竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

我無きを知りて、我有り

  • 2015年6月15日 20:55
  • Posted by Yamatofuji

「我無きを知りて、我有り」ということについて、書いてみたいと思います。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わばインナーワールドなので、自分一人の世界であり、自分しかいない世界だと言えます。

 ところが、自分という存在も、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点にしか過ぎません。
 大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つであり、ある一つの角度・視点(してん)を受け持って、大宇宙を映し出して見ている支店(してん)の中の一つにしか過ぎないのです。

 言わば、大宇宙に二つとして同じものが無い、テレビカメラ(モニター)の中の一つだと言えます。
 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、この大宇宙に二つとして同じものが無い、あるテレビカメラ(モニター)から見た視点(してん)なのです。

 この大宇宙に唯一実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけであり、物理的大宇宙の全ては大宇宙意識の顕れなので、自分という存在も、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、ある一つの角度・視点(してん)から大宇宙を映し出して見ている「支店=視点(してん)」の中の一つにしか過ぎないのです。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分の意識が映し出された内面の世界なので、自分一人の世界だと言えます。
 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分一人の世界であり、自分しかいない世界なのですが、自分という者すら本当はいる訳でもないので、自分すらいない世界であり、誰もいない世界だということになります。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)には、本当は誰もいません。
 ただ、大宇宙意識とも言うべき大宇宙があるだけなのです。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)には、本当は誰もいる訳ではなく、自分すらいない世界だということを知った上で、自分一人の世界、自分の内面の世界を楽しんでいくことが、生きるということでもあります。

「我無きを知りて、我有り」ということなのです。


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