竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
2021年10月のアーカイブ
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雪化粧して白銀に輝く日本三霊山・立山に行って来ました!
雪化粧して白銀に輝く日本三霊山・立山に行って来ました。
世界でも有数の豪雪地帯である立山は、既にあたり一面雪だらけの白銀の世界となっていました。
今回、立山に行って来た理由の一つが、2週間前に立山室堂のみくりが池温泉に一泊して行った時、雨と霧で、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来ず、残念に思っていたので、出来れば今年中にもう一度立山の雄姿を仰ぎ見たいという思いがあったからです。
前回立山に行った時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!』
そして、今回急遽前日に思い立って翌日立山に行った理由がもう一つあります。
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実は、数日前に素晴らしいメロディーが湧いて来たので、これはすぐに歌詞を付けて曲を完成させた方が良いと感じました。
今まで受け取って来たメロディーとはまた一味違う感じの素晴らしい輝きのあるメロディーだったので、このメロディーに言霊(歌詞)を付けるにあたっては、一度、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見てから言霊(歌詞)を付けた方が良いと感じたからです。
そこで、早速、翌朝に立山室堂に向かって出発しました。
ケーブルカーの立山駅に向かう途中に、雄山神社中宮祈願殿がありますので、まずそちらに参拝して、ご挨拶してから立山駅に行きました。
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ケーブルカーと立山高原バスを乗り継いで立山室堂に行ってみると、そこは辺り一面雪だらけの白銀の世界となっていました。
とても美しい銀世界ではあったのですが、天候は曇りで、立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来るような雲行きではありませんでした。
視界こそあるものの、立山は厚い雲に覆われていました。
そのことは残念に思いつつも、室堂のみくりが池を一周している時に、メロディーに付ける言霊(歌詞)のイメージがすぐに湧いてきて、今回立山まで来た目的の一つはすぐに達成されたような満足感はありました。
それでも、出来れば立山の雄姿を一目仰ぎ見たいという強い気持ちがあり、少し時間を置いて午後からなら、もしかして雲が晴れる一瞬があるかも知れないと考えました。
ちょうど今回は、立山黒部アルペンルート開通50周年記念の切符だったので、室堂からトロリーバスで立山の反対側・長野県側の大観峰まで往復できる切符となっていました。
そこで、ひとまず室堂の散策を切り上げて、大観峰まで行き、午後からの天候の回復に望みを託すことにしました。
大観峰も濃霧の為、黒部湖・黒部ダムを見下ろすことも出来ず、視界不良の状態でした。
大観峰でひと時を過ごし、室堂に戻ってみると、なんと、あれだけ厚かった雲が見る見る内に上空へと昇って行き、視界が晴れてきて、立山がその神々しい姿を少しずつ現して来ました。
そして、ほとんど雲一つないような形で、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来ました!
主峰である雄山山頂に鎮座されている雄山神社峰本社の姿も仰ぎ見ることが出来ました!
ほんの10分間程のことでしたが、立山を覆っていた雲が見る見る内に上昇して行き、一瞬ではありましたが、日本三霊山・立山の神々しい雄姿を見せていただくことが出来ました。
立山の雄姿を完全な形で見せていただいた後は、すぐにまた厚い雲が立山を覆い始め、まったく立山が見えない状態となりましたので、今回立山まで来た目的は十分に達成された満足感を抱きつつ、立山を後に下山しました。
帰宅するまでの間に、曲の言霊(歌詞)も全部浮かんできたので、新しい曲がまた1曲完成することになりました。
素晴らしい曲が完成しましたので、いずれCDに収録して発表したいと思います。
来年令和4年(西暦2022年)、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の7月1日の目出度き日に、神国日本の新しい時代を告げる新しい時代のエネルギーが旋風となって日本を吹き抜けて行くことになります。
富山城址公園、真国寺・長岡御廟、富山護国神社に行って来ました!
富山城(富山城址公園)、真国寺・長岡御廟、富山護国神社に行って来ました。
半日程掛けて、今まで行っていなかった富山市内の聖地に行って来ました。
昨夜は富山市内でクラシックコンサートを聴くことになっており、日帰りで行けたのですが、何故か、前日に富山市内のホテルに、たまには泊まってみようと思い、予約を入れていました。
コンサート当時の朝、ホテルをチェックアウトしてから、夜のコンサートまで、何をしようか明確に決めていなかったのですが、立山の室堂まで半日掛けて行くつもりでいました。
と言うのも、先週一泊二日で立山・室堂のみくりが池温泉に泊まり、黒部湖・黒部ダムにも行ったのですが、立山の室堂周辺は、雨と霧で視界不良だったからです。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!』
黒部湖・黒部ダムは曇りだったので、それなりに楽しめたものの、室堂から日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来なかったので、もう一度日帰りで行きたいと考えていました。
幸い、22日は天候も晴れそうだったので、立山・室堂に行こうと思いつつ、どうしても切符の予約を入れる気になれず、かと言って、特に行きたい所がある訳でもなく、せっかくホテルを取ったのに、半日時間を無駄にしてしまうのかな、という感じがありました。
夕食前の時間になって、思いがけず、越中富山を治めた前田藩に関する聖地、そして富山・日本を守る為に貴い命を犠牲にされた、富山の英霊を祀る富山護国神社に参拝しようという気持ちになりました。
今まで、訪れたことがなく、また、今までは全く関心が薄かった所とも言えます。
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越中富山の前田藩は、お隣の加賀百万石の前田藩の分家にあたります。
今年9月に、高岡古城公園内にある越中国一宮射水神社と霊山二上山に参拝した時に、思いがけず、越中富山とご縁の深かった、加賀前田藩二代目前田利長公のことを知り、前田家について少し関心を持っていたところでした。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『越中国一宮射水神社と霊山二上山に参拝して来ました!』
富山城の本丸跡は現在、富山城址公園として開放されています。
まずは、前田藩の拠点であり、富山の中心地であった富山城址公園を訪れようと思いました。
そして、前田藩の歴代藩主のお墓が、市内の郊外に、長岡御廟としてあることを知り、そこを管理されている真国寺があることも知ったので、そちらにも参拝したいと考えました。
真国寺は曹洞宗のお寺であり、長岡御廟に隣接しています。
そして、地元富山の英霊が祀られている富山護国神社にも参拝したいと考えました。
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今回、半日程、富山市内で時間が取れたことで、思いがけず、今まで行ったことがなく、さらに言えば、あまり関心がなかったような聖地に行くことが出来ました。
自分が生まれ育った場所、あるいは、今自分が住んでいる場所について、改めて、関心を抱いて想いを馳せてみる良い機会になったような感じがしました。
立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!
立山黒部アルベンルートで立山の室堂とみくりが池温泉、黒部湖・黒部ダムに行って来ました。
また、麓の立山町にある雄山神社前立社壇、雄山神社中宮祈願殿、上市町にある大岩山日石寺、眼目山立山寺にも参拝して来ました。
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一泊二日の予定で、立山黒部アルペンルートで黒部湖・黒部ダムと、室堂のみくりが池温泉に泊まって室堂周辺を散策して紅葉の立山を楽しむべく、立山へと行って来ました。
ところが、立山はあいにくの雨と濃霧でした。
当初は初日を室堂とみくりが池周辺を散策して、二日目に黒部湖・黒部ダムに行く予定だったのですが、立山駅からケーブルカーに乗っている時に、予定を変更して、まずは黒部湖・黒部ダムに行くことにしました。
立山の反対側の黒部湖・黒部ダムは長野県であり、天候は曇りとなっており、まずますの状況だったからです。
黒部湖・黒部ダムには、今年8月に最初に行くことが出来ました。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山黒部アルペンルートで黒部湖・黒部ダムに行って来ました!』
黒部湖・黒部ダムはとっても良かったのですが、同じ場所にそうそう何回も行っていられないので、もう1回、黒部湖・黒部ダムの見納めの積りで、今回行くことに決めました。
黒部湖・黒部ダムは、やはりとても奥深い所であり、大自然の雄大さ・奥深さに触れることが出来、もう一度行けて良かったと思います。
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黒部湖・黒部ダムから室堂に戻っても、やはりすごい濃霧で視界がほとんど無い状態だったので、まっすぐにみくりが池の畔にあるみくりが池温泉へと向かい、夕方前からの時間を、のんびりと温泉に浸かって過ごすことになりました。
みくりが池温泉は、標高2400メートル地点にあり、日本最高標高の温泉とされています。
日本最高標高の標高2400メートル地点で入る温泉は、また格別なものがありました。
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翌朝も雨と濃霧だった為、室堂周辺での散策をあきらめて、早めに下山して、麓にあるお寺で一度行ってみたかった場所などへ行くことにしました。
初日に立山駅に向かう途中で、道都沿いにある雄山神社中宮祈願殿には参拝してご挨拶を済ませてありましたので、下山した後は、雄山神社前立社壇に参拝することにしました。
夏の間、立山山頂の雄山神社峰本社を、麓の里宮である雄山神社前立社壇と雄山神社中宮祈願殿が共同で管理されています。
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立山町の雄山神社前立社壇参拝後、お隣の上市町にある大岩山日石寺、眼目山立山寺へと向かいました。
この二つのお寺は、今まで参拝したことがなく、割と有名な所でもあるので、一度参拝してみたいと思っていたところです。
大岩山日石寺は、真言密宗の大本山であり、磨崖仏の大岩不動尊が有名なお寺です。
また、六本滝と十二支滝という二つの滝が境内にあり、滝行が出来るお寺としても知られています。
眼目山立山寺は、禅宗曹洞派の名刹として知られ、大徹宗令禅師により創立されました。
立山大権現の要請により大徹宗令禅師が創立したとも伝えられており、日本三霊山・立山ともご縁の深いお寺とされています。
今回は、せっかく立山の室堂にある標高2400メートルの日本最高標高のみくりが池温泉に宿泊したものの、立山の雄姿を仰ぎ見ることは出来ませんでした。
そこで、機会があれば、来週あたり、もう一度日帰りで室堂・みくりが池まで足を運び、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見たいと考えています。
富山の総産土神とされ「山王さん」と呼ばれる日枝神社に参拝して来ました!
日枝神社には、近くまで行くことがあっても、今まで参拝したことはなかったのですが、今回、初めて参拝することにしました。
「山王さん」の愛称で呼ばれる日枝神社は、富山市中心部に位置しており、6月1・2日に行われる「山王まつり」には約20万人の人出が集まるなど、富山県を代表する神社の一つと言えます。
加賀百万石の二代目藩主前田利長は、富山城に入城してから現在の場所に境内地を寄進し、社殿を造営するとともに、「日枝神社は富山の総産土神」として、以後前田家代々からあつく崇敬されたと言われています。
日枝神社の御祭神は、以下の通りです。
* 大山咋神(オオヤマクイノカミ)
* 大己貴神(オオナムチノカミ) (大国主の別称で七福神の大黒様)
* 天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)
* 豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)
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日枝神社は、富山の「山王さん」と呼ばれていますが、「山王さん」と言えば、東京赤坂の日枝神社が有名です。
御祭神は、同じく大山咋神(オオヤマクイノカミ)になります。
私は、学生時代、赤坂でアルバイトをしていた時期があり、毎週のように赤坂に行って、日枝神社の近くを通っていたので、「山王さん」というのは、自分にとって親しみの感じられる神社とも言えます。
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大山咋神(オオヤマクイノカミ)を祀る神社としては、東京赤坂の日枝神社が有名かと思いますが、大山咋神(オオヤマクイノカミ)を祀る総本宮であり、山王総本宮とされているのは、滋賀県大津市にある日吉大社になります。
日吉大社では、東本宮で大山咋神(オオヤマクイノカミ)をお祀りし、西本宮で大己貴神(オオナムチノカミ)をお祀りされています。
滋賀県大津市坂本にある日吉大社は、琵琶湖の西岸にあり、比叡山の麓に位置しています。
私も十数年前に一度参拝したことがありますが、日吉大社の境内の中で、履いていた運動靴のファスナーが片方壊れたので、古い靴を履き捨てて、新しい靴に履き替える時だと感じました。
一週間程の旅が終わってから、当時住んでいた横浜の自宅に戻り、古い靴を捨てて、また新しい靴を買い、新たな気持ちで人生のスタートを開始したことを、懐かしく想い出します。
今、新しい時代へと導く大きなエネルギーのうねりがやって来ていますので、もう役に立たなくなった古いエネルギーはどんどん手放し、新しいエネルギーに入れ替えて行くことが大切だと感じています。
能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました!
氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました。
元々、のんびりと温泉でゆったりとした時間を過ごす目的で、4泊5日の予定で氷見市の温泉宿に予約を入れていました。
ところが、このところ、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)と白山神界の動きが活発化してきた感じがしたので、氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅することにしました。
温泉宿でののんびりとした時間ではなく、長距離のドライブと、能登半島が持つ力強いエネルギーに触れることが出来た、かなり濃密な時間を過ごすことが出来ました。
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来年の令和4年(2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、神国日本の新しい時代を開く、新しい時代のエネルギーの風が吹くことになります。
その流れに合わせて、白山神界と白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)の動きも活発化してきているようです。
先月9月16日の夕方、能登半島最北端の珠洲市で震度5の地震がありましたが、今年に入ってから、奥能登を震源地とした地震が多発しているようです。
また、その数日後の9月21日には、白山で小さな地震が頻発し、1日で163回確認されています。
日本三霊山に数えられる白山は活火山なので、白山には大きなエネルギーが眠っているとも言えます。
奥能登での地震の多発や、白山での小さな地震の頻発なども、霊峰白山に眠るエネルギーが目覚め蘇りつつある、一つの型示しでもあると感じています。
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日本三霊山(富士山・立山・白山)の内、富士山は太平洋側(表日本)に位置しており、立山(富山県)と白山(石川県)は日本海側(裏日本)に位置しています。
21世紀の現代から見れば、太平洋側(表日本)が中心であり、北陸地方などの日本海側(裏日本)は、辺鄙でマイナーなイメージがあるかと思います。
しかし、それはあくまでも現代だからであり、古代においては、日本海側が大陸からの表玄関であり、重要な位置を占めていた時代がありました。
古代において、文明が発達してきて小さな船で航海が出来るようになると、最初は朝鮮半島と北九州の間にある対馬列島などを点々と中継地としながら、何とか大陸との交流が始まった訳であり、その当時においては、北九州を始めとした日本海側が大陸からの表玄関であり、言わば表日本である時代があった筈です。
そのような時代には、大陸との玄関口である北九州から能登半島までが、大陸からの表玄関として、一つの領海を形成していたものと思われます。
能登半島というのは、北に大きく突き出た形をしていますので、北九州から出雲地方、若狭湾、能登半島までが、ちょうど一つの大きな湾のような感じで、大陸からの表玄関の役割を果たしていた時代があったと考えられます。
日本三霊山の中でも、特に白山は、古代における大陸との関係において、霊的に重要な役割を担っていると考えています。
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白山は、717年(養老元年)、泰澄大師によって開山されたと伝えられています。
泰澄大師は、福井市出身の僧侶ですが、「泰澄」という名前そのものが、謎の渡来人である「秦氏」を連想させます。
また、白山から日本海を越えた大陸の朝鮮半島には、白山と似た名前で白頭山(長白山)という山があり、朝鮮民族の聖地ともされています。
白山は、日本海を越えた朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)とも霊的なネットワークでつながっていると考えられます。
白頭山(長白山)は、標高も2800メートル弱と白山と同じ位の活火山ですが、昔から朝鮮民族の聖地であり、高句麗の聖地でもあったようです。
高句麗の最後の王である若光王は、高句麗が滅ぶ時に日本に亡命して来て、日本で亡くなり、日本にお墓がありますが、白山と朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)には、何らかの霊的なつながりがあるものと思います。
また、白山菊理媛の本地仏は十一面観音菩薩とされていますが、そこにも、古代において白山が持っていた働きが表現されているのかも知れません。
世界最古の宗教の一つとされるゾロアスター教など、古代における世界の主な宗教11くらいの流れが白山の元にやって来ており、そのことが十一面観音菩薩に表現されているという説もあるようです。
それが本当かどうかは知る由もありませんが、白山は、古代において、海外からも聖地として崇められていた時代があったようです。
日本三霊山に数えられる白山は、現代の私たちが考えている以上に、聖なる山として、大陸とのつながりの上でも重要な霊的な役割を担ってきたものと考えられます。
その白山が今、長い眠りから覚め、蘇る時を迎えているのかも知れません。
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能登へのご神業で、まず最初に向かった聖地が、能登半島最高峰である宝達山です。
宝達山は、標高637メートルの能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前そのものが、何やら意味深な響きが感じられます。
私は、十数年前、白山で御来光を見てから下山し、午後に羽咋市の気多大社に向かう途中で、車で行ける辺りまでは寄ったことがありますが、山頂には行ったことが無かったので、一度山頂までは行ってみたいと思っていました。
山頂に向かう途中で、登山道入り口辺りに、手速媛(テハヤヒメ)神社下社がありますので、まずは下社に参拝しました。
御祭神は、手速媛(テハヤヒメ)になります。
宝達山山頂には手速媛(テハヤヒメ)神社上社があり、御祭神は、同じ手速媛(テハヤヒメ)になります。
その後、山頂近くの駐車場まで向かい、車を降りてから徒歩10分程度で宝達山山頂に到着することが出来ました。
以前から、一度は宝達山山頂まで行ってみたいと思っていたので、念願が叶いました。
能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前を持っている宝達山には、何かがあるのだろうと思います。
ちなみに、御存知の方もあるかも知れませんが、宝達山の麓には、「伝説の森公園 モーゼパーク」があり、モーゼの墓があるとされています。
しかし、モーゼの墓であるという伝承や証拠はなく、山根キクの著書『光りは東方より』が唯一の根拠であり、山根キクの主張を押水町が町おこしに利用して、三ツ子塚古墳群を整備して、1993年にオープンしたものになります。
私は、十数年前に宝達山頂上付近への道を地元の人に聞いた時、その方がちょうど「モーゼパーク」の管理人の方だったので、そのことを知り、少し足を伸ばして行ってみたことがあります。
しかし、今回は、行く気にもなりませんでした。
何故なら、「モーゼパーク」はモーゼの墓ではないからです。
似たような伝説に、東北の青森県新郷村に「キリストの墓」と呼ばれる場所があります。
しかし、そこもイエス・キリストの墓ではありませんので、注意が必要です。
青森県新郷村の「キリストの墓」と呼ばれる場所も、元々は『竹内文書』を公開した竹内巨磨が言ったことであり、それが独り歩きして現在に至っています。
山根キクは『竹内文書』の影響を受けていたとのことですが、『竹内文書』を著した竹内巨磨は富山県の出身であり、皇祖皇大神宮も茨城県に移る前は、元々は富山県呉羽山にありました。
『竹内文書』などを真実の書として信じている人もあるかも知れませんが、あれは亜流の書であり偽書なので、盲信したりしないように注意する必要があります。
イエス・キリストの墓やモーゼの墓が日本にあると信じたり、『竹内文書』などを盲信している人は、きちんと本質的な基本的な真実をまず知っておく必要があるかと思います。
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モーゼと並んで『旧約聖書』を代表する預言者とされるエリヤがいますが、モーゼとエリヤがイエス・キリストと語り合っている様子が、『新約聖書』の「ルカによる福音書」の中に書かれています。
「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。・・・雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。」(「ルカによる福音書」第9章・第28〜36節)
『旧約聖書』と『新約聖書』では時代が大きく離れていますので、モーゼなども、紀元前16世紀から13世紀頃の人物と推定されています。
イエス・キリストはご存知のように、約2000年頃前の人物になります。
何故、2000年頃前の時代に生きたイエス・キリストが、それより数百年あるいは1000年以上前の時代に生きたモーゼやエリヤとイエスの最期(十字架上の磔)について語り合い、それを弟子であるルカが目撃して、福音書に書き記しているのでしょうか?
この意味が分からなければ、本質的な基本的な真実については、何も知らないに等しいということを理解する必要があるかと思います。
もし、この意味が分からなければ、ぜひ、下記の拙書をお読みいただき、真実についてきちんと理解されることを、強くお勧め致します!
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』
拙書『花咲く都・黄金文明』
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宝達山から下山してから、羽咋市にある能登国一宮気多大社に参拝しました。
気多大社への参拝は、十数年ぶり、三度目になります。
気多大社は、白山を開山した泰澄大師によって建立されたと言われています。
気多大社の御祭神は、大国主命であり、七福神の大黒様としても知られています。
気多大社の裏手には「入らずの森」と呼ばれる広大な原生林があり、奥宮もその中にありますが、「入らずの森」は立ち入り禁止になって守られています。
現在は、気多大社は能登半島の付け根部分にあって交通も不便なことから、大社と呼ばれる神社の中では、比較的知名度が低い印象がありますが、古代においては、もっと重要な位置を占めていたものと思われます。
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ちなみに、気多大社のある羽咋市は、「UFOの町」としても知られています。
住民にUFO(宇宙船)の目撃者も多く、住民の20%以上がUFO(宇宙船)の目撃者とも言われています。
羽咋市には「そうはちぼん」という伝説があり、その特徴などから、江戸時代に現れたUFO(宇宙船)のことではないかと言われています。
羽咋市は、地域おこしとして「UFOの町」をアピールしているようです。
ちなみに、『旧約聖書』の「出エジプト記」の中で、昼となく夜となくモーゼ達を導いていった創造者のUFO(宇宙船)は、「光りの柱、雲の柱」として表現されています。
また、イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天から降りて来た創造者のUFO(宇宙船)は、「神の霊」と表現されています。
「イエスは洗礼(パプテスマ)を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(「マタイによる福音書」第3章・第16・17節)
先程の『新約聖書』「ルカ伝」の中では、創造者のUFO(宇宙船)は、「栄光」「雲」と表現されています。
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気多大社の参拝を終えた後は、能登半島の景勝地である能登金剛にも足を運んでみました。
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翌日は、朝から能登半島最北端の珠洲市へ向かいました。
珠洲市の代表的な神社である珠洲神社参拝が第一の目的です。
珠洲神社は、高座宮と、すぐ近くに徒歩数分の位置にある金分宮に分かれています。
また、山伏山の山頂に奥宮がありますが、片道1時間程掛かるようなので、今回は参拝は出来ませんでした。
高座宮では、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)と美穂須須美命(ミホスズミノミコト)が祀られています。
そして、金分宮には、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)の后である木花咲耶姫命 (コノハナノサクヤヒメノミコト)が祀られています。
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珠洲神社の参拝を終えた後は、能登半島最北端の海辺にも行って来ました。
「聖域の岬」とも呼ばれる珠洲岬は、日本三大パワースポットとも呼ばれているようです。
有名な、「ランプの宿」もあり、確かに風光明媚な所でした。
青森県のランプの宿「青荷温泉」にはずいぶん昔行ったことがあるのですが、機会があれば、珠洲岬の「ランプの宿」に泊まって、山伏山山頂の珠洲神社奥宮にも行ってみたいと感じています。
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氷見市の温泉宿に滞在中、2回、近くにある大境洞窟の白山社に参拝しました。
今回の旅は、かなり有意義で濃密な旅となったので、チェックアウト後、最後はやはり大境洞窟の白山社に参拝して、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)へのご挨拶で締め括りとさせていただきました。
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