竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2015年5月のアーカイブ
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自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、心の内の景色であることが実感出来るようになると、寂しいという感情が薄れていく
自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、幻です。
自分自身の中にある、心の心象風景とでも言うべきものを、空間という、360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなので、言わば、インナーワールドなのです。
このことが実感出来るようになってくると、人との関係が、だんだん淡く感じられるようになり、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も、だんだん薄れていきます。
肉体を持った自分がいて、自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界があると思っているうちは、友達が多いとか少ないとか、この人は友達で、あの人は友達でない人というふうに、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態が強く、寂しいという感情を強く持つこともあります。
しかし、自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、自分の内面の世界であり、全てが心の内の景色であることが分かると、空間(自分が映す現実世界)の全てが自分自身であり、空間(自分が映す現実世界)の全てが友達であるとも言えますので、友達が多いとか少ないとか、この人は友達で、あの人は友達でない人というふうに、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も薄れていきます。
自分が映す現実世界には、その瞬間瞬間に自分が体験すべき、自分の心の内の心象風景が映し出されているだけなので、自分の人生に現れる全ての人たちは、その瞬間瞬間に自分にとって必要な役割を演じてくれているだけなのです。
電話やメールをやり取りしたり、お茶や食事を一緒にしたりする人たちばかりが友達なのではなく、瞬間瞬間に出会う全ての人たちが友達であるとも言えます。
旅先で出会って一言だけ言葉を交わし、もう二度と再び会うこともないであろう人たちも、ある意味においては、友達のようなものですし、プライベートでは決して会うことの無い、自分の苦手な人や嫌いな人たちさえも、ある意味においては、友達であるとも言えます。
プライベートでは決して付き合いたくない、会社の苦手な上司や同僚たちでさえも、瞬間瞬間に自分が体験すべき役割を職場の中では演じてくれている訳なので、ある意味においては、友達のようなものだと言えるかも知れません。
全ては心の内の景色であり、全てが、主観の世界なのです。
自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、自分の内面の世界なので、空間の全てが自分自身であるとも言え、空間に映る全てが友達であるとも言えます。
そのことが実感出来るようになると、人とのことが淡く感じられるようになり、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も、だんだん薄れていくのです。
宇宙は様々な形でサポートしてくれている
宇宙は、様々な形でサポートしています。
この大宇宙は、様々な形で、自分をサポートしてくれているのです。
自分自身にとって、幸福・幸運、あるいは、人から優しくされたり、親切にされたりというような、自分にとって心地良く感じられることばかりが、宇宙からのサポートではありません。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見れば、不幸・不運としか思えない出来事や、人から冷たくされたり、厳しく叱られたり、人から裏切られたり、というようなことさえも、宇宙からのサポートの一つの形なのです。
例え、その時は、宇宙からサポートされているなどとは、とても思えなかったとしても、ずっと後になってから振り返ってみれば、それはそれで悪くはなかったのだということが分かります。
私たちの人生とは、毎瞬毎瞬、意識を創っていく旅の連続になります。
自分にとって、うれしかったこと、楽しかったこと、心地良かったことばかりが、意識を創ってくれるのではありません。
自分にとって、辛かったこと、悲しかったこと、心地悪かったことなども含めて、全てのことが、意識を創っていく旅の肥やしになります。
自分にとって、都合良かったこと、心地良かったことだけが、自分の為になった訳ではありません。
自分にとって、都合悪かったこと、心地悪かったことも、実は、自分の為になっていたのです。
今この瞬間の自分自身の意識というのは、今まで生きてきた人生の全ての体験が創りあげてくれたものなのです。
今までの人生におけるどのような体験も、今の意識を創る為には必要だったということになります。
この大宇宙というのは、計り知れないものなので、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では分からないような、様々な形を通して、自分をサポートしてくれています。
例え今、自分がどのような状態にあろうとも、宇宙は常にサポートしてくれています。
この大宇宙は常に、様々な形を通して、自分をサポートしてくれているということを、信じる力が大切になります。
全てこの世は「神芝居」
全てこの世は「神芝居」です。
この世は、全てが「神芝居」なのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で営まれていますので、もし、大宇宙意識のことを神と表現するならば、大宇宙の森羅万象の全ては、神によって演じられている「神芝居」だと言えます。
そして、同じことが自分自身の人生についても言えます。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂なのです。
自分の人生の全ては、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
もし、大宇宙意識のことを、神と表現するならば、真我である魂は、神の分霊(わけみたま)なので、自分の人生の全ては、神の分霊(わけみたま)である魂が演じている「神芝居」ということになります。
自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、ある一つの角度・視点(してん)からこの大宇宙を映し出し、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。
大宇宙意識によって演じられている、大宇宙の森羅万象という「神芝居」を、ある一つの角度・視点(してん)から体験している一つの支店(してん)なのです。
自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である魂が「想像=創造(そうぞう)」し、演じている「神芝居」なのです。
ただ、真我である魂と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)には差(ギャップ)がありますので、自分の人生の全ての現実を自分自身が「想像=創造(そうぞう)」したのだということが、中々分からないだけなのです。
特に、予期せぬ出来事や、不幸・不運と感じられる出来事も、全ては自分自身が「想像=創造(そうぞう)」したのだということが、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、中々理解出来ません。
しかし、それらの現実も、真我である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した最善の出来事なのです。
そのことを、受け入れ、認めていくことが、心の成長であり、意識の拡張であり、意識の福化と呼べるものなのです。
人生の悩み・苦しみの根底にあるのは、自分の現実を自分自身が「想像=創造(そうぞう)」したのだということを、理解出来ないところから来ています。
自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」した「神芝居」を、体験して味わう為に、自分という存在は今、この時空に存在しています。
本当の自分自身によって演じられている「神芝居」を、どれだけ楽しんでいますか、ということが常に問われているのであり、本当の自分自身が演じている「神芝居」をどんどん楽しめるようになっていくことが、心の成長であり、意識の拡張であり、意識の福化と呼べるものなのです。
全てこの世は「神芝居」です。
この世は、全てが「神芝居」なのです。
多次元に生きる、本源の我
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★多次元に生きる、本源の我
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂は、多次元に生きる、偉大な存在です。
大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂とは、アバターである肉体の中に存在しているものではなく、時空を遥かに超越した存在であり、多次元に生きる、偉大な存在なのです。
時間というものは、究極的には存在しておらず、時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在していますので、様々な過去世や未来世と呼ばれるものも、今、同時に存在しています。
本源の我であり、真我である我が魂は、時空を超越して、多次元に亘るそれらの人生の全てを司っている存在であり、多くの人たちが考えているものよりも、遥かに偉大なものなのです。
大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である我が魂と、今生きている自分との関係を、コンピューターに例えるとするならば、真我である魂がホストコンピューターであり、今生きている自分は、そこからたくさん出ている端末機の中の一つであると言えます。
本源の我であり、真我である、魂というホストコンピューターからたくさん出ている端末機の中の一つが、今生きている自分というアバターなのです。
今ここに存在している自分というアバターは、ホストコンピューターである魂からたくさん出ている端末機の中の一つにしか過ぎません。
自分が見ている現実世界(物理的大宇宙)とは、たくさんある端末機の中の一つのモニターにしか過ぎず、多次元に亘る様々なモニターの全てを見ているのが、本源の我であり、真我である、我が魂なのです。
今生きている自分の肉体の死というものは、本源の我である魂から見れば、ホストコンピューターからたくさん出ている端末機の中の一つの電源をオフにして、そこで演じられていたプログラム(人生ドラマ)の幕を閉じるようなものかも知れません。
アバターである肉体が死を迎えても、本源の我である魂は、時空を超越して、永遠に存在し続けるのです。
大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂とは、アバターである肉体の中に存在している訳ではなく、時空を遥かに超越したものであり、多次元に生きる、偉大なものなのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
魂を自分の肉体の外に想像
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★魂を自分の肉体の外に想像
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
魂と聞くと、自分の肉体の中にあるとイメージする人が多いかも知れません。
しかし、それはあくまでも、これまでの宗教的世界観から来たものだと言えます。
これまでは、魂と言うと、私の魂、あなたの魂、あの人の魂・・・という具合に、魂を肉体の中に想像して来ましたが、それはあくまでも、これまでの宗教的世界観にしか過ぎないとも言えます。
自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界です。
自分が映す現実世界(物理的大宇宙)の全ては、自分の「意識」が映し出された、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドなのです。
自分が映す現実世界(物理的大宇宙)は、全てが仮想の世界であり、バーチャルな世界であることが分かると、魂が肉体の中にあるという想定は、これまでの宗教的世界観から来たものだということが分かります。
これまでは、魂と言うと、私の魂、あなたの魂、あの人の魂・・・という具合に、魂を肉体の中に想像して来ましたが、それはあくまでも、これまでの宗教的世界観にしか過ぎないとも言えます。
魂は何処にあるかと言うと、自分が映す現実世界(物理的大宇宙)の全ては、自分の「意識」の中にあるものなので、魂を自分の肉体の外に想像した方が、本来の魂の姿に近いのだと言えます。
自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)というものがあり、その中の地球という小さな星にある、日本という国の中に、肉体を持った自分が存在していて、自分の肉体の中に、真我である魂という「意識」が存在している訳ではありません。
肉体を持った自分というのは、あくまでも、アバターにしか過ぎず、アバターである肉体の中に、大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である魂という「意識」が存在している訳ではないのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
書籍「魂の夢、光り輝く魂」――豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる
書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、生きるということの本質について、考察した書です。
書籍「魂の夢、光り輝く魂」には、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」というサブタイトルが付いています。
自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識が投影された自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。
ですから、自分の心の位置の豊かさでしか、豊かなる世界を感じることは出来ないのです。
自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、自分が映す現実世界の全ては、自分の心の内の景色なのです。
書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、何方にとってもお勧めなのですが、特に、幸・不幸、運・不運という概念に囚われている方、自分が映す現実世界の全てが、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではないということが理解出来ていない方にお勧めです!
一つひとつの事象を無識別に戻して、判断しないことが大切
幸福という概念は、対極に、不幸という概念を持っています。
何かを幸福と思う心は、そうでないものを不幸と思う心と、セットになっています。
幸福という概念は、不幸という概念とセットになった考え方であり、どちらか一方だけでは存在出来ない考え方です。
幸運という概念も、同じです。
何かを幸運と思う心は、そうでないものを不運と思う心と、セットになっています。
私たち人間はともすれば、人生で起きる一つひとつの事象に対して、幸・不幸、運・不運という判断をする傾向がありますが、一つひとつの事象を無識別に戻して、判断しないことが大切だと思います。
「人間万事塞翁が馬」という故事にもあるように、一つひとつの事象に対して、これは幸福だとか、これは不幸だとか判断していても、それが本当にそうなのかは分かりません。
馬から落ちて足を骨折したことを不幸・不運と捉えていても、そのおかげで戦争に行かなくてよくなり、命拾いをすることもあります。
落馬して骨折したことを、点で捉えると不幸・不運と映るかも知れませんが、そのおかげで兵役を免れて死なずに済んだ訳ですから、もっと広い目で面として捉えると、今度は逆に、幸福・幸運だったと映るかも知れません。
禍福は糾(あざな)える縄の如しなのです。
何かを不幸・不運と捉えても、それが本当にそうなのかは分かりません。
逆に、何かを幸福・幸運と捉えても、それが本当にそうなのかも分からないのです。
製造業などが分かりやすい例ですが、会社が傾く原因は、実は、会社の業績が良くなった時に、会社が傾く種が蒔かれていたりします。
業績が良くなり、新しい工場を新設して多大な設備投資をしたり、人員も大量に採用したりしたことが、後で業績が落ちて来た時に、経営を圧迫する原因となるのです。
逆に、主力商品の売り上げが大幅に落ち込み、主力商品に依存出来なくなることで、新商品の開発や、新しい分野に活路を求めて会社が生まれ変わるということもあります。
会社の売り上げが伸びたからと言って、それが本当に幸運なのかは、よく分かりません。
逆に、会社の売り上げが落ちたからと言って、それが本当に不運なのかも、本当のところは、よく分からないのです。
人生に起きる全てのことは、それと同じようなものなので、一つひとつの事象に対して、幸・不幸、運・不運というような判断をしないで、無識別に戻すよう心掛けることが大切だと思います。
幸福という概念そのものが、あやしい概念
多くの人たちは、幸福を求めて、幸福という概念に囚われていますが、幸福という概念そのものが、実は、あやしい概念なのだと気付くことが大切だと思います。
多くの人に、何を望んでいますか、と聞いたなら、ほとんどの人は、幸福を望んでいます、と答えることでしょう。
では、幸福とは何ですか、と聞いたなら、よく分からないので、世間一般で言われているような答え方をする人が多いかと思います。
そして、あなたは幸福ですか、と聞いたなら、周囲の人との比較や、周囲の人が自分をどう評価しているのかによって、自分はまあまあ満たされているから幸福だとか、自分は他の人たちよりもまだまだ足りないものが多いから不幸だとか、判断したりしています。
幸福とは、自分自身の心が感じるものなのに、人との比較や人からの評価で、自分は幸福だとか、自分は不幸だとか判断したりしています。
自分が幸福かどうかは、自分自身の心の中にしか答えはないのに、世間一般の人たちとの比較や、人からの評価によって、自分の外に、自分が幸福かどうかの判断基準を置いたりしています。
そして、いつもどこかしら、自分には何かが足りず、少し不幸だと感じており、もっと幸福な明日を夢見て、今日ここにある幸福、今ここにある幸福を、どこか蔑(ないがし)ろにして生きています。
そして、夜が明けると、明日が今日という日になります。
そしてまた同じように、自分の外の世界を見て、人との比較や人からの評価によって、自分が幸福か不幸か判断しながら、今ここにある幸福、今日ここにある幸福をどこか蔑(ないがし)ろにして、自分はどこかしら不幸だと感じながら、もっと幸福な明日を夢見て、永遠に来ない明日に心を奪われています。
幸福とは何でしょう?
その答えは、自分自身の心の中にしかありません。
自分の外の世界に答えを求めて、人との比較や人からの評価の海に溺れていても、そこには答えは無いのです。
そして、幸福という概念そのものが、囚われとなって自分自身を苦しめることにもつながります。
多くの人たちが、何の疑いもなく、いつも頭にこびり付けて囚われている概念、幸福という概念そのものを、もう少し淡く捉えるようにすると良いかも知れません。
多くの人たちが、いつも囚われている概念、幸福という概念そのものが、実は、あやしい概念なのだと気付くことが大切だと思います。
元々道があった訳ではなく、人が通ったから道だと思うようになっただけ
昔々、人が住んでいない場所には、人が通る道はありませんでした。
獣が通る獣道だけがありました。
やがて、人が移り住んで来て、人が生活するようになると、人が通った跡が、少しずつ道になっていきました。
杣道や、田んぼの畦道のように・・・。
そして、人が多く通る道は、だんだん整備されて、大通りのようになっていきました。
これはあくまでも、地面の道、道路の話なのですが、私たちが持っている、常識や概念、認識、世界観などについても、同じようなことが言えると思います。
私たちが常識だと思っている概念は、多くの人たちが、何の疑いもなく当たり前のように通っている大通りのようなものかも知れません。
みんな通っているから、みんながそう言っているから、だから正しい道なのだ、という感じで・・・・・。
しかし、元々そこに道があった訳ではないのです。
人が通ったから、そこが道だと思うようになっただけなのです。
住んでいる国や地域、人種、民族、宗教、あるいは同じ地域でも時代によって、考え方は様々です。
それらは全て、元々、天道、天の道としてあった訳ではなく、人が通ってそこが道だと思ったから、正しい道だと思うようになっただけなのです。
元々道があった訳ではなく、人が通ったから、そこが道だと思うようになっただけなのです。
徹底した脳の洗浄(ロンダリング)が大切
私たちは皆、物心ついた時から、親を始め世間の人たちが持つ、様々な常識・概念・考え方などをインプットされながら育ち、大きくなります。
自分が持っている常識や、正しいと思っている考え方・概念などは、ほとんど他の人たちから入れられた概念なので、常に、脳の中を洗濯・洗浄(ロンダリング)して、不必要な概念はどんどん排除していくように心掛けることが大切だと思います。
今という時代は特に、ありとあらゆる書物が氾濫している上に、インターネットの普及によって、世界中のありとあらゆる情報が入って来ますので、知らず知らずのうちに、不必要な情報・概念で頭の中が一杯になっているかも知れません。
衣服を洗濯して、衣服に着いた汚れをこまめに洗浄(ロンダリング)していくような感じで、自分の頭の中を徹底的に洗浄(ロンダリング)していくような意識を持つことが大切だと思います。
今という時代は、あまりにも、ありとあらゆる情報が氾濫し過ぎている為に、知らず知らずのうちに洗脳されてしまっているかも知れません。
これは、誰にとっても気を付けなければいけないことなのですが、特に、精神世界とかスピリチュアルな世界が好きな人たちは、より一層の注意が必要だと思います。
いわゆる、精神世界とかスピリチュアル系と呼ばれる世界で語られていることの中には、あまりにも、訳の分からない、様々な情報や概念が氾濫し過ぎているような感じがします。
天が難しい生き方を人間に求めているのではなく、私たち人間の方が、生き方を難しくしているだけ
天は、元々私たち人間に対して、それ程難しい生き方を求めている訳ではなく、私たち人間の方が、生きることを難しくしているだけなのかも知れません。
どう生きれば良いかというようなことは、本来、学校で学んだり、本を読んだりしなければ分からないようなことではなく、子供にでも分かるような、単純なことなのかも知れません。
縄文時代はとても平和な時代であったようですが、書物や学校など無かった筈で、だからと言って、どう生きれば良いかということを、誰も知らなかった訳ではない筈です。
どう生きれば良いのかなど、本来、子供にでも分かるような単純なことであり、敢えて一言で表現するならば、次のような言葉になるのかも知れません。
天を敬い、自然と調和しながら、人皆仲良く相和して、毎日を喜びと感謝に生きよ!
時代が進むにつれて、様々な宗教や教え・道が生まれ、様々な書物が生まれ、ありとあらゆる情報が反乱し過ぎている為に、かえって、どう生きれば良いのかが分からなくなり、生き方を難しくしているのかも知れません。
それらのほとんどは、私たち人間が創り出したものです。
私たち人間の方が、生き方を難しくしているだけなのかも知れません。
元々、天は、それ程難しい生き方を、私たち人間に要求している訳ではないと思います。
どう生きれば良いのかなど、学校に行って学んだり、書物をたくさん読まなければ分からないようなことではなく、子供にでも分かるような、単純なことなのかも知れません。
天を敬い、自然と調和しながら、人皆仲良く相和して、毎日を喜びと感謝に生きよ!
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