竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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「一厘の仕組み」は、伊邪那美命の中に隠されている

  • 2013年12月15日 15:23
  • Posted by Yamatofuji

 神の経綸において、「一厘の仕組み」、「最後の一厘」と呼ばれるものがあります。

 「一厘の仕組み」、「最後の一厘」に関心がある人の中には、「一厘の仕組み」、「最後の一厘」というものを知る為に、様々な知識・情報を集めてみたり、様々な御神業をしたりしておられる方もあるようですが、「一厘の仕組み」は、私達一人一人の心の中に仕掛けられているので、自分自身の心の内を見ない事には、「一厘の仕組み」を知る事は出来ません。

 「一厘の仕組み」とは、外の世界で、天変地異や大事件のような、何かが起きるというような、神仕組みではありません。

 「一厘の仕組み」とは、私達人間一人一人が神成る為の神仕組みであり、私達一人一人の心の中に仕掛けられているものなのです。
 ですから、自分自身の心の内面を見ない事には、「一厘の仕組み」を知る事は出来ません。

 「一厘の仕組み」、「最後の一厘」については、以前に書きましたので、ご参照下さい。

 そして、「一厘の仕組み」は、古事記においては、伊邪那美命の中に隠されています。

 古事記の中で、伊邪那美命が火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を生んだ為に、ホト(女陰)が焼けて死んでしまいました。
 伊邪那岐命は、十拳(トツカ)剣を抜いて火之迦具土神の首を斬ってしまい、伊邪那美命の後を追いかけて、黄泉国(ヨミノクニ)の中へ入って行きました。

 「一厘の仕組み」は、伊邪那美命の中に隠されており、人間が誕生するという、人の「生」に関わる、最も根源的な仕組み、そして、自らの内なる神性を発揮して、やがて神と成る神仕組みが隠されています。

 全ての人間は、必ず、父親の精子と母親の卵子が結合して、母親の子宮から生まれてきます。

 そして、神仕組みとして、人は皆、生まれながらにして、自らの本当の光を忘れた状態で生まれてきます。
 言わば、古事記における、黄泉国の中にいる状態、「天岩戸」の中にいる状態で生まれてくるのです。

 やがて、自らの中にある本当の光、内なる神性を想い出し、蘇らせ、それを顕現して、神成る身となり、言わば、神人のように生きられるようになるのです。
 それが、魂の出産であり、魂の蘇り(=黄泉帰り)という事なのです。

 古事記における、「伊邪那岐命の黄泉国からの黄泉帰り(=蘇り)」、「天照大御神の天岩戸開き」などは、その事を象徴しています。

 そして、古事記の中では、隠されていますが、伊邪那美命は、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)で、夫である伊邪那岐命と仲直りし、夫婦和合して、黄泉国から黄泉帰る(=蘇る)のです。
 その時に、夫婦和合の仲介役を務めるのが、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)です。
 人が神と成る「最後の一厘」に関わってくるのが、白山菊理媛の働きになります。

 伊邪那美命は、黄泉比良坂で、伊邪那岐命と夫婦和合して、伊邪那美大神として、黄泉国から黄泉帰る(=蘇る)のです。

 伊邪那岐命は、黄泉比良坂で、伊邪那美命と夫婦和合して、伊邪那美命と共に、黄泉国から黄泉帰る(=蘇る)事になります。

 そして、禊祓(ミソギハラエ)をされた後に、次々と神々をお生みになり、最後に生まれたのが、有名な三貴子である、天照大御神、月読命、須佐之男命になります。

 古事記における、「伊邪那岐命の黄泉国からの黄泉帰り(=蘇り)」、「天照大御神の天岩戸開き」、「須佐之男命の八俣大蛇(ヤマタノオロチ)退治」などは、登場人物と場面設定はそれぞれ違いますが、魂の出産、魂の蘇りという同じテーマが、象徴的に描かれています。

 そして、人が内なる神性を顕現して、神成る身となり、神人のようになった状態の事を、神武天皇という言葉で象徴しています。

 「一厘の仕組み」、「最後の一厘」は、外の世界に仕掛けられているのではなく、私達一人一人の心の中に仕掛けられているので、自分自身の心の中を見ない事には、「一厘の仕組み」を知る事は出来ません。

 そして、「一厘の仕組み」は、古事記においては、伊邪那美命の中に隠されています。
 「一厘の仕組み」により、伊邪那美命は、伊邪那美大神として蘇る(=黄泉帰る)のです。
 最も醜い姿が、最も高貴な姿となり、伊邪那美大神として光輝く姿で蘇る(=黄泉帰る)事になります。

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