竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2016年5月のアーカイブ
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東洋の日出る神国、大和の国に生まれてきた日本人としてのアイデンティティーを想い出す
≪東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本、大和の国に生まれてきた日本人としてのアイデンティティーを想い出すことが大切です。≫
今、私たち日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時を迎えています。
21世紀の今この時、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本、大和の国に生まれてきた、日本人としてのアイデンティティーを想い出すことが大切になります。
今生きているほとんどの日本人の方々は、21世紀の今というこの時に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生まれてきた意味・役割というものについて、ほとんど気付いていない人が多いのではないかと思います。
自分が、大いなる和「大和(やまと)」の国の大和民族として生まれてきた意味・役割というものについて、気付いていない人たちがほとんどではないかと感じます。
≪地球・世界に大いなる和「大和(やまと)」を実現させ、地球の恒久平和を実現させることが、日本人の使命・役割です。≫
東洋の日出る神国・日本は、世界の雛型(ひながた)であり、霊(ひ)ノ元・日本なのです。
この21世紀において、地球・世界に大いなる和「大和(やまと)」を実現させ、地球の恒久平和、世界平和を実現させることが、日本人の使命・役割なのです。
私たちが生きている、21世紀の今というこの時は、人類の歴史においても、稀有の時代になります。
有史以来数千年続いてきた、人類の古い歴史の最終局面であり、間もなくクライマックスの時を迎えようとしています。
そして、その先に待っているのは、想像だにない新しい世界なのです。
あと十数年から二十年くらいで、有史以来数千年続いた、私たち人類の古い歴史が幕を閉じ、人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えています。
≪西暦2030年代、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明が日本から花開き、人類は黄金時代を迎えます。≫
早ければ西暦2030年頃、遅くとも2040年までの間の、西暦2030年代のいずれかの時期に、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明が、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から花開きます。
おそらくは、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後、たぶん式年遷宮の少し後の2030年代半ばになるのではないかと思います。
私たち人類の黄金時代が幕開けし、地球の恒久平和、世界平和が実現する時を迎えます。
地球は、宇宙時代を迎えるのです。
しかし、それは、人類の黄金時代の始まり・スタートにしか過ぎませんので、いきなりお金(マネー)の仕組みが無くなり、貨幣経済が終了する訳ではありません。
貨幣経済が完全に終了し、お金(マネー)の仕組みが完全に無くなるのは、どんなに早くても21世紀後半になりますが、遅くとも22世紀中には完全に無くなっていると思います。
今、人工知能やロボットの進歩・発達には目を見張るものがありますが、いずれ近い将来、人工知能やロボットの発達により、私たち人類は、労働からほとんど解放される時代を迎えることになります。
私たち人間とほとんど見た目も変わらず、頭脳的(知的)にも身体的(肉体的)にも、人間と互角以上の能力を持った生物ロボットが開発され、普及していきますので、私たち人間が働かなくても、人間に代わって生物ロボットがほとんど全ての仕事を行うような時代がやってきます。
生物ロボットが生産してくれた富・恩恵を、私たち人間が享受できるような時代を迎えるのです。
その時初めて、お金(マネー)という仕組みが必要でなくなり、貨幣経済を終わらせることができるようになります。
お金(マネー)という仕組みがなくなり、貨幣経済が終了するのはまだまだ先のことになりますが、物質文明の次に来る新たな精神文明、花咲く都・黄金文明を私たち日本人が花開かせない限りは、世界平和はもちろんのこと、お金(マネー)の仕組み、貨幣経済が無くなることもありません。
有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面(クライマックス)においては、有意の日本人の方々の働きが必要となります。
最終的には、日本人としての遺伝子に目覚め、大和心・大和魂を発揮した有意の日本人の人たちの活躍によって、人類の黄金時代の扉が開かれることになるのです。
人間の性格は長所も短所も含めた全人格が一つの持ち味
≪人間の性格は、長所も短所も含めた全てで一つの人格であり、全人格として一つの持ち味になっています。長所は短所でもあり、短所はまた長所であるとも言えますので、それを創造力として使うことができます。≫
今日は、人間の性格というものについて、少し話をしてみたいと思います。
人間の性格ということでは、よく、長所とか、短所という言葉が使われます。
そして、長所と短所とを分けて、切り離して捉えられることが多いかと思いますが、人間の性格というのは、長所も短所も含めた全てで一つの人格であるとも言えますので、何が長所で何が短所かということを決め付けるのは、本当は難しいことなのです。
長所と言うのも、見方を変えれば短所になります。
それとは逆に、短所と思えるようなものも、見方を変えれば長所にもなるのです。
長所は短所であるとも言え、それとは逆に、短所もまた長所であるとも言えます。
あなたの長所は何ですか?
そして、あなたの短所は何ですか?
≪見方を変えれば、長所は短所でもあり、短所もまた長所にもなります。≫
あなたが長所と思っているものは、見方を変えれば短所にもなります。
また、あなたが短所と思っているものも、見方を変えれば長所にもなるのです。
例えば、あなたが話上手で、コミュニケーション能力も高く、雄弁家だとすると、それはそれで一つの長所だと言えます。
しかし、それを自分の長所と過信して、知らず知らずのうちに、言わなくてもよい余計なことまで口にしているかも知れません。
昔から『口は禍の元』とも言われるように、私たち人間は、自分が発する言葉が多くなればなるほど、つい、言わなくてもよい余計なことを口にする可能性が高くなります。
そういう意味においては、話し上手で雄弁だというのは、両刃の剣のように、負の側面も持っています。
今度は逆に、あなたが話下手で無口な人間だとしても、その分、言わなくてもよい余計な言葉をあまり口にすることがないとしたら、それはそれで一つの長所であり、美徳であるとも言えます。
昔から『沈黙は金』という言葉があるように、沈黙には、大きな価値があるとも言えます。
しかし、普段は無口だとしても、言わなければいけない場面では、言わなければいけませんし、言わなければいけないことは、言わなければなりません。
話し上手で雄弁なのがよくて、話下手で無口なのがいけないということではありません。
それとは逆に、話下手で無口なのがよくて、話し上手で雄弁なのがいけないということでもありません。
両刃の剣のように、長所と思えるものにも負の側面があり、短所と思えるものにも、正の側面があるということなのです。
見方を変えれば、長所もまた短所であり、短所もまた長所であるとも言えます。
そして、人間の性格というのは、長所とか短所とか言われるようなそれらを含めた全てで一つの人格であり、一つの持ち味となっています。
そして、長所とか短所とか言われるような全てを含めて一つの人格であり持ち味になっていますので、それを創造力として使って、仕事などに生かしていくこともできます。
≪自分の長所と思えるものも、短所と思えるものとセットになって、一つの長所・創造力になっていることが多い。≫
自分が長所と思っているものは、実は、自分が短所と思っている部分とセットになって、一つの長所や持ち味、そして創造力になっていることが多いものです。
芸術家などの場合が分かりやすい例ですが、芸術家の個性・持ち味・長所と思えるものも、人間的な短所とセットになって、一つの持ち味・長所になっていることがあります。
極端な例で言えば、画家のゴッホなどがよい例かも知れません。
画家のゴッホは、生前はほとんど絵が売れなかったようですし、人間としてのゴッホは、自分の耳を切るなどして、周りの人たちから見れば、変人のような人だったのではないかと思います。
しかし、そういう、人間ゴッホの短所と思えるような部分も、芸術家ゴッホの持ち味・長所・才能というものと密接不可分のものなので、もしゴッホが、誰からも愛されるような社交的な明るい性格だったとしたら、後世に名を残すような独特の個性を発揮できなかったかも知れません。
何が良いとか悪いとかではなく、その人の持ち味・長所・才能と思えるようなものも、その人の短所と思えるようなものとセットになって、一つの長所であり、持ち味になっているということなのです。
短所を直せば、全てが丸く納まるという訳でもありません。
例えば、小説家などでも、一昔前の文士と呼ばれたような時代の作家には、無頼派と呼ばれるような人たちもあり、酒好きで放蕩三昧のような人たちもいました。
そういう作家たちは、おそらく、酒を飲んでの失敗なども、多かれ少なかれあったと思いますが、そういう短所と思えるような部分もまた、彼らの創造力の源にもなっていた筈です。
無頼派と呼ばれたような、酒好きの文士たちに、酒を飲ませずにその時間机に向かって仕事をさせれば、それで良い小説が書けるというものでもありません。
何が長所で何が短所ということではなく、長所も短所も含めた全体で一つの長所であり、一つの持ち味なのです。
言わば、全人格で一つの才能となっているのです。
ですから、もしもあなたが、無口で根暗で口下手だとしても、それが必ずしも悪いという訳ではありませんし、逆にそれを創造力として使っていくこともできます。
もしもあなたが、人と話をすることが苦手だとしても、それは必ずしも短所・欠点という訳でもありませんし、無理に営業や接客業のような仕事で頑張ろうとする必要もありません。
あなたには、あなたの性格にあった仕事がある筈であり、あなたの性格を創造力として使っていけばよいのです。
もしかしたらそれは、何かの"モノづくり"の仕事かも知れませんし、農業のような自然に向き合う仕事かも知れませんし、パソコンに一人で向き合うような、オタク系の仕事かも知れません。
自分の長所も短所も含めた性格の全てで一つの人格であり、一つの長所・持ち味・才能になっています。
あまり自分自身の性格を、これは長所でこれは短所だとか、決め付けても意味がありません。
見方を変えれば、長所もまた短所であり、短所もまた長所であるとも言えます。
そして、長所とか短所とか思えるような全ての性格を含めて一つの人格であり、一つの個性・持ち味・才能になっています。
あまり短所を直そうとすることばかりに意識を向けようとせずに、自分の性格の全てを創造力として使っていくように意識すると、創造力が高まります。
自然の中で緑(植物)や海や川が持つ癒しの波動を浴びて休息し、無限の大宇宙に想いを馳せる
≪人間には緑(植物)の波動が必要だとされています。日常生活の中でも花や植物に触れる機会を多くするとともに、時には大自然の中で森林浴なども楽しみましょう。≫
今は新緑の季節ですが、私は、この新緑の季節が大好きです。
『瞬間瞬間に移り変わる時間の流れと、大宇宙の森羅万象の全てが永遠に記録されている不思議さ』、こちらの記事の中でも書きましたが、桜の花がパッと花開いて見事に散っていった後には新緑の季節が訪れ、木々が芽生えて色付きながら、夏に向かって全速力で駆け抜けて行く、あの生命の躍動感、スピード感が大好きなのです。
時間がある方は、なるべく森林浴などをして、新緑のこの季節が持つ瑞々しさを楽しまれると良いかと思います。
そして、森林浴が大切なのは、なにもこの新緑の季節に限ったことではありません。
私たち人間には、植物が持つ緑の波動が必要だとされていますので、なるべく植物が持つ緑の波動を浴びる機会を多く持つように心掛けるとよいでしょう。
植物が持つ緑の波動を浴びていないと、人間は本来の状態から少しずつ遠ざかってしまうようです。
日常生活においても、自分の身の回りに花や植物などを置いて、花や植物に触れる機会をなるべく多く持つことを心掛けることも大切です。
また、都会生活をされている方でも、休日などには近くの公園などで植物に触れる機会を多く持つことも大切かも知れません。
そして、時間があれば、森林浴などをして、大自然の中で癒しの波動を浴びながら静かに休息することがお勧めです。
大自然の中では、植物が持つ緑の波動だけではなく、水が持つ癒しの波動を浴びることもできます。
海の潮騒やさざ波の音であったり、小川のせせらぎ、あるいは、滝の音などを聞いていると、水が持つ癒しの波動を浴びることができます。
≪大自然の中で世の喧騒を忘れて、自分の内なる心の声を聞く。≫
森林浴をしながら植物が持つ緑の波動を浴びたり、川や滝や海などの水の波動を浴びて、大自然の中で癒される時間を持つことが大切だと思います。
その際は、スマートフォンなどもしばし電源をオフにして、静かな時間を持つと良いでしょう。
なるべくなら、一人でいる時間を多くするのがベストです。
特に、色々な考え事があったり、悩み事がある場合は、なるべく一人で大自然の中に浸って癒される時間が有意義な時間となります。
ことわざにも『下手な考え休むに如かず』というのがありますが、下手に考えるよりは、何も考えずにいた方が、逆によく考えていることであるとも言えます。
そして、大自然の中で一人静かに時間を過ごしてみると、色々な気付きを得ることもあります。
多くの人は、自分が本当は何を望んでいるのかということに、気が付いていない場合が多くあります。
例えば、自分が夢や目標としていたことが、自分が本当に望んでいることではなく、自分が本当に望んでいるのは、別のことである場合もあります。
自分の周りにいる誰かや世間の価値観などを知らず知らずのうちに自分の夢や目標と勘違いしてしまって、自分が本当はそれを望んでいる訳ではないということに気が付いていないこともあります。
自分が本当は何を望んでいるのかに気が付いていない状態で、あれこれと考えてみたところで、良い考えが浮かぶというものでもありません。
自分が本当は何を望んでいるのかに気付くことができれば、そこからの道も明確に見えてきます。
自分自身が本当は何を求めているのか、自分の中にある内なる心の声を聞くようにすることが大切になります。
自分の中にある内なる心の声を感じてみると、色々な気付きを得られるかも知れません。
例えば、自分は今精神的にも肉体的にも疲れ切っているのだという、ある種の悲鳴のようなものが感じられ、今の自分に必要なのは"頑張り"ではなく"休息"なのだと気付くことになるかも知れません。
あるいは、自分が何とか改善しようと悩んでいたことが、"改善"ではなく"取り替え"が必要であり、"総取り換え"の時だと気付くこともあるかも知れません。
例えば、職場での人間関係や長時間労働など過酷な労働環境に悩み、何とか改善しようと悩んでいたことが、"改善"するのではなく、"取り替え"が必要であり、その職場を辞めて環境を変えることが必要だと気付くかも知れません。
あるいは、住む場所を変えることが必要だと気付くかも知れません。
私も一度、十数年住み慣れて気に入っている場所から、思い切って別の場所に引っ越し、環境をがらりと変えたことがあります。
その時は、住む場所はとても気に入っていたので、引っ越しをしたいなどと考えてもいなければ、引っ越ししなければならない理由も全くありませんでした。
ただ、自分の内面奥深くにある心が、環境を変えることを望んでいることがはっきりと感じられたので、思い切って住む場所を変えることにしました。
新たな未来を創造していくために、それまでの過去に一度区切りを付けて、新たな環境の中に身を置く時なのだということがはっきりと感じられたのです。
そして、別の場所に引っ越しをしてから分かったことは、やはり次なる場面があり、新たなステージが用意されていたのだなということです。
≪時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中で生かされている自分を常に想い出すことが大切。≫
時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中で生かされている自分自身を常に想い出すことが大切になります。
自分が喜んだり悲しんだり、悩んだり苦しんだりしているのも、大宇宙に生かされているからこそであり、どんな時でも、自分を一呼吸一呼吸生かしている大宇宙の力を想い出すことが大切になります。
人間の悩みは、人間関係のこと、お金のこと、仕事のことなど、人間社会のことがほとんどですが、しばし世の中の喧騒を離れて、大宇宙に生かされている自分自身と大宇宙との関係に想いを馳せてみることが大切になります。
時間においても空間においても「無限」の大宇宙を司っている唯一の実在である大宇宙意識という「純粋意識」は、あなたの全てを知っています。
そして、あなたの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識が内在しています。
あなたにどのような悩みや苦しみがあろうとも、あなたを一呼吸一呼吸生かしている大宇宙の「無限」の力があなたの中に内在していることを常に想い出すことが大切になります。
時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中で生かされている自分自身を、常に忘れないことが大切です。
日々の日常生活においても、瞬間瞬間、大宇宙に生かされている自分を想い出すことが大切になります。
ただ、そうは言っても、日常生活の忙しさの中にいると、ともすれば大宇宙と自分とのつながりを深く感じられなくなる時があるかも知れません。
そのような時には、大自然の中で森林浴をして緑(植物)の波動を浴びたり、海や川や滝などで水の波動を浴びたりして、大自然の癒しの中で休息しながら、自分自身の内面奥深くにある心の声を感じてみると良いかも知れません。
どんな時でも、時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中で自分が生かされているということを忘れないことが大切になります。
愛とは何かと定義することは難しく、愛とは抽象的な概念ではなく、体験であり実践でしかない
≪愛とは何かと定義することは難しいです。なぜなら、愛とは抽象的な概念などではなく、体験であり、実践でしかないからです。≫
今日は、愛ということについて少し書いてみたいと思います。
愛とは何でしょうか?
あなたは、愛という概念について悩んだ経験があるのではないでしょうか?
あなたは、愛とは何だと思いますか?
・
・
・
・
・
・
愛とは何かについて、答えることは難しいです。
なぜなら、愛とは、抽象的な概念などではなく、結局のところ、体験であり、実践でしかないからです。
愛というものは、抽象的な概念ではありませんので、愛について書かれた書物を何千冊、あるいは何万冊読んだところで、愛というものが分かるという訳でもありません。
あるいは、世界中の聖者や教祖やマスターや先生と呼ばれるような人たちの話を色々聞いたからといって、それで愛というものが分かるという訳でもありません。
愛とは何かという定義を探し求めて、一生かけて万巻の書物を読んだり、様々な偉人・賢人と呼ばれる人たちの話を聞いたとしても、愛とは何かという答えは得られないでしょう。
なぜなら、愛とは抽象的な概念ではないので、自分の体験の中でしか知ることはできないからです。
≪愛というものを様々に表現することはできますが、愛を言葉で語り尽くすことはできません。≫
愛とは何かということについて、人に聞いてみれば、おそらく様々な答えが返って来ることでしょう。
そして、それらの言葉のどれもが、愛というもののある側面を表現した言葉だと思いますので、正解と言えば正解だと思います。
ただ、愛とは何かについての、たった一つの答えというものがある訳ではありません。
ですから、愛ということを一言で表現しようとしても愛を語り尽くせる訳ではありませんし、かといって、数百ページにもわたる書物を書けば愛を語り尽くせるというものでもありません。
結局のところ、愛とは抽象的な概念ではなく、体験であり実践でしかないからです。
≪一口に愛と言っても、宇宙的な愛もあれば、人間同士の愛もあり、愛には様々な形があります。≫
一口に愛と言っても、愛には宇宙的な愛もあれば、人間同士の愛もあり、愛には様々な形があります。
そして、私たち人間が愛ということを考える上では、大きく分けると、宇宙的な愛と、人間同士の愛という二つの視点で愛というものについて考える必要があります。
宇宙的な愛とは、敢えて一言でいうならば、この大宇宙の存在そのものが愛だということなのです。
この物理的大宇宙が存在しているということそのものが大宇宙の愛なので、そういう意味においては、この大宇宙には愛しか存在していません。
なぜなら、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけだからです。
大宇宙の森羅万象の全てが大宇宙意識によって営まれていますので、大宇宙の存在そのものが大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、大宇宙の森羅万象の全てが大宇宙意識の愛の中にあるのです。
宇宙的な愛というのは、大宇宙の真理・摂理とか、大宇宙を成り立たせている根本法則ということと同義語でもありますので、宇宙的な愛というのは、厳粛であり、峻厳犯すべからざるものになります。
宇宙的な愛というのはとても厳粛なものであり、私たち人間の都合のよい視点で捉えられるようなものではありませんので、今回は少し触れる程度にとどめて、機会があればまた別の機会に書いてみたいと思います。
少しだけ宇宙的な愛ということについて触れておきますが、宇宙的な愛というのは、この大宇宙が存在していることそのものが愛なので、宗教などでよく語られるような、神の愛とか、仏の慈悲というような、人間味を帯びた概念ではなく、もっともっと厳粛でスーパーなものになります。
例えば、昔から太陽信仰というものがあったように、太陽の光、お天道様の日の光に神の愛とか、仏様の慈悲というものを感じる人々も多いかも知れません。
この大宇宙の存在そのものが愛なので、もちろん、太陽の光も、宇宙的な愛の一つの側面ではあります。
しかし、私たちの地球を照らす太陽は、数十億年後には燃え尽きてしまいますので、いずれ地球上の生物は、死滅することになります。
宇宙的な愛とは、数十億年後に太陽が燃え尽きてしまい、いずれ地球上の生物が全て死滅することも含めて、全てが宇宙的な愛なのです。
もちろん、私たち人類は、太陽が燃え尽きる前には、太陽系以外の他の惑星に移住できるような科学的水準に到達していますので、私たち人類は他の惑星で生き延びることになりますが、動物や植物などは、太陽が燃え尽きる前には全滅せざるを得ません。
元々太陽も地球も月も数十億年前には誕生していませんでしたし、太陽の寿命もあと数十億年で燃え尽きてしまうものなので、地球上の動植物が永遠に存続できる訳ではありません。
私たち人間の視点から見ると、それらはとても厳粛で厳しいものに感じられるかも知れませんが、私たちが住む地球という惑星だけではなく、太陽・月・星、さらには銀河や大銀河団が誕生したりやがて消滅していくことなども含めて、宇宙規模での大宇宙の森羅万象の全ての営みが、宇宙的な愛の中にあるのです。
大宇宙の森羅万象の全ての営みが、大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、宇宙的な愛の中にありますので、宇宙的な愛とは、私たち人間が愛という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっともっとスーパーで厳粛なものになります。
もしも今あなたが、不幸・不運のどん底にあると感じていたとしても、あるいは失望のどん底にあったとしても、それもまた宇宙的な愛の中に包まれていることなので、宇宙的な愛というものも、結局のところは、抽象的な概念としてではなく、体験の中で実践的に学んでいくしか方法はありません。
例え今この地球上で、戦争やテロや殺人など、どんなに悲劇的と思える出来事が起きていたとしても、あるいはまた、大地震や大津波や火山の噴火などの悲劇的と思えるような天変地異が起きていたとしても、それらもまた宇宙的な愛の中にあるものなので、宇宙的な愛というものも、結局のところは、抽象的な概念としてではなく、体験の中で実践的に学んでいくしか方法はないのです。
宇宙的な愛というのは、大宇宙の真理・摂理と同義語であり、大宇宙の森羅万象を貫く力(法則)と同じものなので、とても峻厳犯すべからざる厳粛なものなので、機会があればまた別の時に改めて書いてみたいと思います。
今日のところは、人間同士の愛というものについて、少し書いておきたいと思います。
≪愛には決まった形がある訳ではなく、結局のところ、日々の体験の中で実践していくしか道はありません。≫
愛とは何かということを定義することは難しく、愛とは抽象的な概念ではないので、結局のところ、日々の生活の中での体験として実践的に学んでいくしか道はありません。
人間同士の愛にも、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、男女間の愛、友人同士の愛など、様々な愛がありますが、ここで大切なことは、愛には決まった形がある訳ではなく、何が愛なのかということも、本当のところはよく分からないということなのです。
例えば、親が子供に対して甘い、親が子供を甘やかすというのも、一つの愛の形かも知れません。
あるいはその逆に、親が子供に対して厳しい、親が子供を厳しくしつけて教育するというのも、一つの愛の形かも知れません。
そして、親の愛とは子供を甘やかすことと定義することも出来なければ、親の愛とは子供に対して厳しくすることと定義することもできません。
そして、相手(子供)がそれを愛と受けとめて喜ぶかどうかということ、あるいはそれが本当に相手(子供)のためになるのかどうかということもまた別問題になります。
例えば、親が自分の子供に対して一流大学に入って一流企業に就職することを望み、勉強させようと愛情を注いでいるとします。
しかし、子供の方では、一流大学に入って一流企業に就職することを望んでおらず、親の価値観を押し付けられていると感じており、それを親のエゴだと感じているかも知れません。
人間同士の愛というのは、自分と相手があってのものなので、これが愛だというような何かのマニュアルのような形がある訳ではなく、あくまでも、ケースバイケースなので、一つひとつを日々の体験の中で学び実践していくしか方法がないものなのです。
例えば、贈り物というのもそうです。
自分が愛の行為として誰かに贈り物をしたとしても、それを相手がどう受けとめるのかは相手側の問題であり、それが本当に愛なのかどうかも、本当のところはよく分からないということなのです。
例えば、贈り物を受け取った相手の立場からすれば、贈り物をいただいて、それがとても気に入ったとしても、その贈り物に対して、何か別の形でお返ししなければと考え、少し複雑な気持ちになるかも知れません。
いただいた贈り物が高価なものであればあるほど、何かの形でお返ししなければいけないという気持ちを強く感じることになりますので、自分が誰かに対して贈り物をすることで、逆に相手にも余計な気遣いや散財をさせてしまうことにもなるかも知れません。
あるいは、いただいた贈り物そのものを、相手があまり気に入らないかも知れません。
例えば、食べ物や飲み物など、口に入れるものであれば、相手の口には合わないものかもしれません。
あるいはまた、洋服などであれば、あまり相手の好みではないかも知れませんし、サイズもピッタリではないかも知れません。
別に贈り物そのものを否定している訳ではなく、人に贈り物をするという真心そのものは尊いものですが、それが愛なのかどうかは、本当のところは、よく分からないということなのです。
人に贈り物をするのが愛だということもできなければ、人に贈り物をしない方が愛なのだということもできません。
あくまでも、ケースバイケースなのだということなのです。
そして、大切なことは、自分が愛の心で他者に行った行為に対して、とらわれないことです。
例え自分が真心からの愛の気持ちで行ったことであったとしても、それをどう受けとめるのかは相手の自由であり、相手側の問題なのです。
自分が愛と思ったものが、相手にとっても愛だとは限りませんので、見返りなども期待しないことです。
自分から他者への愛ということに関しては、このポイントを押さえておくことが大切だと思います。
そして、人間同士の愛ということに関しては、他者から自分への行為をどう受け止めるのかという視点も必要になりますが、このことに関しては、別の機会にまた改めて書いてみたいと思います。
「断捨離」で物だけでなく人間関係や情報・概念なども整理して片付けるとエネルギーが高まる
≪「断捨離」して自分の身の回りにある様々な物だけでなく、様々な人間関係や情報・概念・思想なども整理整頓して片づけると、エネルギーが高まります。≫
今日は、自分のエネルギーを高めていく方法として、今話題になっている「断捨離」という言葉も交えながら、少し書いてみたいと思います。
近年、「断捨離」や、片付けということに関する関心が高まっており、本も売れているようです。
「断捨離」は、「断・捨・離」として2010年の流行語にも選ばれ、近年では「断捨離」を実践する人は「ミニマリスト」とも呼ばれます。
また、ベストセラーになった片付けに関する本もあるくらいで、「断捨離」や片付けということに関心が高まっているのには、それなりの理由があるのだと思います。
自分の身の回りにある、不必要となった様々な物を思い切って処分して整理整頓すると、かなりスッキリします。
あなたにも、そんな経験はありませんか?
様々な物を減らすと、空間が広くなって物理的にスッキリするだけではなく、精神的にもかなりスッキリします。
そして、「断捨離」したり、物を片付けたり整理整頓したりすることによる、精神的なスッキリ感がとても大切だと思います。
そして、「断捨離」したり、物を片付けたり整理整頓したりすることは、単に物だけではなく、人間関係や情報、様々な概念や思想などにも使えるものであり、自分自身のエネルギーを高めていく上では、とても大切なポイントになります。
≪自分にとって不必要な物・人・情報・概念・思想などによってエネルギーが漏電してしまう≫
あなたが、自分のエネルギーを高めたいと望むのであれば、自分の身の回りから、自分にとって必要のないものをどんどん遠ざけていく必要があります。
なぜだか分かりますか?
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それは、私たちが、自分の身の回りにあるものによって、知らず知らずのうちに、影響を受けているからなのです。
例えば、あなたが、特に見ている訳でもないのに、テレビを付けっ放しにしていたとします。
あなたは特に見ていないつもりかも知れませんが、そのテレビ番組が発している周波数を浴びていますので、自分は見ていないつもりでいても、無意識のうちに影響を受けているのです。
通信機器だけではなく、物においてもそうです。
自分にとってもう必要のない服や書物や様々なものが自分の身の回りにあるだけで、それらを何気なく目にするだけでも知らず知らずのうちに影響を受けています。
自分にとってもう必要のない服や書物や様々なものが自分の身の回りにあるだけで、知らず知らずのうちにエネルギーが漏電しているのです。
自分にとってもう必要のない服や書物を思い切って処分した時には、自分の古いエネルギーの一部を解放したような気分がしたり、自分の過去の一部を手放すことができたような感じを受けることもあります。
人間関係においても同じことが言えます。
昔からことわざに「朱に交われば赤くなる」という言葉がある通り、私たちは、人と接することによって、知らず知らずのうちに影響を受けています。
自分が付き合う人によって知らず知らずのうちに影響を受けていますので、自分にとってプラスと感じられないような人間関係は、どんどん距離を置いていくように心がけた方が賢明だと思います。
そして、様々な概念や思想などについても、同じことが言えます。
自分の中にある常識・固定観念・認識などは、自分が取り込んだものです。
自分の中にある常識・固定観念・認識などのうち、もう必要のない古い概念は、どんどん手放していくことが大切です。
自分にとって必要のない古い概念によって、知らず知らずのうちにエネルギーが漏電してしまいます。
≪物・人・情報・概念を「断捨離」したり整理することで、欲望もコントロールし、自分のエネルギーを高く保つ≫
自分のエネルギーを高く保つためには、自分の身の周りを、エネルギーを高めてくれるもので固めていく必要があります。
自分のエネルギーを低くしてしまうものが自分の身の回りにあると、知らず知らずのうちにエネルギーを吸い取られてしまい、エネルギーが漏電してしまいます。
ですから、自分のエネルギーを高く保ちたければ、漏電を防ぐ努力・心掛けが大切になります。
そして、このことは、自分の中にある欲望をコントロールしていくためにも大切です。
前回の『食欲・性欲・睡眠欲などは本能的欲求であり、欲を捨てようとすること自体が執着心となる』、こちらの記事の中でも書きましたが、人間の欲望そのものは天から与えられているものなので、「捨欲」というのは無駄な努力になりますが、欲望をコントロールして生きることは大切なことです。
そして、欲望をコントロールして生きる上で、必要のないものを「断捨離」したり片付けしたり整理することは大切です。
例えば、お菓子やキャンディー、ケーキやアイスクリームなど、甘いものや食べることが大好きな女性が、肥満に悩み、ダイエットしたいと考えているとします。
もし仮に、あなたがその女性だったとしたら、あなたならどうしますか?
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あなたがもしその女性で、ダイエットを望むのであれば、あなたが最初にやるべきことは、まず、お菓子やケーキなど、あなたの食欲を刺激するものを自分の身の回りから遠ざけることなのです。
自分が大好きなお菓子やキャンディーやポテトチップスなどが目の前にある状態でダイエットしようと思いながら、机に向かって何かの勉強をしたり、パソコンで仕事をしたりということが、集中的にできるでしょうか?
もし仮に、勉強やパソコンでの仕事など、机に向かっている間、目の前にあるお菓子やキャンディー・ポテトチップスなどを食べずに我慢できたとしても、あなたは、知らず知らずのうちに、大好きなお菓子やキャンディー・ポテトチップスなどに意識が向いてしまい、エネルギーを漏電してしまいます。
その結果として、知らず知らずのうちに、集中力もそがれてしまうのです。
これは、実際に食べられるお菓子やキャンディー・ポテトチップスなどだけではなく、本や雑誌、あるいはインターネット上の写真などでも同じことが言えますので、もしダイエットしたいのであれば、食欲を刺激する本や雑誌、あるいはインターネット上の写真などを遠ざけておくことが大切になります。
男性などで、パチンコや競輪・競馬・競艇などの賭け事やギャンブルなどにハマって悩んでいる人の場合は、まず、それらの欲望を刺激するような本や雑誌・インターネットのサイトや広告などを意識的に遠ざける心掛けが必要となります。
若い男性などで、性欲に悩んでいる場合は、まず、女性の水着姿などのエッチな写真が載っている雑誌や本、インターネットの広告やサイトなどを意識的に遠ざけることが必要になります。
お金(マネー)儲けや投資話などが好きで悩んでいる人の場合は、それらを刺激するような雑誌や本、インターネットの広告やサイトなどを意識的に遠ざけることが必要になります。
人間というものは弱いものなので、既に欲望が刺激されてしまっている状態で欲望をコントロールするのは難しくなります。
既に欲望を刺激されてしまってから欲望をコントロールしようとするのではなく、なるべく欲望を刺激されないように、まず、欲望を刺激するものを自分の身の回りから遠ざける努力・心掛けが大切になります。
ちょっとした心掛けですが、エネルギーの漏電を抑え、自分自身のエネルギーを高く保っていくためには、大切な心掛けだと思います。
≪自分に必要のない物・人・情報・概念が入って来ないように心掛けることが大切≫
現代は、テレビやラジオ、新聞・雑誌・書籍などだけではなく、インターネットなどの普及により、日々膨大な量の情報が流れて来ますので、自分に必要のない情報や概念が入って来ないように、意識的に遠ざける心掛けが大切になります。
特に、大地震や津波、あるいは火山の噴火などの天変地異を恐れている人たちは、それらの情報に意識を向けすぎて、エネルギーが漏電しないように注意する必要があります。
大地震や津波、あるいは火山の噴火などの天変地異を既に恐れてしまっている状態で、恐れから逃れたくてインターネットやテレビなどから様々な情報を取り入れても、エネルギーが漏電するだけであり、自分自身のエネルギーを高く保ち続けることができません。
未来は100パーセント確定していますので、そのことがハッキリと確信できるようになれば、大地震や津波、あるいは火山の噴火などの天変地異だけではなく、あらゆることに対して、良くも悪くもジタバタしてもしょうがないということが分かるようになります。
大地震や津波、あるいは火山の噴火などの天変地異などを自分が必要以上に恐れたりしないように心掛けるだけではなく、そのようなネガティブ情報の洪水に巻き込まれたりしないように注意する必要があります。
インターネット上では洪水のように日々情報が溢れているだけではなく、ツイッターやフェイスブックをはじめとしたSNSの普及などにより、自分でも処理しきれないような膨大な人間関係もできたりしますので、リアルとバーチャル両面においても、人間関係を「断捨離」したり片づけしたり整理していくことも大切だと思います。
食欲・性欲・睡眠欲などは本能的欲求であり、欲を捨てようとすること自体が執着心となる
≪欲望というのは、元々天から人間に与えられているものなので、欲を捨てようとするのは無駄な努力です。食欲・性欲・睡眠欲などの本能的欲求を始め、知識欲・探求欲・金銭欲などの欲求そのものが悪い訳ではなく、自分の欲望をどのようにコントロールしていくかが大切になります。欲を捨てようとする「捨欲」ということ自体が、既に一つの「欲望」であり、執着心となっていることに気付くことが大切です。≫
今日は、人間が持つ「欲望」というものについて、話をしてみたいと思います。
あなたは、人間が欲望を持つのは、悪いことだと思いますか?
また、あなた自身が、欲を持つのは悪いことだから、欲を捨てようとして苦しんだ経験があるのではないですか?
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結論から先に申しますと、人間の欲望そのものが悪い訳ではありませんし、また、欲を捨てようと努力しても、欲そのものを捨てることは誰にもできません。
なぜだか分かりますか?
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欲そのものを捨てることは、誰にもできません。
なぜなら、欲望というのは、元々天が人間に与えているものだからです。
人間が持つ欲望そのものは、元々人間に与えられているものなので、欲望そのものが悪いという訳ではないのです。
例えば、人間の三大欲求とも言われる、食欲・性欲・睡眠欲が無ければ、人間は肉体を維持していくことはできませんし、私たち人類という種が生命を後世につなげていくこともできません。
性欲は悪いものと決めつけたところで、人間に性欲というものが本来本能として備わっていなければ、そもそもあなたはこの世に存在していませんし、もちろん、私もこの世に存在していません。
あなたを生んで育てて下さったお父さんやお母さんも、もちろん、この世に存在していません。
性欲(せいよく)の「せい」は、生命(せいめい)の「せい」に通じており、聖(せい)なるものにも通じています。
人間の生命という、かけがえのない聖なるものに通じている、一番根源的な欲求が性欲でもあります。
私たち人間だけではなく、動物たちも、繁殖の時期を迎えると、一生懸命に生殖活動を行って、かならず生命を後世につないでいきます。
そうやって、種の生命は、バトンタッチされながら引き継がれていくのです。
もし、人間に本能として性欲というものが天から与えられていなければ、人類の歴史は、最初の人間とされるアダムとイブで終わっていたことでしょう。
ですから、性欲そのものは、元々本能として天から与えられているものなので、性欲そのものが悪い訳ではなく、自分がそれをどう扱うのかだけが問題なのです。
食欲にしても、もし食欲というものがなければ、私たちは、肉体を維持していくことができません。
肉体を維持していくために、食欲というのは、天から人間に本能として与えられているものなので、食欲そのものが悪い訳ではありません。
お腹が空けば、何か食事が欲しくなるのは当然のことですし、自分の嫌いな食べ物よりは、自分の好物のおいしいものを食べたいと望むのは、自然なことだと思います。
食欲そのものが悪い訳ではなく、食欲をどう扱うのかだけが問題なのです。
食欲のおもむくままに食欲に負けて暴飲暴食していたら、健康を害したり、食費がかさんだりして自分が苦しむことにもなりますので、自分の食欲をどう扱うのかだけが問題になります。
金銭欲というものも、必ずしも悪い訳ではありません。
現代の貨幣経済の中で生きる私たちは、社会生活を営む上で、誰でもお金(マネー)は必要ですし、貨幣経済が無くならない限りは、何びとと言えども、お金(マネー)の仕組みからは逃れることはできません。
ですから、自分が生活していけるだけの生活費を得たい、生活をしていくために十分なお金(マネー)が欲しいと思うのは、当然のことであり、金銭欲そのものが悪い訳ではありません。
ただ、金銭欲が「行き過ぎた欲望」となって、必要以上のお金(マネー)を得るために法律を犯したり、人様に迷惑をかけたりすることのないように、金銭欲をきちんとコントロールすることが大切になります。
金銭欲そのものが悪い訳ではなく、自分が金銭欲をどう扱うのかだけが問題なのです。
「欲」という言葉を聞くと、何か否定的な悪いイメージを持たれる方も多いかも知れません。
しかし、「欲」には、知識欲、探求欲という欲求もあり、それも元々天から人間に与えられているものなのです。
もし、人間に知識欲、探求欲というものが与えられていなければ、人間は文明を築くこともなく、いつまでも原始的な生活を送っていたことでしょう。
良くも悪くも、現代の私たちが、こうして文明の恩恵を受けて、便利で豊かな生活が送れるのも、人間に元々与えられている知識欲や探求欲があってこそのものなのです。
知識欲や探求欲を探求心と置き換えることも出来るかも知れませんし、似たような言葉で向上心という言葉もあります。
それらは元々天から人間に与えられているものであり、もっと知りたい、もっと究めたい、もっと向上したいという欲求があるからこそ、人類の文明もここまで進歩してくることができました。
ですから、「欲」というものそのものは何ら否定されるべきものではなく、ただ、「欲」をどう扱うのかだけが問題なのです。
そして、「欲」というのは元々人間に与えられているものなので、「欲」を捨てようとする「捨欲」という努力は無駄な努力になります。
なぜだか分かりますか?
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≪欲を捨てようとすること自体が既に一つの「欲望」であり、執着心となる≫
「欲」というのは元々人間に与えられているものなので、「欲」を捨てようとする「捨欲」という努力は無駄な努力になります。
なぜなら、「欲」を捨てようとすること自体が既に「欲を捨てたいという欲望」なのです。
「欲」を捨てようとして「欲を捨てたいという欲望」を抱いてしまっていることに気付くことが大切になります。
「欲」を捨てようとする「捨欲」という努力自体が、既に「欲を捨てたいという欲望」なので、「欲」を捨てようとしても、「欲」はなくなりません。
「欲」を捨てようとすること自体が既に「欲を捨てたいという欲望」になっているので、「欲」を捨てようとして何年、あるいは何十年、座禅を組んだり瞑想したり修行をしてみたところで、「欲」はなくなりません。
歴史に名を残すような禅の高僧と言われる人でも、「欲を捨てたいという欲望」を自分が抱いていることに気付けないと、禅病と呼ばれるような、一種の神経衰弱、あるいはノイローゼのような状態を経験しているようです。
「欲を捨てたいという欲望」を自分が抱いていることに気付かないまま、「欲」を取ろうとして座禅を組んだところで、それは本来無駄な努力なので、瞑想(めいそう)が「迷走(めいそう)」になってしまうのです。
欲望というのは、元々天から人間に与えられているものなので、欲を捨てる「捨欲」ということは誰にもできません。
「欲」を捨てたいという思い自体が、既に「欲を捨てたいという欲望」になっているのです。
ですから、欲をなくすことは、誰にもできないのです。
では、どうすれば、良いのでしょうか?
≪欲望をきちんとコントロールして、自分の能力を最大限に発揮して生きることが大切≫
欲を捨てることは誰にもできませんので、「捨欲」というのは、無駄な努力になります。
「欲」を捨てるのではなく、自分の「我欲」を超えた、もっと大きな「欲」を持つことが大切になります。
例えば、平和な世の中になるように、自分にできる何かの貢献をして自分を役立たせたいというのも、一つの「大いなる欲望」と言えるかも知れません。
人間の三大欲求と言われる、食欲・性欲・睡眠欲という本能的欲求をはじめとして、知識欲、探求欲、金銭欲などを、自分できちんとコントロールしながら、自分に与えられた能力を最大限に発揮して、世の中に役立つような自己を築き上げたいという、「大いなる欲望」を持つことが大切になります。
「世紀の哲人」と言われた中村天風さんという人は、「捨欲」などという無駄なことを考えるのではなく、「無欲の大欲」とでも言うべき、世のため人のために役立つような自己を築きあげるという、「大いなる欲望」の炎を燃やして生きなさいと説かれています。
欲望そのものは、天から人間に与えられているものなので、欲望をなくすることは、誰にもできません。
欲を捨てようとすること自体が、既に一つの「欲望」になっていることに気付くことが大切になります。
欲というものが元々天から万人に与えられているということを自覚して、自分の中にある欲望をきちんと扱っていくことが大切になります。
自分の中にある欲望をきちんと扱うことができないと、自分自身が苦しむことになります。
さらには、「行き過ぎた欲望」によって、他の人にも迷惑をかけてしまうかも知れません。
ですから、自分の中にある欲望をきちんとコントロールしながら生きて行くことが大切になります。
そして、自分に与えられた生命を最高に輝かせ、自分の能力を最大限に発揮して、世の中に役立つような自己を築き上げることが大切になります。
平和な世の中が創造されていくことへの「欲求」、そしてそのために自分を役立たせたいという「欲求」を持ち、「無欲の大欲」とでも言うべき、「大いなる欲望」を抱くことが大切になります。
そういう人たちが一人でも多く増えていけば、世の中はもっと明るくなっていくことでしょう。
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あなたは、人間が欲望を持つのは、悪いことだと思いますか?
また、あなた自身が、欲を持つのは悪いことだから、欲を捨てようとして苦しんだ経験があるのではないですか?
あなたが、人間が欲望を持つのは、悪いことだと考えてきたとしても、別にあなたが悪い訳ではありません。
ただ、世の中に古くからある考え方などによって、人間が欲を持つのは悪いことであり、欲は捨てなければならないと思い込まされてきただけなのです。
そして、あなた自身が、自分の中にある欲を捨てようとして苦しんだ経験があったとしても、別にあなたが悪い訳ではありません。
ただ、世の中に古くからある考え方などをあなたが取り入れてしまったことで、自分自身を苦しめてきただけなのです。
「欲」を取ろうとすること自体が、既に一つの「欲望」なのだと気付くことができれば、もっとやさしい気持ちでいられますよ。
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