竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

自らが持つ強い認識・常識をどんどん手放していくことが、楽しい流れとなる

  • 2015年3月 7日 21:52
  • Posted by Yamatofuji

 人は誰でも、心の中に、自らが信じる強き思い込み・認識・常識というものを持っています。
「〜はこうあらねばならない」、「〜はこうあるべきだ」というような、自らが信じる強い認識・常識・思い込みというものを持っています。

 しかし、それはあくまでも、自分の認識・常識・思い込みにしか過ぎないので、それらの強き思い込み・認識・常識は、常に崩されていく流れの中にあります。

 心を無地透明にして、ピュアな心になっていくことが、流れなのです。

 自らが持つ強い認識・常識・思い込みを強めるのではなく、「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」とゆるやかに開放していくことが、心の成長であり、意識の拡張であり、楽しい流れとなります。

 家族とはこういうもの、家族はこうあるべき・・・・・。
 親とはこういうもの、子供とはこういうもの、夫はこうあるべき、妻はこうあるべき、兄弟姉妹はこうあるべき・・・・・。
 親戚とはこういうもの、親戚付き合いはこうあるべき・・・・・。
 
 会社とはこういうもの、会社はこうあるべき・・・・・。
 経営者とはこういうもの、上司とはこういうもの、同僚とはこういうもの、部下とはこういうもの・・・・・。

 社会とはこういうもの、世の中はこうあるべき・・・・・。
 隣人とはこういうもの、友達はこうあるべき・・・・・。

 それらは全て、自らが持つ強い認識・常識・思い込みにしか過ぎません。
 そして、自らが持つそれらの概念が、自分自身を苦しめる原因にもなっています。

 家族とはこういうもの、家族はこうあるべきだ、というような強い認識・常識・思い込みを持っているので、家族の中のある部分に不平・不満を覚えたり、許せないと感じてしまうのです。

 会社とはこういうもの、会社はこうあるべきだ、上司はこうあるべきだ、部下はこうあるべきだ、というような強い認識・常識・思い込みを持っているので、自らが持つそれらの概念が、不平・不満の原因にもなって、自分自身を苦しめることにもつながっています。

 自らが持つ強い認識・常識・思い込みは、あくまでも、自らの認識にしか過ぎないので、常に崩されていく流れの中にあります。

 心を無地透明にして、ピュアな心になっていくことが、流れなのです。

 自らが持つ強い認識・常識・思い込みを強めるのではなく、ゆるやかに開放し、「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」と、どんどん手放していくことが、心の成長であり、意識の拡張であり、楽しい流れとなります。


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