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「イスラエルの失われた十支族」は「ユートピア」である「東方の日出る国」日本に辿り着いた

  • 2016年3月 1日 17:29
  • Posted by Yamatofuji

拙書『花咲く都・黄金文明』より
★イスラエルの失われた十支族

2012-05-06_19-25-34-010suwataisha motomiya.png諏訪大社は古代ユダヤと深く密接なつながりがある(諏訪大社 上社・本宮)


「イスラエルの失われた十支族」と呼ばれる人々がいます。
 今から、三千年程前、古代イスラエル王国では、統一イスラエル王国を樹立したダビデ王の子であるソロモン王が、栄華を極めていました。
 しかし、紀元前931年頃のソロモン王の死後、イスラエル王国は、北王国のイスラエル王国(十支族)と、南王国のユダ王国(二支族)に分裂しました。
 そして、紀元前721年には、北王国のイスラエル王国が滅亡し、そこにいたイスラエルの十支族は、その後、歴史上から消息を絶ちました。

 これが有名な、「イスラエルの失われた十支族」と呼ばれる人々のことです。
 そして、「イスラエルの失われた十支族」は日本に辿り着いたという説があり、日ユ同祖論とも呼ばれています。
 イスラエルに「アミシャブ」という調査機関があり、「イスラエルの失われた十支族」の行方を調査していますが、その有力な候補地の一つが、日本なのです。
「アミシャブ」の代表が、調査の為に来日して、長野県にある諏訪大社に参拝されている様子が、テレビ番組でも放送されたことがあります。
 
 ちなみに、諏訪大社と古代ユダヤには、深い関係があります。
 諏訪大社の御神体山である「モリヤ(守屋)山」というのは、旧約聖書「創世記」に出て来る「イサク伝承」の舞台となった「モリヤ山」と同じ名前であり、諏訪大社の「御頭祭」は、「イサク伝承」と瓜二つです。
 そして、「御頭祭」は、代々「モリヤ(守矢)家」が祭主として行ってきたとのことです。
 また、諏訪大社の上社・本宮には、相撲の土俵が設置されていますが、相撲のルーツは、古代イスラエルに起源があるようです。

 イサクの子であるヤコブが天使と格闘(相撲)して勝ったので、「イスラエル(神と戦い勝った者)」という称号が与えられたのですが、ヤコブを指す言葉として「シュモー」、または「スモウ」というヘブライ語が聖書に書かれており、この辺りの故事がルーツになっているようです。
 こうしてイスラエルの祖となったヤコブの息子たちから、十二の支族が生まれ、その中の、北イスラエル王国にいた十支族が、その後、歴史上から消息を絶って、「イスラエルの失われた十支族」と呼ばれるようになりました。

 また、南ユダ王国(二支族)も、紀元前586年には新バビロニアによって陥落し、首都エルサレムとエルサレム神殿は破壊されてしまいました。
 北イスラエル王国の「失われた十支族」だけではなく、南ユダ王国の一部の人々も、古代ユダヤ民族にとっての「ユートピア」である「東方の日出る国」を目指して、日本に辿り着いた可能性があります。

 大陸からの謎の渡来人である秦氏は、「イスラエルの失われた十支族」ではないかと言われていますが、南ユダ王国のユダ族も合流していた可能性があります。
 桓武天皇が行った、京都の平安京建設には、秦氏が深く関わったとされており、「平安京」とは、ヘブライ語で「エル・シャローム」、即ち、イスラエルの首都・エルサレムを表す言葉のようです。
 南王国の首都がエルサレムだったので、南王国が陥落し、首都エルサレムを破壊されてしまった南ユダ王国の人々が、「ユートピア」である「東方の日出る国」で、彼らにとっての「エルサレム」を建設したのかも知れません。
 そして、平安京遷都の直後に、京都で祇園祭が行われるようになったようです。

 東洋の一番東にある、日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、何千年にも亘って、大陸からの渡来人たちの影響を強く受けてきたのであり、大和の国・日本には、古代ユダヤの影響が色濃く残っています。
「東方の日出る国」は、古代のユダヤ民族にとって、「ユートピア」を意味する言葉だったようです。
 そして、これは、エロヒムの大いなる計画によるものなのです。

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拙書『花咲く都・黄金文明』より


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