、約三千年前なのです。
初代天皇である、神武天皇即位紀元(皇紀)とされているのが、紀元前六六〇年です。
西暦二〇一三年(平成二五年)は、皇紀二六七三年にあたります。
三千年近く前に、日本が建国されたという事になるのですが、ちょうど三千年位前、古代のイスラエル王国においては、ダビデ王の子・ソロモン王が栄華を極めていました。
紀元前九二二年のソロモン王の死後、イスラエル王国は、北王国のイスラエル王国(十支族)と、南王国のユダ王国(二支族)に分裂しました。
そして、紀元前七二二年には、北王国のイスラエル王国が滅亡し、そこにいたイスラエルの十支族は、その後、歴史上から消息を絶ちました。
これが有名な、「イスラエルの失われた十支族」と呼ばれる人々の事です。
そして、「イスラエルの失われた十支族」は、日本に辿り着いたという説があり、日ユ同祖論とも呼ばれています。
紀元前七二二年の北王国・イスラエル王国の滅亡、そして、十支族が消息を絶ってから、約六〇年後に、我が国・日本において、初代天皇・神武天皇が即位され、神国・日本が建国されたという事になります。
神武天皇の称号は、「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」(神倭伊波礼毘古命)と言いますが、日本語では、満足な説明が出来ないようです。
しかし、ヘブライ語だと、「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」というような意味になるようです。(ヨセフ・アイデルバーグ「大和民族はユダヤ人だった」より)
そして、サマリアとは、北王国・イスラエル王国の首都だった場所です。
実は、私達日本人は、古代ユダヤの正統な血筋・霊統を受け継いでいます。
天の大いなる計画により、旧約聖書の「創世記」に連なる、ヘブライの血筋・霊統を受け継いでいるのです。
大和の国・日本は、古代ユダヤの正統な血筋・霊統により、建国されたものなのです。
そして、私達日本人や日本国を表す「ニホン」という言葉自体も、アイデルバーグ氏によれば、「聖書の信奉者」という意味になるようです。
もし、日本人が、純粋な単一民族だとしたら、二元性を統合させ、大いなる和「大和」を地球・世界に実現させるという役割を果たす事は出来ません。
また、この大役を担えるのは、それなりの血筋・霊統の民族でなければならず、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生きる大和民族が、古代ユダヤの正統な血筋・霊統を受け継いでいるという事は、極めて重要な事なのです。
「神武三千年の神計り」により、二一世紀に生きる私達日本人は、遺伝子の中に眠る大和心を花開かせて、大いなる和「大和」を地球・世界に実現させ、「至福千年王国」を花開かせる事になります。
「因果律」は一面の真理でしかない
「因果律」というものが、この大宇宙を貫く絶対法則であるかのように、勘違いされている傾向があります。
しかし、「因果律」というのは、単に一面の真理でしかなく、大宇宙を貫く絶対法則などではありません。
「因果律」が存在すると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えるかも知れません。
確かに、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているものだと考えるならば、過去があって現在があり、原因があって結果があるというふうに感じられるかも知れません。
そのような観点に立った時のみ、「因果律」は存在し得るのであり、それはあくまでも、一面の真理にしか過ぎません。
実際には、時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も今同時に存在しているのであり、敢えて時間の流れというものを想定した場合でも、それは、未来→現在→過去という流れになります。
時間というものが、未来→現在→過去へと流れているという観点に立てば、原因があって結果があるというより、原因は結果により選ばれていると言った方が真実に近いので、「因果律」は成り立たなくなります。
さらに言うならば、実際には時間は流れている訳ではなく、過去も未来も今同時に存在しており、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなので、そういう観点に立つならば、究極の因果関係は、この大宇宙には存在しない、という事にもなります。
「因果律」というのは、あくまでも一面の真理にしか過ぎず、この大宇宙を貫く絶対法則などでは、決してありません。
原因は結果により選ばれている
多くの人達は、原因があって結果がある、と考えているようです。
しかし、本当は、原因があって結果があるというより、原因は結果により選ばれているのです。
原因があって結果があると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来というふうに流れているという思い込みによるものだと言えるかも知れません。
実際には、時間は流れている訳ではなく、過去も未来も今同時に存在しており、敢えて時間の流れというものを想定した場合でも、それは、未来→現在→過去という流れになります。
私達が家を建てる場合でも、結果である未来の完成形(設計図)というものがまず存在し、その結果を得る為に必要な原因(基礎工事、柱や屋根の組立、外装、内装、配線等)を、順番に選んでいる筈です。
ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されている訳です。
全ては大宇宙の計画の中にあり、未来は既に確定的に存在していますので、未来から時間が流れて来て、未来の結果を得る為に必要な原因が、順番に創り出されているだけなのです。
原因があって結果があるというのは、あくまでも一面的な見方でしかなく、むしろ、原因は結果により選ばれていると言った方が、真実に近いのだと言えます。
幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見る
この現象界(物理的大宇宙)は、幻の世界です。
絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、光により物質化されて「創造(そうぞう)」された、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのです。
そこに存在しているかに見える全てのものは、仮相(仮の姿)であり、本当は何も確かな実体がある訳ではありません。
唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、光により様々な紋様となって織り成されているだけなのです。
全ては、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識の中で繰り広げられている壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。
そして、本源の我、真我である我が魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つとして、ある一つの角度・視点から、この大宇宙を映し出して見ているモニターの中の一つであり、大宇宙に無数に存在するテレビカメラの中の一つであるとも言えます。
大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つとして、ある一つの角度・視点から、この大宇宙を映し出し、体験し、味わっているのです。
自分が映す現実世界が、いかに確固としたリアルなもののように感じられたとしても、全ては幻なのであり、一切が無の世界なのです。
そして、この世界が全て幻であることが分かれば分かる程、現実世界はますます輝きを増して感じられてきます。
この世界が全て幻であることが分かれば分かる程、現実世界はますます鮮やかに、美しく感じられ、ありがたく、そして、面白く感じられてくるのです。
この世界は、大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識の光によって創られた魔法の世界であり、私達は、魔法の国の中に生かされ、生きているのです。
この世界が幻だから美しくない、ありがたくない、面白くない、生きる価値がないという事ではなく、この世界が幻の世だからこそ、この世界は本当に、美しく、ありがたく、面白く、生きて味わう価値があるのです。
この世界が全て幻であるが故に、生きる喜び、生きる楽しみ、生命のかけがえのなさ、生命の美しさ、生命の輝きがより一層感じられてくるのです。
この世界は幻です。
そして、幻であるが故に、大事に生きようとします。
幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見るのです。
不安という概念について
将来が不安に感じるのは、自分の予期せぬ事が起きるのではないかと感じるからです。
不安という概念が持つ大きな要素の一つが、自分の予期せぬ事が起きるのではないかという怖れというものかも知れません。
しかし、自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂なので、我が魂が「想像=創造(そうぞう)」した事しか、自分の人生には起きないのです。
この事が分かれば、不安という概念を、もっと淡く捉える事が出来るようになります。
例え、肉体の自我意識(表面意識)から見れば、予期せぬ出来事であったとしても、真我である我が魂から見れば、自らが「想像=創造(そうぞう)」した、予定通りの現実なのです。
私達の人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分が体験する全ての現実は、魂の進化の為に、我が魂が「想像=創造(そうぞう)」した最善の出来事なのです。
その事が理解出来るようになれば、不安という概念が、だんだん淡くなっていくと思います。
状況というものは無い
状況というものは、ありません。
本質的には、状況というものがある訳ではなく、状況と捉えた認識があるだけなのです。
状況というものがある訳ではないので、状況と捉えたものは、あくまでも、ある視点から捉えた認識にしか過ぎないのです。
ですから、世界は今こうなっている、とか、世界経済は今こうなっている、というような、状況分析の類は、あくまでも、ある視点から捉えた認識でしかないので、本質において、何も分かっていないとも言えます。
状況というものが、本来ある訳ではなく、状況と捉えた認識があるだけなのだという事を、常に忘れない事が大切だと思います。
進化論は誤り
今はどうか知りませんが、以前は学校で、ダーウィンらが唱えた進化論というものを教えられ、それがあたかも真実であるかのように思われていましたが、進化論には矛盾があり、行き詰まりがあるようです。
それもその筈、進化論は誤りだからです。
人間は初めから人間であり、サルから進化した訳ではありません。
進化論が誤りである事は、簡単な事実から、すぐ分かる事なのです。
もし、サルが進化して人間が誕生したのであれば、今も、サルから人間に進化しつつある個体が、たくさんいる筈なのです。
サルと人間、というふうに、明確に分かれるのではなく、まだほとんどサルに近い個体や、かなり人間に近い個体など、グラデーションのように、サルから人間までの、様々な段階のサルが多数存在していなければならない筈です。
しかし、実際には、今、地球上には約七〇億人の人間と、正確な数は分かりませんが、多数のサルがいるだけなのです。
コンピューターを自在に操り、超高層ビルを建て、飛行機や潜水艦を操り、宇宙ロケットまで飛ばせるような知性を備えた、約七〇億人の人間達と、人間から芸を仕込まれて猿真似芸がなんとか出来る程度の知性しか持たない、多数のサルがいるだけであり、その中間の生物は存在していません。
旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された」と書かれているとおり、私達人間は、初めから人間として創造されたのであり、決して、サルから進化した訳ではないという事を、肝に銘じておく必要があるかも知れません。
神についての二つの概念
神という言葉が使われる時、二つの概念が混同して使われています。
一つは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主に対して使われています。
また、もう一方では、神話に登場するような、「神々の世界」、「神界」と呼ばれるような世界、地球の生命を創造した世界に対しても使われています。
しかし、これら二つの世界は、別のものなので、分けて考える必要があります。
私が大宇宙意識と呼んでいる、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である根本創造主とは、絶対世界における唯一の実在であり、それは、完全なる純粋意識として実在していますので、絶対世界には、様々な神々や仏達などがいる訳ではありませんし、「神界」など存在しません。
神話に登場するような様々な「神々の世界」、「神界」と呼ばれるような世界、様々な仏達の世界というものは、あくまでも、相対世界に属するものであり、地球の生命を創造した存在達も、相対世界の存在なのです。
旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれているとおり、地球の生命を創造した存在達と私達人間は似ており、私達人間と同じように、姿形や名前を持った存在なのです。
物理的大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識により「想像=創造」されていますので、マクロに見れば、地球の全生命も、大宇宙意識により創造されているのですが、大宇宙意識が直接、地球の全生命を創造した訳ではなく、直接地球の全生命を創造したのは、私達人間と同じように、姿形や名前を持った、神話に登場するような「神々」であり、「神界」と呼ばれるような世界の存在なのです。
無形の超自然の神が地球の全生命を創造したのではなく、地球の全生命を直接創造したのは、私達人間と同じような姿形や名前を持った存在達であり、あくまでも、相対世界に属するものなのです。
絶対世界に唯一実在する大宇宙意識というのは、私達人間が、神や仏という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在です。
唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識にとっては、この物理的大宇宙の全てを破壊して、また新たな大宇宙を創造する事など自由自在ですし、全ては「神の戯れ(リーラ)」でしかないので、地球の未来を心配したり、私達個人の願い事を聞き入れてくれたりするような存在では、全くありません。
私達人間に対して、メッセージや警告を発信してくる「神々」というのは、もちろん、相対世界の存在です。
相対世界と一口に言っても、様々な次元が重なっており、私達人間が持つ情報指数を遥かに超えた高次元意識が存在しますが、あくまでも、相対世界の存在なのです。
このように、神についての二つの概念が、混同して使われていますので、分けて考える必要があります。
2020年東京オリンピックは、2016年リオデジャネイロ(ブラジル)から
先日、「日本とブラジルは、表と裏の働き」に書きましたが、神の経綸において、日本とブラジルは、表と裏の働きになります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本が表であり、ブラジルは、それを裏で支える働きになります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本が表であり、ブラジルが、それを裏で支える働きである事は、日本とブラジルの国旗にも、表されています。
日本とブラジルが、表と裏の関係である事は、地理関係においても、型として出されています。
日本から見て、地球の裏側にあるのが、ブラジルになります。
そして、ブラジルが持つ裏の働きにおいて、重要な役割を果たすのが、地球最大の熱帯雨林である、アマゾンの存在なのです。
2020年夏季オリンピックが、日本の東京に決定しました。
そして、2016年夏季オリンピックは、ブラジルのリオデジャネイロで開催されます。
地球の裏側のブラジルから、オリンピックの聖火が、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に運ばれて来る事になります。
2020年とは、フジ(二二)の年でもあります。
2020年東京オリンピックの十数年後、西暦2030年代には、日本は世界の中心となり、世界中の人々から、尊敬と賞賛を浴びる国になっている事でしょう。
西暦2030年代、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新たな精神文明が花開き、花咲く都・黄金文明が誕生する事になるのです。
キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」の事でもあり、日本は、「至福千年王国」の中心地として、地球・世界の中心となり、宇宙時代をリードして行く事になるのです。
世界の覇権は、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本が担う事になります。
1964年東京オリンピックの後、10年から20年後には、日本の持つ経済力・技術力などが、世界中に認められる時代が到来しました。
それはあくまでも、物質文明の時代における日本の繁栄でした。
しかし、この21世紀において、地球の新たな精神文明が日本から花開き、新たな地球が誕生する事になるのです。
2020年東京オリンピックの十数年後、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後の、西暦2030年代には、日本は地球の新たな精神文明の中心地として、世界中の尊敬と賞賛を浴び、霊性の大国として、本来の役割を果たし、真の姿を現している事でしょう。
西暦2030年代、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明、「至福千年王国」において、日本は真の繁栄を確立する時代を迎える事になります。
日本とブラジルは、表と裏の働き
日本とブラジルは、神の経綸において、表と裏の働きになります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本が表であり、ブラジルが裏の働きになります。
日本とブラジルが、表と裏の関係である事は、地理的な位置関係にも、型として出されています。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の働きが表に出るのを、裏で支えるのが、ブラジルの働きになります。
そして、ブラジルが担う裏の働きにおいて、重要な役割を果たすのが、地球最大の熱帯雨林である、アマゾンの存在なのです。
今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今ここに、肉体という衣を纏(まと)って存在している自分は、言わば、アバターとしての自分であり、本当の自分自身ではありません。
本当の自分自身とは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」なのです。
本当の自分自身である、我が魂という「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験して味わう為に、肉体という衣を纏(まと)って存在しているアバターが、今生きている自分という存在なのです。
肉体を持った自分というのは、あくまでも、アバターとしての自分でしかないので、本当の自分自身ではありません。
アバターとは、化身とか、分身というような意味で使われており、自分の分身となるキャラクターを意味する言葉です。
肉体を持った自分というのは、本当の自分自身ではなく、本源の我である、我が魂の分身として存在しているアバターにしか過ぎないのです。
肉体を持った自分というのは、あくまでも、アバターとしての存在にしか過ぎないので、アバターの中に、本当の自分自身がいる訳ではありません。
物質というものを「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」であるということを、もう一度想い出してみて下さい。
大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の中に、自分の「意識」がある訳ではなく、自分の「意識」の中に、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)があるのです。
自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)というものがあり、その中の地球という星の中にある、日本という国に、肉体を持った自分が存在していて、その自分が「意識」を持っているのではありません。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、本源の我である、我が魂という「意識」の中にある世界なので、アバターである肉体の中に、「意識」である魂が存在している訳ではありません。
物質の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に物質が存在しているのです。
今ここに存在している自分というのは、アバターにしか過ぎません。
大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」は、アバターである肉体の中には存在していません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分の「意識」の中にある世界なのです。
従って、自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)というものがある訳ではありません。
多くの人達は、自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙が存在すると考えています。
自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙というものがあり、その中の地球という星に、肉体を持った自分が存在していて、その自分が「意識」を持っていると考えています。
そうではなく、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、自分自身の「意識」の中に存在している世界なのです。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)を創り出しているのは、実は、自分自身の「意識」というものなのです。
自分の「意識」の中に、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)があるのであり、物理的大宇宙(現実世界)の中に、自分の「意識」がある訳ではありません。
大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
とても奇想天外に聞こえるかも知れませんが、最先端の物理学では、この事が理解出来るようにもなってきているようです。
この21世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観に入れ替わる時を迎えていますので、いずれ多くの人達が、この事を理解出来るようになっていく筈です。
天動説が地動説に変わるような、コペルニクス的大転回を、私達人類は、これから経験する事になるのです。
自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)があると捉えてきた認識そのものが、180度入れ替わる時を迎えます。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、自分の「意識」を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る時を迎えるのです。
大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある、という認識に、私達人類が到達出来る時代を迎えようとしているのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
唯一の教え・道というものは無い
新たな地球の誕生へと導く、唯一の救世主など存在しないように、新たな地球の誕生へと導く、唯一の教え・道・方法(メソッド)というものも、ありません。
宗教や、何かの教え・道というものを信じている人達にありがちな傾向として、自分の信じる神、仏、教祖、先生などが、世界で唯一の救い主だと考えたり、自分が信じる教え・道・方法だけが、人類を救える唯一のものであるかのように思い込んだりする傾向があります。
しかし、それはあくまでもその人達の認識でしかなく、その人達がそのように信じ込んでいる、さらに言うならば、そう信じたいだけの事なのです。
多くのキリスト教徒達は、イエス・キリストこそが世界で唯一の救い主であり、聖書の教えこそが、人類を導く唯一の教えであると信じているかも知れません。
あるいは、イスラム教徒達は、アラーこそが唯一の神であり、コーランこそが、唯一の教えであると考えているかも知れません。
新しい地球の誕生というのは、何か一つの教え・道・方法だけが、日本中、世界中に広まる事によって実現するというような単純なものではありません。
世界中の人々が、キリスト教徒になったり、仏教徒になったり、あるいは、イスラム教徒になったりする訳ではありませんし、何かの信者や団体の会員に世界中の人々がなるという訳でもありません。
新しい地球の誕生に向けて、色々な教え・道・方法なども、天から降ろされていますが、それぞれがそれぞれの役割として必要だから降ろされているのであり、だからと言って、その中の何かが、人類を導く唯一の道という訳ではないのです。
様々な教え・道・方法などには、それぞれに役割があり、良いところもたくさんあるので、それぞれのご縁の中で、自分に合ったものがあれば、取り入れてみればよいかと思いますが、だからと言って、その道だけが、人類を救う唯一の道であるという訳ではありません。
多くの人達に見られる、「これこそ世界で唯一の・・・・・」とか、「地球・人類を救えるのは、世界で唯一、この・・・・・だけ」というような、小さく凝り固まった思考形態を超えた所に、新しい世界はあるのです。
人類の意識が根本から新たに生まれ変わる為には、ありとあらゆる変化が必要であり、今、地球上で起きている全ての事は、人類の意識の飛躍的進化と、新たな地球の誕生に向けて起きてきています。
ある特定の人物・団体・教え・道だけが、地球を救うというような、単純な、簡単な話ではないのです。
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