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空間の「無限」性について――「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相

  • 2015年4月22日 08:02
  • Posted by Yamatofuji

 前回、『時間の「無限性」について――無始の過去、無終の未来』の中で、時間の「無限性」というものについて、書きました。

 今回は、物理的大宇宙における、空間の「無限性」というものについて、書いてみたいと思います。

 この物理的大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。
「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 この物理的大宇宙が、空間において「無限」であることを本当に知る為には、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界というものを、体験的に知ることにより、この物理的大宇宙が仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の本質の世界ではないことを知る必要があります。

 しかし、絶対世界を体験的に知らなくても、物理的大宇宙が空間において「無限」であることは、簡単に推測出来ますので、まずはそこから話を始めたいと思います。

 現在の科学では、この宇宙が膨張しつつあると捉えているようであり、最近では、宇宙は永遠に膨張し続けるとする考え方が有力になっているようですが、仮に、物理的大宇宙は空間的にここまで、という定義をしたと仮定します。

 そうすると、必ず、ここまでと定義した外側に、空間が拡がっていることに気付く筈です。
 試しに、円でも楕円でも何でも構いませんので、白い紙の上に、物理的大宇宙の空間の範囲を指定してみましょう。

 白い紙に書いた、円や楕円の内側に、物理的大宇宙と書いて、物理的大宇宙の範囲を、仮に定義してみます。
 そうすると、必ず、円や楕円の外側に、白い紙の空間が拡がっていることに気付く筈です。
 白い紙の上に平面的(二次元的)に書くよりも、立体的(三次元的)に理解したければ、球形のボールか地球儀、あるいは風船などを目の前に置いて見ると良いと思います。

 風船を膨らませて、この風船が、宇宙の範囲だと、仮に定義してみましょう。
 そうすると、必ず、風船の外に、広大な空間が拡がっていることに気付く筈です。

 平面的(二次元的)に、白い紙の上に円か楕円を書いたり、あるいは、立体的(三次元的)に、風船を膨らませてみたりしても同じことなのですが、宇宙の範囲はここまで、と定義した途端に、定義した外側が、必ず出来てしまうのです。

 これは、何度やっても同じことであり、際限が無いことなので、物理的大宇宙の範囲を特定した瞬間に、その範囲の外側が、必ず出来てしまうのです。

 物理的大宇宙と特定した範囲の内側だけではなく、外側も、やはり大宇宙なので、物理的大宇宙の空間における範囲を特定することは出来ないのです。

 この簡単な事実によって、物理的大宇宙が、空間において「無限」であることは、誰にでも、何となく推測出来るのではないかと思います。

 さて、ここからが、本題です。

 では、何故、物理的大宇宙は、空間において「無限」なのでしょうか?

 実は、多くの人たちが、外の世界に拡がっていると考えている物理的大宇宙とは、「意識」が投影された内面の世界であり、「意識」の拡がりとして存在している世界だからなのです。

「意識」の内面の世界には限界が無く、「無限」なので、「意識」が外側に投影された外面の世界(物理的大宇宙)にもまた限界が無く、「無限」なのです。

 以前、『大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある』の中でも書きましたが、大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
 このことは、最先端の物理学でも、ようやく捉えられるようになってきたようです。

 この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。
         
 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、非物質な世界です。

 絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光によって創られたバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、あくまでも、絶対世界に実在する大宇宙意識という「純粋意識」の中が投影された世界であり、実は、大宇宙意識の拡がりとして存在している、内面の世界だからなのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持つ大宇宙意識という「純粋意識」の内面の世界は「無限」なので、大宇宙意識という「純粋意識」を映し出す「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、「無限」なのです。

 そして、私たち一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの視点(してん)を受け持って、この大宇宙を映し出して体験している支店(してん)の中の一つなのです。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分自身の「意識」の中にあるものなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)である自分自身の「意識」の中は「無限」なので、自分の「意識」が投影された、物理的大宇宙(現実世界)もまた、「無限」なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。

 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙意識という「純粋意識」の中は「無限」なので、大宇宙意識の内面の世界が映し出された物理的大宇宙もまた、「意識」の拡がりとして存在している世界なので、空間において「無限」なのです。

 この大宇宙は、多重多次元構造になっており、多くの人たちが考えているよりも、遥かに計り知れない世界です。

 今の科学が捉えている宇宙というのは、あくまでも、今の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。
 今ある科学が、宇宙をどのように捉えようとも、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 物理的大宇宙は、かつて空間において「無限」であったし、今も「無限」であるし、これからも、未来永劫に亘って「無限」であり続けます。

 物理的大宇宙は、過去・現在・未来に亘って、如何なる時も、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。

 そして、さらに言うならば、何故、物理的大宇宙が、時間においても空間においても「無限」なのかと言うならば、時間も空間も、ある意味においては、幻想だからなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在しておらず、時空を超越した世界であるということと、相対世界である物理的大宇宙においては、時間も空間も「無限」であるということとは、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在していないからこそ、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界である物理的大宇宙においては、時間においても、空間においても、大宇宙は「無限」なのです。

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