竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

神や仏という概念を超えて

  • 2014年8月24日 17:37
  • Posted by Yamatofuji

 この大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、神や仏という概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在です。

 この大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識とは、私たち人間が、神や仏という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在なのです。

 神や仏という言葉には、私たち人間が抱くイメージが多分に入っており、多少なりとも人間味を帯びた存在となっています。
 仏像などの多くは、慈悲深い表情で創られており、中には、不動明王のように憤怒の相の仏像などもあります。
 神話などには、神の怒りや、神の嫉妬などが記されており、人間味を帯びた一面が記されています。
 また、仏像や宗教画などにおいても、私たち人間と同じような姿・形で、神や仏を表現しています。

 しかし、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、そのような、人間味を帯びた存在などでは全くありません。
 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の根本創造主とは、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋なる意識そのもの」なので、根本創造主には、姿・形などありませんし、もちろん、名前などありません。
 私は、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、非物質な世界であり、そこに唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識と、宗教的世界観における神や仏とは、違います。

 以前、「世界の主な宗教の源は一つ」の中で書きましたが、世界の主な宗教の源は一つであり、「地球神界」とでも呼ぶべき、地球の全生命を直接創造した存在たちの世界が、その起源となっています。
 聖書においては、「神」と訳されています。

 しかし、旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれている通り、地球の全生命を直接創造したのは、私たち人間と同じように、姿・形を持った存在たちなのです。
 無形の超自然の神が地球の全生命を直接創造した訳ではなく、地球の全生命を直接創造したのは、あくまでも、私たち人間と同じように、姿・形や名前を持った存在たちなのです。

 ですから、宗教的世界観の中では、神や仏というものが、私たち人間と同じような姿・形で表現されており、感情を持った人間味を帯びた存在としてイメージされていることには、それなりの理由・背景があるのですが、宗教における神や仏という概念と、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、分けて考える必要があります。

 愛や慈悲の心で、私たち個人の願い事を聞き入れてくれる神や仏、あるいは、愛や慈悲の心で、私たち人類を救済してくれる神や仏、そのような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在が、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、根本創造主(大宇宙意識)が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては、「根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。

 まずは、このことを理解する必要があります。

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