竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2016年1月のアーカイブ
13 Entries
「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰は龍神信仰などの形で世界に普遍的に残っている
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰
「蛇」をシンボルとするルシファーへのナーガ信仰が、伝説上の生き物である龍(ドラゴン)を生み出し、龍神信仰にも繋がっていくのですが、「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰は、世界各地に普遍的な形で残っています。
数千年も前に生きていた古代の諸民族は、ほとんど例外なく、彼らの祖神として「蛇」を信仰していたようですが、そのルーツにあるのも、「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰なのです。
古代イスラエルの地にあった実験場で、人類最初の人間であるアダムとイブが創造されましたが、そこにあったルシファーをリーダーとする科学者チームは「蛇」というニックネームで呼ばれていました。
自分たちの創造物を深く愛するようになったルシファーたちは、アダムとイブに、「禁断の果実」である科学の書を教えてしまいました。
そのことを知ったヤーウェは、アダムとイブを、エデンの園から追放してしまい、ルシファーたちにも地球に留まるように命じて、地球に追放してしまいました。
地球に追放された、ルシファーを中心とするエロヒムの科学者たちは、やがて、地上に人間が増え始めると、最も美しい娘たちを、自分たちの妻にするようになりましたので、古代のイスラエル民族というのは、エロヒムの直系子孫なのです。
そして、地球に核ミサイルが発射されて地球の創造物が抹殺されることを予め知ったルシファーは、「ノアの箱舟」と呼ばれた宇宙船の中に、地球の生命を保存し、大災害が続いている間、地上から何千キロも離れた上空で保護しました。
大洪水後、ノアたちや地球の生命が再び地上に蘇ることになったのは、ルシファーたちのお陰なのです。
ルシファーたちは、大洪水後、ノアたち人間が、文明を築いていけるように、ある期間まで地球に留まり、農耕、鍛冶・冶金、医学・薬学、気象学・天文学、文字の書き方など、様々な基礎知識を人間たちに授けていきました。
このように、地球に来ていたエロヒムの科学者たちの中の代表的なリーダーがルシファーであり、ルシファーの存在は、私たち人類と切っても切れない、深く密接な関係にあります。
宗教の語源は、ラテン語の「religio」であり、「再び結びつける」という意味だとのことですが、創造者であるエロヒムと人間を「再び結びつける」のが宗教であり、その象徴として、世界各地に「生命の樹」(命の木)が見られます。
「生命の樹」は、天上界のエロヒムと地上界の人間を結ぶものであり、「生命の樹」と深い関係にあったルシファーもまた、両者を固く結ぶ絆的存在でもありました。
数千年も前の古代の諸民族が、ほとんど例外なく、彼らの祖神として「蛇」を信仰していたルーツにあるのは、「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰なのです。
地球の全生命の創造主はエロヒムであり、宗教における「神」というのはエロヒムなのですが、エロヒムの代表的リーダーであったルシファーのシンボル「蛇」は、世界各地で普遍的な形で信仰されるようになりました。
そして、東洋においては、龍(ドラゴン)という伝説上の生き物を生み出す元にもなり、仏教の中では竜王として取り入れられ、仏法の守護神ともなっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
参考文献
ラエル 『真実を告げる書』 無限堂
ラエル 『地球人は科学的に創造された』 無限堂
龍(ドラゴン)のルーツは、ルシファー(蛇)へのナーガ信仰
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★龍(ドラゴン)のルーツは、ルシファー(蛇)へのナーガ信仰
ヒンズー教のシヴァ神が首にコブラを巻いた姿で描かれたりするルーツは、
ルシファーへのナーガ(蛇)信仰
ルシファーは、地球に来ていたエロヒムの科学者たちの中の代表的なリーダーであり、龍(ドラゴン)のルーツにもなっています。
龍(ドラゴン)という、架空の生き物が信仰されるようになったルーツは、「蛇」をシンボルとするルシファーへのナーガ信仰なのです。
ナーガとは、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは、蛇神のことですが、ナーガ信仰のルーツは、ルシファーなのです。
仏陀が「悟り」を開く時には、ナーガが守護したとされ、仏教に竜王として取り入れられて以来、ナーガは仏教の守護神ともなっています。
仏陀の母親である摩耶夫人(まやぶにん)が仏陀を身ごもった時、天から六本の牙を持つ白象が右脇から胎内に入る夢を見たと伝えられています。
白象はナーガと言いますが、ナーガとは元々はサンスクリット語で「蛇」を表す言葉であり、「蛇」はルシファーのシンボルでもありました。(*)
イエス・キリストの実の父親がヤーウェであり、地球人の女性マリアとの間に生まれたハーフであったように、仏陀もまた、エロヒムと地球人の女性摩耶夫人(まやぶにん)との間に生まれたハーフであり、仏陀の実の父親は、ルシファーでした。
そして、仏陀が菩提樹の下で開いた「悟り」というのも、四九日間瞑想して得られたものではなく、実際には、その間、エロヒムの不死の惑星に連れて行かれて、地球の真実を教えられ、奥義を伝授されたのです。
この時、仏陀を導いたのが、実の父親であるルシファーであり、仏陀生誕、そして仏教の誕生は、ルシファーの存在抜きにして語ることは出来ません。
インド神話に起源を持つナーガ信仰や、世界各地の蛇信仰のルーツは、ルシファーであり、ヒンズー教のシヴァ神が首にコブラを巻いた姿で描かれたりするのも、そのルーツは、ルシファーなのです。
そして、「蛇」をシンボルとする、ルシファーへのナーガ信仰が、やがて、龍(ドラゴン)という架空の生き物を生み出すことになり、龍神信仰へと繋がっていきます。
龍(ドラゴン)の起源は中国だとされていますが、そのルーツにあるのは、ルシファーへのナーガ信仰であり、龍(ドラゴン)もまた、ナーガと呼ぶようです。
元々インドにおけるナーガ信仰の蛇は、コブラだったようですが、コブラのいない中国に伝わってから、やがて、龍(ドラゴン)という伝説上の生き物を生み出すことになったようです。
何れにしても、龍(ドラゴン)という、伝説上の架空の生き物が世界各地で信仰されるようになったのは、「蛇」をシンボルとする、ルシファーへのナーガ信仰がルーツなのです。
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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
参考文献
(*)戸来優次『[謎解き]聖書』 徳間書店
ラエル『真実を告げる書』 無限堂
ラエル『地球人は科学的に創造された』 無限堂
遺伝子(DNA)の二重らせんと、ルシファーのシンボル「蛇」の関係
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★遺伝子(DNA)の二重らせんと、ルシファーのシンボル「蛇」
ギリシャ神話の神ヘルメスが携える杖カドゥケウス
エロヒムが、「神」という概念と結び付き、「大宇宙意識(無限)」と混同して捉えられるようになった大きな要因は、エロヒムが遺伝子を操作して死と再生を司り、不死の生命、永遠の生命を操ることが出来たからなのです。
生命操作技術に習熟して、生命を自由に操ることが出来たエロヒムは、「神」と同等の存在として崇められ、「大宇宙意識(無限)」と結び付いたのです。
エロヒムは、生命を操作して人間を不死にすることが出来るとともに、エロヒム自身もまた、不死の特権を得て何千年・何万年も生きる存在だったので、当時の地球人から見れば、「神」と同等の存在として崇められたのです。
「神」になれる条件とは、生命を操り、不死になれるということでもあり、不死の特権を得ていたエロヒムは、「大宇宙意識(無限)」と結び付くことになったのです。
そして、死と再生の秘密、不死の生命の秘密は、遺伝子(DNA)にあり、DNAは二重らせん構造をしています。
死と再生の秘密、不死の生命の秘密が隠されている、遺伝子(DNA)の二重らせん構造は、しばしば、二匹の蛇がらせん状に絡まった姿で象徴されています。
これは、ルシファーのシンボルが「蛇」であった為で、ルシファーは、地球に来ていたエロヒムの科学者たちの中の代表的なリーダーの一人でした。
遺伝子(DNA)を操作して生命を操り、死と再生を操ることが出来たルシファーは、遺伝子(DNA)の二重らせん構造を表す、二匹のらせん状に絡み合った蛇とも関係しており、世界各地にこのシンボルが見られます。
シュメール時代のグデア王の奉納の壺や、唐代の伏犠と女媧の図、古代ギリシャの死と再生の神ヘルメスが持っていた二匹の蛇が絡む蛇杖など、二匹の蛇がらせん状に絡み合ったシンボルのルーツは、ルシファーなのです。
「蛇」がシンボルでもあったルシファーが、二重らせん構造を持つ遺伝子(DNA)を操って死と再生を司り、不死の生命を操ることが出来たことに由来しています。
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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
遺伝子で不死の生命を操るエロヒムは、神と結び付いた
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★遺伝子で不死の生命を操るエロヒムは、神と結び付いた
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光る円盤で天空から飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められるようになり、エロヒムの光る円盤は、太陽とも同一視されるようにもなりました。
そして、遺伝子を操作して死と再生を司ることが出来たエロヒムは、沈んでは昇る周期を繰り返して死と再生のシンボルでもあった太陽と同一視されるようになるとともに、「神」という概念とも結び付くことになりました。
あらゆる宗教の根源には、永遠の平安を得て永遠の生命を得たいという、人間が持つ根源的な願望があるかと思いますが、それを実現させる力を持っていたエロヒムは、「神」という概念と結び付くことになったのです。
地球の全生命の創造主であるエロヒムは、地球に対しては「全能」であり、光る円盤で天空から飛来して来て、死と再生を司って生命を操り、不死の生命、永遠の生命も操ることが出来たエロヒムは、神(天)という概念と結び付き、「大宇宙意識(無限)」とも結び付いて考えられるようになったのです。
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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
光る円盤で飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められた
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★光る円盤で飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められた
エジプトの太陽神ラーなどに描かれる、翼を持った太陽「有翼日輪」とは、エロヒムの宇宙船(UFO)のこと
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エロヒムは、光る円盤、即ち、宇宙船(UFO)に乗って天空から飛来して来ましたので、やがて、天空神として崇められるようになりました。
かつて、何千年も前の時代には、エロヒムの宇宙船が、人々の前に姿を見せていた時代があり、光る円盤に乗って天空から飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められ、天空の持つ「無限」性、超越性とも結び付いて考えられるようになります。
モーゼの時代には、エロヒムの宇宙船が、「火の柱、雲の柱」として、昼となく夜となく、モーゼたちを導いていったことが記されています。
また、モーゼがシナイ山の山頂で「十戒」が書かれた石板を受け取る時には、民衆が見守る中で、エロヒムの宇宙船をシナイ山の山頂に着陸させています。
そして、モーゼの兄のアロンや、イスラエルの70人の長老たちに、山頂近くまで登ってくるように命じて、この歴史的イベントに立ち会わせています。
ヤーウェが乗ったエロヒムの宇宙船は、聖書の中では、「主の栄光」と呼ばれたりしていますが、何千年も前の時代の人々にとっては、光る円盤に乗って天空から飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められる存在でもあったのです。
我が国・日本を始め、エジプトや世界各地には、太陽信仰が見られますが、太陽信仰とエロヒムとは密接に関わっており、エロヒムの光る円盤(UFO)は、太陽と結び付けて考えられるようになりました。
エジプトの太陽神ラーは、翼を持った太陽、即ち、「有翼日輪」として描かれたりしますが、翼を持った太陽とは、エロヒムの光る円盤(UFO)のことなのです。
エロヒムの宇宙船(UFO)は、日本においても、天磐船、天鳥船、天浮舟などの表現で表されています。
古事記では、国生みの最初の場面が、イザナギとイザナミの二神が、天浮橋に立ち、天沼矛を下してかき回してから引き上げたところ、沼矛から滴り落ちた潮水が積り重なってオノゴロ島が出来た所から始まっています。
エロヒムの宇宙船(UFO)は、仏教においては、「天蓋」、「輪宝」として表現されていますし、キリスト教の絵画を始め、世界各地で様々に描かれています。
光る円盤、即ち、宇宙船(UFO)で天空から飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められるようになり、エロヒムの光る円盤は、太陽とも同一視して考えられるようになりました。
そして、高度な遺伝子工学により生命を操って死と再生を司り、不死の生命、永遠の生命も操ることが出来たエロヒムは、死と再生のシンボルとも言える太陽とも同一視されるようになりました。
沈んでは昇る周期を繰り返しながら、地上の生命に恵みをもたらす太陽は、死と再生のシンボルでもあり、死と再生を司ったエロヒムと同一視されたのです。
光る円盤で天空から飛来して来て、死と再生を司ることが出来たエロヒムは、太陽と同一視されるようになり、太陽信仰とも結び付くことになるのですが、天空の持つ「無限」性、超越性とも結び付き、神(天)という概念とも結び付くことになりました。
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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
うまくいく・うまくいかないという思考形態から抜けてみる
多くの人は、うまくいく・うまくいかないということに囚われています。
しかし、うまくいく・うまくいかないという思考形態から抜けてみることが大切だと思います。
「うまくいく」ということが、多くの人にとっての大きな関心事になっており、巷の書店などにも、「うまくいく」ということに関連した本がたくさん出回っています。
しかし、「うまくいく」ということに囚われている人たちのほとんどは、「うまくいく」とはどの視点から見てのことなのか、そして、「うまくいく」とはどの時点でのことなのかを全く考えていないとも言えるかも知れません。
「うまくいく」とか「うまくいかない」という言葉をよく耳にしますが、「うまくいく」とは、どの視点から見て「うまくいく」ことなのか、そしてまた、どの時点において「うまくいく」ことなのかは、全く意識されていないと感じます。
「うまくいく」とか「うまくいかない」ということに囚われているのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)です。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分なので、近視眼的なものの見方しかできず、全てのものごとを幸・不幸、運・不運と捉えて大騒ぎしています。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、何が自分にとって高い目的に叶った最善のことなのかはよく分かりませんし、未来のこともよく分からないのです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では「うまくいっている」と感じていることであっても、それが本当に自分の高い目的に叶った最善のことなのかは分かりませんし、もっと後になって長期的な視点で見た時に、それが本当に「うまくいっている」ことなのかどうかも分かりません。
それとは逆に、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では「うまくいっていない」と感じていることであっても、それが本当に自分の高い目的から見て「うまくいっていない」ことなのかは分かりませんし、もっと後になって長期的な視点で見た時に、それが本当に「うまくいっていない」ことなのかどうかも分からないのです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分であり、近視眼的なものの見方しかできないので、全ての物事を幸・不幸、運・不運と判断して大騒ぎしているだけなのです。
ですから、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が感じている「うまくいく」とか「うまくいかない」ということにあまり囚われる必要はありません。
うまくいく・うまくいかないという思考形態から抜けることが大切だと思います。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である魂です。
自分の人生の全ては、真我である魂が、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなので、魂の進化にとって最善の出来事の連続なのです。
ただ、そのことが肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、なかなか分からないだけなのです。
自分の人生の主体者・創造者であり真我である魂は、鳥瞰図(ちょうかんず)という言葉があるように、大空を飛ぶ鳥のような、大所・高所から全ての物事を見ています。
そして、未来は100パーセント確定していますので、真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしているのです。
真我である魂から見れば、今の自分は決して「うまくいっていない」訳ではなく、予定通りに「うまくいっている」のです。
多くの人たちは、未来は確定しておらず、白紙の未来があるかのように勘違いしています。
しかし、未来は100パーセント確定していますので、時間の流れというものも、敢えて言うならば、未来からやって来ているのです。
時間は流れている訳ではないのですが、敢えて時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
これから白紙の未来が作られていく訳ではなく、未来は100パーセント確定していますので、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に作り出されているだけなのです。
原因があって結果があるというより、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが作りだされているのであり、順番が逆なのです。
このことがはっきり分かるようになると、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では「うまくいかない」ことも、次なる場面のプロセスであり、本当は「うまくいっている」ことなのかも知れないと感じられるようになります。
仕事や人間関係が「うまくいかない」ように感じられたとしても、そのことは本当は「うまくいっている」ことなのかも知れません。
仕事や人間関係などが「うまくいかなくなる」ことで、次なる場面が出てくるのです。
仕事や人間関係というのは、全てご縁が決まっていますので、一生のお付き合いになるご縁も、もちろん一部にはありますが、全てのご縁が、一生のお付き合いになるご縁ではありません。
終わるご縁は終わりますし、ご縁が終わる時には終わらせることも大切です。
仕事や職場、人間関係、特に男女の恋愛関係なども、「うまくいく」ということにあまり囚われる必要はありません。
「うまくいかない」からこそ、次なる場面が現れるのです。
未来は100パーセント確定していますので、次なる場面が必ずあるのです。
次なる場面に進む為に、今ある場面を終わらせる必要があるということは、よくあります。
人生が変わる時や節目の時には、よくこのようなことが起こります。
未来は100パーセント確定しており、次なる場面に進むために、今ある状況が「うまくいかなく」なり、会社や仕事をやめたり、人間関係を終わらせたり、男女の恋愛関係に別れが訪れたりします。
しかし、だからこそ、次なる場面が現れるのです。
新しい場面に進む為には、今ある場面を終わらせる必要がある時には、よくこのようなことが起こります。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、そのことが分からないので、不幸・不運と決めつけて、「うまくいかない」と大騒ぎしています。
しかし、自分の人生の主体者・創造者であり、真我である魂から見れば、最善のことが起きており、高い視点から見れば「うまくいっている」のです。
真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしていますので、真我である魂から見れば、ちゃんと「うまくいっている」のです。
「うまくいく」とか「うまくいかない」というのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見た視点でしかありません。
未来は100パーセント確定していますので、次なる場面が必ずあるのです。
次なる場面に進む為には、今ある場面が「うまくいかなく」なり、今ある場面に終止符を打つことになることは、よくあることです。
このことが分かるようになると、うまくいく・うまくいかないという思考形態から抜けることが出来るようになります。
飛鳥(明日香)は阿波の国に代わり日本のルーツとして表舞台に立った聖地で霊峰富士と繋がっている
拙書『花咲く都・黄金文明』より
★富士と飛鳥(明日香)
飛鳥(明日香)のシンボルともされる石舞台
元々、阿波の国にあった大和朝廷は、奈良の大和地方に政権基盤を移し、奈良の大和が中心地となる時代を迎えるのですが、その後、古事記や日本書紀が編纂される時に、阿波の国のルーツは封印されてしまい、奈良の大和が日本建国のルーツを担って、日本の原点として歴史の表舞台に登場することになります。
大和の中心には飛鳥(明日香)がありますが、飛鳥(明日香)が果たした役割は、とても大きいと言えるかも知れません。
霊(ひ)ノ元・日本の象徴である霊峰富士と、飛鳥(明日香)とは深い繋がりがあり、霊的に深く結び付いています。
飛鳥(明日香)のシンボルとも言える、石舞台の近くに、「日本の飛鳥から世界の飛鳥へ」という世界遺産登録を目指したキャッチフレーズが掲げてあるのを、旅の途中で目にしたことがあります。
もちろんこれは、あくまでも観光地としての飛鳥のことなのですが、実は、飛鳥(明日香)という空間には、「日本の飛鳥(明日香)から世界の飛鳥(明日香)へ」と言ってもいいような、深い霊的な意味での役割のようなものがあります。
人類の黄金時代の扉を開き、至福千年王国の中心地となる日本の原点、建国の地としての役割を担う為に、太古の昔からエロヒムが用意していた特別な聖域が、飛鳥(明日香)であるような感じがします。
大和朝廷が、日本の原型である阿波の国から、奈良の大和へと遷都し、阿波の国にあった日本の原型を封印したことにより、奈良の大和が日本の原点としての役割を担い、歴史の表舞台に立ってくれたのです。
そのことにより、日本の原型・阿波の国は、歴史の表舞台から消えることが出来、天皇家の出自の秘密は封印されて、日本の国は守られてきました。
日本の原型である阿波の国を封印して、天皇家の出自を隠し、日本を外敵から守る役割を果たしてくれた聖地が、飛鳥(明日香)という空間なのです。
富士の夜明け、日本の夜明け、地球・世界の夜明けを迎える上で、飛鳥(明日香)という空間に秘められた働きが必要になります。
「あすか」とは、飛鳥とも、明日香とも書きます。
明日の香りに向かって飛ぶ鳥、それが飛鳥(明日香)なのかも知れません。
飛鳥(明日香)という空間は、今、長い年月の眠りから目覚め、蘇り、その本来の役割を果たす時を迎えています。
飛鳥(明日香)に秘められた封印が開かれ、飛翔する時を迎えています。
飛鳥(明日香)とは、21世紀に人類の意識が飛躍的進化を遂げ、新たな黄金文明を迎える時、その中心的役割を果たす日本人の霊性が蘇り、花開く時に現れて来る、聖なる空間のことです。
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拙書『花咲く都・黄金文明』より
阿波の国・徳島と四国にかけられた封印が開かれる時
拙書『花咲く都・黄金文明』より
★阿波の国・徳島と四国にかけられた封印が開かれる時
弘法大師・空海が四国(死国)を封印し高野山を開いたことで日本は守られてきた
かつて日本の原型であり、中心地であった阿波の国は、封印されてしまい、歴史の表舞台から姿を消すことになりました。
そして、阿波の国にある、「失われたアーク」伝説の剣山に、弘法大師・空海が四国八十八箇所霊場を開いて結界を張り巡らせたことにより、四国そのものも、「死国(しこく)」として封印されることになりました。
空海が高野山を開いたことにより、「四国(死国)」は、ますます注目されなくなりましたが、日本の原型である阿波の国と四国が封印されたことによって、日本は今まで守られてきたのです。
弘法大師・空海が果たした役割は、とても大きなものがあったのかも知れません。
今、阿波の国・徳島と四国にかけられた封印が開かれ、蘇る時を迎えています。
それは即ち、奈良の大和の蘇りの時でもあると言えるかも知れません。
そして、奈良の大和の中心である飛鳥(明日香)が蘇る時でもあるのです。
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拙書『花咲く都・黄金文明』より
阿波の国・徳島は日本の原型であったが意図的に封印されて歴史の表舞台から姿を消した
拙書『花咲く都・黄金文明』より
★阿波の国・徳島は日本の原型
阿波の国の別名であるオオゲツヒメを祀る上一宮大粟神社(神山町神領)
古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠るとされる剣山に、弘法大師・空海が四国八十八箇所霊場を開いて結界を張り巡らせたことにより、四国は「死国(しこく)」として封印されることになりました。
そして、剣山がある阿波の国・徳島も、それ以前の時代に封印されて、歴史の表舞台から姿を消しており、代わりに表舞台に現れるのが、奈良の大和地方のようです。
大和心・大和魂・大和民族・大和の国と言うように、私たち日本人や日本国を表す「大和」という言葉は、元々、奈良の大和地方を表す言葉だったようですが、奈良の大和地方が歴史の表舞台に登場する前の、原型のようなものが阿波の国・徳島にあり、それが封印されてしまったようです。
阿波の国・徳島は、日本の原型とも言える場所のようです。
古事記では、オノゴロ島に降り立ったイザナギとイザナミが、最初に生んだ所が、淡路之穂之狭分島(あわぢのほのさわけのしま)(淡路島)であり、次に生んだのが、伊予之二名島(いよのふたなのしま)(四国)でした。
その次に、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、畿内の順番で、大八島を作ったとされています。
古事記に書かれた国生み神話の範囲は、四国・九州・畿内などに限られており、最初に淡路島、次に四国を生んだと書かれていることからも、四国が最も古い歴史を有していると考えられます。
剣山がある阿波の国・徳島は、古事記では粟国(あはのくに)と呼ばれ、別名を大宣都比売(おおげつひめ)と言いますが、大宣都比売(おおげつひめ)は、粟・稗など五穀を司る食物の神とされています。
「アワ」とは、日本語五十音の「ア〜ワ」行にも通じるものがあり、「アワ」とは、かつては太陽を意味する言葉でもあったようですので、「アワの国」とは、「太陽の国」でもあり、太古の昔は日本の中心地でもあったのかも知れません。
「淡路」という言葉は「アワへの路」とも感じられます。
また、「アワ」という言葉は、淡路島と阿波の国との間にある鳴門海峡の「泡」、即ち、鳴門海峡の渦巻きをも連想させます。
阿波の国・徳島は、天皇家とも繋がりがあります。
新しい天皇が誕生した時に行われる重要な儀式「大嘗祭」では、「アラタエ」と呼ばれる、麻で出来た神衣が用いられますが、その麻を栽培しているのが、木屋平村にある三木家であり、忌部氏の末裔であるとされています。
「大嘗祭」で使われる麻が、忌部氏の子孫である三木家によって作られてきたということからも、天皇家と阿波の国・徳島との関係性を窺い知ることが出来ます。
三木は「三ッ木」が語源であり、「ヒツギ」が訛ったものだとも言われています。
皇太子のことを日嗣皇子(ヒツギノミコ)と言い、皇位のことを天津日嗣(アマツヒツギ)と言いますが、そのこととも関係しているのかも知れません。
また、「ヒツギ」とは、「契約の櫃(ひつぎ)」と関係している可能性もあります。
三木家のある木屋平村から穴吹川を下った、隣町の穴吹町には白人神社があり、そのすぐそばの神明神社には、古代ユダヤと同じような、石造りの磐境があります。
かつてのイスラエル駐日大使であったエリ・コーヘン氏が、調査の為にこの磐境を訪れている様子が、テレビ番組で放送されたことがあります。
コーヘン氏は、その形や大きさを見てユダヤの礼拝所と同じであることに驚愕し、近辺に「アーク(聖櫃(せいひつ))」もある筈だと語ったそうです。
忌部神社で祀られている御祭神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)が、天磐船に乗って種穂山に降り立ち、麻と梶、粟など五穀の種を授けたと言われています。
天日鷲や天磐船という言葉は、エロヒムの宇宙船をイメージさせる言葉です。
阿波の国一宮である大麻比古神社は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の祖先とされる天太玉命を大麻比古大神として祀っていますが、神武天皇の時代に、忌部氏が麻や梶を植えて阿波の国の産業を開拓していったことと関係があるようです。
忌部神社の御祭神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、「麻植(おえ)の神」として神徳を称えられたとのことで、種穂山がある場所は、麻植(おえ)郡という地名になっています。
神棚にお祀りする、伊勢神宮の神札を神宮大麻と呼びますが、神道と麻とは関係があります。
伊勢神宮の御祭神は、皇室の祖神・天照大御神であり、新しい天皇が誕生した時に行われる重要な儀式「大嘗祭」で用いられる麻が、忌部氏の末裔である三木家によって、木屋平村で代々作られてきたことからも、天皇家と阿波の国・徳島との古くからある繋がり・関係性を窺い知ることが出来ます。
剣山の登山口がある見ノ越から、徳島市方面へ東に下った所が、三木家のある木屋平村であり、その隣が神山町です。
神山町や木屋平村、その周辺地域には、古代ロマンが息づいています。
神山町の中心部は神領という地名ですが、神山町神領という地名そのものが、何かを暗示しているような感じさえあります。
かつて、神山町は「大粟」と呼ばれていたようなので、「アワ」が太陽をも意味していたとすれば、「偉大なる太陽」を意味する聖域だったのかも知れません。
神山町神領には、粟国の別名である大宣都比売(おおげつひめ)を祀る、上一宮大粟神社がありますが、上一宮大粟神社は、阿波の国一宮にもなっています。
古事記では、大宣都比売(おおげつひめ)はスサノオに殺されてしまいますが、その時に、大宣都比売(おおげつひめ)の体から、粟や稲など五穀の種が生まれたとして、五穀の起源が書かれています。
私は、大宣都比売(おおげつひめ)が殺されたという表現の中には、阿波の国が封印されたということも暗示されていると思います。
神山町神領にある高根山悲願寺は、邪馬台国の女王・卑弥呼の居城だったという説もあります。
神山町との境界線に割と近い、徳島市の気延山には、天石戸別八倉比売(あめのいわとわけやくらひめ)神社がありますが、神社の背後にある祭壇が、卑弥呼の墓だとも言われています。
天石戸別八倉比売(あめのいわとわけやくらひめ)神社の御祭神は、オオヒルメであり、天照大御神の別名になります。
天石戸別八倉比売(あめのいわとわけやくらひめ)神社は、由緒書きによると、御神格は正一位、延喜式内明神大社となっており、阿波の国一宮でもあります。
小高い山の頂上付近にひっそりと佇んでいますが、大昔は、大麻比古神社、忌部神社と並んで、阿波の国で最も格式の高い神社だったようです。
また、剣山登山口の見ノ越から、北の方へ峠を下りた、つるぎ町一宇には、天磐戸神社があり、忌部神社の摂社であったとされています。
奥の院は、巨岩の岩戸で、岩戸のすぐ下には、神楽岩と呼ばれる大きな石があり、表面が平らで、畳十数畳程の広さがありますので、舞を踊ることが出来ます。
かつては、神代の時代から岩戸神楽が奉納されてきましたが、岩磐の上で舞う神楽は、日本唯一のものだとのことです。
古事記の中では、天岩戸開きの場面で、天香具山の真男鹿の肩など、天香具山で取れたものの名前が数回立て続けに出てきますので、天岩戸開きの舞台が大和三山の一つである天香具山であるかのような印象を受けてしまいますし、天香具山の麓には、天岩戸神社も建てられています。
九州の高千穂にも、岩戸伝説があり、天岩戸神社がありますが、古事記に書かれている天岩戸開きの舞台は、阿波の国・徳島が原型なのかも知れません。
神山町の元山には、天岩戸立岩神社があり、巨岩のイワクラが御神体となっています。
拝殿には、阿波古事記研究会の説明板が掲げられており、「阿波国風土記」の一節が紹介されています。
「空よりふり下りたる山の大きなるは
阿波の国にふり下りたるを、天の元山といい
その山のくだけて、大和の国にふりつきたるを
天香久山というとなんもうす」(「阿波国風土記」)
説明板には、「阿波国の風土記に書かれるように奈良県の香久山の天岩戸神社には、当神社の御神体と同形の御神体が天岩戸として祀られています」と書かれています。
つまり、阿波の国の元山が「元」であり、それが分かれて大和の国の天香具山になったということなのですが、これは、奈良の大和のルーツが阿波の国・徳島であることを表しています。
古事記に書かれている天岩戸開きの神話も、伝説の舞台は阿波の国・徳島にあるのかも知れません。
古事記では、日本の国生みはイザナギ・イザナミの二神によって行われたとされていますが、イザナミを社名とする式内社は、美馬郡にある伊射奈美神社一社しか全国に無いというのも、興味深いものがあります。
阿波の国には、日本の原型となるものがあり、かつては「太陽の国」をも意味する中心地であったようですが、それが意図的に封印されてしまい、歴史の表舞台から姿を消してしまったようです。
阿波の国にあった大和朝廷は、忌部氏などが天皇家と協力して、奈良の大和に遷都したようで、地名にも共通するものが多く残っているようです。
奈良の大和のルーツは、阿波の国・徳島にあるということなのです。
その後、古事記・日本書紀など日本の歴史が編纂される時に、阿波の国にあったルーツは封印され、歴史の表舞台から消えてしまったのです。
そこまでして、阿波の国を封印しなければならなかった理由は、やはり、天皇家と古代ユダヤとの間に、深い繋がりがあるからなのかも知れません。
天皇家が、古代ユダヤの最も正統な血筋・霊統を受け継いでいることや、秘宝「契約の箱」が剣山に隠されている、というような秘密が外国に知られてしまったら、外国から侵略される危険が生じてきたので、外敵から自国や秘宝を守る必要に迫られて、天皇家の出自を封印したのかも知れません。
「敵を欺くには、まず味方から」ということだったのかも知れません。
何故、「イスラエルの失われた十支族」が歴史上から消息を絶って、三千年近く経った今でも行方が分からなくなっているのかということとも、関係がありそうです。
「イスラエルの失われた十支族」によって大和朝廷が誕生し、かつては阿波の国が元であり、ここが中心だったのですが、大和朝廷が阿波の国を封印して歴史の表舞台から消してしまったからなのです。
大和朝廷の勢力図がまだ日本全体に及んでいない早い段階で既に、「イスラエルの失われた十支族」によって建国された日本の原型である阿波の国は、国内的にも封印されてしまったのです。
そして、東洋の一番東にある島国・日本の中で、悠久の時の中に「消滅」していき、行方が分からなくなったのです。
古代ユダヤ民族にとっての「ユートピア」である「東方の日出る国」を目指して旅した「イスラエルの失われた十支族」は、東洋の一番東にある最果ての地、島国・日本の中で封印され、歴史上から姿を消していったのです。
そして、これは、エロヒムの大いなる計画なのです。
太古の昔、阿波の国と、中東とを結ぶルートは、大陸のシルクロード経由だけではなかったかも知れません。
神山町と徳島市との境界近くにある、神山町歯の辻には、船盡(ふなはて)神社という、不思議な名前の神社があり、鮎喰川を挟んだ対岸には、船盡比売(ふなはてひめ)神社があります。
私が土地の古老から聞いた話では、船盡比売(ふなはてひめ)神社が遥拝所であり、昔は雨で増水すると対岸に渡れないので、ここから船盡(ふなはて)神社を遥拝していたとのことでした。
船盡(ふなはて)神社には、謎の古代文字で書かれた二本の幟(のぼり)「トウカミエヒタメ」と「スエキアワカミ」が伝わっています。
「船盡(ふなはて)」とは、「船が盡(つき)る」ということであり、ここが古代における大陸からの船の終着場であったとも考えられています。
鮎喰川は、徳島市内の河口近くで吉野川に合流する、大きな河川であり、古代、大陸からの大きな船は、ここまで入ることが出来たようです。
かつてソロモン王が貿易の時に使っていたタルシシュ船が、船盡(ふなはて)の地まで来ていたと考える地元の研究家もあります。
ソロモン王は、タルシシュ船と呼ばれる大規模な船団を組んで交易を行っており、インドまでは来ていたようですが、さらに東の日本にも来ていたのかも知れません。
詳しいことは分かりませんが、阿波の国に日本の原型があった時代、大陸からの船の最終到着地が船盡(ふなはて)の地となっていたようです。
何れにしても、日本の原型である阿波の国・徳島は封印されてしまい、歴史の表舞台からは姿を消してしまうことになりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『花咲く都・黄金文明』より
「失われたアーク」伝説の剣山と、封印された四国(死国)
拙書『花咲く都・黄金文明』より
★「失われたアーク」伝説の剣山と、封印された四国(死国)
古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠るとも言われる四国・徳島の剣山
古代ユダヤの秘宝「契約の箱」は、「失われたアーク」伝説として、ハリソン・フォード主演の映画「レイダース 失われたアーク」にも登場しましたが、四国の剣山に眠っているという、古くからの言い伝えがあります。
「ノアの箱舟」が、アララト山の上に着いたとされる、ユダヤ暦の7月17日、古代イスラエルにおいては、「シオン祭」で巡行の祭りが行われ、古代ユダヤの聖なる記念日を盛大に祝っていました。
そして、数千キロ離れた日本の京都では、数千年経った今でも、グレゴリオ暦の7月17日に祇園祭の山鉾巡行が行われて、古代ユダヤの聖なる記念日を盛大に祝っています。
そして、四国・徳島の剣山においても、7月17日に剣山神社本宮大祭が行われ、お神輿を剣山山頂まで運ぶ儀式が行われますが、お神輿は「契約の箱」がモデルだとも言われています。
剣山は、人口の山とも言われており、山頂には、宝蔵石と呼ばれる巨大な石があり、山頂付近には、鶴石と亀石と呼ばれる巨石もあり、不思議な感じがする山です。
剣山は、「鶴亀(つるぎ)」山にも通じるものがあり、鶴(日本)と亀(ユダヤ)とのハーモニーが織り成す、とても重要な聖地なのかも知れません。
弘法大師・空海が、四国八十八箇所霊場を開いたのは、剣山に人が近付かないように結界を張り巡らせたのだとも言われており、札所からは剣山が見えないように配慮されているようです。
四国は、「死国(しこく)」として封印される運命にあったようです。
そして、剣山がある阿波の国・徳島には、日本の原型のようなものがあったようです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
拙書『花咲く都・黄金文明』より
東京オリンピックの後の2020年代が地球の大変革の本番であり、2030年代に花咲く都・黄金文明が日本から花開く
ちょうど新しい年である2016年(平成28年)が幕開けしましたが、今年はどのような年になるというような、予言めいた話はしたくなかったので、敢えて何も書いていませんでした。
ただ、ちょっと感じるところがあったので、読者サービスの一環として、今日の記事をアップしておこうと思います。
というのも、私は年が明けるまでは全く知らなかったのですが、昨年末のクリスマス前に、ローマ法王が、2015年は人類にとって最後のクリスマスになるかも知れないというような発言をされたとのことで、そのようなことを真に受けている人たちが、日本人の中にも少なからずいるということが分かり、少し驚いたからです。
結論から先に申しますと、別に昨年2015年が人類にとっての最後のクリスマスでも何でもないので、今年2016年(平成28年)も、もちろん、日本は元より、世界中で多くの人たちがクリスマスを祝うことになるでしょう。
私は例年、12月24日か25日のブログは、イエス・キリストに関係のあるような記事をブログに書くことが多く、昨年12月24日のクリスマス・イブの日にも、イエス・キリストに関連した記事をブログにアップしました。
今年2016年(平成28年)のクリスマスもちゃんとやって来ますので、私はクリスチャンではありませんが、日本人の遺伝子を目覚めさせるための新しい時代のメッセージとして、何かイエス・キリストに関連した記事をアップすることになると思います。
そしてもちろん、来年2017年(平成29年)もちゃんとやって来ますので、私は来年のお正月明けには、新年のご挨拶か何かの記事をブログにアップしている筈です。
今年2016年(平成28年)も、日本は元より世界中で色々なことが起きるかも知れませんが、別にそのようなことは今に始まったことではありません。
毎年毎年、日本は元より世界中で様々な事件や出来事が起きており、それを激動という言葉で表現するならば、毎年毎年が激動の一年です。
そういう意味では、これからも毎年毎年が激動の一年なのですが、だからといって、別に今年の年末にクリスマスを迎えられない訳でもないですし、来年も再来年も、もちろん、クリスマスを迎えることはできます。
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』や『何故、未来は100パーセント確定しているのか』をお読みいただいた読者の方であればご存知だと思いますが、私たち一人ひとりの意識を一番奥深くまで遡っていくと、最終的には、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識までたどり着くことになります。
私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙意識が内在していますので、私たちは意識の一番奥深い部分では、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしているだけではなく、大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。
自分の意識の一番奥深くには、大宇宙の全ての情報があるとも言えますので、敢えて自分の外からの情報に依存しなくても、自分自身の中には、既に全ての答えがあるのです。
拙書『永遠(とわ)の中今』や『魂の夢、光り輝く魂』をお読みいただいた読者の方であればご存知だと思いますし、『自分の中に全ての答えがある‐内的な知り方と外的な知り方』、こちらの記事の中でも一部似たようなことを書きましたが、知るという方法には二通りあり、敢えて外的な知り方に頼らなくても、内的に知ることが可能です。
この感覚を身に付けられるようになると、外の世界で誰かが何かを言っていたとしても、自分の中には大宇宙の全ての情報が内在していることが分かっていますので、誰かが言ったことなどにいちいち囚われることはなくなります。
何故なら、自分自身の中には、大宇宙の全ての情報が奥深く秘められており、自分の中には全ての答えがあるからなのです。
どこかの有名な先生が何を言おうと、聖者や教祖と呼ばれる人たちが何を言おうと、例えそれがローマ法王だったとしても、それが正しいかどうかの本当の答えは、自分自身の内面奥深くにちゃんと用意されていることが分かるからなのです。
そういう訳で、例えローマ法王の発言だったとしても、別に昨年2015年のクリスマスが、人類にとっての最後のクリスマスという訳でも何でもないので、今年もちゃんとクリスマスはやって来ますし、来年2017年(平成29年)のお正月もちゃんとやって来ます。
ここまで書いてしまいましたので、せっかくですから、もう一つお伝えしておこうと思います。
西暦2020年の東京オリンピックの後の西暦2020年代が、地球の大変革の本番であり、良い意味でも悪い意味でも、地球の大変動が加速する時期になります。
そして、私たち日本人が本領を発揮する時であり、日本人の真価が問われる時でもあります。
何故なら、西暦2030年代のいずれかの時期に、地球の黄金時代の扉が日本から開かれることになるからです。
早ければ西暦2030年頃、遅くとも2040年までの間のいずれかの時期に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、地球は黄金時代を迎えることになります。
キリスト教の世界で言われる、至福千年王国のことでもあり、地球は宇宙時代を迎えることになります。
そして、地球の黄金時代の扉を開くのは、私たち日本人なのです。
地球の黄金時代の扉が開かれるのは、2030年代のいずれかの時期であり、おそらく、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後になると思います。
ですから、2020年の東京オリンピックの後の十余年が、日本人の遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時であり、私たち日本人が大和心・大和魂を発揮して、地球の新しい時代の幕開けをもたらす時期となるのです。
有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面であり、2030年代のいずれかの時期に、私たち人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えることになります。
ですから、2020年代が、新しい地球の誕生を迎えるための最後の総仕上げの時期であり、総真釣り(総決算)の時期になりますので、良くも悪くも、大変動が加速する時期なのです。
全ては、2030年代のいずれかの時期に到来する新しい地球の誕生に向かって動いていますので、心配しなくても、今年も来年も再来年も、クリスマスはやって来ますし、お正月もまたやって来ます。
私たちは、想像だにない新しい世界へと向かっているのであり、全てはそのためなのです。
そして、地球の黄金時代の扉を開くのは、私たち日本人なのです。
西暦2030年代のいずれかの時期に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、人類は黄金時代を迎えることになります。
キリスト教の世界で言われる至福千年王国のことであり、地球は宇宙時代を迎えます。
そのことについては、拙書『花咲く都・黄金文明』の中にはっきりと書いてありますので、ぜひご参照いただけると幸いです。
自らが持つ常識・認識・固定観念をどんどん外していくことが心の成長であり、意識の拡張
人は皆、自らの中に様々な常識・認識・固定観念などを持っていますし、自分が信じたい何かを持っています。
しかし、それらはあくまでも、自分の認識でしかないので、心を成長させ、意識を拡張させていく上では、自らの中にある強い思い込み・常識・認識などを、どんどん手放していくことが必要になります。
そして、それは、時には、勇気がいることかも知れません。
しかし、私たち人間一人ひとりの中には、様々な概念が取り込まれていますので、不必要な概念はどんどん手放していくことが大切になります。
私たちがオギャーと生まれた時には、特に何かの概念を持っていた訳ではありませんが、生まれた後で、様々な概念を知らず知らずのうちに取り入れてきました。
最初は家庭において親などから様々な概念を教えられ、それから学校に行くようになると、学校教育でも様々な概念を入れられてきました。
そして、年を重ねるに従って、毎年毎年、テレビやインターネット、書物などを通して、日々膨大な量の情報を取り入れ、自らの中に様々な概念を溜め込んできました。
それらの中には、必要な概念・認識ももちろんありますが、不要な概念も相当あると考えたほうがよいと思います。
世の中に氾濫している情報の中には、単に間違った情報が数多く氾濫しているというだけではなく、マインドコントロールや洗脳のために意図的に流されている間違った情報もありますので、注意が必要になります。
また、特に精神世界やスピリチュアルな世界に関心が高い人は、自分でもよく分かっていない様々な概念を相当溜め込んでいると覚悟したほうがよいと考えます。
宇宙や生命のことを本質的に捉えられるようになると、いわゆる精神世界やスピリチュアル系の世界で語られていることのほとんどが、間違った概念にしか過ぎないことがはっきりと分かるようになります。
人は皆、自分が信じたい何かを持っているものですが、意識の拡張を望むのであれば、特に精神世界やスピリチュアル系の世界にハマっている人は、無知蒙昧な神秘主義に陥ることなく、物事を本質的に捉え、不必要な概念をどんどん外していくことが大切だと思います。
そして、心を無地透明にして、ピュアな心になり、生きているうれしさをやさしく感じられるようになるためにも、自分の中にある強き思い込み・常識・認識をどんどん手放していくことが楽しい流れとなります。
自分の中に様々な強き思い込み・常識・認識があればあるほど、心がいわば透明なガラスではなく曇りガラスのような状態になり、光が差し込みにくくなるからです。
人は皆、自らの中に様々な強き思い込み・常識・認識を持っています。
「〜とはこういうもの」「こうあるべき」「こうあらねばならない」・・・。
家族とはこういうもの、夫とはこういうもの、妻とはこういうもの、親とはこういうもの、子とはこういうもの、兄弟とはこういうもの・・・。
会社はこうあるべき、経営者はこうあるべき、上司はこうあるべき、部下はこうあるべき、同僚はこうあるべき・・・。
恋人はこうあるべき、友達はこうあるべき、親戚はこうあるべき、世間はこうあるべき・・・。
自分自身の中に強き思い込み・常識・認識があればあるほど、心がいわば透明なガラスではなく曇りガラスのような状態になって、光が差し込みにくくなるので、自分の思い込みが強い度合いだけ、人を裁き、その分自分自身が苦しむことになります。
自分の中にあるややこしい思い込みや認識を外せば外した分だけ、心が無地透明でピュアになり、周りの人のありがたさもより感じられるようになり、その人の存在が感謝と感じられるようにもなります。
結局のところ、全ては自分の認識でしかないので、自分自身の中にある様々な思い込み・常識・認識・固定観念などをどんどん手放していくことが、心の成長であり、意識の拡張でもあると言えるのです。
2016年(平成28年)、新年明けましておめでとうございます!
新年、明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
私の住んでいる地域では、正月元旦から、とても暖かな一日となり、春3月を思わせるような陽気で新春を迎えることができました。
こうしてまた新しい年を迎えることができるのは、本当にありがたいことだと、改めて感じます。
そして、毎年毎年、新年を迎える喜びをさらに深く感じられるようになってきたのも、とてもうれしいことだと感じています。
毎年毎年、自分を取り巻く状況は違いますが、それらの出来事に関係なく、年を重ねるにつれて、心がより無地透明でピュアになり、生きているうれしさをやさしく感じられるようになってきたことをうれしく思っています。
昨年は、意識変革の大きな風が吹いた年であり、私自身も意識の拡張・変更を迫られることが多かった年でもありましたが、その分、充実した有意義な一年でもあったと感じています。
今年も、意識変革の大きな風を受けながら、自分の中にある不必要な概念・認識をどんどん外して、より研ぎ澄まされた感性を身に付けていきたいと考えています。
今年の春頃からは、今までとは違った形で、より分かりやすく、日本人の遺伝子を目覚めさせる為の新しい時代のメッセージをお伝えしていこうかな、とも考えています。
本年もご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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