竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
愛とは何かと定義することは難しく、愛とは抽象的な概念ではなく、体験であり実践でしかない
- 2016年5月11日 19:22
- Posted by Yamatofuji
≪愛とは何かと定義することは難しいです。なぜなら、愛とは抽象的な概念などではなく、体験であり、実践でしかないからです。≫
今日は、愛ということについて少し書いてみたいと思います。
愛とは何でしょうか?
あなたは、愛という概念について悩んだ経験があるのではないでしょうか?
あなたは、愛とは何だと思いますか?
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・
・
愛とは何かについて、答えることは難しいです。
なぜなら、愛とは、抽象的な概念などではなく、結局のところ、体験であり、実践でしかないからです。
愛というものは、抽象的な概念ではありませんので、愛について書かれた書物を何千冊、あるいは何万冊読んだところで、愛というものが分かるという訳でもありません。
あるいは、世界中の聖者や教祖やマスターや先生と呼ばれるような人たちの話を色々聞いたからといって、それで愛というものが分かるという訳でもありません。
愛とは何かという定義を探し求めて、一生かけて万巻の書物を読んだり、様々な偉人・賢人と呼ばれる人たちの話を聞いたとしても、愛とは何かという答えは得られないでしょう。
なぜなら、愛とは抽象的な概念ではないので、自分の体験の中でしか知ることはできないからです。
≪愛というものを様々に表現することはできますが、愛を言葉で語り尽くすことはできません。≫
愛とは何かということについて、人に聞いてみれば、おそらく様々な答えが返って来ることでしょう。
そして、それらの言葉のどれもが、愛というもののある側面を表現した言葉だと思いますので、正解と言えば正解だと思います。
ただ、愛とは何かについての、たった一つの答えというものがある訳ではありません。
ですから、愛ということを一言で表現しようとしても愛を語り尽くせる訳ではありませんし、かといって、数百ページにもわたる書物を書けば愛を語り尽くせるというものでもありません。
結局のところ、愛とは抽象的な概念ではなく、体験であり実践でしかないからです。
≪一口に愛と言っても、宇宙的な愛もあれば、人間同士の愛もあり、愛には様々な形があります。≫
一口に愛と言っても、愛には宇宙的な愛もあれば、人間同士の愛もあり、愛には様々な形があります。
そして、私たち人間が愛ということを考える上では、大きく分けると、宇宙的な愛と、人間同士の愛という二つの視点で愛というものについて考える必要があります。
宇宙的な愛とは、敢えて一言でいうならば、この大宇宙の存在そのものが愛だということなのです。
この物理的大宇宙が存在しているということそのものが大宇宙の愛なので、そういう意味においては、この大宇宙には愛しか存在していません。
なぜなら、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけだからです。
大宇宙の森羅万象の全てが大宇宙意識によって営まれていますので、大宇宙の存在そのものが大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、大宇宙の森羅万象の全てが大宇宙意識の愛の中にあるのです。
宇宙的な愛というのは、大宇宙の真理・摂理とか、大宇宙を成り立たせている根本法則ということと同義語でもありますので、宇宙的な愛というのは、厳粛であり、峻厳犯すべからざるものになります。
宇宙的な愛というのはとても厳粛なものであり、私たち人間の都合のよい視点で捉えられるようなものではありませんので、今回は少し触れる程度にとどめて、機会があればまた別の機会に書いてみたいと思います。
少しだけ宇宙的な愛ということについて触れておきますが、宇宙的な愛というのは、この大宇宙が存在していることそのものが愛なので、宗教などでよく語られるような、神の愛とか、仏の慈悲というような、人間味を帯びた概念ではなく、もっともっと厳粛でスーパーなものになります。
例えば、昔から太陽信仰というものがあったように、太陽の光、お天道様の日の光に神の愛とか、仏様の慈悲というものを感じる人々も多いかも知れません。
この大宇宙の存在そのものが愛なので、もちろん、太陽の光も、宇宙的な愛の一つの側面ではあります。
しかし、私たちの地球を照らす太陽は、数十億年後には燃え尽きてしまいますので、いずれ地球上の生物は、死滅することになります。
宇宙的な愛とは、数十億年後に太陽が燃え尽きてしまい、いずれ地球上の生物が全て死滅することも含めて、全てが宇宙的な愛なのです。
もちろん、私たち人類は、太陽が燃え尽きる前には、太陽系以外の他の惑星に移住できるような科学的水準に到達していますので、私たち人類は他の惑星で生き延びることになりますが、動物や植物などは、太陽が燃え尽きる前には全滅せざるを得ません。
元々太陽も地球も月も数十億年前には誕生していませんでしたし、太陽の寿命もあと数十億年で燃え尽きてしまうものなので、地球上の動植物が永遠に存続できる訳ではありません。
私たち人間の視点から見ると、それらはとても厳粛で厳しいものに感じられるかも知れませんが、私たちが住む地球という惑星だけではなく、太陽・月・星、さらには銀河や大銀河団が誕生したりやがて消滅していくことなども含めて、宇宙規模での大宇宙の森羅万象の全ての営みが、宇宙的な愛の中にあるのです。
大宇宙の森羅万象の全ての営みが、大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、宇宙的な愛の中にありますので、宇宙的な愛とは、私たち人間が愛という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっともっとスーパーで厳粛なものになります。
もしも今あなたが、不幸・不運のどん底にあると感じていたとしても、あるいは失望のどん底にあったとしても、それもまた宇宙的な愛の中に包まれていることなので、宇宙的な愛というものも、結局のところは、抽象的な概念としてではなく、体験の中で実践的に学んでいくしか方法はありません。
例え今この地球上で、戦争やテロや殺人など、どんなに悲劇的と思える出来事が起きていたとしても、あるいはまた、大地震や大津波や火山の噴火などの悲劇的と思えるような天変地異が起きていたとしても、それらもまた宇宙的な愛の中にあるものなので、宇宙的な愛というものも、結局のところは、抽象的な概念としてではなく、体験の中で実践的に学んでいくしか方法はないのです。
宇宙的な愛というのは、大宇宙の真理・摂理と同義語であり、大宇宙の森羅万象を貫く力(法則)と同じものなので、とても峻厳犯すべからざる厳粛なものなので、機会があればまた別の時に改めて書いてみたいと思います。
今日のところは、人間同士の愛というものについて、少し書いておきたいと思います。
≪愛には決まった形がある訳ではなく、結局のところ、日々の体験の中で実践していくしか道はありません。≫
愛とは何かということを定義することは難しく、愛とは抽象的な概念ではないので、結局のところ、日々の生活の中での体験として実践的に学んでいくしか道はありません。
人間同士の愛にも、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、男女間の愛、友人同士の愛など、様々な愛がありますが、ここで大切なことは、愛には決まった形がある訳ではなく、何が愛なのかということも、本当のところはよく分からないということなのです。
例えば、親が子供に対して甘い、親が子供を甘やかすというのも、一つの愛の形かも知れません。
あるいはその逆に、親が子供に対して厳しい、親が子供を厳しくしつけて教育するというのも、一つの愛の形かも知れません。
そして、親の愛とは子供を甘やかすことと定義することも出来なければ、親の愛とは子供に対して厳しくすることと定義することもできません。
そして、相手(子供)がそれを愛と受けとめて喜ぶかどうかということ、あるいはそれが本当に相手(子供)のためになるのかどうかということもまた別問題になります。
例えば、親が自分の子供に対して一流大学に入って一流企業に就職することを望み、勉強させようと愛情を注いでいるとします。
しかし、子供の方では、一流大学に入って一流企業に就職することを望んでおらず、親の価値観を押し付けられていると感じており、それを親のエゴだと感じているかも知れません。
人間同士の愛というのは、自分と相手があってのものなので、これが愛だというような何かのマニュアルのような形がある訳ではなく、あくまでも、ケースバイケースなので、一つひとつを日々の体験の中で学び実践していくしか方法がないものなのです。
例えば、贈り物というのもそうです。
自分が愛の行為として誰かに贈り物をしたとしても、それを相手がどう受けとめるのかは相手側の問題であり、それが本当に愛なのかどうかも、本当のところはよく分からないということなのです。
例えば、贈り物を受け取った相手の立場からすれば、贈り物をいただいて、それがとても気に入ったとしても、その贈り物に対して、何か別の形でお返ししなければと考え、少し複雑な気持ちになるかも知れません。
いただいた贈り物が高価なものであればあるほど、何かの形でお返ししなければいけないという気持ちを強く感じることになりますので、自分が誰かに対して贈り物をすることで、逆に相手にも余計な気遣いや散財をさせてしまうことにもなるかも知れません。
あるいは、いただいた贈り物そのものを、相手があまり気に入らないかも知れません。
例えば、食べ物や飲み物など、口に入れるものであれば、相手の口には合わないものかもしれません。
あるいはまた、洋服などであれば、あまり相手の好みではないかも知れませんし、サイズもピッタリではないかも知れません。
別に贈り物そのものを否定している訳ではなく、人に贈り物をするという真心そのものは尊いものですが、それが愛なのかどうかは、本当のところは、よく分からないということなのです。
人に贈り物をするのが愛だということもできなければ、人に贈り物をしない方が愛なのだということもできません。
あくまでも、ケースバイケースなのだということなのです。
そして、大切なことは、自分が愛の心で他者に行った行為に対して、とらわれないことです。
例え自分が真心からの愛の気持ちで行ったことであったとしても、それをどう受けとめるのかは相手の自由であり、相手側の問題なのです。
自分が愛と思ったものが、相手にとっても愛だとは限りませんので、見返りなども期待しないことです。
自分から他者への愛ということに関しては、このポイントを押さえておくことが大切だと思います。
そして、人間同士の愛ということに関しては、他者から自分への行為をどう受け止めるのかという視点も必要になりますが、このことに関しては、別の機会にまた改めて書いてみたいと思います。
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