竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

未熟・未完成というものがなく、人はその瞬間瞬間において常に完成している

  • 2016年3月 5日 14:14
  • Posted by Yamatofuji

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 未熟・未完成というものがなく、人はその瞬間瞬間において常に完成しています。

 未熟・未完成というものがなく、人はその瞬間瞬間で常に完であることを知ることが大切です。

 自分自身においてももちろんそうですし、他の人においてももちろんそうなのです。

 自分のことや人のことを未熟・未完成と捉えて、困難となるのは、制限された創造の一つです。

 人には未熟・未完成というものがなく、人は常に、その瞬間瞬間において完であることが分からないだけなのです。

 赤ちゃんは赤ちゃんとして完であり、子供は子供として完です。

 赤ちゃんは赤ちゃんとして完なので、赤ちゃんが未熟・未完成ということはありません。

 お乳が欲しかったり、オシメを替えてもらいたくて母親に泣き叫んでいる赤ちゃんが、未熟・未完成ということはありません。

 それが赤ちゃんというものであり、そうやってすくすくと丈夫な子供に育っていくのが赤ちゃんの仕事とも言えますので、お母さんに泣いたり叫んだりしている赤ちゃんが、未熟・未完成ということはないのです。

 赤ちゃんは赤ちゃんとして完なので、その瞬間瞬間において、常に完成しています。

 同様に、子供は子供として完なので、子供が未熟・未完成ということはありません。

 小学生の子供だから未熟で未完成という訳ではなく、小学生の子供は小学生の子供として常に完なのです。

 赤ちゃんは赤ちゃんとして完であり、子供は子供として完なので、それぞれにおいて、常に完成しており、未熟・未完成というものがありません。

 同様に、仕事か何かにおいて、未経験者と呼ばれたとしても、未経験者は未経験者として完なのです。

 そして、経験者は経験者として完だということになります。

 経験者は経験者として完であり、未経験者は未経験者として完なので、それぞれにおいて完成しているということなのです。

 自分のことや人のことを未熟・未完成と捉えて、困難となるのは、制限された創造の一つです。

 自分自身のことや人のことを、未熟や未完成だと判断したり評価したりしないことが大切になります。

 他の人を、自分の年少者だから、部下だから、後輩だから、未経験者だから、若者だから、子供だから、赤ちゃんだから、ということで、未熟や未完成と判断・評価しないことが大切なのです。

 そして、自分自身も、常に完成しており、今この瞬間の自分が未熟・未完成な訳ではなく、今この瞬間の自分として完であることを知ることが大切になります。

 自分自身や相手のことを未熟・未完成と判断したり評価したりしないことが大切であり、全てはその瞬間瞬間において完なのです。

 未熟・未完成というものがなく、人はその瞬間瞬間で常に完であることを知ることが大切になります。


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