竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2015年4月のアーカイブ
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未来は部分的にある程度までは決まっている、という勘違いについて
未来は部分的に、ある程度までは決まっていると考える人たちがいます。
個人レベルでは、結婚や就職など、人生を左右するような大きな出来事はある程度決まっているとか、社会レベルでは、歴史的大事件のようなものは、ある程度決まっているという考え方です。
しかし、未来は100パーセント確定しているのであり、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。
例え、99.99パーセントであったとしても、100パーセントでなければ、何も確定していないのと同じことなのです。
何故なら、一つの重要な要素でも変わってしまえば、全ての局面は変わってしまうからです。
未来は、100パーセント確定しているか、あるいは、何も確定しておらず全くの白紙かの、どちらかしか無いのです。
未来は、部分的に、ある程度まで決まっているということはありません。
もし、多くの人たちが考えるように、時間というものが過去→現在→未来へと流れており、大宇宙の森羅万象の全てが、それぞれテンデンバラバラに偶然起きているのであれば、未来は何も確定しておらず、完全に白紙なのです。
しかし、実際には、時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのであり、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
以前、「未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)」の中に書いたように、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているのです。
「原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている」の中に書いたように、原因があって結果があるのではなく、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。
未来は既に100パーセント確定していますので、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。
もし、自分が将来、誰かと結婚したり、何処かの会社に就職したり、大きな病気やケガをしたり、あるいは、ジャンボ宝くじの一等にでも当選するような何かの幸運を得るとしたら、それらの大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めた、全てが100パーセント決まっているということなのです。
社会レベルの話では、大地震などの天変地異や悲劇的な大事件、あるいは逆に、人類に幸福をもたらす素晴らしい出来事などが起きるとしたら、それらの大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めた、全てが100パーセント決まっているということなのです。
このことを理解していただく為に、現在から未来という視点で話すよりは、過去から現在という視点で話したほうが、より理解しやすいと思いますので、過去から現在という視点で、説明してみたいと思います。
今、地球・世界がこうである為には、一点一角が違っても、全く同じ世界というものは存在していません。
例え、今年の3月に四年制大学を卒業した一人の普通の学生が、4年前に別の大学に入学していただけでも、今ある地球・世界は、全く別の違う世界になっているのです。
仮に、今年の3月に早稲田大学を卒業した、山田太郎さんという人がいるとします。
彼は、4年前、早稲田大学法学部と慶應義塾大学法学部の両方に合格し、迷った末に、早稲田大学に入学することを選択したと仮定します。
もし、山田太郎さんが、4年前、早稲田大学ではなく慶應義塾大学への入学を選択していたとしたら、地球・世界は、今、全く別の違う世界になっているのです。
このことを、理解出来ますか?
まず、今年の早稲田大学の卒業アルバムと卒業生名簿から、山田太郎さんの写真と名前が消えます。
そして、今年の慶應義塾大学の卒業アルバムと卒業生名簿に、山田太郎さんの写真と名前が出現するのです。
これを、単に、早稲田大学と慶應義塾大学の卒業アルバムと卒業生名簿の話かと思われるかも知れませんが、実は、それだけではなく、今ある地球・世界も、全く別の世界になっているのです。
まず、当の本人の山田太郎さんの人生が、4年前の4月に違ったスタートを切ることによって、この4年間の行動全てが、全く違った道程になることはお分かりいただけるかと思います。
仮に、4年前の4月1日の朝から違う場面がスタートしたとするならば、今年の3月31日までの丸4年間、一分一秒として全く同じ場面は存在せず、全てが違う場面となるのです。
そして、私たち人間一人ひとりは、他の人たちとの関わりの中で生きていますので、山田太郎さんの人生が全く違う場面になるだけではなく、家族を始め、山田太郎さんとこの4年間に直接関わりのあった人たち全ては、別の違う場面が展開していくのです。
そして、山田太郎さんと直接関わりのあった人たちの人生が違う場面になっていくということは、その人たちの周りにいる、山田太郎さんが直接関わりを持たない人たちの人生も、全く違う場面が展開していくということなのです。
そして、これが連鎖反応的に地球規模・世界規模でアメーバのようにどんどん拡がっていきますので、山田太郎さんが4年前に、早稲田大学ではなく慶應義塾大学へ入学していたとしたら、それだけで、今、この地球・世界は全く別の違うものになっているのです。
仮に、山田太郎さんは、4年前の4月に、早稲田大学法学部の1組に入っていたとします。
そして、法学部1組には、30人所属していたとします。
そうすると、もし、山田太郎さんが、慶應義塾大学を選んでいたとすると、早稲田大学法学部1組の、山田太郎さん以外の29人の人生から、山田太郎さんと関わった全ての場面が消えてしまうのです。
そして、山田太郎さんと関わりのあった場面が消えてしまうということは、そこから全く別の場面が展開していくということなのです。
29人のクラスメイトそれぞれが、山田太郎さんと初めて言葉を交わしたり、関わりを持った瞬間から先の場面は、まったく違う別の場面が、それぞれのクラスメイトに展開していくことになるのです。
そして、29人のクラスメイトそれぞれの人生において、別の違う場面が展開していくということは、29人のクラスメイトの家族・友人など周りの人たちにおいても、違う別の場面が展開していくということなのです。
そして、29人のクラスメイトの家族・友人など周りの人たちの人生において、違う別の場面が展開していくということは、その人たちの周りにいる人たちにも、違う別の場面が展開していくことになります。
4年前に、山田太郎さんが、早稲田大学ではなく、慶應義塾大学を選んでいたとしたら、世界規模・地球規模で見れば小さな違いのように思えるその一点の違いが、アメーバ状に全世界に波及して、4年後の今現在は、全く違う地球・世界になっているのです。
広い地平線に、2本の直線を引くとします。
全く同じ角度ではなく、仮に、千分の一度とか、万分の一度とか、ごくわずかな角度を付けたとします。
そうすると、最初は、全く同じ直線で違いは無いように見えたとしても、だんだん先に行くと、少しずつ違う直線になり、これを伸ばせば伸ばす程、どんどん違いが大きくなっていきますので、これを、地平線の果、海の向こうまで伸ばしていくと、地球規模・世界規模では、とても大きな違いになることはお分かりいただけるかと思います。
今という時代は特に、インターネットが普及し、スマートフォンなどが普及していますので、何時でも何処でも、携帯電話で誰かと話をしたり、メールをしたり、ツイッターやフェイスブックを使ってコミュニケーションしたりするということが、ものすごくスピーディーに、しかもグローバルに出来る時代になっています。
4年前に、山田太郎さんという、一人のごく普通の若者が、早稲田大学ではなく慶應義塾大学への入学を選択していただけで、4年後の今、この地球・世界は、全く違ったものになってしまうのです。
山田太郎さんが4年前に早稲田大学に入学した時のクラスメイトや部活・サークルの仲間たちと最初に出会った場面から、その人たちの人生における山田太郎さんとの出会いの場面が消えてしまい、違う別の場面がそれぞれの人たちに展開していくことになります。
そして、それぞれのクラスメイトや部活・サークルの仲間たちの周りにいる家族や友人たちとも違う場面が展開していくことになり、これが連鎖反応的に地球規模・世界規模でどんどん拡がっていくことになるのです。
そして、山田太郎さんが、4年前の4月に、もし仮に、慶應義塾大学に入学し、法学部の3組に入っていたとしたら、3組のクラスメイト全員の人生が、違った場面となって展開していくのです。
山田太郎さんとの出会いが生まれ、会話をしたりすることによって、違う場面が展開していきますので、それが、各クラスメイトの家族や周りの人たちにも波及し、さらにその先へと、アメーバ状に、違う場面がどんどん展開していくことになります。
仮に、4年前の4月1日の朝から、山田太郎さんの人生が違う場面で展開し始めたとしたら、その一点の違いが山田太郎さんの周囲からアメーバ状に拡がって行き、インターネットの普及も相まって、4年後の今現在、この地球・世界は、全く違う世界が展開していることになるのです。
多くの人たちは、自分の人生においても、社会レベルにおいても、大きな出来事と思える事柄だけにフォーカスし過ぎる傾向がありますが、大きな出来事と思えるようなことも、一点一角が違っても、紙(神)一重の差で、違ったものになるのです。
例えば、自分が車を運転していたとして、一瞬油断しただけでも、対向車と衝突して、命に関わるような大事故を引き起こす危険があります。
車を運転中に、ある対向車と何事も無くすれ違うのと、正面衝突して大事故を起こすことの違いは、一瞬の油断という、時間にすれば、一秒にも満たないような違いかも知れません。
一瞬の違いが、生死をも左右しかねない訳で、一点一角が違っても、私たちの人生は、違ったものになるのです。
車を運転中に、ある対向車と何事も無くすれ違うのと、正面衝突してしまうことの違いは、ほんの一瞬油断したかしないかの違い、まさに紙(神)一重なのです。
ある人がジャンボ宝くじの一等に当選したとしたら、当選した人と、当選した人より一人前に買った人、あるいは当選した人のすぐ後に買った人の違いは、順番が一つ前だったか後だったかの違いです。
同じ宝くじ売り場の同じ窓口で、同じような時間に買ったとしても、順番が一つ前か後かで、一等に当たるか当たらないかの違いが出ます。
仮に、当選した人も、その前後の順番だった人も、連番で10枚ずつ、特に数字を指定せずに一番上にあるものから購入したとしたら、一等に当選した人と、その前後の二人との違いは、順番が一つ前だったか後だったかの違いであり、まさに紙(神)一重なのです。
一点一角が違っても、私たちの人生は、違う別のものになってしまうのです。
そして、一人の人生が違ったものになるだけではなく、その周りにいる人たちとの関わりも別の場面が展開することになり、それがアメーバ状に拡がって行って、世の中は、全く別の違う場面になるのです。
多くの人たちは、自分が大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在であることを忘れて、自分の力で何かを考えたり行動したりしていると思っています。
命を与えられて生かされているからこそ、考えたり感じたり行動したり、泣いたり笑ったり出来る訳で、私たちの思考や感情・行動など全てを司っているのは、私たち自身ではなく、天(大宇宙)なのです。
自分の思考・感情・行動などの全てを司っている力と、自分に生命を与え、一呼吸一呼吸自分を生かしている力とは、同じものであり、その同じ力が、地上に生きる70億人全ての人たちに生命を与え、一人ひとりの思考・感情・行動を全て司っています。
そして、その同じ力が、地震などの天変地異は元より、地球の自転や月の運行、太陽の活動や星々の運行に至るまで、大宇宙の森羅万象の全てを司っているのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけなので、大宇宙の森羅万象の全ての営みは、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で動いているのです。
全ては大宇宙意識の計画の中にあり、未来は100パーセント確定していますので、ある程度まで部分的に決まっている訳ではありません。
もし、自分の人生において、将来、何か大きな出来事と思えるようなことが起きるとしたら、大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めて、全てが100パーセント決まっているということなのです。
もし、社会的に大きな出来事、歴史的大事件のようなものが起きるとしたら、大事件と思えるような出来事だけが決まっているのではなく、それらも含めて、全てが100パーセント決まっているということなのです。
未来は100パーセント確定していますので、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。
大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い――大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在
今回は、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い、ということについて書いてみたいと思います。
この大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。
ここで、多くの人たちは、宇宙は約138億年前のビッグバンによって誕生した筈だから、宇宙に始まりが無いなどということは、おかしいと思われるかも知れません。
ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、仮に、138億年前に、ビッグバンによって宇宙が誕生したと仮定します。
では、ビッグバンを起こした何らかの意志や意図、エネルギーというものは、一体何処からやって来たのでしょうか?
ビッグバンが起きる為には、それを引き起こした何らかの意志や意図、あるいはエネルギーが存在した筈です。
何らかの意志を持った存在を認めない限り、この物理的大宇宙が存在していることを、説明することは出来ない筈です。
多くの人は、それを神と呼び、仏と呼び、天と呼び、あるいは、サムシング・グレート・・・・・などと呼ぶかも知れません。
呼び方は何でも良いのですが、とにかく、この大宇宙そのものを創造した、大宇宙の根本主体・根本創造主というものを想定しない限りは、この物理的大宇宙が存在しているということを、説明出来ない筈です。
では、大宇宙の根本創造主とは、何時誕生し、何時から存在しているのでしょうか?
これに答えられる人は、誰もいないと思います。
何故なら、大宇宙の根本創造主とは、誕生などしたことが無く、生じたことも無く、元々存在しているからなのです。
大宇宙の根本創造主とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているのです。
もし、大宇宙の根本創造主が、ビッグバン以前の遥か悠久の昔、何時かの時点で誕生したとするならば、今度は、その根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を想定しなければならなくなります。
更に、その大元の根本創造主も何時の時点かで誕生したとするならば、今度は、その大元の根本創造主を誕生させた、更に大元の「大元の根本創造主」を想定しなければならなくなります。
そして、これを何処までも繰り返して行っても、際限が無く、キリが無いことなので、誕生したことも無く、生じたことも無い、大宇宙の根本主体というものを想定しない限りは、何処までも何処までも、根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を、際限無く辿っていくことになるのです。
・・・・・更に更に更に更に大元の根本創造主
更に更に更に更に大元の根本創造主
更に更に更に大元の根本創造主
更に更に大元の根本創造主
更に大元の根本創造主
大元の根本創造主
根本創造主
大宇宙の根本主体・根本創造主とは、誕生したことも無く、生じたことも無い存在なので、初めから存在しているのですが、大宇宙には始まりも無ければ終わりも無いので、初めから、という表現すら正確ではなく、敢えて表現するとすれば、「元々存在している」という言い方しか出来ないかも知れません。
このことを理解していただく為に、先程は、敢えて理屈っぽい説明を試みてみましたが、このことを真に理解する為には、大宇宙の本質の世界というものを、体験的に知る必要があります。
この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。
私たちが見ている、この物理的大宇宙とは、相対世界に属していますので、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、実相(本質)の世界ではありません。
まずは、このことを理解する必要があります。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した世界であり、非物質な世界です。
この大宇宙の本質は、何処までも非物質なものなのです。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。
「純粋意識」である大宇宙意識は、自らの「意識」の中を映し出して体験する場としての相対世界(物理的大宇宙)を必要とします。
絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。
絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているものなのです。
そして、絶対世界において大宇宙意識という「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているものなのです。
前々回、『時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来』の中に書いたように、この大宇宙は、時間において「無限」なので、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なので、物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いのです。
何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。
そして、絶対世界の「映(うつ)し世」として同時に存在している相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。
科学者の中には、ビッグバンによって始まった宇宙が、膨張を続けた果てに収縮し、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって目に見えない程の小さな点になると考える人たちもあるようです。
仮に、一部の科学者たちが考えるように、138億年前のビッグバンによって今ある宇宙が誕生し、やがてビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって小さな点になったとしても、そのことで、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもありません。
大宇宙は、時間において「無限」なので、ビッグバンで始まりビッグクランチで終わるようなサイクルを、何回でも何十回でも何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことも出来ます。
また、前回、『空間の「無限」性について――無窮の空間こそが物理的大宇宙の真相』の中で書いたように、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なので、私たちが見ている宇宙は、「無限」に存在する宇宙の中の一つにしか過ぎないのかも知れません。
また、この大宇宙は多重多次元構造になっていますので、私たちが見ている宇宙を取り巻くより大きな次元が存在しており、私たちが捉えている宇宙とは、あくまでも、あるレベルまでの大宇宙にしか過ぎないかも知れないのです。
いずれにしても、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。
そして、大宇宙意識という「純粋意識」の中を映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」である相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。
大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。
空間の「無限」性について――「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相
前回、『時間の「無限性」について――無始の過去、無終の未来』の中で、時間の「無限性」というものについて、書きました。
今回は、物理的大宇宙における、空間の「無限性」というものについて、書いてみたいと思います。
この物理的大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。
「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。
この物理的大宇宙が、空間において「無限」であることを本当に知る為には、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界というものを、体験的に知ることにより、この物理的大宇宙が仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の本質の世界ではないことを知る必要があります。
しかし、絶対世界を体験的に知らなくても、物理的大宇宙が空間において「無限」であることは、簡単に推測出来ますので、まずはそこから話を始めたいと思います。
現在の科学では、この宇宙が膨張しつつあると捉えているようであり、最近では、宇宙は永遠に膨張し続けるとする考え方が有力になっているようですが、仮に、物理的大宇宙は空間的にここまで、という定義をしたと仮定します。
そうすると、必ず、ここまでと定義した外側に、空間が拡がっていることに気付く筈です。
試しに、円でも楕円でも何でも構いませんので、白い紙の上に、物理的大宇宙の空間の範囲を指定してみましょう。
白い紙に書いた、円や楕円の内側に、物理的大宇宙と書いて、物理的大宇宙の範囲を、仮に定義してみます。
そうすると、必ず、円や楕円の外側に、白い紙の空間が拡がっていることに気付く筈です。
白い紙の上に平面的(二次元的)に書くよりも、立体的(三次元的)に理解したければ、球形のボールか地球儀、あるいは風船などを目の前に置いて見ると良いと思います。
風船を膨らませて、この風船が、宇宙の範囲だと、仮に定義してみましょう。
そうすると、必ず、風船の外に、広大な空間が拡がっていることに気付く筈です。
平面的(二次元的)に、白い紙の上に円か楕円を書いたり、あるいは、立体的(三次元的)に、風船を膨らませてみたりしても同じことなのですが、宇宙の範囲はここまで、と定義した途端に、定義した外側が、必ず出来てしまうのです。
これは、何度やっても同じことであり、際限が無いことなので、物理的大宇宙の範囲を特定した瞬間に、その範囲の外側が、必ず出来てしまうのです。
物理的大宇宙と特定した範囲の内側だけではなく、外側も、やはり大宇宙なので、物理的大宇宙の空間における範囲を特定することは出来ないのです。
この簡単な事実によって、物理的大宇宙が、空間において「無限」であることは、誰にでも、何となく推測出来るのではないかと思います。
さて、ここからが、本題です。
では、何故、物理的大宇宙は、空間において「無限」なのでしょうか?
実は、多くの人たちが、外の世界に拡がっていると考えている物理的大宇宙とは、「意識」が投影された内面の世界であり、「意識」の拡がりとして存在している世界だからなのです。
「意識」の内面の世界には限界が無く、「無限」なので、「意識」が外側に投影された外面の世界(物理的大宇宙)にもまた限界が無く、「無限」なのです。
以前、『大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある』の中でも書きましたが、大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
このことは、最先端の物理学でも、ようやく捉えられるようになってきたようです。
この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、非物質な世界です。
絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。
相対世界である物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光によって創られたバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。
相対世界である物理的大宇宙とは、あくまでも、絶対世界に実在する大宇宙意識という「純粋意識」の中が投影された世界であり、実は、大宇宙意識の拡がりとして存在している、内面の世界だからなのです。
唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持つ大宇宙意識という「純粋意識」の内面の世界は「無限」なので、大宇宙意識という「純粋意識」を映し出す「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、「無限」なのです。
そして、私たち一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの視点(してん)を受け持って、この大宇宙を映し出して体験している支店(してん)の中の一つなのです。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分自身の「意識」の中にあるものなのです。
大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)である自分自身の「意識」の中は「無限」なので、自分の「意識」が投影された、物理的大宇宙(現実世界)もまた、「無限」なのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
大宇宙意識という「純粋意識」の中は「無限」なので、大宇宙意識の内面の世界が映し出された物理的大宇宙もまた、「意識」の拡がりとして存在している世界なので、空間において「無限」なのです。
この大宇宙は、多重多次元構造になっており、多くの人たちが考えているよりも、遥かに計り知れない世界です。
今の科学が捉えている宇宙というのは、あくまでも、今の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。
今ある科学が、宇宙をどのように捉えようとも、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。
物理的大宇宙は、かつて空間において「無限」であったし、今も「無限」であるし、これからも、未来永劫に亘って「無限」であり続けます。
物理的大宇宙は、過去・現在・未来に亘って、如何なる時も、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。
大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。
そして、さらに言うならば、何故、物理的大宇宙が、時間においても空間においても「無限」なのかと言うならば、時間も空間も、ある意味においては、幻想だからなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在しておらず、時空を超越した世界であるということと、相対世界である物理的大宇宙においては、時間も空間も「無限」であるということとは、本質的に同じことなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在していないからこそ、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界である物理的大宇宙においては、時間においても、空間においても、大宇宙は「無限」なのです。
時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来
今回は、時間の「無限」性というものについて、書いてみたいと思います。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。
最初に、簡単な数字の遊びをしてみたいと思います。
1に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
一・・・・1
十・・・・10
百・・・・100
千・・・・1、000
一万・・・・10、000
十万・・・・100、000
百万・・・・1、000,000
千万・・・・10,000,000
一億・・・・100,000,000
十億・・・・1、000、000,000
百億・・・・10,000,000,000
千億・・・・100,000,000,000
一兆・・・・1,000,000,000,000
さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、十兆、百兆、千兆、一京、十京、百京、千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。
そして、これが、未来における時間というものなのです。
未来には終わりが無いので、時間というものを未来へと進んでいくと、「無限」に進んで行くことが出来ます。
一万年後、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・。
今度は、先程とは反対に、マイナス1(ー1)に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
マイナス一・・・・ー1
マイナス十・・・・ー10
マイナス百・・・・ー100
マイナス千・・・・ー1、000
マイナス一万・・・・ー10、000
マイナス十万・・・・ー100、000
マイナス百万・・・・ー1、000,000
マイナス千万・・・・ー10,000,000
マイナス一億・・・・ー100,000,000
マイナス十億・・・・ー1、000、000,000
マイナス百億・・・・ー10,000,000,000
マイナス千億・・・・ー100,000,000,000
マイナス一兆・・・・ー1,000,000,000,000
さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、マイナス十兆、マイナス百兆、マイナス千兆、マイナス一京、マイナス十京、マイナス百京、マイナス千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。
そして、これが、過去における時間というものなのです。
過去には始まりが無いので、時間というものを過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来ます。
一万年前、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・。
過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。
ここで、多くの人たちは、過去の時間というのは、ビッグバンが起こったとされる138億年前までしか無いのではないか、と考えられるかも知れません。
ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、それはまた別の機会に譲るとして、138億年前にビッグバンによって今ある宇宙が誕生したとかしないとかに関係無く、時間を過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来るのです。
仮に、138億年前、ビッグバンによって今ある宇宙が誕生したと仮定します。
そうすると、ビッグバンがこれからまさに起ころうとする、直前の瞬間というものがあった筈です。
仮に、それを、ビッグバンが起こる一万分の一秒前とします。
ビッグバンが起こる一万分の一秒前という時間が存在したのであれば、それよりももう少し前の、千分の一秒前という時間も存在した筈です。
同様に、ビッグバンが起こる百分の一秒前という時間も存在し、十分の一秒前という時間も存在し、一秒前という時間も存在していた筈です。
ビッグバンが起こる一秒前という時間が存在していたのであれば、同様に、一分前、一時間前、一日(24時間)前、一か月前、一年前という時間も存在していた筈です。
ビッグバンが起こる一年前という時間が存在していたのであれば、同様に、十年前、百年前、千年前、一万年前という時間も存在しており、以下同様に、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・と、「無限」に遡って行くことが出来ます。
今度は反対に、未来について考えてみましょう。
科学者の中には、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、膨張した宇宙はいずれ収縮して、目に見えない程の小さな点になって最後を迎えるという考え方もあるようです。
仮に、今ある宇宙が、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、目に見えない程の小さな点になって最後を迎える時が来ると仮定します。
そうすると、ビッグクランチによって宇宙が小さな点になった直後の時間というものが存在する筈です。
仮に、それを、宇宙が小さな点になった一万分の一秒後と仮定します。
宇宙が小さな点になった一万分の一秒後という時間が存在するのであれば、千分の一秒後という時間も存在する筈であり、百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後という時間も存在する筈です。
同様に、一分後、一時間後、一日(24時間)後、一ヶ月後、一年後という時間も存在する筈です。
宇宙が小さな点になった一年後という時間が存在するのであれば、十年後、百年後、千年後、一万年後という時間も存在する筈であり、同様に、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・という具合に、「無限」に進んで行くことが出来るのです。
今ある宇宙が何時始まったとか始まらないとか、あるいは、今ある宇宙が何時終わるとか終わらないとか、宇宙がどのような状態にあるのかに関係無く、時間を過去へと遡って行けば、「無限」に遡って行くことが出来、時間を未来へと進んで行けば、「無限」に進んで行くことが出来るのです。
もし、仮に、一部の科学者たちが考えているように、ビッグバンによって今ある宇宙が始まり、ビッグクランチによって今ある宇宙が終わりを迎えたとしても、この「無限」の大宇宙は、そのようなサイクルを、何回でも何十回でも、何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことが出来ます。
宇宙がどのような状態にあるのかに関わらず、過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのであり、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
そして、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いということと、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いということとは、同じことなのです。
詳しい説明は、また別の機会にしたいと思いますが、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無く、大宇宙は、永遠に存在しているものなのです。
大宇宙は、時間において「無限」なのです。
時間の「無限」性というものを、頭で理解することは出来ません。
時間が「無限」に存在するということは、時間そのものが幻想であり、本当は、時間は存在していないということと、本質的に同じことなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけであるということと、「時」には始まりも無ければ終わりも無い、ということとは、同じことなのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりも無いので、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
それが、「時」というものの本質なのです。
「時」と時間とは、違います。
「時」は真実・実在であり、時間は幻想です。
絶対世界における、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」だけが真実・実在であり、「時の間」と書く時間というのは、私たち人間が創り出した概念であり、幻想にしか過ぎません。
「時」と時間について、時間は幻想であることについては、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の中の「時間は幻想」編の中で詳しく説明してありますので、是非、ご参照いただければ幸いです。
原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
多くの人たちは、原因があって結果があると考えています。
しかし、原因があって結果があると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
ですから、原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれていると言った方が、真実に近いのです。
ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
原因があって結果があると言うより、ある結果を得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。
分かりやすく説明する為に、私たちが家を建てる場合を考えてみましょう。
家を建てる為には、まず、どういう家を建てるのかという完成形を描くことが大切であり、それに基づいた詳細な設計図が必要になります。
未来において、完成された家のイメージ、すなわち、結果というものを想定することが、まず先に必要になります。
そして、完成された家という結果を得る為に必要となる原因を、順番に創り出して行くことが必要になります。
具体的には、基礎工事を行い、柱や屋根などの骨格を組立て、外装を行い、内装を行い、配線などを行い、最終的には、細部に至る全ての作業を仕上げて、一軒の家が完成することになります。
完成された家という結果を得る為に、必要な原因となる基礎工事などを、時系列で順番に創り出している訳です。
偶然、基礎工事を行い、柱や屋根などの骨格を組立て、外装を行い、内装を行い、配線などを行ったから、たまたま家が完成した訳ではない筈です。
完成された家という結果を得る為に、必要となる基礎工事などの原因が、順番に創り出されているのです。
原因があって結果があると言うより、原因は、結果によって選ばれている訳です。
これはあくまでも、私たちが家を建てる場合の話だと思われるかも知れませんが、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))により営まれています。
大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの力学、あるいは法則の元、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって動かされているのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の計画の中にありますので、そこには何一つ偶然はなく、全てが必要・必然なのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。
絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成しているのです。
大宇宙の過去・現在・未来の全てが、元々存在しているのです。
大宇宙の未来は元々100パーセント確定して存在していますので、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
元々100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。
ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
時間が過去→現在→未来へと流れており、原因があって結果があるのではありません。
それとは逆に、時間は未来→現在→過去へと流れており、ある結果を得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
時間が過去→現在→未来へと流れて、大宇宙の森羅万象の全てが、偶然起きている訳では全くありません。
それとは逆に、敢えて言うならば、時間は未来→現在→過去へと流れており、大宇宙意識の計画という結果を得る為に必要となる原因が、順番に創り出されているのです。
原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時間というものは、過去からではなく、未来からやって来ます。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
過去も未来も、今、同時に存在していますので、未来は既に確定的に存在しています。
そして、既に100パーセント確定している未来から、そこに至る為のプロセスとして、時間が現在に向かって流れて来て、過去へと流れ去って行くということなのです。
過去の積み重ねで現在があるというより、今現在に至る為のプロセスとして、過去があったと考えると分かりやすいかも知れません。
これから白紙の未来が創られて行く訳ではなく、未来は既に100パーセント確定して存在していますので、そこに至る為のプロセスが、未来から現在に向かって、順番にやって来ていると考えると分かりやすいかも知れません。
過去からの積み重ねで現在があり、現在からの積み重ねで未来が創られて行くように、一見、思えますが、本当は、順番が逆なのです。
今現在に至る為のプロセスを、過去において順番に積み重ねて来たのであり、同様に、未来に至る為のプロセスを、今現在から順番に積み重ねて行くだけなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙の全ては、元々完成しているのです。
大宇宙の過去・現在・未来の全ては、元々確定して存在しているのです。
未来は、元々100パーセント確定して存在していますので、必要なプロセスが、未来からやって来て、起こるべくして、順番に起こっているだけなのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
未来は100パーセント確定している
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★未来は100パーセント確定している
☆ ☆ ☆ ☆
未来が100パーセント確定していることを知る上で、大切なポイントは、二つあります。
一つは、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識だけであるという点です。
そして、もう一つのポイントは、時間は幻想であり、時間というものそのものが、本当は、存在していないということなのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識によって営まれており、全ては、大宇宙意識の計画の中にあるのです。
そして、時間というものそのものが、幻想にしか過ぎないので、本当は、時間というものは、存在していません。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。
絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中で、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。
絶対世界においては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は、元々完成しているのです。
何故、未来は100パーセント確定しているのかということを、敢えて、一言で説明するならば、大宇宙は、元々完成しているから、ということになります。
大宇宙は元々完成しているからこそ、未来は100パーセント確定しているのです。
多くの人たちが、未来は確定しておらず、白紙の未来があるかのように考えているのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考えている、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
未来は100パーセント確定しており、今、同時に存在しているからこそ、時間が未来からやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。
原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれていると言った方が真実に近く、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
時間というものは、未来からやって来るのであり、それは、未来というものが、既に100パーセント確定しており、今、同時に存在しているからなのです。
☆ ☆ ☆ ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
本日4月4日は皆既月食――皆既月食は月が蘇る型示し
本日4月4日の夜は、皆既月食となります。
以前、「皆既月食、月が蘇る型、月読命の蘇り」にも書きましたが、皆既月食とは、月が蘇る型示しとなっています。
私たちの魂は、月に例えられます。
満月とは、完成された御魂、魂の出産、魂の蘇りを象徴しています。
神道の御神名で言うと、「月読命の蘇り」ということになります。
月というのは、太陽の光を受けて輝いています。
皆既月食によって太陽の光が遮られ、一旦光を失ってしまった月は、太陽の光が蘇るに連れて、月も徐々に光を取り戻し、最後には光り輝く満月となって輝きます。
皆既(かいき)月食とは、回帰(かいき)月食という意味でもあり、魂が本来の姿に蘇り、本来の輝きを取り戻し、魂の蘇り・魂の出産を迎えて、満月となって光り輝くという型示しになっています。
皆既月食で太陽の光が遮られ、一旦光を失った月は、太陽の光が蘇るに連れて月も蘇り、最後には満月となって光り輝く姿となります。
月が蘇るとは、太陽が蘇ることをも意味しており、「月読命の蘇り」とは、同じ三貴子の「天照大御神の天岩戸開き」と同じ意味でもあります。
そしてそれは、三貴子の「須佐之男命のヤマタノオロチ退治」と同じ意味でもあります。
三貴子の「月読命の蘇り」とは、「天照大御神の天岩戸開き」と同じ意味であり、「須佐之男命のヤマタノオロチ退治」と同じ意味でもあります。
そして、それは即ち、三貴子を生んだ父・伊邪那岐命の「黄泉国(よみのくに)からの黄泉帰り=蘇り(よみがえり)」と同じ意味でもあります。
古事記には、単に歴史書としての一面だけではなく、神界の仕組みが隠されており、人が神として出産するまでの内的なプロセスが、象徴的に描かれています。
登場人物と場面設定は違いますが、魂の出産・魂の蘇りという同じテーマが、繰り返し描かれています。
先日、「かぐや姫と富士」というタイトルで、「かぐや姫の物語」について書きましたが、十五夜の満月の晩に、かぐや姫が月に帰って行くというのも、本来の姿に帰って行くという型示しの一つです。
生きるとは創造すること――全てを創造に使っていく生き方
生きるとは、創造することであると言えます。
私たちが何かを考えたり、体を動かしたり、何かを行ったりすることの全てが、何かを創造していることであると言えるかもしれません。
生きるとは創造することであり、常に毎瞬毎瞬、何かを創造し続けていく連続であるとも言えます。
そして、ここで大切なことは、全てを創造に使っていく生き方が出来るということなのです。
自分の長所や得意分野、成功したこと、幸福・幸運だと感じるような事柄だけが、創造に使える訳ではありません。
自分の短所や欠点、不得手な分野、失敗したこと、不幸・不運と感じられるような事柄まで含めて、全てを創造に使っていく生き方が出来るということなのです。
拡張した意識になると、自分の短所や欠点、自分の苦手な分野、不得意な分野なども、それはそれで悪いという訳ではなく、一つの創造力になっているということが分かります。
また、不幸・不運としか思えなかったような出来事や、失敗したことなども、それはそれで、必ずしも不幸・不運・失敗という訳でもなく、次なる創造、新たな創造を生み出していく創造力の元にもなっていたということが分かります。
自分の短所や欠点、苦手なこと、不得手なこと、失敗したこと、不幸・不運としか思えなかった出来事なども含めて、全ては創造に使えるということなのです。
もし、自分にとって大切だった何かが失われてしまったとしても、それで人生終わりという訳ではなく、そこからまた、新たな創造を掛けて、次なる場面、新たな創造の旅を楽しんでいけば良いということになります。
空気と同じで、この空間(大宇宙)には「無限」の創造が拡がっています。
あとはただ、自分が「想像力=創造力(そうぞうりょく)」をどこまで発揮して、生きるという創造の旅を楽しんでいくのかということになるのかも知れません。
生きるとは創造することです。
私たちが生きるとは、創造の連続であり、常に何かを創造し続けていくことの連続であると言えます。
そして、自分の長所や得意な面、成功している分野、幸福・幸運と思える事柄だけではなく、自分の短所や欠点、不得手・苦手な分野、失敗したこと、不幸・不運と思える事柄まで含めて、全ては創造に使えるということなのです。
生きるとは創造することであり、全てを創造に使っていく生き方が、私たちには出来るのです。
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