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やる気が出ない時期というのも、魂の基本プログラムにある「間」の取り方の一つ

  • 2015年8月14日 18:37
  • Posted by Yamatofuji

 お盆休みの時期を迎えましたね。
 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 人生には、「間」というものがあります。
 仕事をしている1日でも、ティータイム・休憩時間や、お昼休みの時間など、「間」を取る時間が必要です。

 現代では、週休二日が一般的になりましたが、何千年も前の旧約聖書の時代から、週に1日は、安息日と言って、休息を取る「間」の時間が必要とされてきました。

 お盆休みやお正月休みなども、日本人の生活習慣の中にある、一つの「間」の取り方だと言えます。
 お盆やお正月休みに、忙しい日常を離れて一服することで、英気を養い、明日への活力を充電することが出来ます。

 それと同じように、人生において、やる気が出ないような時期というのも、魂の基本プログラムにある「間」の取り方であるケースが往々にしてあります。

 人生が大きく変わるような時期には、往々にして、やる気が出ないような時期を体験することがあります。
 やる気が出ないような時期というのも、魂の基本プログラムにある、ある種の「間」を取る時間であるケースが往々にしてあります。

 巷にあるような自己啓発書や成功哲学のようなものは、とにかく、目標を設定して、目標に向かって邁進することを推奨するような傾向がありますが、やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、魂の基本プログラムにある、ある種の「間」を取る時間であるケースが往々にしてあります。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 自分の人生の全ては、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしています。
 そして、未来の地点から、現在の私を導いています。

 進むべき時には、やる気を起こさせますし、進むべきでない時には、その度合いに応じて、やる気を調節してくれます。

 やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、魂の基本プログラムにある、「間」の取り方、調整の仕方であるケースが往々にしてあります。

 巷にあるような自己啓発書や成功哲学にはまっているような人たちの中には、例えば、10年後の目標を設定して、それに向かって邁進するようなことをしている人たちが、いまだにいるかと思います。

 それはそれで、一つの試行錯誤としては悪くはないかも知れませんが、それはあくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が考えている最善のやり方であって、本当に最善であるかどうかは、分かりません。

 今の時代のような、かつて人類が経験したことがないような、変化が激しく速い時代に、10年後の社会を予測することすら困難だと思います。
 変化が激しく急速な、今のような時代に、10年後の自分の姿を想像することに、どれだけの意味があるのかは、はなはだ疑問です。

 時代がこれから進めば進む程、今人間がやっている仕事の多くは、コンピューターやロボットが取って代わることになるでしょう。
 10年後、今自分がやっている仕事自体は無くならないとしても、その大部分は、コンピューターやロボットが行っているかも知れません。

 そのような変化の激しい忙しい時代に、10年後の目標を設定して、それに向かって邁進するようなことが、本当に最善の道なのかどうかは、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、本当は分かっていないのです。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、自分の未来のことはなかなか分かりませんが、自分の人生の全ては既に100パーセント確定していますので、真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしています。

 真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしていますので、未来の地点から、現在の私を導いてくれています。
 進むべき時には、やる気にさせてくれますし、進むべき時でない時には、その度合いに応じて、やる気を調節してくれているのです。

 仕事であれ、趣味であれ、恋愛であれ、やる気が出た時には、誰に何を言われようともやる気になりますし、やる気が出ない時には、誰に何を言われても、なかなかやる気にはなれません。

 やる気が出ないというのも、必ずしも悪いことではなく、真我である魂の調節の仕方、ある種の「間」の取り方である場合が多くあります。

 真我である魂との折り合いを付けることがだんだん出来るようになってくると、進むべき時進み、ゆっくりする時ゆっくりし、止まるべき時止まるということが、だんだん自然に出来るようになってきます。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にあるので、ほとんど何も分かっていないとも言えます。
 自分自身のことを本当に分かっているのは、意識の奥深くにある、真我である魂なので、真我である魂は、自分のやる気というようなものも調節しながら、自分自身を導いてくれています。


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