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この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになる

  • 2015年2月 8日 15:13
  • Posted by Yamatofuji

 前回、「この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界」の中に書きましたが、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 そして、この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになります。

 そして、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である物理的大宇宙に、今、自分が生かされて存在しているという、生命の不可思議さというものを、本当の意味で、感じられるようになるのです。

 もちろん、多くの人たちが考えているように、物質というものが何か確固たる実体のあるものであり、自分の外に何か確固とした現実世界(物理的大宇宙)があると認識している場合でも、それなりに、大宇宙の輝き、美しさ、面白さ、かけがえのなさ、生命の不可思議さを感じることは出来るのですが、ある意味においては、表面的にしか感じることは出来ず、本当の意味において、深く実感することは出来ないとも言えるかも知れません。

 この物理的大宇宙そのものが、全て幻の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であるからこそ、この世界は本当にありがたく、面白く、美しく、生きて味わう価値があるのです。

 自分が映す現実世界(大宇宙)に、例え如何なる紋様が映し出されていようとも、それらの全てが、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の幻であり、大宇宙意識の全知全能の光が「無限」の表現となって顕われているだけなのです。

 テレビの画面に、例えどのようなドラマや映画、あるいはニュースが映し出されていたとしても、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、ブラウン管によって、電気という人工の光が二次元(平面)に映し出されている幻にしか過ぎません。
 テレビ画面に映し出されている映像そのものは、電気という人工の光であり、幻であり、テレビ画面の映像そのものには実体は無いということは、お分かりいただけるかと思います。

 テレビ画面の映像が、二次元(平面)に映し出された人工の光(電気)であるのに対して、この物理的大宇宙というのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光が、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出された3Dホログラムの映像のようなものだとイメージすると良いかも知れません。

 何か確固たる実体があるもののように感じられる物理的大宇宙は、大宇宙意識の全知全能の光が、空間という360度立体のバーチャルなスクリーン上で、3Dホログラムの映像のように「無限」の表現となって光により織り成されているだけの幻の世界なのです。
 全ては幻であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)なのです。

 物理的大宇宙の全ては、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光によって創られた世界であり、この大宇宙の全てが光の中なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 物理的大宇宙とは、大宇宙意識という「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されているバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり幻の世である、この物理的大宇宙を映し出して体験している「支店=視点(してん)」の中の一つなのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 真我である魂が、このバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為のアバター(分身・化身)が、肉体を持った自分なのです。

 インターネットの仮想空間を体験する為に、アバターと呼ばれる自分の分身を使って体験するかと思いますが、ちょうどそれと同じように、肉体を持った自分というのは、真我である魂が、物理的大宇宙というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為のアバター(分身・化身)にしか過ぎないのです。

 この物理的大宇宙の全てが、大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、全てが幻の世界なのです。
 この物理的大宇宙の全てが、大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、全てが光の世界なのです。

 そして、この世界がバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世であり、全てが光の世界であることが分かった時初めて、この世界の本当の輝きというものを感じられるようになります。

 この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになるのです。

 そして、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である物理的大宇宙に、今、自分が生かされて存在しているという、生命の不可思議さというものも、本当の意味で、感じられるようになるのです。

 この世界が全て幻であることが分かれば分かる程、自分が映す現実世界(大宇宙)はますます鮮やかに感じられ、ありがたく、そして、面白く感じられてくるようになります。

 この世界が幻だから美しくない、ありがたくない、面白くない、生きる価値がないということではなく、この世界が幻の世だからこそ、この世界は本当に、美しく、ありがたく、面白く、生きて味わう価値があるのです。

 この世界が全て幻であるが故に、生きる喜び、生きる楽しみ、生命のかけがえのなさ、生命の美しさ、生命の輝きが、より一層感じられてくるのです。

 この世界が全て幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、真の意味において、生命の輝きを見ることが出来るようになります。

 以前書いた「幻の世と知って生きることに生命の輝きを見る」もご参照いただければ幸いです。

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