竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2013年10月のアーカイブ
24 Entries
一人一人が目覚める時代
今、私達人類一人一人が、自分自身の中にある、人間の可能性について目覚める時を迎えています。
自分自身の中にある神聖な光、神道的に言えば神性、仏教的に言えば仏性、キリスト教的に言うならばキリスト意識に目覚め、それを花開かせて、私達一人一人がそれを顕現して生きる時代を迎えているのです。
そして、自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、自分が見ている大宇宙の全てが、実は、自分自身の意識の中にあるのだという事を理解出来るようになっていきます。
そして、自分の意識を内面深く遡れば、最終的には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識に辿り着くのだという事に目覚め、自分自身の中には、全ての答えがちゃんとあるのだという事を理解出来るようになっていきます。
そして、私達人間に与えられた霊性は無限であり、知性も、どこまでも進化させていけるのだという事に目覚めるようになります。
今、私達は、人間一人一人に秘められた可能性に目覚め、それを花開かせて生きる時代を迎えようとしているのです。
遊ぶ力、面白がる力こそが、心の実力であり、それが創造力につながる
私達の人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、人生に起きる全ての出来事は、魂の進化の為に起きているという事になります。
魂の進化とは、心の純化、意識の福化という事であり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていく事なのです。
私達は、魂の進化と呼ばれる、心の純化、意識の福化の旅をしています。
人生における全ての場面に一喜一憂する事なく、全ての場面を面白いと感じながら、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心を創る旅をしているだけなのです。
ですから、遊ぶ力、面白がる力というものが、とても大切になります。
人生における全ての場面に一喜一憂する事なく、全ての場面の中に面白さを発見し、その場面の中で遊ぶ力が必要とされるのです。
遊ぶ力、面白がる力こそが、心の余裕であり、心の実力であるとも言え、それが新たな創造力につながっていきます。
私達は、意識を創る旅をしているだけ
私達の人生には、基本となるプログラムがあります。
生きるのには目的があり、それは、魂の進化という事なのです。
魂の進化とは、心の純化、意識の福化という事であり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていく事なのです。
如何なる人生を歩もうとも、如何なる事を為そうとも、人生のテーマは唯一点、魂の進化という事なのです。
ですから、私達は、魂の進化と呼ばれる、意識を創る旅をしているだけなのです。
人生のあらゆる場面を通して、心を純化させ、意識を福化させて、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心を創る旅をしているだけなのです。
四季折々には、それぞれの風情・味わいというものがあるように、人生という旅における全ての場面にも、それぞれの風情・味わいというものが必ずあるのです。
自分の人生に起きる全ての出来事は、魂の進化にとって最善の出来事の連続なので、そこには必ず、今の自分が体験して味わうべき何かがあるのです。
様々な場面に一喜一憂する事なく、全ての場面を面白いと感じながら、意識を創る旅のプロセスを楽しんでいけば良いだけなのです。
そして、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているのは、他ならぬ自分自身なのです。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂なのです。
真我である魂が、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になる事を求めて、魂の進化の為に、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しています。
例え、肉体の自我意識(表面意識)では分からなくても、自分の人生に起きる全ての現実は、真我である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、最善の出来事なのです。
その事が分かれば、様々な場面に一喜一憂する事なく、全ての場面を面白いと感じながら、意識を創る旅のプロセスを楽しんでいく事が出来るようになります。
私達は、人生における全ての場面を通して、心を純化させ、意識を福化させて、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心を創る旅をしているだけなのです。
私達は、意識を創る旅をしているだけなので、旅のプロセスを楽しんでいけば良いだけなのです。
自分の現実を否定するのは、自分自身を否定しているのと同じ事
自分の現実を否定するのは、自分自身を否定しているのと同じ事です。
何故なら、本当の自分自身が、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているからです。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
真我である我が魂は、永遠不滅の存在であり、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になる事を求めて、魂の進化の為に、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しています。
自分の現実の全ては、真我である我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
ですから、自分が体験する全ての現実は、真我である我が魂にとっては、喜びの体験でしかなく、魂の進化にとって最善の出来事の連続でしかありません。
ただ、その事が、肉体の自我意識(表面意識)では、分からないだけなのです。
例え、肉体の自我意識(表面意識)では分からなくても、自分の現実の全ては、本源の我であり、真我である我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのであり、魂の進化にとって最善の出来事の連続なのです。
その事を受け入れ、認めていく事が、心の成長であり、意識の拡張であり、意識の福化と呼べるものなのです。
魂の記憶が蘇ってくると、自分の現実の全ては、大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したのだという事を、想い出せるようになってきます。
自分の現実の全ては、本源の我であり、真我である我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなので、自分の現実を否定する事は、自分自身を否定しているのと同じ事なのです。
無始の過去、無終の未来
時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
時間というものは、究極的には存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
「時」には、始まりも無ければ、終わりも無いので、過去というものにも、始まりは無く、未来というものにも、終わりは無いのです。
無始の過去、無終の未来なのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体である、根本創造主(大宇宙意識)だけです。
根本主体である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙(現象界)の全ては、根本主体である大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」であり、言わば、「鏡」の世界なのです。
大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙に「創造(そうぞう)」されているのです。
「時」には、始まりも無ければ、終わりも無いので、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識もまた、誕生するという事も無く、消滅するという事も無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。
そして、根本主体である大宇宙意識を映し出す「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である物理的大宇宙もまた、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いのです。
「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。
過去には、始まりも無ければ、未来には、終わりもありません。
大宇宙の唯一の実在である根本創造主(大宇宙意識)は、誕生するという事も無く、消滅するという事も無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。
そして、根本主体である大宇宙意識の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である物理的大宇宙にもまた、始まりも無ければ、終わりもありません。
無始の過去、無終の未来なのです。
「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠(えいえん)時」があるだけなのです。
物質文明の象徴であるアメリカは衰退し、新たな精神文明の象徴としての日本から、「日は昇る」
一昨日、「世界の覇権は、アメリカから日本へと移行する」事を書きましたが、物質文明はいずれ崩壊しますので、その象徴的存在であるアメリカは衰退する事になります。
そして、地球・世界の次世代の新たな精神文明の象徴としての日本から、新しい地球の夜明けの「日は昇る」事になります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球・世界の夜明けが訪れる事になります。
これは、太古の昔から決まっていた、神の経綸であり、神界のプログラムなのです。
人類の歴史で言うと、約三千年前に、大きな神仕組みが行われており、これを、「神武三千年の神計り」と言います。
21世紀に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、新しい地球の夜明けが訪れる仕組みの大きな基礎が、約三千年前に築かれているのです。
さらに遡れば、「ノアの箱舟と大洪水」の時代に遡る事になります。
旧約聖書の「創世記」に書かれているように、大洪水によって、一度、地上の全生命が絶滅した後、「ノアの箱舟」によって助け出された、ノアと一部の人間達によって、地上に再び全生命が再創造された時代に遡る事になります。
私達人類が二度と再び絶滅する事なく、21世紀に人類の新たな黄金時代を迎え、新たな地球の誕生を齎(もたら)す事が出来るように、その中心的役割を果たす民族・国家として、日本という国が、神界のプログラムとして築かれたのです。
日本という国が、東洋の一番東に位置しており、日出る国である事、国名の日本とは、「日の本」(ひのもと)である事、日章旗が「日の丸」である事、私達日本人が大和民族と呼ばれ、大いなる和「大和(ヤマト)」の国である事などは、一切偶然ではなく、私達日本人、そして、日本という国が、これから果たすべき本来の使命・役割を象徴しています。
「日の本」(ひのもと)とは、霊(ひ)ノ元であると同時に、火の元でもあります。
地球・世界の霊的中心であると同時に、火の働き(男性原理)の元でもあります。
伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年頃、西暦2030年代に、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から花開く時を迎えます。
キリスト教の世界で言われる、「至福千年王国」の事でもあります。
これに伴い、日本は地球・世界の中心となり、世界の覇権は、日本が担う事になるのです。
これからの十数年が、神国・日本の蘇りの時であり、私達日本人の遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時なのです。
世界の覇権は、アメリカから日本へと移行する
今ある物質文明は、いずれ、終焉の時を迎えます。
資本主義というものは、元々が矛盾を抱えたものなので、とても永続するような類のものではなく、自らが持つ矛盾故に、いずれは自己崩壊する運命にあります。
20世紀は、物質文明の最盛期であり、資本主義の象徴的存在であるアメリカは、世界の覇権国として、唯一の超大国として、繁栄を誇っていましたが、もうピークを過ぎて、衰退しつつあります。
国家破産(デフォルト)を回避すべく、懸命の延命措置が取られていますが、問題の先送りにしか過ぎないので、衰退する運命は、如何とも出来ません。
世界の基軸通貨であるドルは、1971年のニクソン・ショックにより、金為替本位制は崩壊し、金の裏付けを失いました。
金という物的制限を失ったドルの発行量は際限なく膨れ上がり、最早、制御不能な領域まで達しているようです。
金の裏付けを失い、ペーパーマネーにしか過ぎなくなったドルというものが、世界の基軸通貨として世界中に溢れてしまったツケは、いずれ、私達人類が払わなくてはならなくなります。
アメリカという国家が、いつまでも世界の覇権国であり、唯一の超大国であるなどとは、考えない方が良いかも知れません。
西暦2030年代、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、新たな地球が誕生する事になります。
日本は、地球・世界の中心となり、世界の覇権は、日本が担う事になるのです。
これからの十数年は、有史以来数千年の人類の歴史の総真釣り(総決算)の時であり、数千年の古い歴史の最終局面なのです。
霊性と知性の進化
地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明は、私達人類に備わっている、無限の霊性と無限の知性を進化させる事により誕生します。
意識が飛躍的に進化し、幸・不幸という概念すら超えて、全てを喜びと感じられる心になり、自分という概念すらゆるやかに溶けて、地球という惑星の意識と一つになっていきます。
そして、知性を飛躍的に進化させて、人類を幸福にする、様々な科学技術・テクノロジーを開発し、進化させて、私達人類に与えられている、知性の恩恵を享受出来るような世界が誕生します。
人類がさなぎから蝶へと生まれ変わると言っても、飛躍的に進化するのは、あくまでも、私達の霊性と知性であって、肉体が飛躍的に進化する訳ではありません。
肉体が、さなぎから蝶へと生まれ変わるような、大変化を遂げる訳ではないのです。
一部の人達が信じ込んでいる、半霊半物質という体になる訳でもありませんし、全員が超能力者になったり、全員が食事を食べなくても生きていける体になる訳でもありません。
私達人類は、今ある肉体このままで、人類に備わっている、無限の霊性と無限の知性を飛躍的に進化させて、今ある物質文明からは想像だにないような、新たな精神文明を花開かせる事になるのです。
日本三霊山、立山について
日本三霊山の一つ、富山県にある立山で、一昨日の10月13日、初冠雪が記録されました。
立山は、十数メートルから二十メートル位の雪が降り積もる、世界有数の豪雪地帯であり、日本には無いとされていた氷河が、近年になって確認された事でも知られています。
以前、「日本三霊山(富士山、立山、白山)」の中にも書きましたが、立山は男性性を象徴し、白山は女性性を象徴し、富士山は、二元性(男性性と女性性)が統合された姿を象徴しています。
日本三霊山で、男性性、女性性、二元性(男性性と女性性)が統合された姿を、象徴しています。
男性性を象徴している立山が、世界有数の豪雪地帯にあり、日本には無いとされていた氷河を有している事は、立山が持つ働きと無縁ではありません。
標高四千メートル以上の場所にしか、通常は無いとされている氷河が、標高三千メートル位の立山に存在しており、立山が世界有数の豪雪地帯であるという事は、それだけ峻厳な、厳しい環境の中にそびえ立っている霊山であるという事であり、立山が持つ、男性的な働きを象徴しています。
立山という名前そのものが、男性的な名前であり、立山の雄山山頂にある峰本社の御祭神も、伊邪那岐命(イサナギノミコト)と天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)という、古事記の中で勇敢な働きをされる男性神です。
そして、立山をお守りされている雄山神社の名前にも、男性を表す「雄」という文字が付けられています。
立山の山容も、男性的な姿をしており、白山の女性的ななだらかな山容とは、対象的です。
そして、富士山は、二元性(男性性と女性性)が統合された、雄大で美しい雄姿をしています。
日本三霊山の一つ、立山は、峻厳な厳しい環境の中でも、「雄々しくそびえ立つ」男性的な働きを象徴して、雄大にそびえ立っています。
三千メートル級の山を海岸から直接見られる光景というのは珍しいらしく、氷見から望む海越しの立山連峰を、世界遺産に登録しようという動きも始まっているようです。
「成るようにしか成らない」と同時に、「成るようには成る」
昨日、「未来は100%確定している、という事について」書きましたが、未来は100%確定していますので、自分がどうジタバタしたところで、「成るようにしか成らない」と同時に、別の言い方をすれば、「成るようには成る」のです。
「西遊記」の中の有名な話に、孫悟空が釈迦の掌から飛び出そうとして、いくら空遠くまで飛び回ったつもりでいても、所詮は釈迦の掌の中だったというエピソードがありますが、私達は、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在なので、自分の力で何かが出来ると思っていても、所詮は、万物を生かしている大宇宙の掌の中なのです。
全ては大宇宙の調べの中、全ては大宇宙の計画の中にありますので、「成るようにしか成らない」と同時に、「成るようには成る」のです。
未来は100%確定している、という事について
自分の未来は、決まっているのでしょうか?
そして、人類の未来、地球という星の未来は決まっているのでしょうか?
さらには、大宇宙の未来は決まっているのでしょうか?
未来というものは、既に確定しているものなのか、それとも、未来は完全に白紙なのでしょうか?
心の奥深くで、常に知りたかった事だと思います。
結論から先に申しますと、未来は既に決まっており、未来は100%確定しています。
未来は100%確定していますので、白紙の未来がある訳ではありません。
未来が100%確定している事は、知識や学問などによっては知る由もなく、体験的に知る他ないので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。
この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100%確定しているという事を、決して理解出来ないと思います。
この大宇宙の本質というものを、体験的に知る事が出来ると、時間は幻想である事、そして、この大宇宙には、根本創造主(大宇宙意識)という唯一の存在しか実在していない事を知る事になり、未来が100%確定しているという事を、何の疑いもなく確信する事が出来るようになります。
時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
時間というものは、究極的には存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在しているのです。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人達が考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
未来は確定的に存在していますので、既に確定している未来から時間がやって来て、必要となるプロセスが順番に創り出されているのです。
原因があって結果があるというより、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
原因があって結果があるというより、原因は、結果によって選ばれていると言った方が真実に近いのです。
大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しており、大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在しています。
ですから、二一世紀の地球という、今ここにある時空は、必ずしも、今初めて大宇宙に存在しているという訳でもないのです。
二一世紀の地球という、今ここにある時空が、今初めて大宇宙に存在していると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。
二一世紀の地球という、この時空は、実は、かつて存在した時空でもあるのです。
私達は、かつて存在した時空で体験した事を、今、「追体験」しているのであり、「追想の中」を生きているのです。
ここは、「緑美しき懐かしき地球(追想の中)」なのです。
そして、この大宇宙には、本当は、根本創造主(大宇宙意識)という、たった一つの存在しか実在していません。
大宇宙の根本主体である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」の事なのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありませんので、大宇宙の根本主体である大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。
物理的大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、「全ては根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識によって営まれていますので、全ては大宇宙の調べの中、全ては大宇宙の計画の中なのです。
私達は、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは、一呼吸すら出来ない存在なので、自分が努力すれば未来を変えられると考えるのは、自分の力で生きているという、勘違い・錯覚にしか過ぎません。
私達一人一人を始め、万物を生かしている根源的エネルギーは一つなので、大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識によって営まれているのです。
この大宇宙には、根本主体である根本創造主(大宇宙意識)しか実在していない事、そして、時間は幻想である事を体験的に知る事が出来れば、未来は100%確定しているという事を、確信する事が出来ます。
逆に言えば、この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100%確定しているという事を、決して理解する事は出来ません。
しかし、私達一人一人は、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の分霊(わけみたま)なので、私達の意識を一番奥深くまで遡れば、最終的には、根本主体である大宇宙意識まで辿り着く事になります。
ですから、私達一人一人は、意識の一番深い部分においては、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしているだけではなく、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。
その事を想い出していく手助けとして、誰にでも分かりやすい形で、何故、未来が100%確定しているのかを詳しくまとめた本を書いて、いずれ出版したいと考えています。
金刀比羅宮について
香川県の琴平町に鎮座する、金刀比羅宮(コトヒラグウ)は、全国にある神社の中でも、一種独特の趣がある神社かも知れません。
御祭神は、大物主(オオモノヌシ)、崇徳天皇です。
大物主とは、大国主(オオクニヌシ)の和魂(ニギミタマ)です。
奈良の三輪山にある大神(オオミワ)神社でも、大物主が祀られています。
金刀比羅宮は、渡来人である秦氏によって創建されたとも言われています。
金刀比羅宮の「コトヒラ」は、「事開(コトヒラ)」に通じています。
「事(コト)を開(ヒラ)く」事に通じています。
新しい事の始まりに通じています。
何か新しい事を始める時には、金刀比羅宮に参拝してみるのも良いかも知れません。
785段もある、あの長い石段を、一歩一歩昇りながら、自分自身の内面と向き合ってみるのも良いかも知れません。
そして、金刀比羅宮の「コト」は、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)の「事」にも通じています。
大国主の御子神であり、恵比寿様としても知られる、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)の「事」にも通じています。
そして、金刀比羅宮の「コト」は、金刀比羅宮が鎮座する琴平山(象頭山)の「琴」にも通じているとともに、琴座(リラ)にも通じています。
プレアデス(スバル)、シリウス、オリオンなど、地球と関係が深い星がいくつかありますが、ベガ(七夕の織姫星)を主星とする琴座も、地球と縁が深い星の一つです。
古事記の正式な呼び方は「フルコトブミ」だという説がありますが、そこにも通じています。
そして、その場合には、「九十(コト)」というのが、本来の言葉になり、やはり、琴座にも通じています。
「こんぴらさん」の愛称で親しまれている、金刀比羅宮には、かなり奥深いものがあるようです。
源氏を再興した源頼朝と、熱海(伊豆山神社、走り湯、みそぎの滝)
源氏を再興した源頼朝は、熱海と深い縁を持っていました。
源頼朝が源氏を再興するに際して、熱海という地場が持つエネルギーが必要だったとも言えるかも知れません。
そして、それは即ち、霊峰富士から箱根を通り熱海へと続いている霊脈(レイライン)のエネルギーが必要だったとも言えるかも知れません。
それは即ち、富士神界との深い縁が必要だったとも言えます。
伊豆山神社は、頼朝が、妻となる北条政子と逢引をした所として知られており、伊豆山神社の境内には、「頼朝と政子の腰掛石」が今もあります。
そして、伊豆山神社の摂社である走り湯神社がある、日本三大古泉、走り湯も源頼朝と縁がある場所です。
走り湯の岩風呂に浸かりながら、日の出を見て、頼朝は源氏再興を決意したとも言われており、走り湯は、「出世の湯」とも言われています。
そして、熱海市日金町には、「みそぎの滝」と呼ばれる小さな神社があり、ここにも源頼朝との縁が伝えられています。
頼朝が、伊豆に配流された際、熱海にて神のお告げを受け、源氏再興の禊をした所と言われています。
源氏を再興し、平氏との戦いに勝利して、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、熱海にある伊豆山神社と、箱根神社を篤く崇敬し、「二所詣」を行い、三嶋大社にも参拝していました。
富士山から箱根を通り、熱海へと続く大きな霊脈(レイライン)があり、富士神界の大きなエネルギーが通っています。
源頼朝が源氏を再興し、平家との戦いに勝利し、鎌倉幕府を開くとともに、鎌倉の鶴岡八幡宮を現在の形に整える為には、富士神界との深いつながりが必要であり、熱海という地場が持つエネルギーが必要だったとも言えるかも知れません。
源氏と平氏の演じた「源平合戦」とは、ある時代における二大武士勢力同士の戦い、というような単純なものではありません。
二元性の対立という型を、ここ日本において演じる役割を担っていたのが、源氏と平氏なのです。
そして、二元性の対立という型を、地球・世界規模で演じる役割を担っているのが、日本とユダヤなのです。
「十」とは、神を表す数字ー火の働き(男性原理)と水の働き(女性原理)
本日は、十月十日です。
「十」とは、神を表す数字でもありますので、十月十日は、神が重なる目出度き日とも言えます。
神とは、「火水(カミ)」とも言い、火の働きと水の働きで表されます。
火の働きとは、男性原理であり、縦方向の線「|」で表されます。
水の働きとは、女性原理であり、横方向の線「―」で表されます。
男性原理である火の働き「|」と、女性原理である水の働き「―」を合わせた「十」は、「火水(カミ)」を表し、神を表す数字でもあります。
火の働きである男性原理は、「力」という言葉で表す事が出来ます。
水の働きである女性原理は、「愛」という言葉で表す事が出来ます。
神の持つ本質的な働きは、「愛(女性原理)」と「力(男性原理)」という言葉で表す事が出来ます。
「愛と力」こそが、神の持つ本質的な働きであり、それは、私達人間一人一人の中にもあります。
神道的な表現を使えば、神の本質と同じ「神性」が、私達一人一人の中に内在しています。
仏教的な表現を使えば、「仏性」であり、キリスト教的な表現を使えば、「キリスト意識」という事になるのかも知れません。
自分自身の中にある、内なる「神性」、「愛と力」を想い出し、蘇らせ、花開かせて、それを顕現して生きる事が求められています。
それが、魂の出産であり、魂の蘇りであり、神の蘇りでもあります。
神の蘇りとは、「愛と力」の蘇りであり、それを顕現して「神人」のようになった人の姿を、古事記においては「神武天皇」という言葉で象徴しています。
また、「十」とは、イエス・キリストが架けられた「十字架」とも関係があります。
内なる「神性」、「愛と力」の蘇りとは、キリスト教的な表現を使えば、自分自身の内なる「キリスト意識」の蘇りという事になります。
私達一人一人の中に内在する、「内なるキリストが復活する事」を意味します。
内なる「神性」である「愛と力」の蘇りとは、内なる「キリスト意識」の蘇りであり、神の蘇りを意味します。
神の蘇りとは、「神の復活」という事でもあります。
そして、「神の復活」は、「キリストの復活」として、型で出されています。
伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後の、西暦2030年代の何れかの時期に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本において、私達は、「イエス・キリストの復活」を目の当たりにする事になるでしょう。
「神の復活」の型示しとして出された、「キリストの復活」を目撃する事になるでしょう。
そして、イエス・キリストとは、二千年前に実在した、ある特定の人物だけを指すのではなく、私達一人一人が、イエス・キリストでもあるという事を、想い出す事になるでしょう。
古事記は、神界にそびえ立つ龍宮城
古事記は、我が国最古の歴史書です。
712年(和銅5年)に、太安万侶によって献上されたとされています。
天武天皇の命により、稗田阿礼が「謡習」していた「帝皇日継」(天皇の系譜)と「先代旧事」(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされています。
今日では、一般的に「コジキ」と呼ばれていますが、「フルコトブミ」と呼ぶのが正しいという説もあります。
歴史書としての古事記には、真偽も含めて、様々な見解があるかと思いますが、古事記とは、単に歴史書としての一面だけではなく、「神界のプログラム」が隠されており、「神界にそびえ立つ龍宮城」としての一面も隠されています。
特に、一番最初の「天地開闢」から、初代天皇である「神武天皇誕生」までの、所謂、「神代の時代」の神話の物語は、人が神として出産するまでの内的なプロセスが、象徴的に描かれており、魂の出産、魂の蘇りという事が、主要なテーマとして描かれています。
登場人物と場面設定はそれぞれ違いますが、魂の蘇りという同じテーマが、繰り返し繰り返し描かれています。
そして、魂の出産を終え、魂の蘇りを経て、人が神として誕生した姿を、古事記では「神武天皇」という言葉で象徴しています。
もちろん、古事記には、歴史書としての一面もありますので、初代天皇である「神武天皇」となった、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)という人物も実在したかと思われますが、「神界のプログラム」としての古事記が「神武天皇」という言葉で象徴しているのは、人が神として誕生した姿です。
魂の出産を終え、魂の蘇りを経験して、人から神に成長した姿を、「神武天皇」という言葉で表現しています。
ですから、「神武天皇」とは、二千数百年前に初代天皇となった歴史上の特定の人物だけを指すのではなく、私達一人一人の事も意味しています。
私達一人一人が、魂の出産を終え、魂の蘇りを経験して、人から神へと進化(神化=しんか)した姿を、古事記では、「神武天皇」という言葉で表現しています。
「神武天皇」とは、私達一人一人の事でもあります。
私達一人一人が、魂の蘇りにより魂の出産を迎え、人から神へと成長して「神武天皇」として誕生する事が出来るように、「神界のプログラム」を示して、古事記は私達を導いてくれています。
古事記とは、「神界にそびえ立つ龍宮城」でもあります。
古事記については、折に触れて、少しずつ書いていきたいと思います。
黄泉国とは、「閉ざされた天岩戸の中」と同じ意味
先日、「天照大御神の天岩戸開き=月読命の蘇り=須佐之男命の八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」の中で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が入った黄泉国(ヨミノクニ)について少し触れました。
黄泉国とは、「黄色い泉の国」と書きます。
黄色い泉とは、小便であり、言わば、肥溜めのような世界の事です。
古事記の中で、黄泉国が象徴しているのは、人が落ちた所であり、言わば、便所です。
自分自身の心の中にある、肥溜めのような、光を失った闇のような世界の事を象徴しています。
黄泉国とは、別の言い方をするなら、「天岩戸の中」という意味になります。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、自らの光を閉ざして篭(こも)ってしまった、「閉ざされた天岩戸の中」と同じ意味になります。
月明かりを失った闇夜のような世界の事であり、それは、私達一人一人の心の中にある世界の事を象徴しています。
須佐之男命(スサノオノミコト)の場合には、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)という言葉で表現されています。
八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)とは、自分自身の心の中に潜んでいるのです。
肥溜めである便所は糞まみれですが、畑を耕す肥やしとなる場所であり、作物を育てる大切な場所でもあります。
天の仕組みとして、私達人間一人一人は、自分自身の心の中にある闇の世界を経験する事によって、成長し、自分自身の中にある本当の光を取り戻す事が出来るのです。
それが、魂の出産という事であり、魂の蘇りという事なのです。
古事記には、歴史書としての一面だけではなく、人が神として出産する内的なプロセスが象徴的に描かれており、魂の蘇りという事が、メインのテーマとなっています。
自分の心の中にある、肥溜めのような闇の世界に一度落ちて、そこから自分自身の本当の光を取り戻し、蘇るという、魂の蘇りが、伊邪那岐命の「黄泉国からの黄泉帰り(蘇り)」であり、天照大御神の「天岩戸開き」であり、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」として、象徴的に描かれています。
伊勢神宮は表の神界の表の働き、出雲大社は表の神界の裏の働き
今年2013年(平成25年)は、20年ぶりとなる伊勢神宮の式年遷宮とともに、出雲大社においても、60年ぶりとなる平成の大遷宮が行われる年となりました。
既に出雲大社においては、一連の遷宮行事の中で最も重要とされる、「本殿遷座祭」が5月10日に行われ、仮殿に置かれていた御神体が、本殿に戻されました。
そして、伊勢神宮においても、御神体を遷(うつ)す「遷御の儀」が、10月2日に内宮、10月5日に外宮にて行われました。
これで、伊勢神宮と出雲大社という、日本を代表する二つの神社における式年遷宮の最も重要な儀式が、無事終了致しました。
伊勢神宮は、表の神界の表の働きであり、出雲大社は、表の神界の裏の働きになります。
表の神界の表の働きである伊勢神宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社の平成の大遷宮が重なる年となった、今年2013年(平成25年)は、日本にとって節目の年となりました。
表の神界の表の働きである伊勢神宮の式年遷宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社の平成の大遷宮の最重要神事が無事執り行われた事により、表の神界の一つの開きが行われる事となりました。
表の神界の開きは、やがて現象界に現れ、表に現れて来る事でしょう。
そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年頃までに、私達日本人の遺伝子の中に眠る大和心・大和魂を蘇らせ、花開かせて、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の本領・真価を発揮させるように導いて行く事でしょう。
伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後、西暦2030年代には、日本から地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、新たな地球が誕生する事になります。
キリスト教の世界で言われる、「至福千年王国」の事でもあります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、地球・世界の中心となり、宇宙時代をリードしていく事になります。
世界の覇権は、日本が担う事になります。
これからの20年前後で、有史以来数千年の人類の古い歴史が幕を閉じ、私達人類の全く新しい歴史が幕を開ける時を迎えます。
そして、地球の新しい時代をリードしていくのは、私達日本人なのです。
旧約聖書の「創世記」に、有名な「ノアの箱舟と大洪水」に関する話が出てきます。
旧約聖書の「創世記」に書かれている通り、私達人類は、大洪水により、一度絶滅した事があるのです。
そして、「ノアの箱舟」によって助け出された、ノアと一部の人間達により、地球に再び生命を創造する事が出来たのです。
私達人類が、今こうして生きていられるのは、「ノアの箱舟」によって助け出された、ノアと一部の人間達のおかげなのです。
そして、ノアにつながる、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統を受け継いでいるのが、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本なのです。
「東方の日出る国」とは、古代からヘブライの人々にとって、「天国」を意味する言葉のようです。
ノアにつながる、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統を受け継ぐ人々が、彼らにとっての「天国」を意味する、「東方の日出る国」を求めて、「ヘブライの秘宝」を携えて、長い長い旅の末、日本に辿り着いたのです。
今、私達日本人は、日本人の遺伝子の中に眠る、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統に目覚める時を迎えています。
先日、「第62回 伊勢神宮式年遷宮 遷御の儀 外宮 10月5日」の中にも書きましたが、何故、伊勢神宮の参道の灯籠に、ユダヤの紋章であるダビデの星(六芒星)が、かつて刻まれていたのかに想いを馳せる時を迎えています。
そして、元伊勢と呼ばれる籠神社の奥宮・真名井神社の元々の神紋も、何故ダビデの星なのか、という事に想いを馳せてみる時を迎えています。
私達人類が、二度と再び絶滅する事なく、地球の恒久平和、世界平和をこれから実現させる事が出来るのは、私達日本人の中心的な働きによるものなのです。
そして、それを実現させるのは、私達日本人の遺伝子の中に眠る、ヘブライの血筋・霊統によるものなのです。
ノアにつながる、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統の蘇りによるものなのです。
私達日本人の遺伝子の中に眠る、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統の蘇りにより、ここ日本において、「新しきエルサレム」が花開く時を迎えます。
霊峰富士が美しく聳(そび)え立ち、大いなる和「大和(ヤマト)」を地球・世界に齎す「大和(ヤマト)の国」・日本において、「新しきエルサレム」が花開くのです。
伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる、2033年頃、日本において、「新しきエルサレム」が花開き、キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」が花開く時を迎えます。
「新しきエルサレム」とは、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の事なのです。
天照大御神の天岩戸開き=月読命の蘇り=須佐之男命の八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治
先日、「月読命の蘇り=魂の蘇り=黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)」の中で、月読命(ツキヨミノミコト)の蘇りとは、魂の蘇りであり、黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)であり、それは即ち、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の「天岩戸開き」、須佐之男命(スサノオノミコト)の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」と同じ事を象徴していると書きました。
月というのは、太陽の光を受けて輝きますので、月が蘇るとは、太陽が蘇る事を意味します。
月食というものがあります。
地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月に掛かる事によって、月が欠けて見える現象で、満月の時に起きます。
太陽の光が遮られる事によって、月も光を失います。
皆既月食の時には、月は一旦完全に光を失いますが、太陽の光が蘇るにつれて、月も光を取り戻し、輝きを取り戻します。
皆既月食は、「月読命の蘇り=魂の蘇り=黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)」の型示しとなっています。
夜空に輝く満月は、完成された御魂、魂の出産、魂の蘇り、黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)を象徴しています。
月は、太陽の光を受けて輝きますので、月が蘇るとは、太陽が蘇る事を意味し、それは即ち、月読命の蘇りであり、天照大御神の「天岩戸開き」と同じ事を象徴しています。
自分の中にある本当の光、内なる神性が蘇り、自分自身の本当の輝きが蘇る事を意味しています。
それは即ち、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」と同じ事でもあります。
八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)に象徴されているのは、自らの中に潜む否定的想念であり、自己否定などの否定的想念、神である自己を否定する否定的想念が、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)という表現を使って象徴されています。
須佐之男命が、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時、尾から出て来たのが、三種の神器の一つである、「草薙の剣(クサナギノツルギ)」です。
剣とは自らの中から出て来るものであり、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)に象徴されている、自らの中に潜む否定的想念を退治した時に現れて来た「草薙の剣(クサナギノツルギ)」とは、神の証であり、瑞(ミズノ)御魂の事でもあります。
「草薙の剣(クサナギノツルギ)」は、須佐之男命から天照大御神に献上された、と古事記に書かれている事には、とても深い意味が込められていると思います。
自らの乱暴狼藉により、姉・天照大御神が天岩戸に隠れてしまい、世界が光を失って闇に包まれてしまった責任を取らされて、高天原から追放されてしまった須佐之男命ですが、最後には、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)に象徴されている、自らの中に潜む否定的想念を退治して、自らの本当の輝きを取り戻し、神の証である「草薙の剣(クサナギノツルギ)」を、高天原の天照大御神に献上しました。
そして、須佐之男命は、晴れて目出度く、櫛稲田姫(クシイナダヒメ)と「正式な結婚」をして、出雲に居を構える事になりました。
須佐之男命の娘・須世理毘売(スセリヒメ)と結婚されたのが、出雲大社の御祭神である大国主(オオクニヌシ)大神です。
出雲大社は、伊勢神宮と並んで、日本を代表する神社であり、表の神界の裏の働きになります。
そして、表の神界の表の働きが、伊勢神宮になります。
表の神界の表の働きである伊勢神宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社、我が国・日本を代表する神社である伊勢神宮と出雲大社には、伊邪那岐命(イザナギノミコト)の三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)が深く関わっています。
伊邪那岐命が黄泉国(ヨミノクニ)から黄泉帰り(蘇り)、禊払いの後に生まれたのが、三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)です。
黄泉(ヨミ)とは、黄色い泉と書きます。
黄色い泉とは、小便の事であり、言わば、肥溜めのような醜いものの象徴です。
黄泉国が象徴しているのは、自らの心の中にある闇の世界、言わば、肥溜めのような世界を象徴しています。
伊邪那岐命は、自らの心の中にある闇の世界、言わば、肥溜めのような世界である黄泉国から黄泉帰り(蘇り)、禊払いの後に、三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)を生んだのです。
古事記の中で、伊邪那岐命の「黄泉国からの黄泉帰り(蘇り)」として象徴的に書かれているのは、魂の蘇りという事であり、それは即ち、天照大御神の「天岩戸開き」の事であり、月読命の蘇りという事であり、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」の事でもあります。
古事記の中でよく知られている、伊邪那岐命も、天照大御神も、須佐之男命も、一度は自らの本当の光を失った後、再び自分自身の本当の光を取り戻し、蘇り、さらに光り輝くという仕組みになっています。
そして、月読命の蘇りは、古事記の中では隠されていますが、天照大御神と月読命の働きを統合した須佐之男命の蘇りの中で、月読命も蘇る事になります。
第62回 伊勢神宮式年遷宮 遷御の儀 外宮 10月5日
本日10月5日、伊勢神宮式年遷宮の「遷御の儀」が、外宮にて夜8時から執り行われます。
内宮の「遷御の儀」は、10月2日に執り行われました。
外宮の御祭神は、豊受(トヨウケノ)大神です。
豊受大神は、内宮の御祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)にお供えする御食事を司る神とされています。
しかし、外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)のように、豊受大神は、天之御中主(アメノミナカヌシ)大神・国常立(クニトコタチ)大神と同一神だとも言われています。
天皇陛下が伊勢神宮に参拝される時には、まず外宮から参拝され、次に内宮に参拝されるとも言われています。
この辺の秘密は、天橋立の近くにある、元伊勢と呼ばれる籠神社にありそうです。
籠神社の奥宮・真名井神社でも、豊受大神をお祀りしています。
籠神社においても、豊受大神の別名を、「天御中主神・国常立尊、その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)」と記しています。
真名井神社の裏神紋は、ヘブライの紋章である六芒星、即ち、ダビデの星なのです。
籠神社の「籠」という字も、籠目紋(六芒星)と同じ文字が使われています。
そして、伊勢神宮の参道の灯籠にも籠目紋(六芒星)がかつて刻まれており、ダビデの紋章が刻まれていた事は、良く知られています。
元伊勢・籠神社の奥宮・真名井神社のかつての裏神紋(現在のものは表神紋)
何故、伊勢神宮、そして、元伊勢と呼ばれる籠神社の奥宮・真名井神社に古代ユダヤの紋章であるダビデの星があったのか、そして、そこで祀られている豊受大神が、何故、神道の最高神である天之御中主大神ともされているのかは、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に流れる古代ユダヤの血筋・霊統を知らなくては理解出来ないと思います。
世界の主な宗教の源は一つなので、神道で最高神とされる天之御中主大神とは、ユダヤ教においてはヤーウェ(ヤハウェ)の事であり、イエス・キリストが「天にまします父」と呼んだ存在の事であり、イスラム教においては、アラーと呼ばれている存在の事なのです。
伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年頃には、聖書に書かれているような人類の歴史についての真実が、全て明らかにされる時を迎える事になるでしょう。
これからの20年前後で、有史以来数千年の人類の古い歴史が幕を閉じ、私達人類の全く新しい歴史が幕を開ける時を迎えるのです。
キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」の事でもあります。
そして、「至福千年王国」は、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から始まります。
大いなる和「大和(ヤマト)」の国・日本に流れるヘブライの血筋・霊統、古代ユダヤの最も正統なる血筋・霊統が蘇り、花開く時を迎える事になるのです。
月読命の蘇り=魂の蘇り=黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)
先日のブログ、「伊邪那岐命の三貴子(天照大御神、月読命、須佐之男命)」の中で、伊邪那岐命(イサナギノミコト)の三貴子(三貴神)について書きました。
その中で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)は「天岩戸開き」、須佐之男命(スサノオノミコト)は「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」の話などで、古事記の中で大活躍をされてよく知られていますが、月読命(ツキヨミノミコト)だけは、古事記の中で、その後ほとんど登場しないと書きました。
伊邪那岐命の左目から生まれたのが天照大御神であり、右目から生まれたのが月読命であり、鼻から生まれたのが須佐之男命です。
左目から生まれた天照大御神と、右目から生まれた月読命は対の関係であり、二つで一つです。
一日に昼と夜があるように、太陽が治める昼と、月が治める夜があるように、光と闇があるように、天照大御神と月読命は対の関係であり、二つで一つなのです。
そして、天照大御神と月読命の働きを統合した働きが須佐之男命です。
須佐之男命が、陰陽併せ持つ、二元性を統合した中心の働きである事は、伊邪那岐命の鼻から生まれたという表現で、型として示されています。
顔の中心にあるのが、鼻になります。
顔の中心にある鼻から生まれたという表現で、須佐之男命が中心の働きである事が、古事記には記されています。
そして、天照大御神と月読命の働きを統合した、中心の働きをする時の正式な御神名は、古事記に書かれているとおり、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)となります。
またの名を、カムスサナルノオオカミとも言います。
伊邪那岐命の禊払いの後に生まれた三貴子の中で、月読命だけはその後ほとんど登場しなくなりますが、天照大御神と月読命の働きを統合した須佐之男命の蘇りの中で、蘇る事になります。
月読命の蘇りとは、魂の蘇りという事であり、黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)という事でもあります。
私達の魂は、「月」に例えられます。
満月とは、完成された御魂、魂の出産、魂の蘇りという事を象徴しています。
月読命の蘇りとは、魂の出産という事であり、魂の蘇りを象徴しています。
そして、それは即ち、黄泉国からの黄泉帰り(よみがえり)という事でもあります。
月読命(ツキヨミノミコト)の「ヨミ」とは、魂の蘇り(ヨミガエリ)の「ヨミ」でもあり、黄泉国(ヨミノクニ)の「ヨミ」をも表しています。
月読命の蘇りとは、魂の蘇りという事であり、それは即ち、黄泉国(ヨミノクニ)からの黄泉帰り(よみがえり)をも表しています。
古事記の中で、伊邪那岐命が「黄泉国(ヨミノクニ)」から蘇り(黄泉帰り=よみがえり)、禊払いの後、三貴子を生んだという話の中に表されています。
古事記には、歴史書としての一面だけではなく、人が神として出産するまでの内的なプロセスが象徴的に書かれています。
古事記には、神界の仕組みが隠されており、人が神として出産する、即ち、魂の蘇りという事が主要なテーマとして隠されています。
神武天皇誕生までの神代の話は、人が神として出産する、魂の出産、魂の蘇りという同じテーマが、様々な登場人物や場面設定を使って、象徴的に描かれています。
例えば、伊邪那岐命の「黄泉国(ヨミノクニ)からの蘇り(黄泉帰り)」、天照大御神の「天岩戸開き」、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」、大国主誕生、日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)の「竜宮城からの帰還」、神武天皇誕生などは、登場人物と場面設定は違いますが、魂の蘇りという同じ事が表されています。
夜空に輝く満月は、完成された御魂、魂の出産、魂の蘇り、「黄泉国(ヨミノクニ)からの蘇り(黄泉帰り)」を象徴しています。
それは即ち、月読命の蘇りという事であり、月読命の蘇りとは、天照大御神の「天岩戸開き」、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」と同じ事を象徴しています。
大和(やまと)の国・日本
私達日本民族や日本国は、「やまと」と呼ばれ、「大和」という字が使われています。
「大和」という字は、おそらく当て字だと思われ、元々は「倭」の字が使われていたようですが、「大倭」や「大和」の字も用いるようになり、次第に「大和」に落ち着いたようです。
何故、「やまと」と呼ばれるようになったのかについては、諸説あるようですが、その中には、ヘブライ語アラム方言で、「神の民」を意味する、「ヤ・ウマト」から来ているという説もあるようです。
何故、「やまと」と呼ばれるようになったのか、そして、何故、「大和」という字で表されるようになったのかについては、おそらく誰も、確かな事は言えないとは思いますが、いずれにしても、日本人・日本国を表す言葉として、「大和(やまと)」という言葉が定着したのには、深い意味があるのだと感じます。
元々、奈良地方を表す言葉だった「大和(やまと)」という言葉が、その後、大和心・大和魂というように、日本人・日本国全体を表す言葉となりました。
今、私達日本人が、遺伝子の中に眠る大和心を蘇らせ、花開かせる時、真の「大和」の国・神国日本が花開き、大いなる和のハーモニーが、地球・世界へ、さらには、銀河系宇宙の大調和に向かって拡がって行く事でしょう。
「大和(やまと)」・・・奈良 → 日本 → 地球・世界 → 銀河系宇宙
伊邪那岐命の三貴子(天照大御神、月読命、須佐之男命)
伊勢神宮には、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)がありますが、内宮と外宮ともに、境外別宮として、月読宮(外宮では月夜見宮)を持っています。
それぞれの月読宮・月夜見宮は、内宮・外宮ともに、歩いても行ける距離の、少し離れた場所に、かなり広い敷地を伴って祀られています。
月読命(ツキヨミノミコト)を本格的に祀っている神社は、全国でもそれ程多くはないかと思いますが、日本を代表する神社である伊勢神宮において、内宮・外宮ともに、それぞれ、かなり広大な敷地を用いて月読命をきちんと祀っている事に、私は、とても奥深いものを感じます。
内宮(皇大神宮)で祀られている御祭神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。
天照大御神は、古事記の中で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が禊払いの後、左目を洗った時に生まれた神とされています。
そして、右目を洗った時に生まれた神が、月読命です。
そして、鼻を洗った時に生まれた神が、須佐之男命(スサノオノミコト)です。
天照大御神、月読命、須佐之男命は、三貴子と呼ばれています。
天照大御神は、有名な天岩戸開きの場面、そして、須佐之男命も、有名な八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治の場面などで、古事記の中でも大活躍されて有名ですが、月読命だけは、何故か、古事記の中でも、その後ほとんど登場しません。
しかし、天照大御神は左目から、月読命は右目から誕生したと書かれている通り、天照大御神と月読命は対の関係です。
太陽と月があるように、一日に昼と夜があるように、光と闇があるように、天照大御神と月読命は対の関係なのです。
そして、天照大御神と月読命の働きを統合した働きが、須佐之男命になります。
須佐之男命は、伊邪那岐命の鼻から誕生したと、古事記に書かれています。
鼻は、顔の中心にあります。顔の中心にあるのが、鼻なのです。
須佐之男命が、天照大御神と月読命の働きを統合した中心の働きである事は、鼻から生まれたという表現で、型としても出されています。
そして、須佐之男命が、天照大御神と月読命の働きを統合した中心の働き、本来の働きをする時の御神名は、古事記に書かれている通り、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)となります。
またの名を、カムスサナルノオオカミとも言います。
日本を代表する神社である伊勢神宮において、内宮・外宮ともに、それぞれ少し離れた場所に広大な敷地を用意して、別宮として月読宮・月夜見宮を持ち、月読命をきちんと祀っている事には、とても奥深いものがあるように感じます。
伊勢神宮に参拝される時には、ぜひ、月読宮・月夜見宮にも参拝されると良いかと思います。
第62回 伊勢神宮式年遷宮 遷御の儀 10月2日 内宮
第62回伊勢神宮式年遷宮の「遷御の儀」が、10月2日、内宮(皇大神宮)にて執り行われます。
「遷御の儀」は、大御神様に新しい御殿へお遷り願う式年遷宮の中核となる祭典です。
外宮(豊受大神宮)は、10月5日に執り行われます。
今年2013年(平成25年)は、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮と、出雲大社の平成の大遷宮(60年ぶり)が重なる年となり、日本にとって、節目の年となります。
そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる、2033年頃には、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、日本は、地球・世界の中心となっている事でしょう。
次の式年遷宮が行われる、2033年までの20年前後が、神国・日本の蘇りの時であり、私達日本人が、その本来の役割を果たすべき時なのです。
日本とユダヤー火の働きと水の働き
神とは、火水(カミ)とも言い、火の働きと、水の働きで表されます。
火の働きとは、男性原理であり、縦方向の線「|」で表されます。
そして、水の働きとは、女性原理であり、横方向の線「ー」で表されます。
火の働き「|」と水の働き「ー」を合わせた「十」は、「神=火水(かみ)」を表します。
神の経綸において、二元性の対立という型を演じる役割を担っていたのが、日本においては、源氏と平氏であり、地球・世界規模においては、日本とユダヤです。
そして、日本が火の働きであり、男性原理になります。
一方、ユダヤが水の働きであり、女性原理になります。
東洋の日出る神国・日本は、「ひのもと」と言います。
「ひのもと」とは、霊(ひ)ノ元であり、日の本であると同時に、「火」の元でもあり、地球・世界の「火」の働きの元なのです。
火の働き(日本)は銀龍、水の働き(ユダヤ)は金龍で表されます。
ユダヤは金龍なので、お金(マネー)、即ち、経済問題として、型でも出されています。
ユダヤは水の働きなので、水(=お金、情報)は今、ユダヤが司っています。
今、世界のお金(マネー)、マスコミなどの情報は、ユダヤが支配しています。
しかしこれから、霊(ひ)ノ元・日本の象徴、霊峰富士が持つ、世界に二つと無い働きである、二元性を統合させて、大いなる和「大和(やまと)」を地球・世界にもたらすという働きにより、日本とユダヤは統合へと向かいます。
これから、日本がユダヤを包み込み、抱き参らせ、大いなる和「大和」を地球・世界に実現させる事になるのです。
日本がユダヤを包み込み、抱き参らせ、大いなる和「大和」を実現させた時、地球・世界の水(=お金、情報)は、日本が司る事になります。
神の持つ二つの働きである、火の働きと、水の働きにおいては、火の働きが先となり、水の働きが後になります。
火先、水後、となります。
「ひのもと」日本が、その本来の役割を果たさなければ、ユダヤ問題(お金、マネー、経済)が解決する事はありません。
火の働きが先になります。
全ては、火の元(ひのもと)から始まります。
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