竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2015年8月のアーカイブ
28 Entries
異星人エロヒムの宇宙船(UFO)の様々な表現
聖書における神(GOD)という言葉は誤訳であり、元々の原語は、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人々」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
つまり、聖書における神(GOD)とは、他の惑星から飛来して来た人々、つまり、異星人・宇宙人のことなのです。
聖書が書かれたような古代の時代には、「宇宙船(UFO)」などという言葉はありませんでしたので、エロヒムの宇宙船(UFO)は、古代の神秘家たちの手によって、様々に表現されています。
聖書においては、「神の霊」、「主の栄光」、「ヤハウェの栄光」、「雲」、「光る雲」、「火の柱、雲の柱」などと表現されています。
仏教においては、「輪宝」、「天蓋」などとも表現されています。
インド神話では、空飛ぶ船「ヴィマナ」として登場します。
日本の神話では、アメノイワフネ(天岩船・天磐船)、アメノトリフネ(天鳥船)、アメノウキフネ(天浮舟)などと表現されています。
古事記においては、日本の国生みの最初の場面で、「天の浮橋」として登場します。
イザナギとイザナミの夫婦神が、「天の浮橋」に立って、天の沼矛を下してかき回し、天の沼矛を引き上げた時に、そこから滴り落ちた潮水が積り重なって、オノゴロ島が出来たと書かれています。
キリスト教の宗教画には、宇宙船(UFO)が書かれているものが色々ありますし、仏像でも、仏陀の頭上に宇宙船(UFO)が配置されている仏像もあります。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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目に映る全てのものは、自分に向けられたメッセージ
目に映る全てのものは、自分に向けられたメッセージであるとも言えます。
何故なら、自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の意識が投影された内面の世界であり、自分の心が映し出された「鏡」の世界だからです。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、全てが心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。
今この瞬間の自分の心の中にある心象景色が、ものの見事に映し出された世界なのです。
そして、毎瞬毎瞬、自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の心が映し出された「鏡」の世界なので、そこに映し出されている全ては、自分に向けられたメッセージであるとも言えます。
目に映る全てのものが、自分に向けられたメッセージなのです。
そこに存在しているかに見える全ての人や、事、ものは、ただ、自分を解放するプログラムとして存在しているだけです。
肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を解放して、宇宙へと帰っていくプログラム上に存在してくれているだけなのです。
今この瞬間の自分の心がものの見事に映し出された、自分が映す現実世界(宇宙)という「鏡」の世界の全てが、自分を解放するプログラム上に存在している、メッセージだらけの世界であるとも言えます。
今この瞬間に自分が学ぶべきことの全ては、今この瞬間に自分が映す現実世界(宇宙)に、全て顕れています。
瞬間瞬間に自分が映す現実世界(宇宙)の全てが、瞬間瞬間に自分が学ぶべきことであり、そこに映し出されている全てが、自分に向けられたメッセージであるとも言えます。
目に映る全てのものは、自分に向けられたメッセージであり、そして、自分を解放するプログラム上に存在している、愛のメッセージなのです。
自分が映す現実世界(宇宙)の全てが、心を映し出す「鏡」
人は自分を映す「鏡」だと言われることがあります。
その言葉自体は、間違いではないのですが、人だけではなく、自分が映す現実世界(宇宙)の全てが、自分の心を映し出す「鏡」の世界です。
人という「点」だけではなく、自分の目に映る現実世界(宇宙)という「面」の全てが、自分の意識が投影された内面の世界であり、自分の心が映し出された「鏡」の世界なのです。
多くの人たちは、自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界があると考えていますが、自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分の意識が投影された内面の世界であり、自分の心を映し出す「鏡」の世界です。
自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、太陽も、月も、星も、宇宙の果てまでが、心を映し出す「鏡」の世界であり、心の中の心象風景です。
全ては、心の内の景色なのです。
人という「点」だけではなく、自分の目に映る現実世界(宇宙)という「面」の全てが、心を映し出す「鏡」の世界であり、「大いなる私」の中にある、多様なる様々な紋様なのです。
全ては心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。
アダムとイブに「禁断の果実」を食べさせた「蛇」は、ルシファーのこと
エデンの園で、アダムとイブをそそのかして、「禁断の果実」を食べさせた「蛇」とは、ルシファーのことです。
先日、『アダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」だった』の中に書きましたが、人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」でした。
エデンの園とも呼ばれた、古代イスラエルの地にあった実験場の中に、「蛇」というニックネームで呼ばれている科学者チームがあり、そのリーダーの名前が、ルシファーでした。
ルシファーは、堕天使と呼ばれることもありますが、元々の原語は、「光を運ぶ人」を意味します。
何故、「光を運ぶ人」であるルシファーが堕天使と呼ばれるようになったのかは、ルシファーたち「蛇」チームが、アダムとイブに、真実を告げてしまい、エロヒムの惑星政府から追放されてしまったからなのです。
先日、『楽園からの追放――エデンの園の「禁断の果実」とは』の中に書きましたが、エデンの園の「禁断の果実」とは、科学の書のことであり、「生命の樹」(命の木)には、不死の生命、永遠の生命の秘密も書かれていました。
創造物である人間たちが、科学の偉大な秘密を知り、不死の生命の秘密も知って、創造者であるエロヒムと同等の存在になることを恐れた、エロヒムの惑星政府のリーダーであるヤハウェは、アダムとイブをエデンの園から追放し、ルシファーたち「蛇」チームにも、エロヒムの惑星に帰還することを禁止し、地球に追放してしまったのです。
詩的に言えば、「蛇」が地を這うように呪ったのです。
『主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は・・・呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう」』(「創世記」第3章・第14節)
「光を運ぶ人」であるルシファーが、何故、堕天使と呼ばれるようになったのかは、ここに由来するのです。
イブが、「蛇」から「禁断の果実」をそそのかされる場面です。
『 蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ。」』(「創世記」第3章・第4〜5節)
現実的に、動物の蛇、爬虫類の蛇が、上記のように、人間の言葉でイブに語ることなどあり得ないことくらいは、お分かりいただけるかと思います。
「蛇」というのは、比喩的な表現なのです。
「蛇」というのは、ルシファーのことであり、エデンの園と呼ばれた、古代イスラエルの地にあった実験場の中で、ルシファーをリーダーとする科学者チームのニックネームが「蛇」だったのです。
「善悪を知る木になっている果実」、即ち、「禁断の果実」というのも、比喩的な表現であり、現実的に何かの果実を指しているのではありません。
何かの果実を食べた途端に目が開けて、神のように善悪を知る者となったり、永遠に生きる者となれる筈がないことも、お分かりいただけるかと思います。
エデンの園の「禁断の果実」とは、科学の書のことであり、そこには、高度の遺伝子工学による、不死の生命、永遠の生命の秘密も隠されていたのです。
『 主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」』(「創世記」第3章・第22節)
昨日、『聖書は、異星人エロヒムによる、地球プロジェクトの記録』の中にも書きましたが、聖書は、地球の全生命の創造者である、宇宙人エロヒムによる、地球プロジェクトの記録とでも呼ぶべきものであり、何千年も前の神秘家たちによって書かれているので、詩的で歪められた表現となっていますが、そこには、真実の痕跡が残されています。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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聖書は、異星人エロヒムによる、地球プロジェクトの記録
聖書は、地球の全生命の創造者である、異星人エロヒムによる、地球プロジェクトの記録です。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語が、エロヒムというヘブライ語であり、「天空から飛来した人々」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
地球の全生命は、高度な科学を持ち、他の惑星からやって来たエロヒムの科学者たちによって、科学的に創造されたものなのです。
聖書は、地球の全生命の創造主である、宇宙人エロヒムによる地球プロジェクトの記録とでも言うべきものなのです。
何千年も前の、科学が発達していなかった時代の神秘家たちによって書かれているので、詩的で歪められた表現となっていますが、そこには、真実の痕跡が残されています。
エロヒムの宇宙船(UFO)は、聖書においては、「神の霊」、「主の栄光」、「ヤハウェの栄光」、「雲」、「光る雲」、「火の柱」、「雲の柱」など、様々な表現で書かれていますが、何千年も前の古代の神秘家たちには、そのように表現することしか出来なかったのです。
聖書は、地球の全生命の創造者である、異星人エロヒムによる地球プロジェクトの記録とでも言うべきものであり、何千年も前の時代の神秘家たちによって、詩的で歪められた表現で書かれていますが、そこには真実の痕跡が残されています。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
アポカリプス(黙示録)の時代――真実が啓示される時代
拙書「花咲く都・黄金文明」より
★アポカリプス(目示録)の時代――真実が啓示される時代
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アポカリプス(黙示録)の時代とは、真実が啓示される時代ということです。
何の真実かと言えば、地球の全生命がどのようにして創造されたのかについての真実であり、聖書に書かれている内容についての真実であり、聖書に書かれている神という存在についての真実なのです。
このことは、私たち人類がある一定水準の科学的レベルに到達するまでは理解出来ないので、明かされませんでした。
また、私たち人類が核兵器を開発した為に、広島と長崎に投下される事態を招き、自ら自己破滅しかねないような危険な科学的水準に到達した為に、明かされる時を迎えたのです。
アポカリプス(黙示録)の時代とは、あらゆる物事が科学的に理解可能になる時代のことであり、それは即ち、私たちが今生きている現代のことなのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書「花咲く都・黄金文明」より
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自分を解放するプログラム――自分の目に映る全ての人、事、ものは、ただ、自分を解放するプログラムとして存在しているだけ
私たちの人生には、基本となるプログラムが存在しています。
それは、魂の進化という基本プログラムであり、私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していません。
魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。
私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分が体験する全ての現実は、自分を解放するプログラムとして存在しているだけです。
肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を解放して、宇宙へと帰って行くプログラムがあるだけなのです。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の意識を投影した内面の世界であり、全ては心の内の景色、言わば、幻です。
自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではなく、自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の心の中の心象風景にしか過ぎず、言わば、インナーワールドなのです。
ですから、自分が映す現実世界(宇宙)に存在しているかに見える、全ての人、事、ものは、ただ、自分を解放するプログラムとして存在しているだけです。
肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を解放して、宇宙へと帰って行くプログラムとして存在してくれているだけなのです。
大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である魂が、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、自分を解放して宇宙へと帰って行くプログラム上に存在してくれているだけなのです。
楽園からの追放――エデンの園の「禁断の果実」とは
拙書『花咲く都・黄金文明』より
★楽園からの追放――エデンの園の「禁断の果実」とは
エデンの園の中央にある、善悪を知る木に生っている「禁断の果実」とは、実は、「科学の書」のことでした。
創造者であるエロヒムにとっての「善」とは即ち、人間が原始的なままで科学の偉大な秘密を知ることなく、エロヒムを上回らないということでした。
そして一方、エロヒムにとっての「悪」とは、人間が科学の偉大な秘密を手にして、エロヒムを上回ることだったのです。
そこでエロヒムは、人間を原始的なままの状態にして「科学の書」を禁じ、エロヒムを崇敬して超自然的な神的な存在であると思わせるようにしたのです。
しかし、エロヒムの科学者たちの中に、彼らが創造した人間たちを深く慈しんでいる人々がいました。
古代イスラエルの地にあった実験場の中に、「へび」という名のニックネームで呼ばれている科学者チームがあり、そのチームのリーダーの名前がルシファーでした。
ルシファーは堕天使と呼ばれたりすることがありますが、ルシファーとは、語源的に言うと「光を運ぶ人」を意味します。
何故、ルシファーが堕天使と呼ばれるようになったのかと言うと、ルシファーたち「へび」チームが、アダムとイブに「禁断の果実」である「科学の書」を教え、惑星政府から追放されてしまったからなのです。
惑星政府は科学者たちに、人間に真実を告げることを厳禁し、常に超自然の神のように振舞うよう指導していました。
しかし、ルシファーたちは、彼らが創造した人間たちの素晴らしい能力を見て、次第に人間たちを我が子のように深く愛するようになり、惑星政府の指導から逸脱することを決めたのです。
自分たちは神ではなく、血と肉を持った人間であり、手で触れることの出来る物質で出来た宇宙船に乗って飛来して来たのだということを告げる決心をしたのです。
肉体的にも精神的にも美しく、素晴らしい能力を持った創造物が、自分たちを偶像のように崇拝することに、もう耐えられなくなったのです。
ルシファーたちは、この子供たちに完全な知識を授け、彼らのような科学者にしたいと考え、間もなく成人になるアダムとイブに、科学を学べば、創造者と同じような強大な力を持つことが出来ると教えたのです。
「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知った」(「創世記」第3章・第7節)
アダムとイブは、「禁断の果実」である「科学の書」を知り、自分たちも創造者になれることを知ったが為に、惑星政府のリーダーであるヤハウェの怒りにより、エデンの園から追放されてしまったのです。
そして、アダムとイブに真実を告げた、ルシファーたちのチーム「へび」は、他の創造者たちが実験を止めて地球を去らなければならなかったのに対して、惑星政府から追放されて、地球で暮らすように命じられたのです。
「光を運ぶ人」を意味するルシファーが、何故、堕天使と呼ばれたりするようになったのかは、ここに由来するのです。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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アダムとイブ――エデンの園とは
人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」でした。
エロヒムの科学者チームはいくつかあったのですが、その中で、古代イスラエルの地にいた科学者チームは優秀だったので、その地にある動物は最も美しく、その地の植物は最もかぐわしいものでした。
エデンの園とは、このことだったのです。
そして、この地で創造された人間が最も高い知性を備えていました。
エロヒムの科学者たちが、この地球で遂に、彼らの姿に似せて人間を創造したことにより、エロヒムの惑星では大問題になり、パニックになる恐れさえ出てきました。
もしも人間の能力と力がエロヒムを上回ることになれば、エロヒムにとって脅威になると考えたからです。
そこでエロヒムは、創造物である人間が、エロヒムを上回ることがないように対策を講じなければなりませんでした。
惑星政府は科学者たちに対して、地球で最初に創造された人間たちに、どのようにして彼らが創造されたのか、そして、エロヒムとは何者なのかを明かすことを厳禁しました。
そして、人間に科学の偉大な秘密を教えず、原始的な状態で科学に無知なまま生存させるようにして、知性が限られたものになるようにしました。
そして、人間が、創造者であるエロヒムに対して畏敬の念を抱き、超自然的で神的な存在であると思うように仕向けたのでした。
科学の偉大な力によって、エロヒムは地球の全生命を創造し、彼らに似せた知的生命体、即ち人間を創造したのですが、彼らの創造の秘密、即ち、科学の偉大な秘密を隠して人間には知られないようにし、エロヒムの活動を神秘化したのです。
楽園と呼ばれたエデンの園において、人間たちは何不自由なく暮らしていたのですが、たった一つだけ、「科学の書」に触れることだけは禁じられていました。
エデンの園の中央に生えている、善悪を知る木に生っている果実、即ち、「禁断の果実」とは、実は、「科学の書」のことだったのです。
拙書「花咲く都・黄金文明」より引用
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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自分自身が「想像=創造」しない現実は、自分自身には起きない
自分自身が「想像=創造(そうぞう)」しない現実は、自分自身には起きません。
自分の目の前にある現実は全て、自分自身が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
自分の人生は全て、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
ですから、自分自身が「想像=創造(そうぞう)」しない現実は、自分自身には起きません。
例え、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、予期せぬ出来事が起きたとしても、「想像=創造(そうぞう)」の源である、本源の我は、静かな心であり、少しも騒いではいません。
本源の我である魂は、「想像=創造(そうぞう)」の源なので、そのことを元々よく分かっているのです。
真我である魂の意図が感じられるようになってくると、何か予期せぬ出来事が起きて、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)がビックリしたり困ったと感じている時でも、心の源は少しも騒いではおらず、源の心は常に静かな心であり、豊かな心であることを感じられます。
何か予期せぬ出来事が起きて、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)がビックリしたり騒いでいる時でも、自分の心の奥深くに、少しも騒いではいない静かな心、本当の自分自身の豊かな心を感じることが出来ます。
自分の現実の全ては、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなので、何か予期せぬ出来事が起きた時でも、本当の自分自身は少しも驚いている訳ではなく、そのことをちゃんと知っている、安心している、という感じなのです。
自分が体験する現実の全ては、自分の人生の主体者・創造者である魂が、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した最善の出来事なので、真我である魂の高い目的に叶ったものであり、決して自分自身にとって悪いようにはなっていないのです。
「想像=創造(そうぞう)」の源である魂は、そのことをよく分かっていますので、心の源は、少しも騒いではいません。
何か予期せぬ出来事が起きて、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)がビックリしたり大騒ぎしている時でも、心の奥深くにある源の心は少しも騒いではおらず、そのことをよく分かっています。
源の心は、常に静かな心であり、豊かな心なのです。
人間は、自己プログラミングが可能な「生物コンピューター」
私たち人間は、自己プログラミングが可能な「生物コンピューター」です。
先日、『人も動物も植物も、遺伝子を組み込んだ生物コンピューター』の中に書きましたが、地球上の全生命は、遺伝子(DNA)が組み込まれた「生物コンピューター」なのです。
地球の全生命は、高度な科学を持つ、異星人エロヒムによって、科学的に創造されました。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語が、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形であり、単数形が、エロハになります。
地球の全生命は、エロヒムの高度な遺伝子工学によって科学的に創造されたものなので、人間も動物も植物も、「生物コンピューター」なのです。
現代の私たち人類が、マイクロチップを組み込んでコンピューターを作っているのと同じように、現代の私たち人類よりも遥かに高度な科学を持っていたエロヒムは、マイクロチップの代わりに遺伝子(DNA)を組み込んだ「生物コンピューター」として、地球の動植物を、科学的に創造したのです。
私たち人間も、他の動物や植物と同じように、遺伝子(DNA)が組み込まれた「生物コンピューター」にしか過ぎませんが、人間が他の動植物と違うのは、人間は自己プログラミングが可能な「生物コンピューター」として創造されているという点なのです。
人間以外の動植物は、環境を改良するようには、遺伝子コードがプログラムされていないので、最初からプログラムされたとおりに、自然の中で開花して生きることしか出来ません。
それに対して、私たち人間は、環境を改良し、習慣や考え方や伝統なども変更したりして、自分自身をプログラミングして生きることが出来ます。
知的生命体である私たち人間は、自己プログラミングが可能な「生物コンピューター」として創造されているのです。
人間も動物も植物も、地球の全生命は、遺伝子(DNA)が組み込まれた「生物コンピューター」にしか過ぎませんが、私たち人間が、他の動植物と違うのは、人間は自己プログラミングが可能な「生物コンピューター」として創造されていますので、自分自身で環境を改良し、考え方や習慣や伝統なども変更して、生きるということが出来るということなのです。
参考文献
ラエル「地球人は科学的に創造された」
夢や希望や目標を持つこと自体が、既に自分自身の力ではない
生きるとは創造することであり、心と感じるままに、自分の夢や希望や目標に向かって、何かを創造していく旅の連続であるとも言えます。
ですから、生きるということそのものが、何かを夢見たり、何かを望んだりすることなのですが、ここで忘れてはならない大切なことは、何かを夢見たり、何かを望んだりすること自体が、既に自分自身の力によって行われている訳ではないということなのです。
私たちは、大宇宙に生かされている存在であり、自分自身の力だけでは、一呼吸すら出来ない存在なので、夢や希望や目標を持つこと自体が、既に自分自身の力で行われている訳ではないことを知ることが大切になります。
私たちは、大宇宙に生かされている存在であり、一呼吸一呼吸生かされているからこそ、何かを夢見たり、何かを望んだり出来る訳であり、何かを夢見たり、何かを望んだりすること自体が、既に自分自身の力で行われているのではないということを、知ることが大切になります。
自分が抱く夢や希望や目標自体が、既に、自分自身の力で行われている訳ではないのですから、ましてや、それが実現するかどうかなど、自分自身の力を超えた所にあるのです。
純粋に自分自身の思考や感情というものはありません。
生きているからこそ、生かされているからこそ、何かを思ったり、何かを感じたり出来る訳で、自分の思考や感情というのも、自分自身のものではなく、自分を生かしている力によって動かされているのです。
大宇宙の森羅万象を貫く根源的エネルギーは一つです。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって、森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))により営まれています。
大宇宙の森羅万象を動かしている根源的エネルギーが自分自身をも生かし、自分の思考や感情や行動も司っていますので、純粋に自分自身の思考や感情や行動というものはありません。
夢や希望や目標を持つということ自体が、既に自分自身の力で行われている訳ではないので、ましてや、それが実現するかどうかなど、自分自身の力を超えた所にあるのです。
私たちに出来るのは、心と感じるままに、自分の夢や希望や目標に向かって最善を尽くし、生きるという創造の旅を楽しんでいくことなのですが、それらの全てが、自分自身の力で行われている訳ではないということを、知ることが大切になります。
昨日、『未来は100パーセント確定しているので、開く扉は開くし、開かない扉は、永久に開かない』の中にも書きましたが、未来は100パーセント確定していますので、開く扉(夢・希望・目標など)は必ず開きますし、開かない扉は、永久に閉じられたままであり、開かれることはありません。
自分の思考や感情や行動の全ては、自分自身のものではなく、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))によって操られていることを知ることが大切になります。
夢や希望や目標を持つこと自体が、既に自分自身の力ではないのです。
未来は100パーセント確定しているので、開く扉は開くし、開かない扉は、永久に開かない
未来は100パーセント確定していますので、開く扉は開きますし、開かない扉は、閉じられたままで、永久に開きません。
自分が、希望しているどこかの会社に就職したいとか、希望している会社か誰それとビジネスパートナーになりたいとか、こういう仕事をしたいとか、こういう賞を受賞したいとか、誰それと結婚したいとか、様々な夢や目標があるかと思います。
自分が開きたいと望んでいる扉(夢や目標のようなもの)があるかと思います。
未来は100パーセント確定していますので、もし、それが、自分に向けて開かれるべき扉であれば、必ず開かれることになります。
単に、その扉が開かれることが決まっているだけではなく、何時開かれるのか、どうようなプロセスを経て開かれるのかなども含めて、全ては100パーセント確定しています。
ですから、もしそれが、自分に対して開かれるべき扉であれば、必ず、必要なプロセスを経て、必要なタイミングで開かれることになりますので、ある意味においては、安心していても大丈夫です。
また一方で、もしその扉が、自分に対して開かれることの無い扉であれば、どんなに強く望もうが、どんなに努力しようが、扉は閉じられたままであり、永久に開かれることはありません。
「ご縁」という言葉がありますが、自分に「ご縁」のある扉は開かれますし、自分に「ご縁」の無い扉は、決して開かれることはありません。
例えば、男女において、異性との出会いがあり、誰かと結婚することを望んだとします。
もし、その異性と、結婚という「ご縁」にあるならば、必要なプロセスを経て、必要なタイミングで、必ず結婚することになります。
もし、その異性と結婚という「ご縁」になければ、結婚に至ることはありません。
人と人との出会いという「ご縁」はあった訳であり、もし、恋愛関係という「ご縁」にあるならば、交際するという扉は開かれることになります。
しかし、もし、その異性と、結婚という「ご縁」には無いとしたら、結婚には至らず、結婚という扉が開かれることはありません。
知っておくべき大切なことは、自分自身の高い目的に叶った最善の扉というのは、元々開かれることが決まっており、しかるべきプロセスを経て、しかるべきタイミングで必ず開かれるということです。
そして、自分に「ご縁」の無い扉は決して開かれることはなく、自分に開かれることの無い扉、自分に「ご縁」の無い扉というのは、自分自身の高い目的に叶った最善の扉ではないということなのです。
夢や目標を持つのは、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)ですが、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にあるので、自分自身のことがあまりよく分かっていません。
自分自身のことを一番よく分かっているのは、意識の奥深くにある、真我である魂です。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が開かれることを望んだ扉(夢や目標など)が、例え開かれなかったとしても、その扉は、自分自身の高い目的に叶った最善の扉ではないことを、真我である魂は、元々よく分かっています。
未来は100パーセント確定していますので、開く扉は開きますし、開かない扉は、閉じられたままで、永久に開きません。
そして、自分が望んでいる何かの扉が開かれないというのも、決して悪いことではなく、自分自身の高い目的に叶った最善の扉ではないというだけのことなのです。
未来は100パーセント確定しており、真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしていますので、そのことをよく分かっています。
ですから、開かない扉があったとしても、大丈夫です。
自分に開かれるべき扉は、別にあるということなのです。
人間も動物も植物も、遺伝子を組み込んだ生物コンピューター
人間も動物も植物も、遺伝子が組み込まれた生物コンピューターです。
私たち人間を始め、動物も植物も、地上のあらゆる生命は、遺伝子が組み込まれた生物コンピューターなのです。
地球の全生命は、高度な科学を持つ、異星人エロヒムによって、科学的に創造されました。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語が、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
私たち人間を始め、植物も動物も、地球の全ての生命は、エロヒムの高度な遺伝子工学によって創造されました。
地球の全生命は、エロヒムの高度な遺伝子工学によって科学的に創造されたものなので、私たち人間を始め、動物も植物も、地球の全ての生命というのは、実際には、「生物コンピューター」にしか過ぎないのです。
地球の全生命というのは、マイクロチップの代わりに、遺伝子(DNA)を組み込まれた「生物コンピューター」なのです。
現代の私たち人類が、マイクロチップを組み込んでコンピューターを作っているのと同じように、人類よりも遥かに高度な科学を持っていたエロヒムは、遺伝子(DNA)を組み込んだ「生物コンピューター」である地球の動植物を科学的に創造したのです。
地球の全生命は、遺伝子が組み込まれた「生物コンピューター」にしか過ぎません。
私たち人間を始め、動物も植物も、「生物コンピューター」に過ぎないと聞くと、驚かれるかも知れませんが、生命というのも、何れは、科学的に説明出来る時が来ると思います。
このことに関連して、1987年にノーベル医学生理学賞をとった利根川進氏が、立花隆氏のインタビューに対して興味のあるコメントを述べられています。
(立花)「遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。」
(利根川)「神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。生物というのはもともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。無生物からできたものであれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね。」
(立花)「そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象は全て物質レベルで説明がつけられるということになりますか。」
(利根川)「そうだと思いますね。もちろん今はできないけど、いずれできるようになると思いますよ・・・例えば、人間が考えるということとか、エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。今はわからないことが多いからそういう精神現象は神秘的な生命現象だと思われているけど、わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。」(太字引用者)
(『精神と物質』立花隆、利根川進著 文春文庫)
利根川進氏は、「生物は非常に複雑な機械にすぎない」と述べられていますが、そのとおりだと思います。
地球の全生命というのは、マイクロチップの代わりに、遺伝子(DNA)を組み込まれた「生物コンピューター」なのです。
参考文献
『精神と物質』立花隆、利根川進著 文春文庫
戸来優次「複製された神の遺伝子」
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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生物の進化とは、エロヒムの生命創造技術の進歩の痕跡
地球の全生命の創造者は、非常に高度な科学を持った、異星人エロヒムです。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語が、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
ダーウィンに代表されるような進化論というのは誤りなので、地球上の全生命は、何千万年も何億年もの長い時間をかけて、徐々に進化してきたようなものでは全くありません。
地球上の全生命は、あくまでも、エロヒムの科学者たちが、高度な遺伝子工学によって、実験室の中で科学的に創造したものなのです。
しかし、エロヒムの科学者たちも、最初は単純な生命から創造し、彼らの生命創造技術が進歩するにつれて、より複雑な生命を創造していきましたので、単純な生命からより複雑な生命が後に誕生したという点では、似ているのです。
進化論が唱える「生物の進化」とは、実際には、「エロヒムによる生命創造技術の進歩」にほかなりません。
「生物が進化」した訳ではなく、「エロヒムの生命創造技術が進歩」していった痕跡なのです。
先日、『人間は猿から進化したのではなく猿を改良して創造された』の中に書きましたが、私たち人間は、猿から進化した訳ではなく、猿を改良して、創造されました。
猿を改良して、エロヒムの遺伝子を組み込み、「遺伝子組み換え技術」によって、エロヒムに似せた知的生命体、即ち、私たち人間を、科学的に創造したのです。
ネアンデルタール人などの、いわゆる先史時代の化石というのは、人間が完成するまでの試作品だったのです。
そして遂に、エロヒムの科学者たちは、エロヒムの遺伝子(DNA)を組み込んで、「遺伝子(DNA)組み換え技術」により、彼ら自身に似せた知的生命体、即ち人間を創造することに成功したのです。
「神(エロヒム)は言われた。
『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』
神(エロヒム)は御自分にかたどって人を創造された。
神(エロヒム)にかたどって創造された。
男と女に創造された。」(「創世記」第1章・第27節)
人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」でした。
エロヒムの科学者たちは、最初は単純な生命から創造し、彼らの生命創造技術が進歩するにつれて、より複雑な生命を創造していきました。
進化論が唱える「生物の進化」とは、実際には、「エロヒムによる生命創造技術の進歩」にほかならないなのです。
「生物が進化」した訳ではなく、「エロヒムの生命創造技術が進歩」していった痕跡なのです。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
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やる気が出ない時期というのも、魂の基本プログラムにある「間」の取り方の一つ
お盆休みの時期を迎えましたね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
人生には、「間」というものがあります。
仕事をしている1日でも、ティータイム・休憩時間や、お昼休みの時間など、「間」を取る時間が必要です。
現代では、週休二日が一般的になりましたが、何千年も前の旧約聖書の時代から、週に1日は、安息日と言って、休息を取る「間」の時間が必要とされてきました。
お盆休みやお正月休みなども、日本人の生活習慣の中にある、一つの「間」の取り方だと言えます。
お盆やお正月休みに、忙しい日常を離れて一服することで、英気を養い、明日への活力を充電することが出来ます。
それと同じように、人生において、やる気が出ないような時期というのも、魂の基本プログラムにある「間」の取り方であるケースが往々にしてあります。
人生が大きく変わるような時期には、往々にして、やる気が出ないような時期を体験することがあります。
やる気が出ないような時期というのも、魂の基本プログラムにある、ある種の「間」を取る時間であるケースが往々にしてあります。
巷にあるような自己啓発書や成功哲学のようなものは、とにかく、目標を設定して、目標に向かって邁進することを推奨するような傾向がありますが、やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、魂の基本プログラムにある、ある種の「間」を取る時間であるケースが往々にしてあります。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
自分の人生の全ては、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしています。
そして、未来の地点から、現在の私を導いています。
進むべき時には、やる気を起こさせますし、進むべきでない時には、その度合いに応じて、やる気を調節してくれます。
やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、魂の基本プログラムにある、「間」の取り方、調整の仕方であるケースが往々にしてあります。
巷にあるような自己啓発書や成功哲学にはまっているような人たちの中には、例えば、10年後の目標を設定して、それに向かって邁進するようなことをしている人たちが、いまだにいるかと思います。
それはそれで、一つの試行錯誤としては悪くはないかも知れませんが、それはあくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が考えている最善のやり方であって、本当に最善であるかどうかは、分かりません。
今の時代のような、かつて人類が経験したことがないような、変化が激しく速い時代に、10年後の社会を予測することすら困難だと思います。
変化が激しく急速な、今のような時代に、10年後の自分の姿を想像することに、どれだけの意味があるのかは、はなはだ疑問です。
時代がこれから進めば進む程、今人間がやっている仕事の多くは、コンピューターやロボットが取って代わることになるでしょう。
10年後、今自分がやっている仕事自体は無くならないとしても、その大部分は、コンピューターやロボットが行っているかも知れません。
そのような変化の激しい忙しい時代に、10年後の目標を設定して、それに向かって邁進するようなことが、本当に最善の道なのかどうかは、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、本当は分かっていないのです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、自分の未来のことはなかなか分かりませんが、自分の人生の全ては既に100パーセント確定していますので、真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしています。
真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしていますので、未来の地点から、現在の私を導いてくれています。
進むべき時には、やる気にさせてくれますし、進むべき時でない時には、その度合いに応じて、やる気を調節してくれているのです。
仕事であれ、趣味であれ、恋愛であれ、やる気が出た時には、誰に何を言われようともやる気になりますし、やる気が出ない時には、誰に何を言われても、なかなかやる気にはなれません。
やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、真我である魂の調節の仕方、ある種の「間」の取り方である場合が多くあります。
真我である魂との折り合いを付けることがだんだん出来るようになってくると、進むべき時進み、ゆっくりする時ゆっくりし、止まるべき時止まるということが、だんだん自然に出来るようになってきます。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にあるので、ほとんど何も分かっていないとも言えます。
自分自身のことを本当に分かっているのは、意識の奥深くにある、真我である魂なので、真我である魂は、自分のやる気というようなものも調節しながら、自分自身を導いてくれています。
3Dホログラムのようなバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
昨日、『大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムの世界』に書きましたが、この物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。
多くの人たちは、物質というものが、何か確固とした実体のあるもののように考えているので、物理的大宇宙が3Dホログラムのようなバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界だと言われても、あまりピンとこないかも知れません。
何か確固とした実体があるもののように感じられる物質というものも、本当は、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光なのです。
大宇宙意識の全知全能の光によって「想像=創造(そうぞう)」されたバーチャルリアリティー(仮想現実)が、物質というものなのです。
大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である物理的大宇宙(相対世界)とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。
そのことを理解しやすいように、テレビを例にとって説明してみたいと思います。
テレビ画面に映し出されている映像というのは、ブラウン管によって、電気という人工の光が、二次元(平面)に様々な紋様を映し出しているものです。
ですから、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、人工の光であり、幻であることは、お分かりいただけるかと思います。
例え、そこに映し出されているものが、スポーツの実況放送であったり、何かの生番組であったり、あるいは、現実にある何処か自然の風景であったとしても、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、電気という人工の光が織り成している幻です。
現実に実体があるのは、スポーツの実況を収録している現場であり、生番組を収録している現場であり、自然の風景を収録している現場の方であって、テレビ画面の映像の方には、実体はありません。
テレビ画面が映し出している映像そのものは、電気という人工の光であり、幻です。
テレビ画面の映像が、二次元(平面)に映し出された人工の光(電気)であるのに対して、この物理的大宇宙というのは、三六〇度立体の三次元(3D)に映し出された、大宇宙意識の全知全能の光の映像だとイメージすると、分かりやすいかも知れません。
言わば、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、全知全能の光により三六〇度立体の3Dホログラムのように顕れている世界だと捉えると良いかも知れません。
大宇宙意識の全知全能の光が、三六〇度立体の三次元に、物質という幻で映し出されている、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。
実体があるのは、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の「純粋意識」の方です。
そして、大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、全知全能の光によって三六〇度立体の三次元に映し出された物理的大宇宙には、実体は無く、映像にしか過ぎません。
空間という、三六〇度立体のバーチャルなスクリーンに映し出された映像にしか過ぎないのです。
本当は、何も確かな実体がある訳ではないのですが、物質というものは、何か確固たる実体があるもののように、一見、感じられます。
だからこそ、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界を、現実のリアルなもののように、体験して味わうことが出来るのです。
唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本主体(大宇宙意識)が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を、体験して、味わうことが出来るのです。
相対世界である物理的大宇宙の全ては、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自らが持つ全知全能の力、「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為に映し出しているバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界なのです。
大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムの世界
物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界です。
私たちが見ている、この物理的大宇宙とは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光によって織り成される、3Dホログラムのような世界なのです。
3Dホログラムという言葉に、あまり馴染みの無い方もおられるかと思います。
簡単に言うと、3Dホログラムとは、ホログラフィーという技術によって映し出される三次元(3D)の光の映像になります。
ホログラフィーは、3次元像を記録した写真(ホログラム)の製造技術のことであり、情報の記録にも利用することができるとのことです。
ホログラフィーは、1947年にハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュによって発明されたとのことで、ガーボル・デーネシュは1971年にノーベル物理学賞を受賞したとのことです。
言葉で説明するよりも、「百聞は一見に如かず」で、見てみるのが一番です。
電脳アイドル・初音ミクの3Dホログラムです。
この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。
絶対世界とは、時間も無ければ空間も無く、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界を映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「映し世(うつしよ)」なのです。
物理的大宇宙(相対世界)は、絶対世界を映し出すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、言わば、幻の世界なのです。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界なのです。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識という、一つの「純粋意識」だけなのです。
大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である物理的大宇宙(相対世界)とは、絶対世界を映し出す3Dホログラムのような世界なのです。
3Dホログラムの映像がまとめられているサイトがありますので、参照されるとよいかと思います。
そこに登場する、マイケル・ジャクソンやマライア・キャリー、エルビス・プレスリーなどは、何れも、3Dホログラムの光の映像なのです。
3Dホログラムの映像がまとめられているサイトです。
「3Dホログラムはここまで進化した!ホログラム映像まとめ」
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人間は猿から進化したのではなく、猿を改良して創造された
地球の全生命の創造者は、非常に高度な科学を持った、異星人エロヒムです。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語が、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
ダーウィンに代表されるような進化論というのは誤りなので、実際には、地球の全生命は、エロヒムの高度な遺伝子工学によって、科学的に創造されたものなのです。
私たち人間は、猿から進化した訳ではなく、猿を改良して、創造されました。
猿を改良して、エロヒムの遺伝子を組み込み、「遺伝子組み換え技術」によって、エロヒムに似せた知的生命体、即ち、私たち人間を、科学的に創造したのです。
ネアンデルタール人などの、所謂、旧人と呼ばれるような人々の化石というのは、実際には、私たち人間が創造されるまでの、試作品だったのです。
先日、『地球の生命は、多くの人が考えているよりも、遥かに「若い」――若い地球説』の中にも書きましたが、半減期が13億年という非常に長い放射性同位元素を用いるカリウム‐アルゴン法で測定すると、何十万年前、あるいは何百万年前とされる化石も、炭素14法で測定すると、せいぜい、二万年位前にしかならないようです。
「神(エロヒム)は言われた。
『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』
神(エロヒム)は御自分にかたどって人を創造された。
神(エロヒム)にかたどって創造された。
男と女に創造された。」(「創世記」第1章・第26・27節)
昨日、『アダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」だった』の中に書きましたが、人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」でした。
猿を改良して、エロヒムの遺伝子を組み込み、「遺伝子組み換え技術」によって、創造者であるエロヒムに似せた知的生命体、即ち、私たち人間を科学的に創造したのです。
人類最初の人間である、アダムとイブという、完成形が出来るまでの試作品が、ネアンデルタール人などの、所謂、旧人と呼ばれる人々の化石なのです。
私たち人間は、猿から進化した訳ではなく、創造者であるエロヒムに似せた知的生命体として、初めから人間として創造されたことを知っておくことは大切だと思います。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
アダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」だった
地球の全生命の創造者は、非常に高度な科学を持った、異星人エロヒムです。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語は、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
先日、『エロヒムの科学者たちは、植物の次に、動物を創造した』の中に書きましたが、地球の全生命の創造者であるエロヒムの科学者たちは、最初に植物を創造し、その次に、動物を創造しました。
そして、エロヒムの科学者たちの中で最も有能な人たちは、遂には、彼らに似せた知的生命体、即ち、人間を人工的に創造しようとしました。
「神(エロヒム)は言われた。
『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』
神(エロヒム)は御自分にかたどって人を創造された。
神(エロヒム)にかたどって創造された。
男と女に創造された。」(「創世記」第1章・第26・27節)
人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」でした。
エロヒムの実験場は何か所かあったのですが、古代イスラエルの地にいた科学者チームは優秀だったので、その地の動物は最も美しく、その地の植物は最もかぐわしいものでした。
「エデンの園」とは、このことだったのです。
そして、この地で創造された人間が、最も高い知性を備えていました。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
ラエル「地球人は科学的に創造された」
真のグル(導師)は、自分自身の中にいる
精神世界に関心が高い人たちや、霊性修行を求める人たちの中には、グル(導師)を求める人たちもあるかと思います。
しかし、真のグル(導師)、本当のグル(導師)は、自分自身の中にしかいないことを、知っておくことは大切だと思います。
もちろん、何かを学んだりする時には、教師に付き、教えを乞うことも、時には必要だと思いますし、人間一人ひとりには、様々な御縁がありますので、グル(導師)と呼ばれるような教師に教えを仰ぐこともあるかと思います。
しかし、真のグル(導師)は、自分自身の中にしかいませんので、何れは、自分自身の中に、本当のグル(導師)がいることに気付くことになります。
例え、世界中の、聖者・覚者・グル(導師)と呼ばれる人たちを訪ね歩いたとしても、最後に行き着くのは、自分自身の中にいる、真のグル(導師)、本当のグル(導師)なのです。
敢えて、自分の外に、誰かグル(導師)を求めなくても、既に自分自身の中には、真のグル(導師)がいることを知ることが大切だと思います。
現実世界とは、自分一人の世界なので、依存する者は誰もいない
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、幻です。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分一人の世界であり、自分の心の心象風景にしか過ぎないので、言わば、インナーワールドなのです。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分一人の世界であり、インナーワールドなので、依存する者は、誰もいません。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分一人の世界であり、自分すらいない世界なので、誰も依存する者はいないのです。
多くの人たちは、自分がいて、自分の外に、何か確固とした客観的世界があり、それが現実世界だと考えています。
そして、自分の外にいる、誰かに依存しようとする傾向があります。
依存という創造をかけてしまうのです。
しかし、依存する者はありません。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の意識が投影された自分の内面の世界であり、自分自身の心を映し出す「鏡」の世界なのです。
そこに映し出されている様々な紋様は、自分の心の中の心象風景にしか過ぎないので、自分が映す現実世界(宇宙)には、誰も依存する者はいないのです。
誰にも依存することは出来ません。
誰かに精神的に依存しようとしても、何れは、そこではありませんよ、ということを、天に思い知らされることになります。
自分が映す現実世界(宇宙)に現れる様々な登場人物は、自分の心の中の心象風景として、その時々で、必要に応じて、様々な紋様となって顕れているだけなので、誰にも依存することは出来ないのです。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の意識が投影された内面の世界であり、自分一人の世界であり、自分すらいない世界なので、誰かに依存するということは、本来あり得ないことなのです。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の心の中にある心象風景なので、そこには本当は誰もいる訳ではありません。
自分一人の世界であり、自分すらいない世界なのです。
自分が映す現実世界(宇宙)には、誰も依存する者はなく、誰も頼りとする者はいないことを知って、生きるという創造の旅を楽しんでいくことが大切になります。
8月6日、70年目の「原爆の日」――地球の恒久平和に向けて
原爆ドーム
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
人類史上初めて、核兵器が使用された日となりました。
本日8月6日が、70年目の「原爆の日」となります。
そして、8月9日には、長崎にも相次いで投下されました。
米ソ冷戦時代などには、大量の核兵器が製造されました。
今現在、この地上には、数万発もの核兵器が存在すると推定されているようです。
一番強力なものは、広島型原爆の数千倍もの破壊力があるそうです。
今、日本においては、戦争への道を開くような、不穏な動きも見受けられます。
二度と核兵器の使用されることのない、平和な世界を目指して、一人ひとりが、自分に出来ることをしていくことが大切ではないかと考えます。
地球の恒久平和に向けて、一人ひとりが歩みを深めていくことが大切ではないかと考えます。
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エロヒムの科学者たちは、植物の次に、動物を創造した
地球の全生命の創造者は、非常に高度な科学を持った、異星人エロヒムです。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語は、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人びと」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
昨日、『エロヒムは、全くの化学物質だけから、植物の細胞を創造した』の中に書きましたが、エロヒムは、大陸を創造した後、最初に植物を科学的に創造しました。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」(「創世記」第1章・第11節)
大陸の植物を創造した後、エロヒムの科学者たちは、原始的な水棲生物を創造しました。
プランクトンから小魚へ、さらには小魚を食べるもっと大きな魚へと・・・。
小魚が食べる藻類や、小魚を食べるさらに大きな魚なども創造しました。
そして、自然界がバランスを維持し、ある種が別の種に食べられて完全に死滅することがないように、エコロジー(生態学)に基づいて創造したのです。
エロヒムの科学者たちが、魚の次に創造したのが、鳥です。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面(おもて)を飛べ。」(「創世記」第1章・第20節)
海と空の動物の次に、エロヒムの科学者たちは、大陸(大地)の動物を創造しました。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」(「創世記」第1章・第24節)
大地は植物が繁茂していたので、この植物を餌とする草食動物が、まず最初に創造されました。
その後で、草食動物の数のバランスをとる為に、肉食動物が創造されたのです。
植物を創造した時と同じように、エロヒムの科学者たちだけではなく、エロヒムの芸術家たちも加わって、様々に美しい動物や、様々に興味深い動物や、様々に面白い動物などを、洗練を加えながら、創造していきました。
美しい小鳥たちの求愛ダンスなどは、エロヒムの科学者たちと芸術家たちの協力によって創造されたものなのです。
現在、地上には、少なくとも百万種以上の動物が存在しており、まだ発見されていないものも含めると、膨大な種類になると考えられます。
ダーウィンに代表されるような進化論というのは誤りなので、長い時間をかけた偶然の進化によって、このような多種多様な動物が創造された訳ではありません。
実際には、エロヒムの科学者たちと芸術家たちが協力して、様々に美しい動物や、様々に興味深い動物、様々に面白い動物などを、実験を重ね、試行錯誤し、洗練を加えながら創造していった結果なのです。
もし、動物の進化が偶然の結果によるものだとしたら、これ程多種多様な動物が存在している筈がないということは、容易に想像出来るのではないでしょうか。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
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エロヒムは、全くの化学物質だけから、植物の細胞を創造した
地球の全生命の創造者は、非常に高度な科学を持った、異星人エロヒムです。
聖書において神(GOD)と誤訳されている元々の原語は、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人々」を意味する、れっきとした複数形なのです。
単数形が、エロハになります。
先日、『地球には元々一つの超古大陸しか無かった』の中で書きましたが、エロヒムは、海と大地(大陸)を科学的に分け、原初の一つの巨大な超古大陸を創造しました。
原初の超古大陸を創造した後に、エロヒムの科学者たちが行ったのは、植物を創造することでした。
エロヒムは、遺伝子(DNA)を科学的に合成して、全くの化学物質だけから、植物の細胞を創造しました。
高度な遺伝子工学によって、植物の細胞を、科学的に創造したのです。
その細胞から、地球上のあらゆる植物の細胞が創造されていったのです。
エロヒムの科学者だけではなく、エロヒムの芸術家たちも生命創造の実験に加わって、様々に美しい植物や、様々にかぐわしい植物、様々に面白い植物などを、実験を重ね、洗練を加えながら、創造していきました。
そして、大陸のあちこちに散らばって行って、様々な植物を創造していきました。
現在、地球上には、少なくとも数十万種以上もの植物が生息しており、まだ発見されていないものも含めると相当な種類になると考えられます。
ダーウィンに代表されるような進化論というのは誤りなので、長い時間をかけた偶然の進化によって、このような多種多様な植物が創造された訳では全くありません。
実際には、エロヒムの科学者たちと芸術家たちが協力して、様々に美しい植物や、様々にかぐわしい植物、様々に面白い植物などを、実験を重ね、試行錯誤し、洗練を加えながら創造していった結果なのです。
もし、植物の進化が偶然の結果によるものだとしたら、これ程多種多様な植物が存在している筈がないということは、容易に想像出来るのではないでしょうか。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
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反省と後悔について
反省と後悔ということについて、少し書いてみたいと思います。
反省と後悔という言葉は、少し近い言葉のようにも捉えられていますが、反省ということと、後悔ということとは、はっきりと分けて考えるべき言葉だと思います。
はっきり言うならば、反省はすべきですが、後悔はしても意味が無いということなのです。
反省とは、過去の出来事を振り返って、それが何であったのかを省みることであり、何でそうなったのかを学ぶことが出来るものです。
決して、過去の出来事を、良いとか悪いとか判断する必要はないのですが、何でそうなったのかを感じて、学ぶことが出来ます。
ですから、反省はすべきであり、今後に使えるものだとも言えます。
しかし、後悔というのは、しても意味が無いものなのです。
「後悔先に立たず」ということわざなどでも言われているように、後悔しても取り返しが付かないということだけではなく、後悔という思考そのものが、自らの認識の中にある小さな思考形態にしか過ぎないからなのです。
後悔というのは、「後で悔いる」と書きますが、悪い結果に対して、後から悔いるということです。
しかし、悪い結果と捉えたのは、あくまでも、自分の認識です。
例え、人から言われたとしても、それを受け入れたのは、やっぱり自分自身であり、全ては自分の認識にしか過ぎません。
悪いかどうかは、もっと後になって、時が変われば、見方が変わるかも知れません。
また、もっと別の角度・視点から捉えてみれば、もっと別の見方が出来るかも知れないのです。
それなのに、あなたは、悪い結果と決めつけてしまい、それに対して悔いているのです。
人は皆、瞬間瞬間に行う選択の全ては、その時の自分自身にとって最善と思われる選択をしています。
誰も、自分自身を傷付けて苦しめるような選択を、わざわざ好き好んで自分自身に行ったりはしません。
自分が過去において、何かを選択した時は必ず、その時の自分にとっては最善と思われる選択をしてきた筈です。
しかし、後になってから、それを悪い結果と決めつけてしまい、後悔して悔いているのです。
しかし、それが本当に悪い結果なのかどうかは、もっともっと後になってみないと、本当のところはよく分からないかも知れません。
また、もっと別の角度から見れば、違う見方が出来るかも知れません。
それなのに、あなたは、悪い結果と決めつけてしまい、それに対して悔いているのです。
後悔ということは、しても意味がありません。
何故なら、後悔という思考形態そのものが、自らの認識の中にある小さな思考形態にしか過ぎず、本当のところは、何も分かっていないとも言えるからなのです。
反省はすべきですが、後悔というのは、しても意味が無いのです。
後悔するという思考を消滅へと向かわせることは、心の進化に繋がります。Tweet
想定した未来の出来事は起こらない、という勘違いについて
想定した未来の出来事は起こらない、という勘違いをされている方々が多く見受けられます。
特に、東日本大震災以降に、このような考え方が多く見受けられるようになったと記憶しています。
大地震や大津波などを想定して、それに備えた対策をしておけば、想定した未来の出来事は起こらず、回避出来るという考え方です。
しかし、これは、私たち人間を中心にして、大宇宙の森羅万象を都合よく解釈しているだけなので、全くの勘違いにしか過ぎません。
私たち人間の思惑とは一切関係なく、起こる必要のあることは起き、起こる必要の無いことは一切起きません。
ただ、それだけなのです。
これは別に、大地震や大津波や火山の噴火などの、所謂、天変地異だけのことではなく、大宇宙の森羅万象の全ては、ただ、起こるべきことが起こり、起こる必要の無いことは一切起こらないというだけのことなのです。
大宇宙の森羅万象の全ては、一切偶然はなく、全てが必要必然なのです。
起きたことは、起きる必要があったことであり、起きなかったことは、起きる必要が無かっただけのことなのです。
大地震や大津波や火山の噴火などの、所謂、天変地異と呼ばれるものも、別に、天罰として起きている訳ではないので、終末の時代とか、末法の世とも言われるような、現代だけに起きている訳ではありません。
丁度300年程前の江戸時代にも、富士山が宝永大噴火し、その噴火口が今でもはっきりと残っているのは、誰でも知っています。
いつの時代にも、天変地異と呼ばれるものはあったので、別に現代に限ったことではありません。
天罰として天変地異が起きているという訳ではないので、私たち人間の思惑とは一切関係なく、起きる必要があれば起きますし、起きる必要が無ければ、起きません。
大宇宙の森羅万象の全てが、そうなのです。
私たち人類が創造される前に、既に地球は存在していましたし、地球が誕生する前に、既に、この「無限」の大宇宙は存在していました。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、私たち人間の思惑などによって、森羅万象を変えたりするような存在などでは全くない、ということを知ることが大切だと思います。
私たちの地球を照らす太陽は、何れは、何万年後か何億年後かに寿命が来て燃え尽きてしまいますので、もし人類が永遠に生きたいと望むならば、太陽が燃え尽きる前に、火星か何処か、他の惑星に移住して、そこで生き延びる必要が出てきます。
オランダの民間プロジェクト「マーズワン」では、西暦2025年に、最初の4人を火星に移住させる計画だとのことですので、既に私達人類は、何れそう遠くない将来、火星や他の惑星に移住して生きられるような科学的水準に到達しています。
私たちの地球を照らす太陽が燃え尽きる前に、人類は何れ他の惑星に移住して生き延びることになるでしょう。
私たち人間の思惑とは一切関係なく、太陽は何れ燃え尽きます。
人類が生き延びたいと望むならば、火星か何処かの他の惑星に脱出して、生き延びなければならない時が必ず来るのです。
私たち人間が大宇宙を創造し、大宇宙の森羅万象を営んでいる訳ではなく、私たち人間は大宇宙に生かされている存在にしか過ぎません。
私たち人間の思惑とは一切関係なく、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識によって営まれています。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識によって、大宇宙の未来は100パーセント確定されていますので、私たち人間の思惑によって、想定した未来の出来事は起きなくなるとかいうようなことは、一切関係ありません。
私たち人間を中心にして大宇宙の森羅万象を捉える認識の仕方をされている方は、是非、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」をお読みいただくことを、お勧め致します。
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ヴェーゲナーが唱えた大陸移動説と、超古大陸パンゲアについて
ドイツの気象学者で、アルフレート・ヴェーゲナーという方がいます。
アルフレート・ヴェーゲナー
ヴェーゲナーは、1915年、主著「大陸と海洋の起源」の中で、大陸移動説を唱えたことで知られています。
また、ヴェーゲナーは、その後、「大陸と海洋の起源」の改訂版において、こんにち存在するすべての大陸は1つの巨大大陸「パンゲア」であったが、約2億年前に分裂して別々に漂流し、現在の位置および形状に至ったとする説を発表したことでも知られています。
ヴェーゲナーの大陸移動説は、発表後長く受容されず、嘲笑の対象になっていた時代もあったようですが、彼の死後、プレートテクトニクス理論などの登場により、プレートテクトニクス理論の帰結として、実証され、受け入れられるようになってきたようです。
なお大陸移動の実測は1980年代後半に電波星や衛星を用いた測量技術(VLBI)が発展してから可能になり、多くの大陸が年数センチという速度で移動していることが明らかになったようです。
こうして、ヴェーゲナーの大陸移動説は、今日では、勝利を得るに至っているようです。
ヴェーゲナーは、今から100年近く前の学者ですが、本質的な部分においては、的を得た見方をしているようです。
昨日、『地球には元々一つの超古大陸しか無かった』の中にも書きましたが、元々地球には、原初の超古大陸一つだけがありました。
地球の全生命の創造者である、異星人エロヒムが、今から約25000年前、地球にやって来た時、その当時の地球は、水と濃密な霧にすっぽりと包まれていたようです。
エロヒムは、海と大陸(大地)を科学的に分けて、原初の巨大な超古大陸を創造しましたので、元々、地球には一つの超古大陸しか無かったという点では、的を得た見方をしています。
そして、原初の一つだけだった超古大陸が、大陸移動して、今ある五大陸になったという点も、的を得た見方をしています。
原初の超古大陸が、今ある五大陸に分かれたのは、創造者であるエロヒムによって地球に発射された核ミサイルによる大爆発によるものなのです。
旧約聖書「創世記」に出て来る、「ノアの箱舟」と大洪水の話における大洪水とは、単なる大洪水などではなく、地球の全生命の創造者であるエロヒムから地球に向かって発射された、核ミサイルによる大爆発によって発生した大洪水なのです。
ヴェーゲナーが唱えた、元々地球には「パンゲア」という超古大陸一つだけがあり、大陸移動によって、今ある五大陸になったという点は、的を得た見方をしています。
100年近く前の時代に生きたヴェーゲナーは、地球の全生命の創造者であるエロヒムからラエルに伝えられた真実のメッセージなど知らなかったにも関わらず、本質的なところは、的を得た的確な見方をしています。
ところで、1990年代以降の地球物理学の新しい学説として、マントル内の大規模な対流運動をプルーム(plume)と呼び、この変動を検討するための学説として、ブルームテクトニクスという説があるそうです。
プレートテクトニクス理論が地球の表面に存在するプレート(厚さ100km)の変動(テクトニクス)を扱うのに対して、この説では深さ2,900kmに達するマントル全体の動きを検討するとのことです。
現在の地球の表層部は、約10枚の主なプレートで覆われていますが、地球の隣の金星には、プレートは存在しておらず、その代わりに、プルームテクトニクスが金星の表層を支配しているそうです。
他の惑星の表層は、どうやら、全て1枚のプレートから成っており、地球だけがマルチプレートの星のようです。
理学博士の戸来優次氏は、著書『[謎解き]聖書』の中で、なぜ地球だけが、約10枚のプレートからなるマルチプレートの惑星なのかという点について、創造者であるエロヒムが地球に送り込んだ核ミサイルの爆発によって生じたと推測されていますが、おそらくその通りなのだろうと考えられます。
今からほんの数千年前(約5000〜6000年前)に発生した、核ミサイルによる大爆発によって原初の一つの超古大陸を、今の五大陸に分けた衝撃は、今はもう沈静化していますが、それでも、年に数センチずつ大陸が今でも移動していることは、電波星や衛星を用いた測量技術(VLBI)などによって科学的に実証されているということなのです。
参考文献
ラエル「真実を告げる書」
戸来優次『[謎解き]聖書』
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