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大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い――大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在

  • 2015年4月25日 09:05
  • Posted by Yamatofuji

 今回は、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い、ということについて書いてみたいと思います。

 この大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
 大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。

 ここで、多くの人たちは、宇宙は約138億年前のビッグバンによって誕生した筈だから、宇宙に始まりが無いなどということは、おかしいと思われるかも知れません。

 ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、仮に、138億年前に、ビッグバンによって宇宙が誕生したと仮定します。

 では、ビッグバンを起こした何らかの意志や意図、エネルギーというものは、一体何処からやって来たのでしょうか?
 ビッグバンが起きる為には、それを引き起こした何らかの意志や意図、あるいはエネルギーが存在した筈です。

 何らかの意志を持った存在を認めない限り、この物理的大宇宙が存在していることを、説明することは出来ない筈です。
 多くの人は、それを神と呼び、仏と呼び、天と呼び、あるいは、サムシング・グレート・・・・・などと呼ぶかも知れません。

 呼び方は何でも良いのですが、とにかく、この大宇宙そのものを創造した、大宇宙の根本主体・根本創造主というものを想定しない限りは、この物理的大宇宙が存在しているということを、説明出来ない筈です。

 では、大宇宙の根本創造主とは、何時誕生し、何時から存在しているのでしょうか?
 これに答えられる人は、誰もいないと思います。

 何故なら、大宇宙の根本創造主とは、誕生などしたことが無く、生じたことも無く、元々存在しているからなのです。
 大宇宙の根本創造主とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているのです。

 もし、大宇宙の根本創造主が、ビッグバン以前の遥か悠久の昔、何時かの時点で誕生したとするならば、今度は、その根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を想定しなければならなくなります。

 更に、その大元の根本創造主も何時の時点かで誕生したとするならば、今度は、その大元の根本創造主を誕生させた、更に大元の「大元の根本創造主」を想定しなければならなくなります。

 そして、これを何処までも繰り返して行っても、際限が無く、キリが無いことなので、誕生したことも無く、生じたことも無い、大宇宙の根本主体というものを想定しない限りは、何処までも何処までも、根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を、際限無く辿っていくことになるのです。

・・・・・更に更に更に更に大元の根本創造主
     更に更に更に更に大元の根本創造主
       更に更に更に大元の根本創造主
         更に更に大元の根本創造主
           更に大元の根本創造主
             大元の根本創造主
                根本創造主
 
 大宇宙の根本主体・根本創造主とは、誕生したことも無く、生じたことも無い存在なので、初めから存在しているのですが、大宇宙には始まりも無ければ終わりも無いので、初めから、という表現すら正確ではなく、敢えて表現するとすれば、「元々存在している」という言い方しか出来ないかも知れません。

 大宇宙の根本主体・根本創造主とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているものなのです。

 このことを理解していただく為に、先程は、敢えて理屈っぽい説明を試みてみましたが、このことを真に理解する為には、大宇宙の本質の世界というものを、体験的に知る必要があります。

 この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。

 私たちが見ている、この物理的大宇宙とは、相対世界に属していますので、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、実相(本質)の世界ではありません。
 まずは、このことを理解する必要があります。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した世界であり、非物質な世界です。
 この大宇宙の本質は、何処までも非物質なものなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

「純粋意識」である大宇宙意識は、自らの「意識」の中を映し出して体験する場としての相対世界(物理的大宇宙)を必要とします。

 絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

 絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているものなのです。

 そして、絶対世界において大宇宙意識という「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているものなのです。

 前々回、『時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来』の中に書いたように、この大宇宙は、時間において「無限」なので、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なので、物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いのです。

 何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。

 そして、絶対世界の「映(うつ)し世」として同時に存在している相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。

 科学者の中には、ビッグバンによって始まった宇宙が、膨張を続けた果てに収縮し、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって目に見えない程の小さな点になると考える人たちもあるようです。

 仮に、一部の科学者たちが考えるように、138億年前のビッグバンによって今ある宇宙が誕生し、やがてビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって小さな点になったとしても、そのことで、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもありません。

 大宇宙は、時間において「無限」なので、ビッグバンで始まりビッグクランチで終わるようなサイクルを、何回でも何十回でも何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことも出来ます。

 また、前回、『空間の「無限」性について――無窮の空間こそが物理的大宇宙の真相』の中で書いたように、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なので、私たちが見ている宇宙は、「無限」に存在する宇宙の中の一つにしか過ぎないのかも知れません。

 また、この大宇宙は多重多次元構造になっていますので、私たちが見ている宇宙を取り巻くより大きな次元が存在しており、私たちが捉えている宇宙とは、あくまでも、あるレベルまでの大宇宙にしか過ぎないかも知れないのです。

 いずれにしても、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

 何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。

 そして、大宇宙意識という「純粋意識」の中を映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」である相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。

 大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
 大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。

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