竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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幸福という概念そのものが、あやしい概念

  • 2015年5月10日 21:27
  • Posted by Yamatofuji

 多くの人たちは、幸福を求めて、幸福という概念に囚われていますが、幸福という概念そのものが、実は、あやしい概念なのだと気付くことが大切だと思います。

 多くの人に、何を望んでいますか、と聞いたなら、ほとんどの人は、幸福を望んでいます、と答えることでしょう。
 では、幸福とは何ですか、と聞いたなら、よく分からないので、世間一般で言われているような答え方をする人が多いかと思います。

 そして、あなたは幸福ですか、と聞いたなら、周囲の人との比較や、周囲の人が自分をどう評価しているのかによって、自分はまあまあ満たされているから幸福だとか、自分は他の人たちよりもまだまだ足りないものが多いから不幸だとか、判断したりしています。

 幸福とは、自分自身の心が感じるものなのに、人との比較や人からの評価で、自分は幸福だとか、自分は不幸だとか判断したりしています。
 自分が幸福かどうかは、自分自身の心の中にしか答えはないのに、世間一般の人たちとの比較や、人からの評価によって、自分の外に、自分が幸福かどうかの判断基準を置いたりしています。

 そして、いつもどこかしら、自分には何かが足りず、少し不幸だと感じており、もっと幸福な明日を夢見て、今日ここにある幸福、今ここにある幸福を、どこか蔑(ないがし)ろにして生きています。

 そして、夜が明けると、明日が今日という日になります。
 そしてまた同じように、自分の外の世界を見て、人との比較や人からの評価によって、自分が幸福か不幸か判断しながら、今ここにある幸福、今日ここにある幸福をどこか蔑(ないがし)ろにして、自分はどこかしら不幸だと感じながら、もっと幸福な明日を夢見て、永遠に来ない明日に心を奪われています。

 幸福とは何でしょう?
 その答えは、自分自身の心の中にしかありません。
 自分の外の世界に答えを求めて、人との比較や人からの評価の海に溺れていても、そこには答えは無いのです。
 
 そして、幸福という概念そのものが、囚われとなって自分自身を苦しめることにもつながります。

 多くの人たちが、何の疑いもなく、いつも頭にこびり付けて囚われている概念、幸福という概念そのものを、もう少し淡く捉えるようにすると良いかも知れません。

 多くの人たちが、いつも囚われている概念、幸福という概念そのものが、実は、あやしい概念なのだと気付くことが大切だと思います。

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