竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2016年4月のアーカイブ
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瞬間瞬間に移り変わる時間の流れと、大宇宙の森羅万象の全てが永遠に記録されている不思議さ
瞬間瞬間に移り変わっていく時間の流れと、大宇宙の森羅万象の全てが何一つ消えることなく永遠に記録され保存されている不可思議さ
新緑の季節ですね。
私は、一年の中でも、この新緑の季節が、殊のほか大好きです。
長い間大都会での生活が続いていた間は、ほとんど意識していなかったのですが、数年前に大都会での生活を離れて、自然が豊かな場所での生活をするようになってから、私は初めて、新緑の季節が持つ瑞々しい美しさ・輝きを深く感じることができるようになったような気がします。
大都会の中にも、桜は至る所にありますので、桜の美しさは毎年、それなりに堪能していたつもりでしたが、大都会の中では、自然が豊かな地の新緑の季節が持つ瑞々しさ・輝きは、あまり感じることはできませんでした。
私は、冬が終わって春が到来すると、少しの間だけ花開いて美しく散ってゆく桜の花の時期も大好きです。
しかし、桜の花が散った後に、生命が躍動するかのように目くるめくように色付いて移り変わっていく新緑の頃が、さらに大好きです。
一瞬たりとも留まることなく、夏に向かって全力で駆け抜けて行くような、新緑の頃の生命の瑞々しさ・スピード感が大好きなのです。
時間というものは、一瞬たりとも留まることなく、瞬間瞬間に刻一刻と移り変わりながら、通り過ぎて行きます。
あなたはこのことを、無常ではかないことだと感じますか?
それとも、美しくありがたいことだと感じますか?
時間が一瞬たりとも留まることなく、全てのものが移り変わっていくのは、本当にありがたく美しいもの
時間というものは、一瞬たりとも留まることなく、瞬間瞬間に刻一刻と移り変わりながら、全ての人の前を通り過ぎて行きます。
そして、全ての人にとって、刻一刻と移り変わる時間の中で、全てのものが同じところに留まることなく移り変わり変化して行きます。
このことは、本当にありがたく、美しいことです。
時間が瞬間瞬間に刻一刻と移り変わりながら、全てのものが移り変わっていくのは、ある意味においては、厳粛なことであり、無常を感じる方も多いかもしれません。
しかし、昔から言われる、諸行無常という言葉も、必ずしも否定的に捉える必要はありません。
全てのものが、一瞬たりとも同じところに留まることなく移り変わっていくというのは、本当にありがたく、美しいことです。
自分が幸福の絶頂で感じた喜び・うれしさも、時間の流れの中で容赦なく風化していき、やがて色あせたものになっていきます。
そして、自分が絶望のどん底で感じた苦しみ・悲しみもまた、時間の流れの中で風化していき、ありがたいことに、やがて色あせたものになっていきます。
時間というものが、自分が瞬間瞬間に感じた喜びや悲しみの全てを風化させながら、あらゆる全てのものを変化させて移り変わっていくというのは、本当に厳粛であり情け容赦がないことであると共に、本当にありがたく美しいことだと思います。
あなたが瞬間瞬間に感じる喜びや悲しみの全てを、刻一刻と移り変わっていく時間の流れは、情け容赦なく風化させていきます。
自分が人生で感じた喜びや悲しみの全てが、永遠に消えることなく保存されている
私たち一人ひとりは、この大宇宙に二つとして同じものがない、自分の唯一の体験をしています。
自分の思考や感情、そして行動の全ては、この大宇宙に二つとして同じものがない、自分の独自の唯一の体験です。
あなたと同じ人生を体験した人は、あなたの他には、この大宇宙に誰もいないのです。
そして、あなたが自分の人生を生きていく中で、瞬間瞬間に感じた喜びや悲しみの全てが、刻一刻と移り変わる時間の流れの中で風化していき、色あせていきます。
しかし、あなたが人生で瞬間瞬間に感じた喜びや悲しみの全てが、何一つ失われることなく保存されており、永遠に記録されているのです。
何故なら、この大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューターとも言えるものなので、大宇宙の全てのデータが記録され保存されているからなのです。
この大宇宙そのものが、完全無欠の完璧なスーパーコンピューター
『この大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター』、こちらの記事の中でも書きましたが、この大宇宙そのものが完全無欠の完璧なスーパーコンピューターとも言えるものなので、大宇宙の全てのデータが記録されて保存されているのです。
あなたの人生における一挙手一投足の行動はもちろんのこと、あなたの瞬間瞬間における思考や感情の全てが、永遠に記録されて保存されているのです。
なぜ、あなたの人生における瞬間瞬間の思考・感情・行動の全てが、何一つ失われることなく、永遠に記録されて保存されているのでしょうか?
それは、時間というものそのものが、究極的には存在していないからなのです。
「永遠(とわ)の中今」の中に、大宇宙の全てが元々存在している
時空を超越した大宇宙の本質の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
時空を超越した大宇宙の本質の世界である絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の全てが元々存在しているのです。
あなたの人生の全ては、元々この大宇宙に存在しており、記録されて保存されているものなのです。
分かりやすくコンピューターに例えるとするならば、元々コンピューターの中に保存されていたデータを、今開いて見ているようなものかも知れません。
大宇宙の全ては、この大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識という一つの「純粋意識」の中に元々あるものなのです。
大宇宙の全ては、大宇宙意識というホストコンピューターの中に元々存在しているデータなのです。
自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、大宇宙意識というホストコンピューターから無数に出ている端末機の中の一つのようなものなのです。
自分という端末機を通して、大宇宙というホストコンピューターに元々保存されているデータを、今、「追体験」しているようなものなのです。
『真のデジャヴ(既視感)とは、ここが「追想の中」であることが魂の記憶として蘇ること』、こちらの記事の中でも書きましたが、私たちは今、「追想の中」を生きており、「追想の中」を「追体験」しているのです。
なぜ、大宇宙の全てが元々存在して保存されており、ここは「追想の中」なのでしょうか?
大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
なぜ、この大宇宙の全てが元々存在しており、保存されているのでしょうか?
そして、なぜ、ここは「追想の中」での「追体験」なのでしょうか?
それは、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界だからなのです。
この物理的大宇宙の全ては、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。
私たちは、インターネットの世界で誰かがユーチューブにアップした動画などを、自分のパソコン上に再生して見ることができます。
パソコンの画面は二次元(平面)ですが、私たちは、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンの中に生きているようなものなのです。
大宇宙という完全無欠の完璧なスーパーコンピューターの中に元々保存されているデータを、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンの中で再生して見ているようなものかも知れません。
言わば、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンの中で、再生されたDVDの映像、あるいは、再生された3Dホログラムの映像を見ているようなものなのです。
自分の思考・感情・行動の全てが、何一つ失われることなく、永遠に記録され保存されている
ユーチューブなどの動画をパソコンで見ていると、時間が経過していき、時間が過去→現在→未来へと流れて行くように感じるかも知れません。
それと同じように、多くの人にとっても、時間というものが過去→現在→未来へと流れて行くように感じられるかも知れません。
自分が瞬間瞬間に感じる喜びや悲しみの全てを、時間の流れというものが風化させていき、忘却の彼方へと運んでいくように感じられるかも知れません。
時間というものが、瞬間瞬間刻一刻と移り変わり、全てのものを変化させていくというのは、ほんとうにありがたく、そして美しいことです。
あなたが瞬間瞬間に感じる喜びや悲しみの全てを、時間の流れというものは容赦なく風化させていきます。
しかし、それは、本当は消えて行くのではなく、元々存在していたものなのであり、何一つ失われることはないのです。
『この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、かけがえのなさを実感できるようになる』、こちらの記事の中でも書きましたが、この物理的大宇宙がバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の美しさ、「無限」の輝き、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、そして生命の輝きを感じられるようになります。
そして、『幻の世と知って生きることに生命の輝きを見る』、こちらの記事の中でも書きましたが、この物理的大宇宙そのものが幻の世であることを知って生きることに生命の輝きを見ることができるようになります。
それを体験して味わうために、今、あなたは、この時空に存在しているのです。
『今ここに存在している自分はアバターにしか過ぎない』、こちらの記事の中でも書きましたが、肉体を持った自分というのは、本当の自分自身ではなく、真我である魂という「純粋意識」が、物理的大宇宙というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為に使っているアバター(分身・化身)なのです。
バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界である、物理的大宇宙の「無限」の美しさ、「無限」の輝き、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、そして生命の輝きをもっと感じながら生きたいものです。
長い冬が終わるとパッと花開いて見事に散っていく桜も美しいものです。
そして、桜が散った後には新緑の季節が訪れ、木々が芽吹いて色付きながら、めくるめくような速さで夏に向かって駆け抜けて行く、あの生命の躍動感・スピード感もとても美しいものがあります。
私は、新緑の季節が大好きです。
新緑の大自然の中で、心地よい風に吹かれている時が、とても好きなのです。
現実逃避するのではなく、現象の背後にある魂の意図と大宇宙の計画を意識して創造していく
現実を否定しても、現実逃避しようとしても、現実からは逃れられない
現実逃避するのではなく、現象の背後にある魂の意図と大宇宙の計画を意識しながら創造の旅をしていくことが大切です。
あなたは、今、自分の目の前にある現実を否定したいですか?
そして、また、今、自分の目の前にある現実から逃避したいですか?
・
・
・
残念ながら、あなたは、今自分の目の前にある現実を否定することもできなければ、今自分の目の前にある現実から逃避することもできません。
今自分の目の前にある現実を否定しても、今目の前にある現実から逃避しようとしても、現実はどこまでも付いてきます。
今自分の目の前にある現実からは、誰も逃れられないということなのです。
これは、誰においても、そうなので、何びとと言えども、誰も今自分の目の前にある現実からは逃れることはできません。
なぜだか分かりますか?
自分の現実の全ては、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、大宇宙の計画の中にあるもの
では、なぜ、何びとと言えども、今自分の目の前にある現実を否定することもできなければ、現実から逃れることもできないのでしょうか?
それは、あなたの今目の前にある現実の全ては、本当のあなた自身が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、大宇宙の根本主体・根本創造主が「想像=創造(そうぞう)」したものでもあるからなのです。
本当の自分自身とは?
本当の自分自身とは、本源の我であり、真我である魂のことなのです。
では、大宇宙の根本主体・根本創造主とは?
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけです。
大宇宙意識というのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
そして、本当の自分自身、真我である魂というのは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である「純粋意識」なのです。
『自分の人生の創造主は自分自身であり、自分の人生の主体者・創造者は真我である魂』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
自分の現実の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、真我である魂という「純粋意識」が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
自分の現実の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなので、全ては大宇宙の計画の中にあるものなのです。
あなたの今目の前にある現実の全ては、本当のあなた自身、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものでもあるので、否定することも逃避することもできないのです。
では、なぜ、真我である魂という「純粋意識」は、今自分の目の前にある現実を「想像=創造(そうぞう)」したのでしょうか?
全ては魂を進化させるための最善のプログラム
私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分が人生で体験する全ての現実は、魂の進化のために起きているものなのです。
魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。
自分が人生で体験する全ての現実は、魂の進化というプログラム上にあるものであり、魂を進化させるための最善の出来事として起きています。
真我である魂という「純粋意識」は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化のために、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」したのです。
真我である魂という「純粋意識」が望んでいるのは、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ことを体験して味わうことなのです。
豊かなる世界とは、自分の外の何かの形の中にある訳ではなく、自分自身の心の中にしか存在していませんので、自分自身の心が豊かになればなるほど、自分が映す現実世界もまた、豊かなる世界として輝きを増してくるのを、体験して味わいたいのです。
自分が人生で体験する全ての現実は、そのために真我である魂という「純粋意識」が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
今、自分の目の前にある現実の全ては、真我であるあなたの魂が「想像=創造(そうぞう)」した、魂を進化させるための最善のプログラムであり、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」した最善のプログラムでもあるので、あなたは、今、自分の目の前にある現実を否定することもできなければ、現実から逃避することもできないのです。
では、どうやって生きていけば良いのでしょうか?
今、自分の目の前にある道が、黄金の道
今、あなたの目の前にある道が、黄金の道です!
今、自分の目の前にある現実をしっかりと生きることが、黄金の道なのです!
それ以外に、黄金の道はありません。
今、自分の目の前にある現実を否定しても、あるいは、現実から逃避しようとしても、現実はどこまでも付いてきます。
今、あなたの目の前にある現実から逃れたかったら、今あなたの目の前にある現実をしっかりと生きることです!
そこにしか、答えはありません。
『人は常に、自分が最も学び、成長し、進化できる最善の場所にいる』、こちらの記事の中でも書きましたが、人は常に、毎瞬毎瞬、自分自身が最も学び、成長し、進化できる最善の環境に生かされています。
そして、『現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の今目の前にある現実という空間全てには、常に、遊びという学びが用意されています。
ですから、あとはただ、それを発見して、創造の旅をしていけば良いのです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にあるので、意識の奥深くにある真我である魂の意図がなかなか分かりません。
そのため、自分の身に起きる様々な出来事を、幸・不幸、運・不運と決めつけて、大騒ぎしています。
しかし、真我である魂、そして大宇宙意識は、鳥瞰図という言葉があるように、大空を飛ぶ鳥のような、大所・高所から、魂の進化にとって最善の出来事を「想像=創造(そうぞう)」しています。
ですから、例え、今、自分の目の前にある現実がつらく苦しく感じられたとしても、現象の背後にある魂の意図を感じ、大宇宙意識の大いなる計画を感じながら生きていくことが大切になります。
自分の心のストライクゾーンを広げていけば、今つらく苦しく感じられる現実の中にも、新たな面白さを発見できるようになっていくでしょう。
自分の心のストライクゾーンを広げていくと、今までは、うれしい、ありがたい、面白いと感じられなかったような領域にも、新たな面白さを感じられるようになるかも知れません。
自分の小さな心のストライクゾーンを広げて、全てを喜びと感じられるような全天候型の心に至るために、「自分を解放するプログラム」として、目に映る全ての人、事、ものが、ただ現れているだけなので、そこには必ず、今の自分にちょうど良い形で、遊びという学びが、プレゼントとして、宇宙から常に用意されています。
ですから、あとはただ、新たな面白さを発見していくだけだと言えるかも知れません。
昔から、諸行無常、栄枯盛衰と言われるように、全ては変化の中にあります。
例え、あなたの今目の前にある現実が、つらく苦しく感じられるものだったとしても、それは変化していく流れの中にあるものなのです。
今、あなたの目の前にある現実というのは、永遠に変わらないものではなく、瞬間瞬間、常に変化していく流れの中にあるものなのです。
ですから、もし、あなたが、今、自分の目の前にある現実を否定したい、あるいは、今目の前にある現実から逃れたいと望むのであれば、今、目の前にある現実をしっかりと生き切ることです!
それ以外に、答えはありません。
現実を否定したり、現実逃避しようとするのではなく、今、自分の目の前にある現実にしっかりと向き合い、真のリアリストとして、全てを現実的に解決していくことが大切になります。
真のリアリストとして、今目の前にある現実をしっかりと生きることこそが、今目の前にある現実から逃れる最短の道であり、そして、唯一の道なのです!
今あなたの目の前にある道こそが、今あなたが歩くべき黄金の道なのです!
あなたは、今、自分の目の前にある現実を否定したいですか?
そして、あなたは、今、自分の目の前にある現実から逃避したいですか?
今、自分の目の前にある現実を否定しても、現実から逃れようとしても、現実はどこまでも付いてきます。
今、あなたの目の前にある道こそが、黄金の道です!
あなたの肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、今目の前にある現実は、つらく苦しいとしか感じられないかも知れません。
しかし、意識の奥深くにある本当のあなた自身、真我である魂、そして大宇宙意識は、あなたの全てをよく分かっています。
ですから、安心して大丈夫なのです。
あなたが今いる所は、あなたの魂を進化させるために最善の環境であり、そして、次なる場面が必ずあるのです。
現実を否定したり、現実逃避するのではなく、現象の背後にある魂の意図と大宇宙の計画を意識しながら創造の旅をしていくことが大切になります。
自分の人生の創造主は自分自身であり、自分の人生の主体者・創造者は真我である魂
自分の人生の創造主は自分自身であり、自分の人生の主体者・創造者は、真我である我が魂です。
あなたは、自分が創造主であり、自分の人生の本当の創造主は、他ならぬ自分自身であることに気付いていますか?
あなた自身が、あなたの人生の本当の創造主なのです。
なぜだか分かりますか?
本当のあなた自身が、あなたの人生の全てを体験したかったので、あなたの人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したからなのです。
本当のあなた自身とは、本源の我であり、真我である魂のことです。
自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である我が魂なのです。
真我である魂があなたの人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのは、あなたの人生の全てを体験したかったからなのです。
全ては、体験するためなのです。
あなたが人生で感じる喜びや悲しみの全て、あなたの人生の全てを体験して味わいたかったからなのです。
なぜ、真我である魂は、自分の人生の全てを体験して味わいたかったのでしょうか?
それは、真我である魂というのは「純粋意識」なので、肉体という衣をまとわないと、体験することができないからなのです。
ここで少し、真我である魂という「純粋意識」について触れておきます。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけなのです。
大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂なのです。
自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
真我である魂は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化のために、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。
魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。
真我である魂という「純粋意識」は、魂の進化のために、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験するために、肉体という衣を「想像=創造(そうぞう)」したのです。
多くの人たちは、病気やケガをすると、それを不幸・不運と呼び、その一方で、温泉に入って快適にくつろいだり、スポーツで心地よい汗を流したり、ハワイやタヒチのような常夏の海で泳いだり、愛する異性と精神的にも肉体的にも結ばれる喜びを幸福と呼んでいます。
でも、それらの全てを感じること、味わうことができるのは、肉体という精妙な衣をまとっているからなのです。
もしも、私たちの肉体が、超合金のロボットのような体だったらどうなるか想像してみてください。
病気やケガをすることはありません。
しかし、温泉に入って快適にくつろいだり、スポーツで心地よい汗を流したり、ハワイやタヒチのような常夏の海で泳いだり、愛する異性と精神的にも肉体的にも結ばれる喜びを味わうこともできないのです。
私たち一人ひとりは、自分の肉体という精妙な衣をまとっているからこそ、喜びも悲しみも含めた、自分の人生の全てを体験して味わうことができます。
そして、真我である魂が望んでいるのは、そこなのです。
真我である魂という「純粋意識」は、肉体という衣をまとって、自分の人生の全てを体験して味わいたいのです。
真我である魂という「純粋意識」にとっては、体験こそが喜びであり、財産であるとも言えます。
真我である魂という「純粋意識」の夢はただ一点、魂の進化ということであり、光り輝く魂になることなのです。
自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の進化にとって最善の出来事として「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
真我である魂という「純粋意識」が望んでいるのは、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ことを夢見ているのです。
豊かなる世界とは、自分の外の何かの形の中にある訳ではなく、自分自身の心の中にしか存在していませんので、真我である魂という「純粋意識」は、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ことを体験して味わいたいのです。
自分が人生で体験する全ての現実は、そのために真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」した最善のできごとなのです。
自分の人生の真の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。
そしてもちろん、自分の肉体という衣も、真我である魂が、魂の進化にとって一番ピッタリな「遊び着」として「想像=創造(そうぞう)」したものになります。
『肉体という衣について』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、魂を進化させるために一番最適な「遊び着」として「想像=創造(そうぞう)」されているものなのです。
そして、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、物理的大宇宙を体験するために使っている「アバター(分身・化身)」なのです。
『今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、現実世界を体験するために使っている「アバター(分身・化身)」にしか過ぎません。
真我である魂という「純粋意識」は、肉体を持った「アバター(分身・化身)」での体験を通して、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験して味わい、魂の夢を想い出すことを望んでいるのです。
しかし、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、なかなか真我である魂の意図が分からないので、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と決めつけて、大騒ぎしています。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分であり、意識の奥深くにある真我である魂との間には大きな「差(ギャップ)」があります。
真我である魂と肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)との「差(ギャップ)」を取って生きることが、本当の意味での「差取り=悟り(さとり)」ということでもあるのです。
そして、自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分自身の意識の中にあるものなのです。
自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色なのです。
自分自身の心の中にある心象風景とでも言うべきものを、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなのです。
ですから、『自分が変われば世界が変わる』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の心が変われば、自分の心が映し出された現実世界(宇宙)もまた変わります。
自分自身の心が変われば変わった分だけ、自分の心が映し出された現実世界(宇宙)もまた、違ったふうに見えてくるのです。
そして、『心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の内面が輝けば輝くほど、自分の目に映る現実世界は、本当に、輝きを増してきます。
生きていることそれ自体がありがたい、うれしい、面白い、美しい、存在が感謝、という状態になればなるほど、自分の目に映る現実世界(宇宙)もまた、ありがたい、うれしい、面白い、美しいと感じられるようになるのです。
自分が輝けば、世界(宇宙)もまた輝きます。
自分が元気であれば、世界(宇宙)もまた元気です。
とても単純なことなのです。
もしも今、自分の目に映る現実世界(宇宙)が美しく感じられないとしたら、それは、世界(宇宙)が美しくないのではなく、自分自身の心が美しさを感じられないだけなのです。
自分の心が美しくなれば、自分の目に映る現実世界(宇宙)は美しく輝きます。
自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の外にある何か確固とした客観的な世界などではなく、全ては自分の意識が投影された内面の世界であり、全ては主観の世界なのです。
私たち一人ひとりが創造主なので、現実世界(宇宙)と呼ばれるものも、自分自身の意識の中にしか存在していないのです。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
あなたの真我である魂という「純粋意識」の夢を想い出すことが大切になります。
あなたの人生の本当の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。
あなたの真我である魂の夢を想い出し、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験して味わうことが大切になります。
真のデジャヴュ(既視感)とは、ここが「追想の中」であることが魂の記憶として蘇ること
ここが「追想の中」の世界だということを、感じられるでしょうか?
実は、私たちは、今初めてこの世界を体験している訳ではなく、「追想の中」の世界として「追体験」しています。
そして、ここが「追想の中」の世界での「追体験」だということを想い出し、魂の記憶が蘇った時に、それをデジャヴュ(既視感)として感じることがあります。
真のデジャヴュ(既視感)とは、魂の記憶が蘇り、ここが「追想の中」の世界であり、それを今「追体験」しているのだということを想い出した時に感じられるものなのです。
「デジャヴュ(既視感)」という言葉があります。
初めて来た場所なのに何となく懐かしい感じがして、初めて来た感じがしないとか、初めて会った人なのに、以前どこかであったことがあるような感じがして、初めて会った感じがしないというような体験をすることがあります。
「デジャヴュ(既視感)」という言葉はよく、この場所は過去世で来た場所だとか、この人は前世で一緒だった人だとかいうような感じで使われたりしています。
しかし、『ここは「追想の中」での「追体験」』、こちらの記事の中でも書きましたが、「デジャヴュ(既視感)」というのは、本当はもっともっと奥が深く、意味深いものなのです。
何故なら、私たちは今、「追想の中」を生きており、「追想の中」の世界を「追体験」しているからなのです。
多くの人たちは、時間というものが過去→現在→未来へと流れており、今この瞬間に存在している世界は、今初めて大宇宙に存在していると考えているかも知れません。
そして、時間というものが過去→現在→未来へと流れているので白紙の未来があるかのように考えている人も多いかも知れません。
しかし、『未来とは、今これから創られていくものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定しているもの』、こちらの記事の中でも書きましたが、未来とは、今これから創られていくものではなく、元々存在しているものなので、既に100パーセント確定して存在しているものなのです。
究極的には時間というものは存在しておらず、過去も未来も今同時に存在しており、大宇宙の全てが元々存在しているのです。
時空を超越した大宇宙の本質の世界(絶対世界)においては、大宇宙の全てが元々存在しています。
そして、時空を超越した大宇宙の本質の世界(絶対世界)の「映し世(うつしよ)」としての物理的大宇宙(相対世界)の中の、ある「時間軸と空間軸」の中に私たちはいます。
すなわち、21世紀の地球という、ある「時空」の中に私たちはいるのですが、この時空は今初めて大宇宙に存在している訳ではなく、元々存在していた時空なのであり、今私たちは、それを「追体験」しているということなのです。
分かりやすく簡単にイメージしていただくならば、再生されたDVDの映画を再び見ているようなものかも知れません。
あるいは、再生された3Dホログラムの映像を再び見ているようなものかも知れません。
言わば、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出された再生ビデオを見ているようなものなのです。
私たちが見ている、21世紀の地球というこの「時空」は、敢えて言うならば、再生されたDVDの映画、あるいは再生された3Dホログラムの映像のようなものなので、実はこの世界というのは、かつて私たちが見たことがある世界、体験したことがある世界なのです。
今初めて見ている世界、今初めて体験している世界ではないということなのです。
ただ、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、そのことはよく分かりません。
何故なら、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にある意識であり、氷山の一角のようなものにしか過ぎないからです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分にある意識であり、氷山の一角にしか過ぎませんが、水面下においては、潜在意識・無意識と呼ばれるような部分もあり、私たちの意識を一番奥深くまで遡っていくと、最終的には、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」までたどり着くことになります。
ですから、私たち一人ひとりは、意識の一番奥深くにおいては、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。
大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしています。
何故なら、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したというだけでなく、この時空はかつて存在した時空であり、その時に体験をして、既に知っているからなのです。
魂の記憶が蘇ってきて、ここが「追想の中」だということを想い出せるようになると、様々なことにデジャヴ(既視感)を覚えるかも知れません。
それは単に、人や場所に対してだけではなく、自分が味わった一つひとつの体験や、あるいは、自分が味わった一つひとつの感情に対しても、かつて味わったことがあるという「懐かしさ」を覚えるかも知れません。
そして、過去世うんぬんということに留まらず、過去には無かった現代のものや、現代から見て未来にあたるようなことまで含めて、あらゆることに対してデジャヴ(既視感)を覚えたとしても、決して不思議なことではないのです。
何故なら、私たちが生きている、21世紀の地球というこの時空そのものが、かつて存在した時空なのであり、私たちがかつて体験した世界だからなのです。
魂の記憶が蘇ってくると、未来の記憶とでも呼ぶべきものも、少しずつ蘇ってきます。
我が魂は、未来で体験する全て、未来で味わう感情の全てを、既に知っています。
何故なら、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したというだけでなく、この時空はかつて存在した時空であり、その時既に体験をして、知っているからなのです。
本源の我、真我である我が魂は、自分がこれから人生で体験する全て、死に至るまでの自分の人生の全てを、既に知り尽くしています。
魂の記憶を蘇らせることができれば、未来の記憶とでも呼ぶべきものも、少しずつ蘇ってきます。
そして、魂の記憶が蘇ってきて、未来の記憶とでも呼ぶべきものも少しずつ蘇らせることができるようになってくると、それを「生きるという創造の旅」に使っていくこともできるようになります。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、未来のことはほとんど分かりません。
ですから、心と感じるままに、瞬間瞬間、自分が望むような創造をかけて生きていけば良いのですが、魂の記憶が蘇ってきて、未来の記憶とでも呼ぶべきものも少しずつ蘇らせることができるようになってくると、それを使って創造していくことができるようになってきます。
魂の記憶を蘇らせることができるようになってくると、未来の記憶を蘇らせて、それを瞬間瞬間の創造に使って生きるということも少しずつできるようになってきます。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、未来のことはほとんど分かりませんが、真我である魂は、死に至るまでの自分の人生の全てを既に体験して知り尽くしていますので、魂の記憶を想い出して蘇らせ、それを瞬間瞬間の創造に使うことも少しずつできるようになります。
魂の記憶としての真のデジャヴ(既視感)を感じることができれば、それを瞬間瞬間の創造に使って生きていくことができるようになってきます。
真のデジャヴュ(既視感)とは、魂の記憶が蘇り、ここが「追想の中」の世界であり、それを今「追体験」しているのだということを想い出した時に感じられるものなのです。
未来とは、今これから創られていくものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定して存在しているものなのです。
私たちは、元々存在している未来、かつて体験して知っている世界を、これから再び体験していくだけなのです。
私たちは、かつて体験した世界を今、「追体験」しているのであり、今、「追想の中」を生きているのです。
21世紀の地球という、今ここにある時空は、今初めて大宇宙に存在している訳ではなく、元々存在している時空なのであり、かつて存在した時空でもあるのです。
そして、私たちは、かつてこの時空を体験したことがあり、意識の深い部分においては、既に知っている世界なのです。
『ここは緑美しき懐かしき地球(追想の中)』、こちらの記事の中でも書きましたが、21世紀の地球という、今ここにある座標軸は、実は、かつて存在した「懐かしき」時空なのであり、ここは「追想の中」にある、「緑美しき懐かしき地球」なのです。
ワンネスの意味について精神世界やスピリチュアル系のグループがしている間違い解釈
よく、精神世界やスピリチュアル系と呼ばれるようなグループの人たちの中には、ワンネスという言葉に囚われている人たちも多いのではないかと思います。
ワンネスという言葉は、「全ては一つ」とか、「あなたは私、私はあなた」というような意味で、よく使われているかと思います。
しかし、その本質的な意味が全く理解されないまま、ただ「ワンネス」という言葉だけが勘違いされた状態で一人歩きしているような印象を受けます。
精神世界やスピリチュアル系と呼ばれるような世界に関心のある人の中で、ワンネスという概念に囚われている人は、勘違いしないように注意することが大切です。
特に気を付けなければいけないのが、「あなたは私、私はあなた」という言葉です。
『真のワンネスとは』、こちらの記事の中でも書きましたが、「あなた(他)は私(自)」というのは、「自(私)」と「他(あなた)」が分かれた思考形態であり、それは真のワンネスと呼べるものではありません。
というより、「あなた(他)は私(自)」という、「自(私)」と「他(あなた)」が分かれた思考形態というのは、真のワンネスとは正反対の考え方になります。
「あなた(他)は私(自)」と言った時点で、「他(あなた)」と「自(私)」が切り離された考え方であり、それは真のワンネスと呼べるものではありません。
真のワンネスとは、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけなので、物理的大宇宙に存在する全ての被創造物、そして大宇宙の森羅万象の全ては「大宇宙意識の顕れ」にほかならず、全てはつながっているということなのです。
そういう意味においては、「全ては一つ」という言葉自体は、決して間違いではありません。
しかし、多くの人たちは、「全ては一つ」なので、「あなたは私、私はあなた」であると考えて、意味を取り違えてしまいます。
そして、「あなたは私、私はあなた」だから、「あなたと私は同じである」と錯覚して、「あなたと私はお互いに理解し合うことができる」という勘違いをしてしまいます。
ここが、気をつけなければいけないポイントになります。
自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である魂です。
自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものがない、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、ある一つの角度・「視点(してん)」から、この大宇宙を映し出して見ている一つの「支店(してん)」なのです。
そして、私がいつも言っているように、自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識が映し出された自分の内面の世界なので、太陽も月も星も、銀河の果てまでが自分の意識の中にしか存在していません。
ですから、自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分一人の世界なので、自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが自分自身であるとも言えます。
しかし、さらに言うならば、自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分すらいない世界なのです。
『本当は誰もいない――ただ大宇宙がある』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分一人の世界なのですが、自分というものすら、本当はいるという訳でもないので、自分すらいない、誰もいない世界なのです。
何故なら、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけだからです。
私たち一人ひとりそれぞれが、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものがない、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、ある一つの角度・「視点(してん)」からこの大宇宙を映し出して体験している、一つの「支店(してん)」なのです。
私たち一人ひとりが、この大宇宙に二つとして同じものがない、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って生かされていますので、私たち一人ひとりは、この大宇宙に二つとして同じものがない、自分の「魂・精神・肉体」を与えられています。
私たち一人ひとりの「魂・精神・肉体」は、この大宇宙に二つとして同じものがないので、私たち一人ひとりが瞬間瞬間に体験している思考・感情・行動は全て違っていますので、私たちは本当の意味で真に理解し合うということはできません。
例えるならば、私たち一人ひとりは、大海に浮かぶ小さな島々のようなものです。
モルディブなどには、小さな島々がたくさんありますが、水面下においては、陸続きであり、深い部分では皆つながっています。
しかし、水面より上の部分では切り離されており、それぞれが固有の島を形成していますので、二つとして同じ島はありません。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけです。
私たち一人ひとりの意識を一番奥深くまでたどっていくと、最終的には、大宇宙意識までたどり着くことになります。
ですから、意識の一番奥深くにある大宇宙意識という部分では、私たち一人ひとりは皆つながっていますので、「全ては一つ」であると言えます。
しかし、モルディブの小さな島々が水面より上の部分では、それぞれ切り離されて固有の島を形成しているように、私たち一人ひとりは、この大宇宙に二つとして同じものがない、自分の「魂・精神・肉体」を与えられて、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持っていますので、表面的には、私たち一人ひとりは、真に理解し合うことはできないのです。
肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、自分以外の人を真に理解することはできませんので、例え親・兄弟・夫婦であっても、一卵性双生児の双子であっても、真に理解しあうことはできません。
例え親・兄弟・夫婦であっても、一卵性双生児の双子であっても、それぞれが大宇宙に二つとして同じものがない、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、大宇宙に二つとして同じものがない「魂・精神・肉体」を与えられて、それぞれの役割の中で生かされていますので、真に理解し合うことはできないのです。
私たち一人ひとりは、皆違うということなのです。
このことが理解できるようになると、人から真に理解されたいという思いがだんだん薄れていきます。
それと同時に、自分は自分以外の人を真に理解することはできないのだということも分かるようになります。
例え自分の親・兄弟・夫婦であっても、自分に一卵性双生児の双子がいたとしても、それぞれが大宇宙に二つとして同じものがない、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、大宇宙に二つとして同じものがない「魂・精神・肉体」を与えられて生かされていますので、一人ひとりの瞬間瞬間の思考や感情は皆違いますし、肉体は別々なので、体験は一人ひとり皆違っています。
精神世界やスピリチュアル系の世界が好きな人たちは、「ワンネス」という言葉の真の意味も分からないまま、「全ては一つ」とか、「あなたは私、私はあなた」という言葉に陶酔している人たちも見受けられます。
そして、「全ては一つ」で「あなたは私、私はあなた」だから、お互いに理解し合えると勘違いしています。
この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけです。
物理的大宇宙に存在する全ての被創造物、そして大宇宙の森羅万象の全ては、「大宇宙意識の顕れ」なのです。
大宇宙意識という「純粋意識」は、この大宇宙に無数に存在する全ての「支店=視点(してん)」を通して、自分自身を体験して味わっているのです。
私たち一人ひとりは、この大宇宙に二つとして同じものがない、自分唯一の「支店=視点(してん)」をそれぞれが受け持っていますので、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)のレベルでは、自分以外の人を真に理解するということもできませんし、また、自分以外の人から真に理解されるということもできないということを認識することが大切になります。
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