竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

黄泉国とは、「閉ざされた天岩戸の中」と同じ意味

  • 2013年10月 8日 21:14
  • Posted by Yamatofuji

 先日、「天照大御神の天岩戸開き=月読命の蘇り=須佐之男命の八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」の中で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が入った黄泉国(ヨミノクニ)について少し触れました。

 黄泉国とは、「黄色い泉の国」と書きます。
 黄色い泉とは、小便であり、言わば、肥溜めのような世界の事です。
 
 古事記の中で、黄泉国が象徴しているのは、人が落ちた所であり、言わば、便所です。
 自分自身の心の中にある、肥溜めのような、光を失った闇のような世界の事を象徴しています。

 黄泉国とは、別の言い方をするなら、「天岩戸の中」という意味になります。
 天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、自らの光を閉ざして篭(こも)ってしまった、「閉ざされた天岩戸の中」と同じ意味になります。

 月明かりを失った闇夜のような世界の事であり、それは、私達一人一人の心の中にある世界の事を象徴しています。

 須佐之男命(スサノオノミコト)の場合には、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)という言葉で表現されています。
 八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)とは、自分自身の心の中に潜んでいるのです。

 肥溜めである便所は糞まみれですが、畑を耕す肥やしとなる場所であり、作物を育てる大切な場所でもあります。

 天の仕組みとして、私達人間一人一人は、自分自身の心の中にある闇の世界を経験する事によって、成長し、自分自身の中にある本当の光を取り戻す事が出来るのです。

 それが、魂の出産という事であり、魂の蘇りという事なのです。

 古事記には、歴史書としての一面だけではなく、人が神として出産する内的なプロセスが象徴的に描かれており、魂の蘇りという事が、メインのテーマとなっています。

 自分の心の中にある、肥溜めのような闇の世界に一度落ちて、そこから自分自身の本当の光を取り戻し、蘇るという、魂の蘇りが、伊邪那岐命の「黄泉国からの黄泉帰り(蘇り)」であり、天照大御神の「天岩戸開き」であり、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」として、象徴的に描かれています。

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