竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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反省と後悔について

  • 2015年8月 3日 18:25
  • Posted by Yamatofuji

 反省と後悔ということについて、少し書いてみたいと思います。

 反省と後悔という言葉は、少し近い言葉のようにも捉えられていますが、反省ということと、後悔ということとは、はっきりと分けて考えるべき言葉だと思います。

 はっきり言うならば、反省はすべきですが、後悔はしても意味が無いということなのです。

 反省とは、過去の出来事を振り返って、それが何であったのかを省みることであり、何でそうなったのかを学ぶことが出来るものです。
 決して、過去の出来事を、良いとか悪いとか判断する必要はないのですが、何でそうなったのかを感じて、学ぶことが出来ます。

 ですから、反省はすべきであり、今後に使えるものだとも言えます。

 しかし、後悔というのは、しても意味が無いものなのです。

「後悔先に立たず」ということわざなどでも言われているように、後悔しても取り返しが付かないということだけではなく、後悔という思考そのものが、自らの認識の中にある小さな思考形態にしか過ぎないからなのです。

 後悔というのは、「後で悔いる」と書きますが、悪い結果に対して、後から悔いるということです。
 しかし、悪い結果と捉えたのは、あくまでも、自分の認識です。
 例え、人から言われたとしても、それを受け入れたのは、やっぱり自分自身であり、全ては自分の認識にしか過ぎません。

 悪いかどうかは、もっと後になって、時が変われば、見方が変わるかも知れません。
 また、もっと別の角度・視点から捉えてみれば、もっと別の見方が出来るかも知れないのです。

 それなのに、あなたは、悪い結果と決めつけてしまい、それに対して悔いているのです。

 人は皆、瞬間瞬間に行う選択の全ては、その時の自分自身にとって最善と思われる選択をしています。
 誰も、自分自身を傷付けて苦しめるような選択を、わざわざ好き好んで自分自身に行ったりはしません。
 
 自分が過去において、何かを選択した時は必ず、その時の自分にとっては最善と思われる選択をしてきた筈です。

 しかし、後になってから、それを悪い結果と決めつけてしまい、後悔して悔いているのです。

 しかし、それが本当に悪い結果なのかどうかは、もっともっと後になってみないと、本当のところはよく分からないかも知れません。
 また、もっと別の角度から見れば、違う見方が出来るかも知れません。

 それなのに、あなたは、悪い結果と決めつけてしまい、それに対して悔いているのです。

 後悔ということは、しても意味がありません。
 何故なら、後悔という思考形態そのものが、自らの認識の中にある小さな思考形態にしか過ぎず、本当のところは、何も分かっていないとも言えるからなのです。

 反省はすべきですが、後悔というのは、しても意味が無いのです。

 後悔するという思考を消滅へと向かわせることは、心の進化に繋がります。

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