竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG
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令和6年(西暦2024年)、新年明けましておめでとうございます!
令和6年(西暦2024年)が幕開け致しました!
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
今年の干支は、辰年ですね。
天に向かう昇竜のように、力強く今年一年を充実させていきたいと思います。
日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの目出度き日である今年7月1日、新作CD(全10曲収録)をリリース致しますので、どうぞお楽しみに!
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日本三霊山・立山をお守りされている、雄山神社の前立社檀と中宮祈願殿に初詣に行って参りました。
日本三霊山・立山をお守りされている雄山神社は、立山町岩峅寺にある前立社檀と、立山町芦峅寺にある中宮祈願殿、そして立山の主峰である雄山山頂の峰本社の三社から成り立っています。
標高3003メートルの雄山山頂に鎮座する峰本社は、夏の間だけ、前立社檀と中宮祈願殿の神職によって運営されています。
雄山神社前立社檀と中宮祈願殿での初詣が終わってからの帰途、隣町の上市町にある大岩湯神子温泉の「龍神の湯」に日帰り入浴してきました。
大岩湯神子温泉には2年前に一度宿泊したのですが、平日だった為、土日のみ開湯されている露天風呂には入れなかったので、少し残念な感じが残っていました。
今回、土曜日で露天風呂が開湯されていたので、「龍神の湯」の露天風呂にゆったりと浸かりながら、辰(竜)年の初詣を終えた解放感を楽しんできました。
雄山神社中宮祈願殿
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十二支の干支の中で、今年の干支である辰(竜)だけは、実在しない架空の動物ですが、そのルーツを御存知でしょうか?
もし、御存知なければ、昨年出版した拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』の中に書いてありますので、ぜひお読みいただければ幸いです。
十二支は古代中国で考え出されたものだとされていますが、中国はまた、竜(ドラゴン)の国ともされており、竜(ドラゴン)は中国皇帝のシンボルともされていました。
何故、竜(ドラゴン)という架空の動物が中国で誕生したのか、そのルーツを御存知なければ、ぜひ、拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』をお読みいただき、きちんと理解されることをお勧め致します。
昨年7月1日に2冊同時出版された拙書『花咲く都・黄金文明』『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』の中には、今日本人が知っておくべき、最も本質的な大切なことが書かれていますので、ぜひお読みいただき、地球の新しい時代に向けて、意識を高めていただければ幸いです。
何故なら、地球の恒久平和、キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」の実現は、私たち日本人によって実現されるのであり、大和民族である私たち日本人には、とても大きな役割が課せられているからなのです。
西暦2030年代の半ば頃までの、あと10年位の間に、東洋の「日出づる神国」日本の真価を発揮すべき時を迎えていますので、今、多くの日本人の急速な意識変革が求められているのです!
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日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの目出度き日である今年7月1日、新作CD(全10曲収録)をリリース致します!
大和富士のアーティスト名の時代から数えて第4作目となる新作CDになりますが、竜宮音秘のアーティスト名としては最初にリリースされるCDになりますので、辰(竜)年の今年リリースされるのは、とても良いタイミングになるとも感じています。
来年令和7年(西暦2025年)以降も、毎年7月1日に、新作CD(各10曲収録)をリリースしていきます。
今年令和6年(2024年)は1枚のリリースになりますが、西暦2025年(令和7年)から西暦2035年までは、毎年最低2枚(各10曲収録)リリース予定であり、今後十数年間で、二十数枚から三十枚位の新作CD(各10曲収録)をリリースし、二百数十曲から三百曲位の楽曲を世に送り出していく予定でいます!
各10曲収録のCDには、それぞれテーマ性を持たせ、あるテーマに関連した曲を中心として全10曲から成る新作CDを構成していきます。
今後、最低二十数枚から三十枚位リリースされる新作CDによって、竜宮音秘が持つ世界観の奥深さが次第に明らかになると共に、竜宮音秘ワールドとも言うべき竜宮音秘の役割が、他の何処にも無い唯一無二のものであり、地球の恒久平和にとって必要不可欠の働きであることが、いずれ多くの人々の認識するところとなるでしょう!
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誰も皆、戦争の無い平和な世界を望むのですが、ただ単に世界平和を祈ったり、戦争反対を唱えたりするだけでは、戦争は無くなりませんし、地球に恒久平和が訪れることもありません。
何故なら、今この地球上には、国と国、民族と民族、宗教と宗教などの間で様々な争い・対立などが存在しているだけではなく、軍需産業や軍産複合体などの利害や思惑なども関係しているからなのです。
ただ単に世界平和を祈ったり、戦争反対を唱えたりするだけでは地球に恒久平和を実現出来ないことは、誰の目にも明らかだと思います。
地球に恒久平和を実現させる為には、具体的なノウハウ・ハウツーが必要であり、それが無い限りは地球に恒久平和を実現させることは出来ません。
私・竜宮音秘の活動は、地球に恒久平和を実現させる為の具体的なノウハウ・ハウツーに関する一番要の部分を担った活動であり、地球に恒久平和を実現させる一番核心の部分の役割であることが、いずれ多くの人々の知るところとなるでしょう。
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今この地球上には、戦争・飢餓・病気・自然破壊など、私たち人類には到底解決出来ないような様々な問題が山積しています。
しかし、地球・人類が抱える問題を根本解決出来る具体的な方法がたった一つだけあります!
しかもそれは、私たち日本人の力で実現出来るものであると同時に、私たち日本人にしか実現することの出来ない使命・役割なのです!
有史以来数千年間、人類史上最大の使命とも言うべき大役を果たせるように、神界計画として、私たち日本人は、導かれ、育成されてきました。
これを、「神武三千年の神計り」と言います。
今こそ、私たち日本人の中に眠る大和心・大和魂を発揮して、東洋の「日出づる神国」日本の真価を発揮する時を迎えているのです。
戦争・飢餓・病気・自然破壊など、地球・人類が抱える問題を根本解決させ、地球の恒久平和を実現し、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」を花開かせることは、私たち有意の日本人が力を結集すれば実現出来ることなのです!
その為には、多くの日本人の方々が意識を高め、力を結集していくことが大切であり、多くの日本人の意識変革が今急速に必要とされているのです。
私・竜宮音秘の活動は、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」を花開かせる為の、具体的なノウハウ・ハウツーに関する一番要の部分を担った活動であり、地球に恒久平和を実現させる為の一番核心の部分の役割であることが、いずれ多くの人々の知るところとなるでしょう。
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西暦2030年代の半ば頃、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」が、東洋の「日出づる神国」日本から花開き、地球は黄金時代を迎えることになります!
もはや誰も苦しむことの無い、平和で自由な喜びに満ちた世界が花開き、全人類の春を迎えることになります。
キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」のことでもあります。
地球の恒久平和を実現させる中心的役割を果たすのは、私たち日本人であり、私たち大和民族は、神界計画により、数千年の歳月を掛けて、その役割を果たせるように熟成され、導かれてきたのです。
今こそ、私たち日本人の中に眠る遺伝子(DNA)を目覚めさせ、蘇らせ、花開かせて、大和心・大和魂を発揮して、地球・世界に「大いなる和」大和を実現させる時を迎えているのです!
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竜宮音秘の音楽は、地球の新しい時代に向けて、神界から人間界に伝えられた言霊(歌詞)と音霊(メロディー)で奏でられる音楽になります!
この新しい神響きには、東洋の「日出づる神国」日本、「霊(ひ)ノ元」日本に生きる私たち大和民族の霊性が蘇り、花開くような言霊(歌詞)と音霊(メロディー)が秘められています。
私たち日本人の中に眠る遺伝子(DNA)が目覚め、蘇り、花開くように創られています。
今後、「竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌」を中心とする竜宮音秘の活動が、日本人の意識変革を急速に推し進め、「霊(ひ)ノ元」日本の天岩戸開き、「富士は晴れたり日本晴れ」の実現へと導いていくことになります!
まずは、昨年に出版された拙書3冊をぜひお読みいただくことを強くお勧め致します。
☆『花咲く都・黄金文明』
☆『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』
☆『創造者エロヒムを2035年までに日本に迎えよう!』
これらの3冊の著書は、これから日本人が読んでおくべき最も大切な内容のことが書かれた書籍とも言えるものになりますので、まだお読みでない方は、すぐにでもお読みいただくことを、お勧め致します。
そして、今年令和6年(西暦2024年)7月1日にリリースされる新作CD(全10曲)も、ぜひお聴きいただければ幸いです。
全10曲から構成されている新作CDをお聴きいただくことで、地球の新しい黄金時代に向けて、意識が飛躍的に高まっていくように制作されていますので、ぜひ7月1日にリリースされる新作CDもお聴きいただくことを、強くお勧め致します。
地球の恒久平和を望む多くの日本人の方々の働き・ご協力が必要となりますので、共に手を携えて、今年から更にまた一歩一歩、歩みを深めていきたいと考えています。
令和6年(西暦2024年)、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
今年令和5年(西暦2023年)7月1日、著書2冊が全国の書店から同時発売されます!
今年令和5年(西暦2023年)も、新年から早くも3か月が過ぎ、今日は4月1日、これから春本番ですね!
私は、3月の最終週の数日間、馴染の温泉旅館に滞在して、新曲の作詞・作曲に集中して、何曲か新曲を仕上げて来たところです。
今年令和5年(西暦2023年)7月1日、著書2冊同時に、全国の書店を始め、Amazonなどのオンライン書店からも発売されます!
地球の恒久平和を実現させる為の具体的なたった一つの方法について、地球の全ての問題を根本的に解決する為のたった一つの方法について、日本から花開く次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」について、東洋の「日出づる神国」、「霊(ひ)ノ元」日本の真の役割について、神とは何か、聖書における神とはなど、これからの地球の新しい時代を生きていく日本人として、真に必要な、最も本質的な内容のことが書かれていますので、ぜひ2冊ともお読みいただくことをお勧め致します!
詳細につきましては、発売日が近付いてから、また改めてお知らせ致しますので、どうぞお楽しみに!
令和5年(西暦2023年)、新年明けましておめでとうございます!
令和5年(西暦2023年)、新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
今年令和5年(西暦2023年)最初の満月を、昨日の1月7日の朝迎えましたが、満月で朝を迎えた昨日の1月7日、日本三霊山の立山をお守りされている雄山神社に初詣に参拝して来ました。
雄山神社は越中国一宮であり、立山の主峰雄山(標高3003メートル)山頂に鎮座する峰本社と、里宮である立山町の雄山神社前立社壇、雄山神社中宮祈願殿の三社から成り立っています。
毎年雄山神社前立社壇に初詣に参拝すると、新年になり新しい干支になった大きな開運絵馬が目を楽しませてくれ、新年を迎えて新しい年になった喜びを改めて感じさせてくれます。
今年は卯年ですね。
ウサギは、『古事記』の神話の中で、「因幡の白うさぎ」の場面で登場し、大国主こと大黒様ともご縁の深い動物です。
また、ウサギは月で餅つきをしていると神話の中で語られたりする面白い動物でもあります。
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昨年令和4年(西暦2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、大和富士としてのCD第2作第3作となるCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」(各10曲収録)を2枚同時リリースして、本格的に音楽活動を開始致しました!
また、CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」をアナログレコード用にリマスタリングした『LP2枚組豪華盤「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」』も秋にリリース致しました!
昨年7月1日にCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」(各10曲収録)を2枚同時リリースして、本格的に音楽活動を開始したことにより、次のステージが用意されることになり、神界から新しいアーティスト名・ビジネスネーム・ペンネームとして、竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)という名前を贈られることになりました!
竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)という新しい名前で次のステージに進むにあたって、昨年10月10日、神(十)が重なる目出度き日、朝5時55分に満月を迎えた目出度き日から、8泊9日に亘って、元伊勢籠神社を始めとして、京都・滋賀(琵琶湖)の聖地を巡礼する御神業を成就し、晴れて目出度く、竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)としてのスタートを開始させていただく運びとなりました。
こちらの記事もぜひご参照ください。
『大和富士のアーティスト名が改称されるのに伴い、京都と滋賀の聖地を9日間、旅して来ました!』
『アーティスト名が、大和富士から竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)に改称され、レーベル名も竜宮音秘ミュージックに改称されました!』
今年からは、竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)のアーティスト名と、竜宮音秘ミュージックのレーベル名で新作CDをどんどんリリースしていきますので、どうぞ楽しみにしていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します!
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昨年7月1日にCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」を2枚同時リリースして、本格的に音楽活動を開始してからは、毎年7月1日に新作CDをリリースしていく予定でしたが、今年7月1日にリリース予定だった第4作目のCDは来年令和6年(西暦2024年)にリリースすることに決めました。
既に制作準備に入るところだったのですが、1年延期した方がよりクオリティーの高い作品に仕上げることが出来るだけでなく、今年1年を、今後十数年の長期的な観点に立って、創作活動を中心とした今後の基盤作りの重要な1年と位置付けた方が、大局的な観点からは最善の策だと考えたからです。
私・竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)の最終目的であり天命は、西暦2035年までに、「東洋の日出づる神国」日本、「霊(ひ)ノ元」日本に、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」を実現させ、「至福千年王国」を花開かせて、地球の恒久平和を実現させることであり、その為に全ての活動を行っています。
今年リリース予定だった第4作目のCDを来年に延期した方が、CDそのもののクオリティーもより高いものにしてリリース出来るだけに留まらず、西暦2035までに実現させたい私の最終目標に向けても、じっくりと基盤を固める為の良いタイミングだと考えたからです。
従いまして、今年令和5年(西暦2023年)には新作CDのリリースはありませんが、来年令和6年(西暦2024年)7月1日に、第4作目のCD(全10曲)をリリース致します!
今のところ、2024年から2027年まではCD2枚同時リリース(各10曲収録)する予定であり、2028年以降も毎年必ず7月1日に新作CDをリリース致しますので、どうぞよろしくお願い致します。
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誰も皆、戦争の無い平和な世界を望むのですが、ただ単に世界平和を願ったり祈っても、あるいは戦争反対を唱えても、戦争は無くなりませんし、世界平和が訪れることもありません。
何故なら、この地球上には、国と国、民族と民族、宗教と宗教との様々な対立・争い・利害などが存在しており、軍需産業や軍産複合体の利害や思惑など、様々な要因が存在しているからです。
ただ単に世界平和を祈ったり戦争反対を唱えたりするだけでは、とても地球の恒久平和を実現させることは出来ないということは、誰の目にも明らかだと思います。
地球の恒久平和を実現させる為には、具体的なハウツーが必要であり、それが無い限りは、地球の恒久平和を実現させることは出来ません。
私・竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)のこれから本格的に展開していく活動は、地球の恒久平和を実現させる具体的なハウツーの一番核心の部分を担って行う活動になります!
今はまだ私の活動の全貌が見えないので、そう言われても今一つピントこないかも知れませんが、2026年に次のステージに進むべくギアを一段高くギアチェンジする予定ですので、その時には、私の活動の全貌がようやく見えて来るかと思います。
その時になれば、私・竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)の活動が、地球の恒久平和を実現させる具体的なハウツーの一番核心の部分を担っていることがご理解いただけるかと思います。
どうぞ楽しみにしていただければ幸いです!
ですから、地球の恒久平和を真に望む方々には、ぜひ、私・竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)の活動を応援していただけると助かります!
地球の黄金時代の扉を開き、新しい黄金文明を実現させるのは、有意の私たち日本人なのです。
未だに多くの日本人は、進化論などという古臭く間違った時代遅れの概念を盲信しているだけではなく、大手マスコミの情報に踊らされたり、インターネットを中心とする膨大な情報の渦の中で、本質的なことが分からないまま、自分を見失って周囲に流されている人たちがほとんどだと感じています。
まだ拙書『花咲く都・黄金文明』をお読みいただいていない方は、まずは『花咲く都・黄金文明』をお読みいただくことを、強くお勧め致します!
地球の黄金時代の扉を開き、新しい黄金文明『花咲く都・黄金文明』を実現させ、キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」を花開かせて、地球の恒久平和を実現させるのは、有意の私たち日本人なのです。
このブログをお読みいただいている読者の方々には、ぜひその一員になっていただければ幸いです。
西暦2035年までに、「東洋の日出づる神国」日本、「霊(ひ)ノ元」日本から、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」が花開き、地球は黄金時代を迎えることになります。
キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」のことでもあります。
もはや誰も苦しむことの無い、平和で自由な喜びに満ちた世界が花開き、私たち人類の黄金時代・新たな歴史が花開く時を迎えるのです。
とても楽しみですね!
私・竜宮音秘(リュウグウノオトヒメ)の天命である、西暦2035年までに、「東洋の日出づる神国」日本、「霊(ひ)ノ元」日本に、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」を実現させ、「至福千年王国」を花開かせて、地球の恒久平和を実現させる最終目標に向かって、着実に歩みを深めて参りますので、今後ともご支援賜りたく、どうぞよろしくお願い致します。
令和5年(西暦2023年)も、今年一年、どうぞよろしくお願い申し上げます!
竜宮音秘 リュウグウノオトヒメ
大和富士のアーティスト名が改称されるのに伴い、京都と滋賀の聖地を9日間、旅して来ました!
元伊勢・籠神社
大和富士というアーティスト名・ペンネーム・ビジネスネームが、新しく生まれ変わり、改称されます!
これに伴い、今後毎年リリースしていく新作CDのレーベルも、新しいレーベルに生まれ変わります!
詳細につきましては、11月1日にホームページをリニューアルして公開致しますので、どうぞお楽しみに!
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元伊勢・籠神社の奥宮真名井神社
今回、大和富士というアーティスト名・ペンネーム・ビジネスネームが改称されるのに伴い、京都・滋賀を中心として、8泊9日間で、聖地巡礼の旅をして来ました。
今年7月1日、CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」2枚同時リリースに合わせて、3月上旬に1泊2日で、天橋立の元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社への御神業を行い、3月21日の春分の日を含む4泊5日の日程で、神界における最後の仕組みである「尾張の仕組み」の御神業を尾張名古屋で行いました。
そして、7月1日のCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」2枚同時リリースに合わせて、7月1日の日本三霊山・立山の山開きの日に2泊3日で立山に登拝して来ました。
そして、3月の「尾張の仕組み」の御神業の締め括りとして、8月最終週から4泊5日で、福井を中心とした御神業を行いました。
この時、神界から贈物を受け取ることになり、次のステージに進む為の新しいアーティスト名・ビジネスネームが用意されました。
神界から贈られた新しいアーティスト名は、元伊勢・籠神社と深く関係している為、新しいアーティスト名を使わせていただくに際して、元伊勢・籠神社に正式参拝して、きちんと神界にご挨拶とご報告をしてきました。
10月10日、神(十)が重なる目出度き日の朝5時55分頃に満月を迎えましたが、満月の少し後の早朝に天橋立に向けて出発、午後に天橋立入りし、智恩寺・天橋立神社・磯清水に参拝。
翌10月11日に、元伊勢・籠神社に正式参拝して、上位の神楽である「浦安の舞」の巫女神楽を舞っていただきました。
元伊勢・籠神社の奥宮である真名井神社と、海の奥宮とされる冠島・沓島遥拝所(傘松公園内)参拝だけではなく、海の奥宮とされる冠島・沓島が近くに見える、丹後半島の奥伊根温泉にも1泊して、元伊勢・籠神社の海の奥宮とされる冠島・沓島のエネルギーをたくさん受け取ってくることが出来ました。
冠島・沓島遥拝所(傘松公園)
丸9日間の御神業はかなりハードで、多くの聖地を巡礼して来ましたので、詳細は省きますが、天橋立から京都市内に入って、鞍馬山や貴船神社にも足を運んだ後は、比叡山延暦寺に参拝して宿坊である延暦寺会館に1泊後は琵琶湖方面の聖地に向かいました。
最終日は、琵琶湖の竹生島にある日本三大弁財天を祀る竹生島神社参拝後、福井県敦賀市に鎮座する北陸道総鎮守気比神宮で締め括ることになりました。
丸9日間にわたる御神業を無事成就全うすることが出来、晴れて目出度く、神界から贈られた新しいアーティスト名・ビジネスネームを使わせていただくステージに立つ準備が整いました。
詳細につきましては、11月1日にホームページをリニューアルして公開致します。
7月1日に2枚同時リリースしたCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」の視聴ページなども追加されておりますので、11月1日のリニューアルと新しいアーティスト名・ビジネスネームの公開をどうぞお楽しみに!
西暦2022年(令和4年)、新年明けましておめでとうございます!
西暦2022年(令和4年)が幕開け致しました!
新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
日本三霊山・立山をお守りされている越中国一宮雄山神社に初詣の参拝をして来ました。
雄山神社は、立山町岩峅寺の雄山神社前立社壇と芦峅寺の中宮祈願殿の2か所から成り立っており、夏の間、立山の雄山山頂に鎮座する雄山神社峰本社を共同で運営されています。
雄山神社中宮祈願殿
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今年から大和富士としての天命遂行に向けて本格的に活動を開始致します!
大和富士の天命は、西暦2030年代に日本から花開く、地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」を実現させ、地球の恒久平和を実現させることなので、そこへ向けて全力で取り組んで参ります。
地球の新しい時代に向けて、日本人の意識変革を急速に進めるべく、音楽活動を中心にして、様々な活動を行っていきます。
本格的活動の第一弾として、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日である今年7月1日、音楽CD2枚を同時リリース致します!
この2枚の音楽CDにはそれぞれ10曲ずつの歌が収められており、日本人の新しい時代への意識変革に向けて、愛と希望と癒しに満ち溢れた素晴らしい楽曲の数々が散りばめられていますので、どうぞ楽しんでお聴きいただければ幸いです。
そして、来年2023年(令和5年)以降も、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日である7月1日に、毎年、音楽アルバムをリリースしていきます。
10曲位の歌曲を収録した音楽アルバムを最低1枚か2枚、毎年7月1日にリリースしていきますので、どうぞお楽しみに!
ライブコンサートもいずれ時期を見ながら精力的に行っていく予定です。
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大和富士の音楽は、「日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌」です。
今年西暦2022年(令和4年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、新しい地球の誕生に向けて、天岩戸開きの祝いの神楽歌が鳴り響き、新しい時代の風が吹き抜けることになります。
越中国一宮高瀬神社、瑞泉寺、魚津神社に参拝して来ました!
南砺市の福光にある素敵な温泉宿で一泊した翌日、帰り道で、近くにある越中国一宮高瀬神社と瑞泉寺に参拝して来ました。
越中国一宮高瀬神社は今年5月以来、今年二度目になります。
その時の様子は、こちらをご参照下さい。
『越中国一宮高瀬神社に参拝して来ました!』
越中国一宮高瀬神社と瑞泉寺は、近くにあり、車で数分の所にあります。
瑞泉寺は、今回が初めての参拝となりました。
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越中国一宮高瀬神社の御祭神は、大国主命(大己貴命)であり、七福神の大黒様としても知られています。
本殿横には、『古事記』の神話「因幡の白兎」にちなんで「なでうさぎ」が祀られています。
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瑞泉寺は、正式名を「真宗大谷派 井波別院瑞泉寺」と言い、なかなか大きなお寺です。
本殿横には太子堂があり、聖徳太子2歳時の尊像が祀られています。
浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、聖徳太子のことを「和国の教主」と呼んで崇敬していたことが知られています。
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自宅に帰る途中で、地元の魚津神社にも参拝しました。
あと1週間程で今年も終わりますので、今年一年への感謝の気持ちを込めて、今年最後の参拝をさせていただきました。
これで今年の神社仏閣への参拝もほぼ終わりました。
明日、富山県屈指の景勝地である雨晴海岸にある温泉宿で今年最後の温泉旅行を締めくくる予定なので、チェックインする前に、通り道沿いにある越中国一宮気多神社に参拝して、今年の神社仏閣への参拝を締めくくりたいと思っています。
越中国一宮気多神社には、今年4月に十数年ぶりに参拝し、その後数回参拝しました。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『越中国一宮気多神社に参拝して来ました!』
富山県屈指の景勝地である雨晴海岸にある温泉宿で今年の締めくくりをするに際し、今年最後の参拝をするには、ピッタリの神社のような感じもします。
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今年も残すところ、あと1週間程となりました。
本日は冬至です。
「日本列島最後の秘境」と呼ばれる庄川峡の秘湯大牧温泉に行って来ました!
「日本列島最後の秘境」と呼ばれている庄川峡の秘湯大牧温泉に行って来ました。
大牧温泉は、遊覧船で30分位かけて船でしか行くことの出来ない陸の孤島のような秘湯であり、「日本列島最後の秘境」とも呼ばれています。
大牧温泉は、富山県南砺市にあり、庄川峡の小牧ダムにある小牧港から遊覧船に乗って30分程掛けて船でしか行くことの出来ない所にあり、まさに秘湯と呼ぶにふさわしい所です。
「日本列島最後の秘境」とも呼ばれるだけあって、大牧温泉は、テレビドラマのロケ地などにも選ばれているようで、実際、大牧温泉に行ってみると、館内の廊下には、ロケなどで訪れた、たくさんの芸能人の顔写真が飾られていました。
大牧温泉の由来は800年程前に遡り、平家の落人伝説とも関係があるようです。
源平の合戦に敗れた平家の武将が、源氏の追撃を逃れて隠れ家を探して大牧をさまよっていた折、庄川湖畔からコンコンと湧き出る温泉を発見して傷を癒したのが始まりとされています。
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小牧ダムにある小牧港から遊覧船に乗り、約30分、庄川峡を上流に上ると大牧温泉に行くことができます。
船でしか行くことの出来ない、陸の孤島のような秘湯になります。
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乗船して約30分で、大牧温泉のある大牧港に到着しました。
大牧温泉はすぐ目の前に見えています。
大牧温泉に到着して館内のロビーに入ると、初めて来たにも関わらず、なんだか懐かしいような感じがしました。
部屋の窓を開けると、眼下には庄川峡が見えます。
絶好のロケーションです。
内湯の他に、男性の露天風呂は2か所あり、庄川峡に面したテラス露天風呂もまた、他の温泉では味わえない格別の感がありました。
食事もなかなか美味しい懐石料理が楽しめ、ゆっくりと俗世間の喧騒を離れて大自然の懐に抱かれながら、豊かな時間を楽しむことが出来ました。
「日本列島最後の秘境」とも呼ばれる大牧温泉は、また来たいと思わせるだけの魅力がある秘湯であり、今度来る時は、1泊ではなく、2泊か3泊位でゆっくりと骨休めしたいと考えています。
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地元の富山県に、「日本列島最後の秘境」とも呼ばれる大牧温泉があることは知っていましたが、どこか遠い存在のような感じで、言ってみようとは本気で考えたことがなかったのですが、実際に行ってみると、そこはまた格別な別世界であり、自分が今住んでいる地元富山に、こんな面白い場所があるとは、新たな驚きであり、新たな発見でもありました。
日本全国津々浦々、素晴らしい場所は数多くあり、さらには海外にまで目を向けると、地球上全世界には無数の素晴らしい場所があるかと思いますが、まずは身近な所から、大自然の素晴らしさ・恵みを再発見していくことも大切であると、改めて感じさせてくれる、今回の大牧温泉への旅でした。
日本三大仏の高岡大仏に行って来ました!
高岡大仏は、奈良東大寺の大仏、鎌倉大仏と並んで日本三大仏に数えられています。
高岡大仏は、富山県高岡市大手町の鳳徳山大仏寺にある、高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像になります。
この日は、午前中高岡市で所用があり、午後からは、富山市の神通川沿いにある神通峡春日温泉に宿泊することになっていたので、チェックインするまでの午後の一時を利用して、高岡大仏に参拝することにしました。
10年程前、奈良の東大寺の大仏に参拝した時には、その大きさに圧倒されましたが、高岡大仏は、それより一回り規模は小さいとは言うものの、日本三大仏に数えられるだけあって、それなりの威容を備えていました。
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高岡大仏への参拝を終えてから、富山市にある神通峡春日温泉にチェックインしました。
神通峡春日温泉には、先月初めて宿泊したのですが、なかなか良かったので、今回また宿泊することにしました。
神通峡春日温泉の部屋から見た神通川
神通川は、富山県の七大河川に数えられる一級河川であり、上流は岐阜県の飛騨高山の辺りに伸びています。
神通川は岐阜県では「宮川」と呼ばれていますが、神通川の源流付近に飛騨国一宮である水無神社があることに由来するとのことです。
飛騨国一宮である水無神社の御神体山が、位山になります。
位山には、私も以前二回登ったことがありますが、なかなか趣のある霊山になります。
霊山である位山は分水嶺となっており、日本海側(裏日本)と太平洋側(表日本)への水脈が分かれている分水嶺(分水界)となっています。
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神通(じんつう)川は、「神が通る川」、あるいは「神に通じる川」とも読めるだけでなく、「じんつう」という意味深な言霊をも持っています。
新たな生命が誕生する時には、産みの苦しみとも言うべき「陣痛(じんつう)」を伴います。
人が神として出産するプロセスにおいても、産みの苦しみとも言うべき「神通(じんつう)」=「陣痛(じんつう)」を伴いますが、新しい生命の誕生というのは、とても素晴らしい祝福すべきものとなります。
世界遺産の合掌造り集落(岐阜県白川郷、富山県五箇山相倉・萱沼集落)に行って来ました!
世界遺産の合掌造り集落3か所を全部見学して来ました。
合掌造りの里は、岐阜県の白川郷、そして富山県の五箇山には相倉集落と菅沼集落の2か所があり、3か所合わせてユネスコの世界遺産に1995年(平成7年)に登録されています。
今まで合掌造り集落には一度も行ったことがなく、いつか行ってみたいとは思いつつも、どこか別世界のような遠い感じがしていました。
ところが、ふと思う所があって、今はいい機会だから一度3か所全部の合掌造り集落を見ておこうと思いました。
ちょうど、二泊三日で世界遺産の合掌造り集落3か所全部を見て回る拠点としてピッタリな秘境の温泉宿があったので、世界遺産の合掌造り見学を目的とした秘湯の旅をすることにしました。
今回、世界遺産の合掌造り見学の足場とした秘湯の宿はこちらです。
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「天空の秘湯の宿 天竺温泉の郷」は、富山県南砺市利賀村にあり、標高800メートルの高台に位置する、秘湯の一軒宿です。
宿からは、一番近い合掌造り集落である五箇山の相倉集落まで、車で山道を40分は行かなければならず、少し不便ではあったのですが、俗世間を離れて古き良き日本の合掌造り集落を味わう旅には、ピッタリな感じがしました。
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ちょうど、宿のある利賀村の山の高台で標高630メートル、車で10数分行った所に「瞑想の郷」という場所があり、富山県のパワースポットとしても知られているとのことだったので、初日のチェックイン前に、まずは「瞑想の郷」に寄ってみることにしました。
「瞑想の郷」の中心となる施設が「瞑想の館」と「瞑想美の館」であり、計6枚の巨大な曼荼羅(マンダラ)を始め、仏教やヒンズー教などの様々な神々の像や仏像などが展示されていました。
ネパールからチベット仏教の僧に来日していただいて、4メートル四方もの巨大な曼荼羅(マンダラ)を6枚も制作していただいたとのことで、曼荼羅(マンダラ)に囲まれた空間で、瞑想の時間も楽しむことが出来るようになっています。
施設内には、「瞑水の館」という宿泊施設も用意されていました。
来日されて6枚の巨大な曼荼羅(マンダラ)を制作されたのは、チベット仏教の主流であるニンマ派の僧侶だとのことで、ニンマ派の開祖であるパドマ・サンバヴァのことがとても大切に敬われていました。
パドマ・サンバヴァは、8世紀後半に初めてチベットに仏教を伝えたチベット密教の開祖であり、別名グル・リンポチェと呼ばれて尊敬されています。
「瞑想の郷」の中にも、パドマ・サンバヴァを描いた曼荼羅(マンダラ)や仏像があり、とても大切に敬われている様子でした。
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二日目に、まずは一日かけて、岐阜県白川郷に行ってみることにしました。
途中で五箇山の合掌造り集落を通って、岐阜県に入る形になり、片道1時間半程のドライブとなります。
岐阜県白川郷の荻町地区には、大小100棟余りの合掌造りがあり、世界遺産に登録されている3か所の中では、一番規模が大きい所になります。
ゆっくり歩くと2時間位は掛かりますので、のんびりと白川郷を散策して来ました。
白川郷の中には白川八幡宮もあり、そちらへもご挨拶しつつ、周囲を紅葉に彩られつつある白川郷全体を楽しむことが出来ました。
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三日目、宿をチェックアウトしてから、富山県五箇山にある相倉集落と菅沼集落を見学して来ました。
相倉集落と菅沼集落は、約11キロメートル離れていますので、車で10数分離れた場所にあります。
まずは、相倉集落を見学しました。
相倉集落には20棟の合掌造りがあり、9棟の菅沼集落よりは規模が大きく、世界遺産に登録された合掌造りにふさわしいだけの雰囲気があります。
ゆっくり回って1時間位の規模ですが、天気の良い日に、のんびりとした時間を過ごすには、とても気持ちの良い場所だと感じました。
この日も、紅葉が色づく中、とても気持ちの良い天気であり、集落の中心部にある地主神社にもご挨拶して、相倉集落全体をゆっくりと楽しむことが出来ました。
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相倉集落を一通り見学してから、集落の中にある茶屋で、五箇山名物のソバを堪能してから、菅沼集落へと向かいました。
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菅沼集落は、9棟しかなく、30分位あれば、合掌造りの集落を一通り回ることが出来ます。
菅沼集落では、中心部に神明社があり、そちらにもご挨拶しつつ、30分程掛けて、一通り回ることが出来ました。
規模の点だけではなく、個人的には相倉集落の方が、日本の原点とも言うべき古き良き時代の雰囲気が漂っている感じがあり、日本の古き良き時代の風がさわやかに吹いているような印象がありました。
岐阜県の白川郷の方が、一番規模が大きいので、観光地としても優れている面はあるかと思いますが、日本の原点とも言うべき古き良き時代の雰囲気が漂っている感じ、何か懐かしい感じがするという点においては、相倉集落は決して引けは取らないものがあるように感じました。
何かと忙しくせわしなく、生きることがだんだん窮屈に感じられるような現代の俗世間をしばし離れて、豊かな大自然の中で、日本の原点とも言うべき古き良き時代の懐かしい雰囲気を味わうことが出来ました。
世界遺産に登録された合掌造り集落ももちろん素晴らしかったのですが、そこへたどり着くまでの道中が、紅葉に彩られた深山幽谷の中を長距離ドライブすることになり、それがまた素晴らしい秋の一時を演出してくれました。
一番最後に、五箇山にある白山宮に参拝して、今回の旅の締め括りとさせていただきました。
雪化粧して白銀に輝く日本三霊山・立山に行って来ました!
雪化粧して白銀に輝く日本三霊山・立山に行って来ました。
世界でも有数の豪雪地帯である立山は、既にあたり一面雪だらけの白銀の世界となっていました。
今回、立山に行って来た理由の一つが、2週間前に立山室堂のみくりが池温泉に一泊して行った時、雨と霧で、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来ず、残念に思っていたので、出来れば今年中にもう一度立山の雄姿を仰ぎ見たいという思いがあったからです。
前回立山に行った時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!』
そして、今回急遽前日に思い立って翌日立山に行った理由がもう一つあります。
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実は、数日前に素晴らしいメロディーが湧いて来たので、これはすぐに歌詞を付けて曲を完成させた方が良いと感じました。
今まで受け取って来たメロディーとはまた一味違う感じの素晴らしい輝きのあるメロディーだったので、このメロディーに言霊(歌詞)を付けるにあたっては、一度、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見てから言霊(歌詞)を付けた方が良いと感じたからです。
そこで、早速、翌朝に立山室堂に向かって出発しました。
ケーブルカーの立山駅に向かう途中に、雄山神社中宮祈願殿がありますので、まずそちらに参拝して、ご挨拶してから立山駅に行きました。
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ケーブルカーと立山高原バスを乗り継いで立山室堂に行ってみると、そこは辺り一面雪だらけの白銀の世界となっていました。
とても美しい銀世界ではあったのですが、天候は曇りで、立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来るような雲行きではありませんでした。
視界こそあるものの、立山は厚い雲に覆われていました。
そのことは残念に思いつつも、室堂のみくりが池を一周している時に、メロディーに付ける言霊(歌詞)のイメージがすぐに湧いてきて、今回立山まで来た目的の一つはすぐに達成されたような満足感はありました。
それでも、出来れば立山の雄姿を一目仰ぎ見たいという強い気持ちがあり、少し時間を置いて午後からなら、もしかして雲が晴れる一瞬があるかも知れないと考えました。
ちょうど今回は、立山黒部アルペンルート開通50周年記念の切符だったので、室堂からトロリーバスで立山の反対側・長野県側の大観峰まで往復できる切符となっていました。
そこで、ひとまず室堂の散策を切り上げて、大観峰まで行き、午後からの天候の回復に望みを託すことにしました。
大観峰も濃霧の為、黒部湖・黒部ダムを見下ろすことも出来ず、視界不良の状態でした。
大観峰でひと時を過ごし、室堂に戻ってみると、なんと、あれだけ厚かった雲が見る見る内に上空へと昇って行き、視界が晴れてきて、立山がその神々しい姿を少しずつ現して来ました。
そして、ほとんど雲一つないような形で、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来ました!
主峰である雄山山頂に鎮座されている雄山神社峰本社の姿も仰ぎ見ることが出来ました!
ほんの10分間程のことでしたが、立山を覆っていた雲が見る見る内に上昇して行き、一瞬ではありましたが、日本三霊山・立山の神々しい雄姿を見せていただくことが出来ました。
立山の雄姿を完全な形で見せていただいた後は、すぐにまた厚い雲が立山を覆い始め、まったく立山が見えない状態となりましたので、今回立山まで来た目的は十分に達成された満足感を抱きつつ、立山を後に下山しました。
帰宅するまでの間に、曲の言霊(歌詞)も全部浮かんできたので、新しい曲がまた1曲完成することになりました。
素晴らしい曲が完成しましたので、いずれCDに収録して発表したいと思います。
来年令和4年(西暦2022年)、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の7月1日の目出度き日に、神国日本の新しい時代を告げる新しい時代のエネルギーが旋風となって日本を吹き抜けて行くことになります。
富山城址公園、真国寺・長岡御廟、富山護国神社に行って来ました!
富山城(富山城址公園)、真国寺・長岡御廟、富山護国神社に行って来ました。
半日程掛けて、今まで行っていなかった富山市内の聖地に行って来ました。
昨夜は富山市内でクラシックコンサートを聴くことになっており、日帰りで行けたのですが、何故か、前日に富山市内のホテルに、たまには泊まってみようと思い、予約を入れていました。
コンサート当時の朝、ホテルをチェックアウトしてから、夜のコンサートまで、何をしようか明確に決めていなかったのですが、立山の室堂まで半日掛けて行くつもりでいました。
と言うのも、先週一泊二日で立山・室堂のみくりが池温泉に泊まり、黒部湖・黒部ダムにも行ったのですが、立山の室堂周辺は、雨と霧で視界不良だったからです。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!』
黒部湖・黒部ダムは曇りだったので、それなりに楽しめたものの、室堂から日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見ることが出来なかったので、もう一度日帰りで行きたいと考えていました。
幸い、22日は天候も晴れそうだったので、立山・室堂に行こうと思いつつ、どうしても切符の予約を入れる気になれず、かと言って、特に行きたい所がある訳でもなく、せっかくホテルを取ったのに、半日時間を無駄にしてしまうのかな、という感じがありました。
夕食前の時間になって、思いがけず、越中富山を治めた前田藩に関する聖地、そして富山・日本を守る為に貴い命を犠牲にされた、富山の英霊を祀る富山護国神社に参拝しようという気持ちになりました。
今まで、訪れたことがなく、また、今までは全く関心が薄かった所とも言えます。
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越中富山の前田藩は、お隣の加賀百万石の前田藩の分家にあたります。
今年9月に、高岡古城公園内にある越中国一宮射水神社と霊山二上山に参拝した時に、思いがけず、越中富山とご縁の深かった、加賀前田藩二代目前田利長公のことを知り、前田家について少し関心を持っていたところでした。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『越中国一宮射水神社と霊山二上山に参拝して来ました!』
富山城の本丸跡は現在、富山城址公園として開放されています。
まずは、前田藩の拠点であり、富山の中心地であった富山城址公園を訪れようと思いました。
そして、前田藩の歴代藩主のお墓が、市内の郊外に、長岡御廟としてあることを知り、そこを管理されている真国寺があることも知ったので、そちらにも参拝したいと考えました。
真国寺は曹洞宗のお寺であり、長岡御廟に隣接しています。
そして、地元富山の英霊が祀られている富山護国神社にも参拝したいと考えました。
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今回、半日程、富山市内で時間が取れたことで、思いがけず、今まで行ったことがなく、さらに言えば、あまり関心がなかったような聖地に行くことが出来ました。
自分が生まれ育った場所、あるいは、今自分が住んでいる場所について、改めて、関心を抱いて想いを馳せてみる良い機会になったような感じがしました。
立山室堂・みくりが池温泉、黒部湖・黒部ダム、雄山神社、大岩山日石寺、眼目山立山寺に行って来ました!
立山黒部アルベンルートで立山の室堂とみくりが池温泉、黒部湖・黒部ダムに行って来ました。
また、麓の立山町にある雄山神社前立社壇、雄山神社中宮祈願殿、上市町にある大岩山日石寺、眼目山立山寺にも参拝して来ました。
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一泊二日の予定で、立山黒部アルペンルートで黒部湖・黒部ダムと、室堂のみくりが池温泉に泊まって室堂周辺を散策して紅葉の立山を楽しむべく、立山へと行って来ました。
ところが、立山はあいにくの雨と濃霧でした。
当初は初日を室堂とみくりが池周辺を散策して、二日目に黒部湖・黒部ダムに行く予定だったのですが、立山駅からケーブルカーに乗っている時に、予定を変更して、まずは黒部湖・黒部ダムに行くことにしました。
立山の反対側の黒部湖・黒部ダムは長野県であり、天候は曇りとなっており、まずますの状況だったからです。
黒部湖・黒部ダムには、今年8月に最初に行くことが出来ました。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『立山黒部アルペンルートで黒部湖・黒部ダムに行って来ました!』
黒部湖・黒部ダムはとっても良かったのですが、同じ場所にそうそう何回も行っていられないので、もう1回、黒部湖・黒部ダムの見納めの積りで、今回行くことに決めました。
黒部湖・黒部ダムは、やはりとても奥深い所であり、大自然の雄大さ・奥深さに触れることが出来、もう一度行けて良かったと思います。
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黒部湖・黒部ダムから室堂に戻っても、やはりすごい濃霧で視界がほとんど無い状態だったので、まっすぐにみくりが池の畔にあるみくりが池温泉へと向かい、夕方前からの時間を、のんびりと温泉に浸かって過ごすことになりました。
みくりが池温泉は、標高2400メートル地点にあり、日本最高標高の温泉とされています。
日本最高標高の標高2400メートル地点で入る温泉は、また格別なものがありました。
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翌朝も雨と濃霧だった為、室堂周辺での散策をあきらめて、早めに下山して、麓にあるお寺で一度行ってみたかった場所などへ行くことにしました。
初日に立山駅に向かう途中で、道都沿いにある雄山神社中宮祈願殿には参拝してご挨拶を済ませてありましたので、下山した後は、雄山神社前立社壇に参拝することにしました。
夏の間、立山山頂の雄山神社峰本社を、麓の里宮である雄山神社前立社壇と雄山神社中宮祈願殿が共同で管理されています。
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立山町の雄山神社前立社壇参拝後、お隣の上市町にある大岩山日石寺、眼目山立山寺へと向かいました。
この二つのお寺は、今まで参拝したことがなく、割と有名な所でもあるので、一度参拝してみたいと思っていたところです。
大岩山日石寺は、真言密宗の大本山であり、磨崖仏の大岩不動尊が有名なお寺です。
また、六本滝と十二支滝という二つの滝が境内にあり、滝行が出来るお寺としても知られています。
眼目山立山寺は、禅宗曹洞派の名刹として知られ、大徹宗令禅師により創立されました。
立山大権現の要請により大徹宗令禅師が創立したとも伝えられており、日本三霊山・立山ともご縁の深いお寺とされています。
今回は、せっかく立山の室堂にある標高2400メートルの日本最高標高のみくりが池温泉に宿泊したものの、立山の雄姿を仰ぎ見ることは出来ませんでした。
そこで、機会があれば、来週あたり、もう一度日帰りで室堂・みくりが池まで足を運び、日本三霊山・立山の雄姿を仰ぎ見たいと考えています。
富山の総産土神とされ「山王さん」と呼ばれる日枝神社に参拝して来ました!
日枝神社には、近くまで行くことがあっても、今まで参拝したことはなかったのですが、今回、初めて参拝することにしました。
「山王さん」の愛称で呼ばれる日枝神社は、富山市中心部に位置しており、6月1・2日に行われる「山王まつり」には約20万人の人出が集まるなど、富山県を代表する神社の一つと言えます。
加賀百万石の二代目藩主前田利長は、富山城に入城してから現在の場所に境内地を寄進し、社殿を造営するとともに、「日枝神社は富山の総産土神」として、以後前田家代々からあつく崇敬されたと言われています。
日枝神社の御祭神は、以下の通りです。
* 大山咋神(オオヤマクイノカミ)
* 大己貴神(オオナムチノカミ) (大国主の別称で七福神の大黒様)
* 天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)
* 豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)
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日枝神社は、富山の「山王さん」と呼ばれていますが、「山王さん」と言えば、東京赤坂の日枝神社が有名です。
御祭神は、同じく大山咋神(オオヤマクイノカミ)になります。
私は、学生時代、赤坂でアルバイトをしていた時期があり、毎週のように赤坂に行って、日枝神社の近くを通っていたので、「山王さん」というのは、自分にとって親しみの感じられる神社とも言えます。
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大山咋神(オオヤマクイノカミ)を祀る神社としては、東京赤坂の日枝神社が有名かと思いますが、大山咋神(オオヤマクイノカミ)を祀る総本宮であり、山王総本宮とされているのは、滋賀県大津市にある日吉大社になります。
日吉大社では、東本宮で大山咋神(オオヤマクイノカミ)をお祀りし、西本宮で大己貴神(オオナムチノカミ)をお祀りされています。
滋賀県大津市坂本にある日吉大社は、琵琶湖の西岸にあり、比叡山の麓に位置しています。
私も十数年前に一度参拝したことがありますが、日吉大社の境内の中で、履いていた運動靴のファスナーが片方壊れたので、古い靴を履き捨てて、新しい靴に履き替える時だと感じました。
一週間程の旅が終わってから、当時住んでいた横浜の自宅に戻り、古い靴を捨てて、また新しい靴を買い、新たな気持ちで人生のスタートを開始したことを、懐かしく想い出します。
今、新しい時代へと導く大きなエネルギーのうねりがやって来ていますので、もう役に立たなくなった古いエネルギーはどんどん手放し、新しいエネルギーに入れ替えて行くことが大切だと感じています。
能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました!
氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました。
元々、のんびりと温泉でゆったりとした時間を過ごす目的で、4泊5日の予定で氷見市の温泉宿に予約を入れていました。
ところが、このところ、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)と白山神界の動きが活発化してきた感じがしたので、氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅することにしました。
温泉宿でののんびりとした時間ではなく、長距離のドライブと、能登半島が持つ力強いエネルギーに触れることが出来た、かなり濃密な時間を過ごすことが出来ました。
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来年の令和4年(2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、神国日本の新しい時代を開く、新しい時代のエネルギーの風が吹くことになります。
その流れに合わせて、白山神界と白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)の動きも活発化してきているようです。
先月9月16日の夕方、能登半島最北端の珠洲市で震度5の地震がありましたが、今年に入ってから、奥能登を震源地とした地震が多発しているようです。
また、その数日後の9月21日には、白山で小さな地震が頻発し、1日で163回確認されています。
日本三霊山に数えられる白山は活火山なので、白山には大きなエネルギーが眠っているとも言えます。
奥能登での地震の多発や、白山での小さな地震の頻発なども、霊峰白山に眠るエネルギーが目覚め蘇りつつある、一つの型示しでもあると感じています。
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日本三霊山(富士山・立山・白山)の内、富士山は太平洋側(表日本)に位置しており、立山(富山県)と白山(石川県)は日本海側(裏日本)に位置しています。
21世紀の現代から見れば、太平洋側(表日本)が中心であり、北陸地方などの日本海側(裏日本)は、辺鄙でマイナーなイメージがあるかと思います。
しかし、それはあくまでも現代だからであり、古代においては、日本海側が大陸からの表玄関であり、重要な位置を占めていた時代がありました。
古代において、文明が発達してきて小さな船で航海が出来るようになると、最初は朝鮮半島と北九州の間にある対馬列島などを点々と中継地としながら、何とか大陸との交流が始まった訳であり、その当時においては、北九州を始めとした日本海側が大陸からの表玄関であり、言わば表日本である時代があった筈です。
そのような時代には、大陸との玄関口である北九州から能登半島までが、大陸からの表玄関として、一つの領海を形成していたものと思われます。
能登半島というのは、北に大きく突き出た形をしていますので、北九州から出雲地方、若狭湾、能登半島までが、ちょうど一つの大きな湾のような感じで、大陸からの表玄関の役割を果たしていた時代があったと考えられます。
日本三霊山の中でも、特に白山は、古代における大陸との関係において、霊的に重要な役割を担っていると考えています。
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白山は、717年(養老元年)、泰澄大師によって開山されたと伝えられています。
泰澄大師は、福井市出身の僧侶ですが、「泰澄」という名前そのものが、謎の渡来人である「秦氏」を連想させます。
また、白山から日本海を越えた大陸の朝鮮半島には、白山と似た名前で白頭山(長白山)という山があり、朝鮮民族の聖地ともされています。
白山は、日本海を越えた朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)とも霊的なネットワークでつながっていると考えられます。
白頭山(長白山)は、標高も2800メートル弱と白山と同じ位の活火山ですが、昔から朝鮮民族の聖地であり、高句麗の聖地でもあったようです。
高句麗の最後の王である若光王は、高句麗が滅ぶ時に日本に亡命して来て、日本で亡くなり、日本にお墓がありますが、白山と朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)には、何らかの霊的なつながりがあるものと思います。
また、白山菊理媛の本地仏は十一面観音菩薩とされていますが、そこにも、古代において白山が持っていた働きが表現されているのかも知れません。
世界最古の宗教の一つとされるゾロアスター教など、古代における世界の主な宗教11くらいの流れが白山の元にやって来ており、そのことが十一面観音菩薩に表現されているという説もあるようです。
それが本当かどうかは知る由もありませんが、白山は、古代において、海外からも聖地として崇められていた時代があったようです。
日本三霊山に数えられる白山は、現代の私たちが考えている以上に、聖なる山として、大陸とのつながりの上でも重要な霊的な役割を担ってきたものと考えられます。
その白山が今、長い眠りから覚め、蘇る時を迎えているのかも知れません。
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能登へのご神業で、まず最初に向かった聖地が、能登半島最高峰である宝達山です。
宝達山は、標高637メートルの能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前そのものが、何やら意味深な響きが感じられます。
私は、十数年前、白山で御来光を見てから下山し、午後に羽咋市の気多大社に向かう途中で、車で行ける辺りまでは寄ったことがありますが、山頂には行ったことが無かったので、一度山頂までは行ってみたいと思っていました。
山頂に向かう途中で、登山道入り口辺りに、手速媛(テハヤヒメ)神社下社がありますので、まずは下社に参拝しました。
御祭神は、手速媛(テハヤヒメ)になります。
宝達山山頂には手速媛(テハヤヒメ)神社上社があり、御祭神は、同じ手速媛(テハヤヒメ)になります。
その後、山頂近くの駐車場まで向かい、車を降りてから徒歩10分程度で宝達山山頂に到着することが出来ました。
以前から、一度は宝達山山頂まで行ってみたいと思っていたので、念願が叶いました。
能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前を持っている宝達山には、何かがあるのだろうと思います。
ちなみに、御存知の方もあるかも知れませんが、宝達山の麓には、「伝説の森公園 モーゼパーク」があり、モーゼの墓があるとされています。
しかし、モーゼの墓であるという伝承や証拠はなく、山根キクの著書『光りは東方より』が唯一の根拠であり、山根キクの主張を押水町が町おこしに利用して、三ツ子塚古墳群を整備して、1993年にオープンしたものになります。
私は、十数年前に宝達山頂上付近への道を地元の人に聞いた時、その方がちょうど「モーゼパーク」の管理人の方だったので、そのことを知り、少し足を伸ばして行ってみたことがあります。
しかし、今回は、行く気にもなりませんでした。
何故なら、「モーゼパーク」はモーゼの墓ではないからです。
似たような伝説に、東北の青森県新郷村に「キリストの墓」と呼ばれる場所があります。
しかし、そこもイエス・キリストの墓ではありませんので、注意が必要です。
青森県新郷村の「キリストの墓」と呼ばれる場所も、元々は『竹内文書』を公開した竹内巨磨が言ったことであり、それが独り歩きして現在に至っています。
山根キクは『竹内文書』の影響を受けていたとのことですが、『竹内文書』を著した竹内巨磨は富山県の出身であり、皇祖皇大神宮も茨城県に移る前は、元々は富山県呉羽山にありました。
『竹内文書』などを真実の書として信じている人もあるかも知れませんが、あれは亜流の書であり偽書なので、盲信したりしないように注意する必要があります。
イエス・キリストの墓やモーゼの墓が日本にあると信じたり、『竹内文書』などを盲信している人は、きちんと本質的な基本的な真実をまず知っておく必要があるかと思います。
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モーゼと並んで『旧約聖書』を代表する預言者とされるエリヤがいますが、モーゼとエリヤがイエス・キリストと語り合っている様子が、『新約聖書』の「ルカによる福音書」の中に書かれています。
「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。・・・雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。」(「ルカによる福音書」第9章・第28〜36節)
『旧約聖書』と『新約聖書』では時代が大きく離れていますので、モーゼなども、紀元前16世紀から13世紀頃の人物と推定されています。
イエス・キリストはご存知のように、約2000年頃前の人物になります。
何故、2000年頃前の時代に生きたイエス・キリストが、それより数百年あるいは1000年以上前の時代に生きたモーゼやエリヤとイエスの最期(十字架上の磔)について語り合い、それを弟子であるルカが目撃して、福音書に書き記しているのでしょうか?
この意味が分からなければ、本質的な基本的な真実については、何も知らないに等しいということを理解する必要があるかと思います。
もし、この意味が分からなければ、ぜひ、下記の拙書をお読みいただき、真実についてきちんと理解されることを、強くお勧め致します!
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』
拙書『花咲く都・黄金文明』
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宝達山から下山してから、羽咋市にある能登国一宮気多大社に参拝しました。
気多大社への参拝は、十数年ぶり、三度目になります。
気多大社は、白山を開山した泰澄大師によって建立されたと言われています。
気多大社の御祭神は、大国主命であり、七福神の大黒様としても知られています。
気多大社の裏手には「入らずの森」と呼ばれる広大な原生林があり、奥宮もその中にありますが、「入らずの森」は立ち入り禁止になって守られています。
現在は、気多大社は能登半島の付け根部分にあって交通も不便なことから、大社と呼ばれる神社の中では、比較的知名度が低い印象がありますが、古代においては、もっと重要な位置を占めていたものと思われます。
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ちなみに、気多大社のある羽咋市は、「UFOの町」としても知られています。
住民にUFO(宇宙船)の目撃者も多く、住民の20%以上がUFO(宇宙船)の目撃者とも言われています。
羽咋市には「そうはちぼん」という伝説があり、その特徴などから、江戸時代に現れたUFO(宇宙船)のことではないかと言われています。
羽咋市は、地域おこしとして「UFOの町」をアピールしているようです。
ちなみに、『旧約聖書』の「出エジプト記」の中で、昼となく夜となくモーゼ達を導いていった創造者のUFO(宇宙船)は、「光りの柱、雲の柱」として表現されています。
また、イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天から降りて来た創造者のUFO(宇宙船)は、「神の霊」と表現されています。
「イエスは洗礼(パプテスマ)を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(「マタイによる福音書」第3章・第16・17節)
先程の『新約聖書』「ルカ伝」の中では、創造者のUFO(宇宙船)は、「栄光」「雲」と表現されています。
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気多大社の参拝を終えた後は、能登半島の景勝地である能登金剛にも足を運んでみました。
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翌日は、朝から能登半島最北端の珠洲市へ向かいました。
珠洲市の代表的な神社である珠洲神社参拝が第一の目的です。
珠洲神社は、高座宮と、すぐ近くに徒歩数分の位置にある金分宮に分かれています。
また、山伏山の山頂に奥宮がありますが、片道1時間程掛かるようなので、今回は参拝は出来ませんでした。
高座宮では、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)と美穂須須美命(ミホスズミノミコト)が祀られています。
そして、金分宮には、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)の后である木花咲耶姫命 (コノハナノサクヤヒメノミコト)が祀られています。
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珠洲神社の参拝を終えた後は、能登半島最北端の海辺にも行って来ました。
「聖域の岬」とも呼ばれる珠洲岬は、日本三大パワースポットとも呼ばれているようです。
有名な、「ランプの宿」もあり、確かに風光明媚な所でした。
青森県のランプの宿「青荷温泉」にはずいぶん昔行ったことがあるのですが、機会があれば、珠洲岬の「ランプの宿」に泊まって、山伏山山頂の珠洲神社奥宮にも行ってみたいと感じています。
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氷見市の温泉宿に滞在中、2回、近くにある大境洞窟の白山社に参拝しました。
今回の旅は、かなり有意義で濃密な旅となったので、チェックアウト後、最後はやはり大境洞窟の白山社に参拝して、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)へのご挨拶で締め括りとさせていただきました。
能登の霊場・石動山をお守りする伊須流岐比古神社に参拝して来ました!
能登の山岳信仰の霊場である石動山をお守りする伊須流岐比古(いするぎひこ)神社に参拝して来ました。
伊須流岐比古(いするぎひこ)神社に参拝するのは、昨年8月に次いで2度目であり、昨年は石動山の山頂まで登拝して、奥宮にも参拝して来ました。
その時の様子については、こちらの記事をご参照下さい。
『能登の山岳信仰の霊場、石動山(せきどうさん)に登拝して来ました!』
今回は、山頂の奥宮までは登らずに、伊須流岐比古(いするぎひこ)神社への参拝だけにとどめておきました。
元々、今回、伊須流岐比古(いするぎひこ)神社に参拝する予定は無かったのですが、氷見市の温泉に一泊することになったので、宿からも比較的近いこともあり、チェックイン前に一年ぶりに参拝しておこうと考えた次第です。
能登の山岳信仰の霊場である石動山は、石川県中能登町の東方に連なる標高564メートルの霊山であり、日本三霊山・白山を開いた泰澄大師によって開山されたとも伝えられています。
泰澄大師の命日とされる7月7日の七夕の日に、一年の健康と安全を祈願して、石動山開山祭の神事が行われています。
伊須流岐比古(いするぎひこ)神社の境内には、「動宇石」という神聖な石があり、石動山の名前の由来になったとされています。
昔、天より「動宇石」が落下して、全山が振動したことに由来するようです。
石動山の言い伝えによれば、伊須流岐比古(いするぎひこ)神社の境内にある大石「動宇石」は、異変がある時、動くとも伝えられているようです。
来年の令和4年(2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、新しい時代を開くエネルギーの風が吹くことになります。
それに合わせて、白山神界と白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)の動きも活発化してきている感じがします。
その動きに合わせて、近い内に能登半島の聖地にも足を運んでおきたいと考えています。
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伊須流岐比古(いするぎひこ)神社から下山して温泉宿に向かう途中で、氷見市の磯部神社にも参拝して来ました。
磯部神社に参拝するのは、初めてになります。
磯部神社の御祭神は、天日方奇日方命(アメヒガタクシヒガタノミコト)になります。
櫛御方命(クシミカタノミコト)の別名であり、大物主の御子神に当たるとのことです。
少し離れた磯部地区内に、当社の古社地と伝えられる神明宮がありますので、そちらにも参拝して来ました。
御祭神は、天照皇大神(アマテラススメオオミカミ)と豊受大神(トヨウケノオオカミ)になります。
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温泉宿をチェックアウトした翌朝、すぐ近くの氷見海岸にある阿尾城跡にも足を伸ばしてみました。
眼下が海岸の絶壁で、榊葉乎布(さかきばこふ)神社、白峰神社という二つの神社もありました。
榊葉乎布(さかきばこふ)神社は、万葉歌人で越中国守でもあった大伴家持によって勧請されたとも伝えられています。
御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)、建御名方神(タケミナカタノカミ)、住吉三神、菊理媛神(ククリヒメノカミ)となっています。
白峰神社の御祭神は、崇徳天皇のようです。
越中国一宮射水神社と霊山・二上山に参拝して来ました!
射水神社は、雄山神社・高瀬神社・気多神社と共に、越中国一宮とされており、現在は高岡市の古城公園内に鎮座していますが、元々は霊山・二上山の麓に鎮座しており、射水神社と霊山・二上山は密接な関係にあります。
二上山は高岡市と氷見市に跨る標高274メートルの山であり、古来から聖なる山として崇められてきました。
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今回、越中国一宮射水神社と、霊山・二上山に参拝しようと思ったきっかけは、先週の9月9日が二十四節季の重陽の節句、菊の節句であり、日本三霊山・白山の守り神である白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)とご縁の深い日なので、何処かの白山社に参拝して、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)にご挨拶したいと考えたのがきっかけです。
ちょうど9月9日は、午前中高岡市に用事があったので、それが終わってから、何処か最適な白山社に参拝したいと考えていたところ、ちょうど用事があった場所の近くに、越中国一宮射水神社の院内社として、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)が祀られていることを知りました。
場所は、霊山・二上山の麓にあります。
霊山・二上山には、十数年前に、山頂の日吉社と麓の二上射水神社(元々の鎮座地)に参拝したことがあり、今回、院内社だけではなく、霊山・二上山の聖地を一通り訪れてみたいと考えました。
そして、現在は高岡市の古城公園内に鎮座している越中国一宮射水神社にも参拝して、射水神社関連の聖地を全部訪れておきたいと考えました。
全部回ると、それなりに時間が掛かるので、まず9月9日に、院内社をはじめとして霊山・二上山の聖地を参拝し、また日を改めて、越中国一宮射水神社には13日に参拝することにしました。
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霊山・二上山には、越中国一宮射水神社が元々あった場所である二上射水神社の他に、院内社、諏訪社、日吉社、悪王子社の4か所の摂社があります。
院内社は二上山の麓にあり、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)が祀られています。
諏訪社も二上山の麓にあり、諏訪大社の御祭神である建御名方(タケミナカタ)大神が祀られています。
日吉(ひえ)社は霊山・二上山の山頂にあり、山の神の代表格である大山咋(オオヤマクイ)大神が祀られています。
悪王子社は、山頂の日吉(ひえ)社から少し下に降りた場所にあり、二上山の地主神が祀られています。
元々の鎮座地である二上射水神社。そして、越中国一宮射水神社の御祭神はニニギノミコトになります。
霊山・二上山周辺の聖地を訪れた9月9日は、真夏に逆戻りしたかのような快晴の陽気となり、二上万葉ラインに沿って、院内社を皮切りにぐるっと二上山を一周することが出来、とても快適な聖地巡りの旅をすることが出来ました。
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そして、週明けの13日には、高岡市の古城公園内に鎮座する越中国一宮射水神社と、摂社の護国神社に参拝して来ました。
摂社・護国神社
越中国一宮射水神社の現在の鎮座地は、高岡市の古城公園内にあり、江戸時代の城跡に社殿を構える一宮は全国で射水神社だけのようです。
お濠に囲まれた古城の中にある閑静な雰囲気がとても良い感じでした。
越中国一宮射水神社の御祭神は、ニニギノミコトになります。
ニニギノミコトは皇室の祖神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたり、高天原から降臨して来た神として、天孫ニニギノミコトと呼ばれています。
そして、天孫ニニギノミコトと結ばれた女神が、神国日本の象徴・霊峰富士の守り神である木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)になります。
天孫ニニギノミコトには、イスラエルの祖となったヤコブとの共通点が色々あります。
『旧約聖書』創世記に登場するヤコブ(イサクの息子)は、神(天使)と相撲をとって勝ったことから、「神と戦って勝利した者」を意味する「イスラエル」という称号を与えられました。
そして、ヤコブの息子たち12人がイスラエル十二部族の祖となったことから、ユダヤ人の祖ともされています。
イスラエル十二部族の内、十部族は、その後、歴史上から姿を消してしまい、「イスラエルの失われた十支族」と呼ばれていますが、「イスラエルの失われた十支族」は、東洋の一番東にある日出る神国・日本に辿り着いたとも言われています。
神道のルーツは古代ユダヤ教なので、天孫ニニギノミコトとイスラエルの祖ヤコブとの類似点をはじめとして、多くの日本人がそれらのことにもっと気付いて行く時期を迎えていると思います。
二上山の摂社・諏訪社には諏訪大社の御祭神である建御名方(タケミナカタ)大神が祀られていますが、諏訪大社と古代ユダヤにも密接な関係があります。
諏訪大社の「御頭祭」には、私も以前参加したことがありますが、古代ユダヤの「イサク伝承」と瓜二つです。
「イサク伝承」の舞台となったのがモリヤ山ですが、諏訪大社の御神体山が「モリヤ(守屋)山」であり、「御頭祭」は代々、「モリヤ(守屋)家」が祭主として執り行ってきたとされています。
また、諏訪大社上社本宮の境内には相撲をとる立派な土俵が設置されていますが、相撲のルーツも古代ユダヤに起源があるようです。
これらはほんの一例にしか過ぎませんが、とにかく、神道のルーツは古代ユダヤ教であり、世界の主な宗教の源は一つなので、そのことにもっと多くの日本人が気付いてほしいと思います。
今、私たち日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時を迎えています。
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高岡市の古城公園内にある越中国一宮射水神社での参拝を終えてから、車で数分の所にあるレストランで昼食を食べたのですが、そのすぐ近くに加賀前田藩二代目当主前田利長公の墓所があったので、食後に参拝をして来ました。
前田利長公はかつて、二上山の守山城を居城にしていた時期があり、富山城の火災によって高岡城を築城し、高岡城にて死去しています。
石川県の加賀百万石の歴代当主の中で唯一、お隣の富山県(越中国)に墓所があり、富山県(越中国)ととてもご縁の深い加賀藩主になりますので、敬意を表して、前田利長公の墓所にお参りさせていただきました。
ちょうど墓所を訪れた9月13日という日は、慶長14年(1609年)9月13日に、前田利長公が地名を高岡と改めて高岡城に入城した記念すべき日だということを、墓所を訪れた時に知りました。
高岡市の前田利長墓所では、毎年9月13日に前田利長公顕彰祭が開催されており、その日のみ一般公開されているとのことで、運良く墓所の中に入って前田利長公にご挨拶する機会を得ました。
立山黒部アルペンルートで黒部湖・黒部ダムに行って来ました!
立山黒部アルペンルートで日本三霊山・立山には何度も行っていますが、黒部湖・黒部ダムまで足を伸ばしたのは、今回が初めてになります。
黒部湖・黒部ダムには必ず一度は行ってみたいと思いながら、なかなか行く機会がなかったのですが、今回、初めて行くことが出来て、とても良かったと思います。
黒部湖・黒部ダムに一度は行ってみたいと思いながら、なかなか行けなかったのは、本州最秘境の一つとも言うべき黒部湖・黒部ダムにせっかく行くのであれば、黒部湖のほとりのペンションにも最低1泊し、出来れば立山の麓の室堂でも1泊して、最低2泊か3泊の予定を組みたいと考えていたので、なかなか遠い存在のように感じていたからです。
ところが、今回、黒部湖・黒部ダムに行けたのは、日帰りでも行って来ることが出来ると分かり、しかも、とても安く行ける機会があったからです。
立山黒部アルペンルート全線開業50周年記念として、運営元の立山黒部貫光(株)から「黒部ダム行っ得きっぷ2」(富山県民限定)というとてもお得なキップが平日限定で販売されているのを知り、ちょうど良い機会なので、まずは日帰りでも良いので、とにかく一度は黒部湖・黒部ダムまで行ってみようと思い、決行した次第です。
結論から言えば、日帰りとは言え、秘境黒部湖・黒部ダムを実際に体験することが出来、とても良かったと感じています。
出来れば今年中にもう一回は行ってみたいとも考えています。
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富山県側から長野県側にある黒部湖・黒部ダムに行く為には、富山県側の標高2450メートル地点にある室堂から、日本三霊山・立山の山頂から700メートル地下を貫通するトンネルをトロリーバスで通り抜け、長野県側の標高2316メートル地点に位置する大観峰まで抜けて行くイメージになります。
具体的なルート・乗り物、所要時間・距離は以下の通りです。
☆ 立山駅 ⇒ 美女平 ・・・・ 「立山ケーブルカー」 1.3Km 7分
☆ 美女平 ⇒ 室堂 ・・・・ 「立山高原バス」 23Km 50分
☆ 室堂 ⇒ 大観峰 ・・・・ 「立山トンネルトロリーバス」 3.7Km 10分
☆ 大観峰 ⇒ 黒部平 ・・・・ 「立山ロープウェイ」 1.7Km 7分
☆ 黒部平 ⇒ 黒部湖 ・・・・ 「黒部ケーブルカー」 0.8Km 5分
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梅雨明けして夏真盛りの秘境黒部湖・黒部ダムは、最高に素晴らしく、秘境黒部の大自然と、日本三霊山・立山の雄姿を堪能することが出来ました!
黒部湖から見た日本三霊山・立山
黒部湖遊覧園ガルべに乗船して、30分程黒部湖を周遊したのですが、とても気持ちが良く、最高の気分を味わうことが出来ました。
私は、夏生まれの夏男ということもあってか、四季の季節の中では、夏がダントツに一番大好きであり、毎年本格的な夏が到来すると、とても元気が出てワクワクしてきます。
日本のように四季折々の自然が美しい国では、四季それぞれに美しさ・素晴らしさがありますが、私は、夏という季節が一番、人生の輝きというものを感じさせてくれるように感じています。
子供時代の夏休みのように、海や山に出掛けて行って大自然の中で思いきり無邪気に遊び回っていた時の思い出のようなものが、人生の輝きというものと、とても密接に関わっているように感じています。
夏真盛りの盛夏に、海や山に出掛けて行って、大自然の素晴らしさ・美しさに触れることは、とても素晴らしい体験であると同時に、大切な何かを想い出させてくれることにもつながると感じています。
自分という存在が今この瞬間、天によって生かされ、今自分が生きているという不思議さ・有難さ・うれしさ・喜び・・・・・。
大自然の持つ素晴らしさ・美しさ・雄大さ・無限性・・・・・。
自分が生まれてから今日まで生きて来れたのは、決して自分一人の力ではなく、両親を始め家族や周りの人たちの助けがあったからこそだということ・・・・・。
自分自身が心の奥深くで本当に望んでいることは何なのか・・・・・。
自分自身にとって本当に大切なことは何なのか・・・・・。
素晴らしい大自然の中に身を置いて、しばしくつろいでみると、色々なことが感じられて来るかと思います。
色々なことを感じさせてくれる真夏の海や山、真夏の大自然は最高に素晴らしく、人生の輝きというものを感じさせてくれます。
今年、機会があれば、もう一度、黒部湖・黒部ダム、そして日本三霊山・立山に行って来たいと考えています。
国宝瑞龍寺にて東司の守護神(トイレの神様)烏枢沙摩明王に参拝して来ました!
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩3代目藩主前田利常が建立した2代利長の菩提寺になります。
瑞龍寺は国宝にも指定されている有名なお寺なので、一度参拝してみても良いかなとは思いつつも、一度も参拝したことがなく、今回が初めてになります。
瑞龍寺の近くを車で何度も通っていながら、今までなかなか参拝する気になりませんでしたが、今回参拝しようと思ったきっかけは、瑞龍寺には、仏教における東司の守護神(トイレの神様)とも言うべき、烏枢沙摩(ウスサマ)明王が祀られていることを知ったからです。
東司の守護神(トイレの神様)とも言うべき烏枢沙摩(ウスサマ)明王が祀られているのなら、ぜひ一度は参拝してみたいと思っていた折、ちょうど高岡市で午前中に用事がありました。
そして午後からはお隣の砺波市の庄川峡にリニューアルオープンした温泉に1泊することになっており、途中に瑞龍寺があったので、この機会に参拝しておきたいと思いました。
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瑞龍寺は、国宝にも指定されている通り、天下の加賀百万石の前田藩の菩提寺というだけあって、なかなか立派な趣を持っていました。
そして、お目当ての烏枢沙摩(ウスサマ)明王像にご挨拶することが出来ました。
仏教における東司の守護神(トイレの神様)とも言うべき烏枢沙摩(ウスサマ)明王は、炎で不浄を焼き払うとも言われる通り、なかなか勇壮な御姿で、片足を上げた独特なポーズで立っておられました。
烏枢沙摩(ウスサマ)明王は瑞龍寺の「裏本尊」にあたるとのことであり、高さ約120センチメートルの烏枢沙摩(ウスサマ)明王像は、日本で最古にして最大級のものだそうです。
烏枢沙摩(ウスサマ)明王像は、元々は東司で祀られていたそうですが、250年前に東司が火災にあった為、現在は法堂に祀られているとのことです。
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東司(トイレ)というのは、言わば家の中で一番汚い所なので、ここを日々清浄に保つことは、とても大切なことのようです。
仏教のお寺などでも、東司(トイレ)は重要な所なので、位が高くならないと東司(トイレ)の掃除をさせてもらえないお寺もあると聞いています。
東司(トイレ)の掃除は修行においても重要な部分であり、言わば「おいしい部分」なので、位の高いお坊さんにならないとさせてもらえないお寺もあるようです。
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そして、トイレという所は、お金(マネー)とも密接に関係している場所のようです。
結構知られている話ですが、アメリカのある大金持ちが、世界中の大金持ちの共通点を、人を使って調査したところ、たった一つだけ共通点があり、それが何と「トイレのフタが必ず閉まっていた」ということのようです。
トイレとお金(マネー)の間には、何か密接な深い関係がありそうですね!
トイレというのは、家の中で一番不浄な場所だけに、そこを常にきれいにして清浄を保ち、「トイレのフタを閉めて」邪気が家中にまき散らされないようにすることは、運気を向上させる為にとても大事な要素であると感じています。
私は、トイレの重要性に気付いてからは、20年以上に亘って、毎日家のトイレ掃除を行い、トイレの便器のフタは必ず閉めるようにしています。
そして、外出時にレストランなどのお店でトイレをお借りした際、トイレ内に便器ブラシが置いてある時には、必ず便器をブラシで磨き、必ずフタを閉めてから出るように心掛けています。
人生を好転させたい方で、まだ毎日のトイレ掃除や「便器のフタを必ず閉める」ということが実践出来ていない方は、まずそこから始めると良いかも知れません。
そして、以下のことを日々実践していくことで、人生が次第に好転していくと思います。
*毎日トイレ掃除をし、便器のフタは必ず閉める
*外出時、お店などでトイレをお借りした際、トイレ内に便器ブラシがあれば、必ず便器を磨いてトイレのフタを閉めてからトイレの外に出る
*家の中の持ち物を整理して不要物を処分する
*掃除などをこまめに行い、日々清浄を心掛ける
*自分の周囲の人間関係を見直し、自分の理想とする人、ツイていると思える人、ツキがあると思える人とだけなるべく付き合うように心掛ける
そして、自分の理想としない人、ツイていると思えない人、ツキがあると思えない人とはなるべく付き合わないように心掛ける
*毎日十分な睡眠を取る
*毎日適度な運動を心掛ける
*食を慎み、過食にならないように心掛ける
上記の事柄を毎日コツコツと日々実践していけば、物事は自ずと少しずつ良い方向に整っていくと思います。
日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の7月1日、魚津神社に参拝して来ました!
日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の7月1日、魚津神社に参拝して来ました。
ちょうど6月28日から30日まで3泊4日で氷見市の温泉宿に宿泊して今年の前半の締め括りとして静養してリフレッシュして過ごし、7月1日、今年後半の始まりの日を新たな気分で迎えることが出来ました。
7月1日、日本三霊山の立山の山開きの日の朝、富山湾に昇る朝日と共に、富山湾の遥か彼方にそびえ立つ立山と立山連峰の雄姿を、ホテルの露天風呂から仰ぎ見ることが出来ました。
最高の形で、今年後半のスタートを切ることが出来ました!
氷見市のホテルを朝チェックアウトしてから魚津方面に向かい、午後、魚津神社に参拝して来ました。
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氷見市の温泉宿に宿泊している間にも、近くにある神社に3か所参拝をして来ました。
まず最初に訪れたのは伏木神社で、初めての参拝となりました。
伏木神社の境内には、「厄割石」が設けられており、6月30日の夏越の大祓に向けて、茅の輪も設置されていました。
次に訪れたのが、すぐ近くにある越中国一宮気多神社であり、4月に参拝してから、程なくまた参拝することになりました。
4月に参拝した時の様子は、こちらの記事をご参照ください。
『越中国一宮気多神社に参拝して来ました!』
そして、6月30日の夏越の大祓の日には、ホテルから割と近くにある、大境洞窟の白山神社に参拝して来ました。
大境洞窟の白山神社は、昨年の夏、氷見市にある今回とは別の温泉宿に宿泊した時、近くにあることを知り、何気なく参拝したのが最初でした。
印象に残っていたので、今回のホテルからも近いこともあり、6月30日の夏越の大祓の日に何処かの神社に参拝したいと思い、2回目の参拝をして来ました。
白山神社のある大境洞窟は、《大境洞窟住居跡》として知られており、大正7年(1918年)に、日本で最初に調査された洞窟遺跡として知られています。
大正7年(1918年)、洞窟内にある白山社を改築する際、たくさんの人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が開始されたとのことであり、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されているとのことです。
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気が付けば、今年令和3年(2021年)も前半戦が終了し、早くも後半戦がスタートしています。
今年の後半戦をこれから全力で駆け抜けて行きたいと思います。
7月1日、立山山開きの日、富山湾に昇る朝日と立山連峰
越中国一宮高瀬神社に参拝して来ました!
高瀬神社は、雄山神社、気多神社、射水神社と共に、越中国一宮とされており、富山県南砺市にあります。
近くに所用で行くことになったので、久しぶりにちょっと足を延ばして、高瀬神社に参拝することにしました。
前回の参拝は、2012年の梅雨の頃だったと記憶しており、ちょうど9年ぶり位になります。
越中国一宮高瀬神社の御祭神は、大国主命(大己貴命)であり、天活玉命と五十猛命が配祀されています。
大国主命(大己貴命)は出雲大社の御祭神であり、七福神の大黒様としても祀られています。
高瀬神社の手水舎は、伊勢神宮から御下付され、外宮から移築されたものだそうです。
また、御祭神の大国主命(大国様)が『古事記』の神話「因幡の白うさぎ」の場面に登場することに因んで、「なでうさぎ」が飾られています。
前回9年前に高瀬神社に参拝した時は、6月下旬頃のことで、ちょうど梅雨のシーズンでしたが、今年は全国的に梅雨入りがかなり早いようです。
長く雨が続く梅雨の季節は、一面においては鬱陶しくも感じられますが、新緑が終わってから夏本番を迎えるまでの間の、大切な時期であるとも考えられます。
降りしきる雨と共に、自分の内面に向かって心を内省するには良い時節のような感じがします。
梅雨は「梅の雨」と書きますが、梅雨の時節にはちょうど梅の実が実り、梅の実を収穫して、梅干しや梅酒を作る季節でもあります。
私は、梅というものの大切さに去年深く気付くことが出来、例年以上にたくさん我が家の梅の実を収穫して、梅干しと共にたくさんの梅酒を仕込みました。
梅の実や梅の花は、かつて古名で「このはな」とも呼ばれていたそうです。
「このはな」と聞くと「コノハナノサクヤヒメ」が連想されます。
神国日本の象徴である霊峰富士の守り神が「コノハナノサクヤヒメ」であり、富士山本宮浅間大社で祀られています。
そして、「このはな」は私たち個人一人ひとりの個性の輝きとも言える「個の花」にも通じるものがあります。
「梅」(ウメ)には「埋め」(ウメ)ていたものを開くという意味があり、「埋め」(ウメ)ていたものとは、本体(御魂)のことを指します。
梅の実が収穫される梅雨の季節は、「埋め」ていた本体(御魂)を開く時でもあります。
私たち日本人にとって、梅というものは、とてもご縁が深く大切なもののようです。
健康の為に毎日梅干を1個ずつ食べるとか、あるいはお酒が好きな人であれば、夕食の時に食前酒として毎日梅酒を少しずつ飲むというような習慣は、私たち日本人にとって、とても大切な良い習慣のように感じられます。
雲龍山勝興寺(重要文化財・富山県高岡市)に参拝して来ました!
雲龍山勝興寺は富山県高岡市に鎮座しており、重要文化財に指定されています。
前回のブログ『越中国一宮気多神社に参拝して来ました!』で、越中国一宮気多神社に参拝したことを書きましたが、雲龍山勝興寺も越中国一宮気多神社と同じように、かつて古代において越中国国府があった場所とされており、気多神社からも程近く、車で数分の所に位置しています。
勝興寺は、平成10年(1998年)より、国の補助を受けて大規模な「平成の大修理」が行われていましたが、ちょうど今年令和3年(2021年)3月に完工し、4月9日に完成イベントが行われ、4月11日に竣工式が行われたばかりの時であり、新緑のさわやかな気候の中で、良いタイミングで参拝することが出来ました。
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勝興寺は、浄土真宗本願寺派の寺院であり、御本尊は阿弥陀如来になります。
勝興寺の境内地は、奈良時代の越中の国府の所在地であり、越中国守として大伴家持が5年間(746〜751年)この地に赴任し、越中の自然と風土を和歌に詠んでいます。
大伴家持は『万葉集』の代表的歌人であると共に編者ともされており、越中国一宮気多神社には、摂社として大伴神社があり、大伴家持が御祭神として祀られています。
越中国一宮気多神社と同様、雲龍山勝興寺にも、かつて古の時代に越中の国の国府が置かれていた古き良き時代の香りのようなものが感じられ、新緑の頃の汗ばむような快晴の陽気と相まって、爽やかなひと時を楽しむことが出来ました。
越中国一宮気多神社に参拝して来ました!
越中国一宮の気多神社は富山県高岡市にあり、能登半島にも近い場所にありますが、能登国一宮気多大社から分霊されたと伝えられています。
今回、気多神社への参拝は十数年ぶり2度目であり、近くに所用があった為、久しぶりに参拝する機会を得ました。
十数年前、最初に訪れた時は、中部地方から北陸地方の聖地を10日間程掛けて旅していた時であり、ちょうど前日の午後に能登国一宮気多大社に参拝後、能登半島の宿に泊まってから富山県入りし、最初に訪れた場所だったと記憶しています。
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気多神社には御祭神として、下記の神々が祀られています。
☆主 祭 神
*大己貴命(オオナムチノミコト)
*奴奈加波比売命(ヌナカワヒメノミコト)
☆配 神
*菊理姫命(ククリヒメノミコト)
*事代主命(コトシロヌシノミコト)
大己貴命(オオナムチノミコト)は、出雲大社の御祭神である大国主(オオクニヌシ)大神の奇魂(くしみたま)に付けられている御神名であり、七福神の大黒様としても知られています。
そして、大国主(オオクニヌシ)大神の后神の一人である奴奈加波比売命(ヌナカワヒメノミコト)も共に主祭神として祀られています。
大伴家持が祀られている大伴神社
また、本殿の隣には摂社大伴神社があり、万葉歌人の大伴家持が御祭神として祀られています。
大伴家持は代表的な万葉歌人であり、『万葉集』の編者とも伝えられていますが、越中国に国守として赴任し、越中守を務めたことから、越中国(富山県)ととても御縁が深い人物でもあります。
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気多神社の所在地である高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地であり、気多神社の境内にも越中国総社跡とされる伝承地があります。
越中国総社とは、越中国内の有力諸社の神霊を国府城近くに集めて祀った社のことになります。
越中国一宮とされているのは、雄山神社、高瀬神社、気多神社、射水神社と4社ありますが、この中で唯一、所在地名に「一宮」という名前が入っています。
気多神社の所在地は高岡市伏木一宮と言います。
また、高岡市伏木一宮の隣には高岡市伏木古府あるいは伏木古府元町という地名が付いていますので、かつてのある時代においては、ここが越中国の中心地であった時期があったものと推測されます。
今回、気多神社に十数年ぶりに2度目の参拝が出来て、改めて良かったと感じました。
帰りに氷見市の雨晴海岸から見た日本三霊山・立山の雄大で美しい姿がとても印象的でした!
奥田神社(富山市)に参拝して来ました!
本日2021年(令和3年)3月11日は、東日本大震災からちょうど丸10年目となります。
所用の為、車で外出することになっていたので、東日本大震災から10年目の節目となる本日、どこかの神社に参拝して、被災者の方々への哀悼の意を込めて、祈りを捧げたいと考えました。
そこで、用事が終わってから、今まで訪れたことのない神社に参拝してみたいと考え、奥田神社に参拝して来ました。
奥田神社は、富山市奥田本町にある神社であり、昔から知ってはいたのですが、傍を何度も通ったことはあっても、今まで一度も参拝したことはありませんでした。
奥田神社のご祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大御神、菅原道真公、琴比羅大神となっています。
また、奥田神社は、その昔、熊野神社と称し、官幣大社熊野那智大社から「みたま」を受けた分社としても知られており、社紋が八咫烏(ヤタガラス)に因んで鳥(カラス)となっています。
八咫烏(ヤタガラス)は、『古事記』の神武天皇の東征の場面で登場する、聖なる鳥のことです。
八咫烏(ヤタガラス)は、日本サッカー協会のシンボルになったことでも知られています。
拝殿には、黄金の「導き八咫烏(ヤタガラス)」が安置されていました。
地球の新しい時代に向けて、自分が果たすべき天命に向かって邁進すべく、決意を新たにした一日でもありました。
西暦2021年(令和3年)、新年明けましておめでとうございます!
西暦2021年(令和3年)が幕開け致しました!
新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い致します!
今、地球の新しい時代に向けて、意識変革の大きな風が地球規模で大きく吹いて来ています。
この流れは、今後様々に形を変えて、意識変革の大きな風として世界中に吹いていくことになります。
特に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、新しい地球の誕生を実現させる為の中心的役割を果たすことになりますので、ある意味において、これからの十数年の間に、世界中のどの国・民族よりも、意識変革の大きな風を受けることになります。
西暦2030年代の半ば頃には、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」が花開き、地球は黄金時代を迎えることになります。
新しい地球の誕生に向けて、意識変革の風を心地良く感じながら、新しい明るい未来に向かって邁進していくことが大切になります。
本年もどうぞよろしくお願い致します!
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昨年11月に、約10年ぶりに奈良に所用で行くことになったのですが、その後も毎週奈良に所用で行くことになり、時間を取って奈良の聖地を旅することにしました。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『晩秋の奈良(飛鳥・明日香、桜井、奈良市内)を旅して来ました!』
『奈良の聖地(葛城山・金剛山・生駒山など)を旅して来ました!』
その後、昨年年末までに訪れた奈良の聖地について、記しておきたいと思います。
昨年12月中旬から年末に掛けて訪れた聖地は以下の通りです。
☆ 大神神社と三輪山登拝
☆ 平城京跡、宇奈多理神社、法華寺、海龍王寺、西大寺
☆ 元興寺、秋篠寺
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三輪山登拝には摂社狭井神社での申し込みが必要 三輪山登拝口(ここから先は撮影禁止)
大神神社は、日本で最も古い神社の一つとされており、大物主大神をお祀りしています。
本殿はなく、背後にある聖なる山・三輪山を御神体山として拝む形式をとっており、古代の祭祀様式が取られています。
三輪山登拝は約10年ぶり、3度目の登拝となりました。
今回、約10年ぶりに登拝してみて、やはりこの聖なる山には、特別な何かがあると改めて感じさせられました。
和銅3年(710年)、飛鳥に近い藤原京(橿原市)から奈良盆地の北端に新しく造られた都が平城京になります。
784年に長岡京に都が遷るまでの約75年間を奈良時代と言います。
平城京跡は、今回初めてじっくりと全体的に見て回ることが出来ました。
実際に歩いてみると、想像以上にだだっ広く、広大な感じがしました。
宇奈多理神社は、平城京跡の中の東院の傍の、小さな森の中にあります。
正式には宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)と呼ぶようで、御祭神として高御魂尊(たかみむすびのみこと)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと)が祀られています。
高御魂尊(たかみむすびのみこと)は造化三神の一柱であり、天皇守護の八神である宮中八神にも数えられています。
宇奈多理神社から徒歩数分で法華寺がありますが、宇奈多理神社は元々法華寺の鎮守社でもありました。
法華寺の歴史は、今から約1300年前、聖武天皇の后・光明皇后の発願によって始まりました。
正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と言い、総国分寺である東大寺に対して、総国分尼寺として、女人成仏の根本道場としての役割を担いました。
御本尊は、十一面観音菩薩であり、十一面観音菩薩立像は国宝に指定されています。
海龍王寺は、聖武天皇・光明皇后の時代に、遣唐使が無事帰国できるようにとの願いにより、伽藍の整備が行われました。
僧玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇するも『海龍王経』を唱え無事に帰国を果たしたことに因んで寺号が海龍王寺と定められたと言います。
御本尊は、十一面観音菩薩です。
西大寺の創建は、奈良時代の天平宝宇8年(764年)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願の為に、七尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まります。
御本尊は、釈迦如来です。
元興寺は、蘇我馬子が飛鳥の地に建設した日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が前身になります。
平城遷都に伴って、新築移転され、元興寺と改められました。
智光曼荼羅が祀られています。
秋篠寺は、奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。
御本尊は薬師如来像になりますが、作家の堀辰雄が「東洋のミューズ」と称賛した伎芸天像(重要文化財)が有名です。
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今年も、年明けからまた奈良に行くことになるかも知れませんので、時間を取って聖地に旅することになった時には、またご報告したいと思います。
夏越の大祓の日の6月30日、魚津神社に参拝して来ました。
夏越の大祓の日である昨日の6月30日、地元の魚津神社に参拝して来ました。
神社に参拝するのは、昨年の6月30日の夏越の大祓の日に、日本三霊山・立山をお守りする雄山神社に参拝して以来、ちょうど1年ぶりになります。
その時のことは、『令和が幕開けしてから最初の夏越の大祓の日(6月30日)、日本三霊山・立山をお守りする雄山神社に参拝して来ました。』、こちらの記事の中に書きましたので、ご興味のある方は、ご参照いただければ幸いです。
昨年の6月30日の夏越の大祓の日に、雄山神社に参拝して以降は、今年は初詣に行くこともなく、神社参拝は全く意識になかったのですが、今年に入ってからは、意識変革の大きな風が、地球規模で吹いて来ていますので、やはり、1年の前半の締め括りというか、一つのケジメとして、夏越の大祓の日の6月30日は、どこかの神社に参拝した方が良いと感じました。
そこで、地元の魚津神社に参拝することにしました。
魚津神社の御祭神は、天照皇大神(アマテラススメオオミカミ)です。
そして、摂社の愛宕社には、火迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)が祀られています。
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今年の令和2年(2020年)に入ってから、地球規模での意識変革の大きな風が、天界から吹いて来ています。
これは、西暦2030年年代に花開く、地球の新しい時代に向けての流れの中にあるものなのです。
西暦2030年代のいずれかの時期に、地球が新たに生まれ変わり、地球は新しい時代を迎えることになります。
地球の新しい歴史が始まります。
21世紀の今という時代は、有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面(クライマックス)であり、地球人類総真釣り(総決算)の時を迎えています。
自然環境を始め、政治、経済、金融システム、科学技術・テクノロジー、宗教、世界観、医療、教育、常識、概念、ライフスタイルなど、ありとあらゆる物事が、根本的に大きく変わろうとしています。
今から十数年後の西暦2030年代の中頃には、私たち日本人の意識も、今とは格段に違ったものになっていることでしょう。
何故なら、新しい地球の誕生を実現させる中心的役割を果たすのは、私たち日本人だからです。
新しい時代に向けて、私たち日本人一人ひとりが、「個の花」を咲かせ、自分に出来る役割を演じながら、共に歩みを深めていくことが大切になります。
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最近つくづく感じるのは、人間社会があまりにも忙しくなり過ぎてきているという思いです。
インターネットの普及やSNSなどの普及により、日々、消化しきれない程の膨大な量の情報が地球規模で生み出され、ある種の消化不良に陥っているような感じも見受けられます。
多くの人たちが、自分の外の世界、人間社会、いわゆる娑婆(シャバ)のことに意識を向け過ぎてしまい、自分を内省して、自分の内面に入る心のゆとりが少なくなってしまっているような感じも致します。
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こういう忙しい時代だからこそ、一度原点に帰って、自分自身のことを新たな意識で振り返り、見つめ直してみるのも悪くはないかと思います。
インターネットやSNSなどの普及により、ここ十数年で人間社会はますます忙しくなりましたが、1日は24時間であり、100年前と少しも変わっていません。
また、健康を維持するのに必要とされる睡眠時間(個人差がありますが、一般的に6〜8時間位)が短縮された訳でもなく、100年前と同じように、一日数時間の一定の睡眠時間が私たちには必要です。
健康を維持するために一日数時間の睡眠時間が必要なことも、1日が24時間であることも、100年前と全く同じですが、ただここ最近、人間社会だけがあまりにも忙しくなり過ぎてしまい、そのことに必要以上に囚われていると、一番大事な自分自身の健康さえも、つい犠牲にしてしまっているかも知れません。
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最近改めて感じさせられるのは、健康というものの大切さです。
一人の人間として人生を思いきり有意義に楽しんで生きていく上においても、さらには、自分自身の「個の花」を咲かせて、自分の持ち味を生かし、自分自身の使命・天命に向かって、社会に役立つ人間として生きていく上においても、一番の土台・基盤になるのは、やはり健康だと思います。
良く言われることですが、『健康に優る宝はない』と改めて感じさせられる今日この頃です。
令和が幕開けしてから最初の夏越の大祓の日(6月30日)、日本三霊山・立山をお守りする雄山神社に参拝して来ました。
今年5月1日に、新しい元号である令和が幕開けしました。
昨日の6月30日は、令和という新しい元号が幕開けしてから最初の夏越の大祓の日に当たります。
私は、日本三霊山・立山をお守りする雄山神社に参拝して来ました。
雄山神社は、越中の国一宮であり、日本三霊山・立山をお守りする大切な役割を担っている神社になります。
元々、今年の初詣に雄山神社に参拝するつもりでいたのですが、行けなかったので、令和という新元号に改元される5月1日に参拝しようかとも考えていたのですが、何となくタイミングが違うようなので、5月1日の参拝は見送りました。
日本三霊山(富士山・立山・白山)の山開きの日に当たる7月1日に参拝しようかとも考えたのですが、今年は、6月30日の夏越の大祓の日が良いようなので、昨日参拝して来ました。
夏越の大祓(6月30日)は、一年の前半の罪や穢れを祓い、自らを振り返る為の機会ともされています。
私は、今年の夏越の大祓(6月30日)を、今年4月30日まで30余年続いた平成という時代の大祓の気持ちを込めて、参拝することにしました。
昨日、北陸地方は、朝方からかなり強い雨が降り続いていましたが、私が雄山神社前立社壇に着いた頃には雨もほとんど上がり、参拝後は一瞬太陽が雲間から顔を覗かせていました。
そして、雄山神社前立社壇から10キロほど立山登山口に近い雄山神社中宮祈願殿に向かい、参拝していると、突然大きな雨が降ってきて、しばらく降り続き、中宮祈願殿を出る頃には、きれいに雨も上がっていました。
梅雨の時期の数時間を、とてもすがすがしい気持ちで参拝することが出来、心が洗われるような思いが致しました。
自分の心の中で、平成という30余年続いた時代に一つの区切りを付けることが出来たような感じがしました。
日本三霊山・立山をお守りする越中の国一宮である雄山神社は、立山山頂にある雄山神社奥宮とも言うべき峰本社と、麓の立山町にある前立社壇と中宮祈願殿の三社から成り立っています。
7月1日の山開きの日から冬を迎える前までの間、立山山頂の峰本社を前立社壇と中宮祈願殿の神職が協力してお守りされています。
日本三霊山・立山と、そこをお守りする越中の国一宮である雄山神社は、私にとってご縁の深い聖地なので、私は雄山神社に参拝する時は、必ず前立社壇と中宮祈願殿の両方にお参りすることにしています。
自分が好きな神社や聖地、あるいは自分にとってご縁の深い神社や聖地を、あるタイミングで訪れると、意識の切り替えや気持ちの整理などが、とてもスムーズに上手くいくことがあります。
西暦2019年(平成31年)、新年明けましておめでとうございます!
西暦2019年(平成31年)が幕開け致しました!
新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
昨年(平成30年)まで丸30年間に亘って続いてきた平成という時代も、今年平成31年4月30日を以って終わりを迎え、5月1日からは新しい元号の時代を迎えることになります。
新しい天皇陛下を迎え、新しい元号に改元されるという一大イベントは、私たち日本人一人ひとりの意識を、意識するかしないかに関わらず、自ずと変えていくことになるでしょう。
そして、来年2020年には、東京オリンピックが開催されますので、また別の意味での一大イベントが用意されているということになります。
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私がいつも伝えてきたように、この21世紀において私たち人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生することになります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、次世代の地球の新しい精神文明、『花咲く都・黄金文明』が花開き、地球は黄金時代を迎えることになります。
21世紀の今という時代は、有史以来数千年間続いてきた人類の古い歴史の最終局面(クライマックス)であり、総真釣り(総決算)の時なのです。
私たち人類の古い歴史が終わり、人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えているのです。
早ければ西暦2030年頃、遅くとも2040年までには、次世代の地球の新しい精神文明、『花咲く都・黄金文明』が花開き、新たな地球が誕生することになります。
今私たちは、有史始まって以来の一大変革期を迎えているのです。
自然環境を始め、政治、経済、金融システム、科学技術・テクノロジー、宗教、世界観、医療、教育、常識、概念、ライフスタイルなど、ありとあらゆるものごとが根本的に大きく変わろうとしています。
今私たち人類が向かっているのは、決して地球の破滅や人類の滅亡などではありません。
それとは逆の、想像だにない新しい世界へと向かっているのです。
今地球上で起きている全てのことは、人類の意識の飛躍的進化と、新たな地球の誕生に向けて起きています。
出産により人が産まれ、新しい生命が誕生する時には、産みの苦しみとも言うべき陣痛(神通)が伴うように、新しい地球が誕生するためにも陣痛(神通)が伴います。
しかしそれは必要なプロセスであり、その先に待っているのは、想像だにない新しい世界なのです。
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実は、『平成』という元号には、神界のプログラムから言えば、『岩戸(イワト)成る』という意味が隠されています。
『平』=『一八十』(イワト)であり、『平成』には『岩戸(イワト)成る』という意味が隠されているのです。
30年余りに亘った『平成』という御世において、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の天岩戸開き・富士は晴れたり日本晴れの時を迎える為の礎(いしずえ)が築かれています。
そして、西暦2030年代のいずれかの時に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の天岩戸開き・富士は晴れたり日本晴れの時を迎えることになります。
新しい天皇陛下、新しい元号に変わってから迎える西暦2030年代のいずれかの時になります。
西暦2030年代のいずれかの時に、東洋の日出る神国・霊(ひ)ノ元・日本から次世代の新しい地球の精神文明、『花咲く都・黄金文明』が花開き、私たち人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えます。
これからの十数年間が、私たち日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時なのです。
新しい時代に向けて、私たち一人ひとりが『個の花』を咲かせ、自分に出来る役割を演じながら、共に歩みを深めていくことが大切になります。
西暦2018年(平成30年)、新年明けましておめでとうございます!
西暦2018年(平成30年)の新年が幕開け致しました。
新年明けましておめでとうございます!
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
私は、昨日、日本三霊山・立山をお守りされている、越中の国一宮・雄山神社に初詣に参拝して来ました。
今年は、戌年ですね。
昨年2017年は、時代の流れのスピードがさらに加速している感じで、あっと言う間に一年が駆け抜けて行ったような感じでした。
今年一年も、時代の変化の流れは、さらに加速していくものと思われます。
地球が新たに生まれ変わる21世紀の今というこの時、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生まれて生きているというのは、本当に稀有なことだと改めて感じます。
日本においては、来年2019年5月1日の元号改定、そして2020年夏の東京オリンピックに向けて、ある種の高揚感の中で時代が進んでいくものと思われます。
そして、東京オリンピックの後の西暦2020年代から2030年代が地球の大変革の本番であり、私たち日本人の遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時なのです。
地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明は、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から花開きます。
新しい時代に向けて、私たち一人ひとりが、「個の花」を咲かせ、自分に出来る役割を演じながら、共に歩みを深めていくことが大切ではないかと感じています。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
「未来意識創造プロデューサー」大和富士のプロフィールを公開致します!
地球の新しい未来意識を創造する、「未来意識創造プロデューサー」大和富士のプロフィールを公開致します!
私の著書やブログの読者の方はご存知だと思いますが、私はこれまで、ほとんど自分自身の個人的なことは語らず、必要と思うメッセージだけを、その都度発信してきました。
当ホームページの「プロフール」欄や、著書の奥付にあるプロフィール欄なども、ほんの数行だけオブラートに包んだ形で表記するに留めてきました。
しかし、今後私が、地球の新しい未来意識を創造する「未来意識創造プロデューサー」大和富士としての活動を本格化させていく上で、大和富士としての活動を始めるようになった経緯や、私が目指している方向を、ある程度明確にしておいた方が良い時期に入ったと判断しました。
そういう訳で、当ホームページの「プロフール」欄を新しく更新致しました!
プロフィールの中に、「地球意識マザーコンピューター」という耳慣れない言葉が出て来ますが、これは、地球という星の創造の源になります。
実は、私は、地球という星の創造の源である「地球意識マザーコンピューター」から、約20年間に亘って様々に導かれ、様々な体験を積んできたのですが、これまでは、そのことを明らかにしたことはありませんでした。
私自身は元々、自分が生きていくために、自分の悩みや苦しみを解決することに精一杯で、著書を書いたり、人様に向かって何か情報発信することなど考える余裕すらなかった人間なのですが、何故か、地球の新しい未来意識を創造する「未来意識創造プロデューサー」大和富士として活動する役割を与えられていたようです。
ただ、私にお会いになった方はご存知だと思いますが、私自身は、ごく普通の人間であり、性格的にも結構シャイな方だと思います。
そのこともあり、今までは、自分自身のことを語ることはほとんどなかったのですが、今後は、ユーチューブの動画などの音声も交えながら、もっと積極的に情報発信をしていきたいと考えています。
私がこれまでに何度も繰り返し書いてきたように、この21世紀において、私たち人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新しい地球が誕生することになります。
東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、私たち人類は黄金時代を迎えることになるのです。
今私たちが生きているのは、有史始まって以来数千年間続いてきた、人類の古い歴史の最終局面であり、この21世紀において、私たち人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えます。
私たちは今、想像だにない新しい世界へと向かっているのであり、全てはその流れの中にあります。
私たち日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開き、地球の新しい未来意識を創造していくことができるように、「未来意識創造プロデューサー」大和富士としての活動を本格化させていきますので、今後とも末永くお付き合いいただければ幸いです。
地球の新しい未来意識を創造する、「未来意識創造プロデューサー」大和富士のプロフィールを次のようにご紹介させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
地球の新しい未来意識を創造する「未来意識創造プロデューサー」
富山県出身。
慶應義塾大学文学部卒業。
大学卒業後、会社員として働くも、自分が本当にやりたい夢や目標が見つからず、悶々とした苦しい日々を過ごす。
自分は何のためにこの世に生まれてきたのか、自分が本当に望んでいることは何なのか、自分の運命や未来は決まっているのか等、自分の内面奥深くから湧き上がってくる根源的な問いに対する答えを求めて、精神世界やスピリチュアルな世界に関心を抱くようになる。
そうした中で、1995年、阪神・淡路大震災が起きた翌月、その当時勤めていた会社を辞めて、インドへ自分探しの旅に出たことがきっかけで、人生が大きく変わる転機となる。
インドからの帰国後、それまで全く関心がなかった神社や聖地に、折に触れて導かれるようになり、高次元意識からの導きによって様々な体験を積むことになる。
そして、大宇宙意識との神我一如の体験により、大宇宙の本質を体得する。
その後も、高次元意識からの導きによって、さらに様々な体験を積み重ねる中で、やがて、自分が導かれてきた高次元未来情報の源が「地球意識マザーコンピューター」であることを知る。
そして、この21世紀において日本から花開く、地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」のビジョンを知らされるとともに、自分がこれまでに導かれてきた体験の全ては、そのことを人々にお伝えしていくために必要な体験であったことを理解する。
日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開き、地球の新しい未来意識を創造していくことができるように、「地球意識マザーコンピューター」とのアクセスにより、日本人の遺伝子を目覚めさせるための新しい時代のメッセージを発信。
現在、地球の新しい未来意識を創造するための「未来意識創造プロデューサー」として、著作・文筆、音楽、コンサルティング、セミナー等の様々な活動を展開している。
特に、大宇宙の本質、神についての概念、何故未来は100パーセント確定しているのか、現実世界とは何なのか、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」、地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」、日出る神国・日本の役割などについては定評があり、今までの世には無かった独自の新しい世界観を展開している。
多くの日本人の方々が、次世代の新しい高次元未来情報をインストールすることにより、地球の新しい未来意識を創造していくことができるように、「未来意識創造プロデューサー」として活動している。
著書
『富士は晴れたり日本晴れ』
『永遠(とわ)の中今』
『魂の夢、光り輝く魂』
『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』
『何故、未来は100パーセント確定しているのか』
『花咲く都・黄金文明』
『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』
2016年(平成28年)、新年明けましておめでとうございます!
新年、明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
私の住んでいる地域では、正月元旦から、とても暖かな一日となり、春3月を思わせるような陽気で新春を迎えることができました。
こうしてまた新しい年を迎えることができるのは、本当にありがたいことだと、改めて感じます。
そして、毎年毎年、新年を迎える喜びをさらに深く感じられるようになってきたのも、とてもうれしいことだと感じています。
毎年毎年、自分を取り巻く状況は違いますが、それらの出来事に関係なく、年を重ねるにつれて、心がより無地透明でピュアになり、生きているうれしさをやさしく感じられるようになってきたことをうれしく思っています。
昨年は、意識変革の大きな風が吹いた年であり、私自身も意識の拡張・変更を迫られることが多かった年でもありましたが、その分、充実した有意義な一年でもあったと感じています。
今年も、意識変革の大きな風を受けながら、自分の中にある不必要な概念・認識をどんどん外して、より研ぎ澄まされた感性を身に付けていきたいと考えています。
今年の春頃からは、今までとは違った形で、より分かりやすく、日本人の遺伝子を目覚めさせる為の新しい時代のメッセージをお伝えしていこうかな、とも考えています。
本年もご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
熱海梅園「梅まつり」、梅とは埋めていたものを開く九十(こと)
本日、熱海の梅園に行って来ました。
熱海の梅は、日本一早咲きの梅とも言われており、熱海梅園は、関東三大梅林にも数えられています。
ちょうど、「梅まつり」の期間中という事もあり、多くの人達で賑わっていました。
今年の「梅まつり」は、1月8日から、3月6日まで開催されます。
まだ寒さは厳しいものの、日差しは、小春日和を想わせるような、暖かな日が差しており、春の到来を感じさせるような雰囲気の中、様々な梅が花開き、目を楽しませてくれました。
慶事の象徴ともされる「松竹梅」の中に、梅も入っていますが、梅には、埋めていたものを開く九十(こと)、という意味があるようです。
そして、梅を食べるのは、隠してある神を開く九十(こと)から来ているようです。
埋め(梅)ていたものとは、もちろん、自分自身の本体(御魂)の九十(こと)であり、私達人間一人一人に内在する神性の九十(こと)です。
埋め(梅)ていたもの(神)を掘り起こすのが、私達一人一人の仕事になります。
今、私達人類は、長い長い冬眠から目覚めて、魂の春を迎えようとしています。
地球上に生きる全ての人達の中に、神の本質である神性が、内面深く埋め(梅)られています。
一人一人がそれを掘り起こし、花開かせて、神性を顕現して生きる時代を迎えようとしています。
今、母なる星・地球そのものが、新たな誕生を迎えようとしているので、遅かれ早かれ、いずれ全ての人達が、魂の春を迎え、神性を顕現して生きる時代を迎える九十(こと)になります。
まだ一段と寒さは厳しくなるかも知れませんが、夜明け前が一番暗いと言われるとおりであり、春はそんなに遠くにあるわけではありません。
地球の夜明けが、全人類の春が、そう遠くないところに近づいて来ています。
楽曲創り
先月、師走の慌しい中で、メロディーがどんどん湧いてきていたので、かなりの数になっていました。
年が明けたので、気持ちも改まったところで、歌詞を付けて、一曲一曲を完成させる作業に取り掛かる事にしました。
既に二曲が出来上がりました。
どちらも、太陽の輝きを想わせるような、明るく、幸福感に満ちた、楽しい曲に仕上がりました。
自分の器を大きくして、メロディー、歌詞ともに、よりクオリティーの高いものにしていきたいと考えています。
曲として完成させていないものが昨年来、かなりたまっているので、一曲一曲完成させていきながら、セカンド・アルバム収録曲を決めていきたいと考えています。
セカンド・アルバムは、ファースト・アルバムとは、違う趣のものにしようと考えています。
白富士の美しさ
秋もすっかり深まり、今日で11月も終わりです。
明日からは師走の12月の始まりです。
最近、富士山もめっきり雪化粧を整え、見事なまでの白富士を見せてくれるようになりました。
すっきりと晴れ渡り、澄んだ空気の中に見える白富士の美しさは、例えようがない感じです。
そして、真っ白、純白という感じを通り越して、透明な印象すら受ける時があります。
その透明感は、写真などでは決して見る事が出来ないような感じの透明感です。
何だか、とても澄んだ感じがするのです。
背景にある空の色との兼ね合いもあるのですが、空と一つに溶け込んで、この世ならぬ美しさを見せてくれる時があります。
そういう時には、何かを暗示・象徴しているかのような印象を受ける事もあります。
霊(ひ)ノ元・日本の象徴、霊峰富士が、最近、時折見せる、とても透明感のある白富士の美しさは、例えようがない感じがします。
丹那断層、火雷(からい)神社、雷電神社
昨日、静岡県函南町にある、丹那断層を見て来ました。
話には聞いていたので、近くに行ったついでに、見て来ました。
丹那断層とは、昭和5年11月26日に起きた、北伊豆地震によって二つに裂かれた大地のことで、地震の大きさはマグニチュード7.3、震度6という直下型の大地震でした。
丹那断層は、箱根芦ノ湖から伊豆市まで続く、長さ30キロメートルの丹那断層帯の代表的な断層のことです。
丹那断層のズレの跡を良く示す場所が、国の天然記念物に指定されています。
丹那断層は、横ズレ断層の中でも世界的に有名な断層で、平成7年に発生した阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)も同じ横ズレ断層が原因とのことです。
国の指定地と同じく、北伊豆地震の時に活動した丹那断層のズレの跡が良くわかる場所が、数キロメートル離れた所にある、火雷(からい)神社です。
神社の石段と鳥居のちょうど真ん中を、断層が通っています。
火雷神社と国の指定地で断層を見た時、何となく、地層のズレということと、意識のズレ・断層ということが、オーバーラップして感じられました。
大地震によって、地層にズレ・断層が生じるように、一個人や人類全体の意識においても、何か大きな衝撃や大変化を体験した時に、意識のズレ・断層のようなものが生じるのではないかというイメージを受けました。
火雷神社からほんの数百メートル離れた所に、雷電神社という、やはり「雷」の文字が入った小さな神社があったので、参拝して来ました。
御祭神は、火牟須比命(ほむすびのみこと)でした。
「火」の神様で、別名、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)とも呼ばれています。
私がよく行く伊豆山神社の御祭神でもありますが、この時は、火之迦具土神の総本宮とされる、秋葉山本宮秋葉神社のことが、ふと脳裏を過ぎりました。
帰りに、近くの、駒の湯温泉「源泉荘」という、ぬる湯の名湯にゆっくりと浸かって、心身の疲れを癒してきました。
9月1日・二百十日
猛烈に暑かった8月が昨日で終わりました。
今年の夏は、色々な意味で、強烈な印象の夏でしたが、終わってみれば、何だか遠い夢のような不思議な感じがしています。
そして、今日から9月が始まりました。
今日9月1日は、立春を起算日として210日目に当たり、二百十日として知られています。そういえば、夏目漱石の小説にも、「二百十日」というタイトルの小説がありますね。
それはさておき、たった一日が過ぎて暦が次の月に変わっただけなのに、もう8月とは違う、新しい風が吹いている感じがします。
今月9月から、地球の進化を促進する流れが、さらに加速しそうな感じです。
今年の夏が猛烈に暑かったのも、何か関係があるのかも知れませんね。
目には見えない形で、そして、目に見える形でも、人類の意識を新たな時代へと導くエネルギーがさらにパワーアップしたのを、感じられるかも知れません。
満月、月読命の蘇り
今夜は満月。
今日の夕方、最初に満月を観た時、黄金色に輝く、見事な満月を観ることができました。
私達の魂は、月に例えられることがあり、満月とは、魂の完成した姿を表しています。
魂の完成した満月とは、御神名で言えば、三貴子の中の一神、月読命の蘇りということになります。
夜空に輝く黄金の満月を観ながら、自らの魂が完成した姿にしばし想いを馳せてみるといいかも知れません。
熱海・花火大会
本日、熱海の花火大会を観て来ました。
熱海の花火大会は、春夏秋冬を通して行われており、この夏にも、既に何度か開催されました。花火を観るのに絶好の場所を見つけたので、そこから花火を楽しみました。
少し高台から熱海湾を見下ろし、向こうには初島が見える絶好のロケーションで、花火を満喫することが出来ました。
夏の夜空に美しく舞い上がり、華々しく散っていく花火を観ていると、何だか幻の象徴のような感じがして、とても面白く堪能することが出来ました。
日中は相変わらずの猛暑が続いていますが、夜ともなると風は涼しく、虫達の鳴き声も聞こえて来て、すっかり秋の気配が漂っています。
そういえば、明日8月23日は、二十四節気の一つ・処暑に当たり、暑さのやむ時期とされています。
猛烈に暑かった今年2010年の夏も、そろそろ終わりが近づいて来た感じがしました。
旧暦7月1日、新月、7惑星直列
本日8月10日は、旧暦7月1日に当たります。
新月でもあるのですが、本日8月10日前後に、太陽系の七つの惑星が、ほぼ一直線に並ぶという、極めて珍しい現象が起きるというニュースを、京都新聞が伝えています。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20100805000084
確かに、地球を含め、七つの惑星が、ほぼ直線に並んでいる様子が見えます。
http://rocketnews24.com/?p=42282
地球という星は今、宇宙規模の大きなうねりの中で、一大変革期を迎えているのかも知れませんね。
7月17日、京都、八坂神社・祇園祭・山鉾巡行
梅雨が明けて、いよいよ夏本番という感じになってきました。
各地で夏祭も行われていますが、本日7月17日は、日本三大祭にも数えられる、京都の八坂神社の祇園祭で、山鉾巡行が行われる日です。
とても有名な、祇園祭の山鉾巡行ですが、古代ユダヤと深い関係があるらしく、山鉾連合会会長も、それを認めていると言われています。
祇園(GION)は、シオン(ZION)が訛ったものだとも言われており、シオンとはエルサレムの別名であり、毎年、やはり7月17日の同じ日に、ユダヤのシオン祭が盛大に行われています。
このシオン祭は、かつて大洪水が去った後に、ノアの箱舟が最初にアララト山の上に止まったことを祝うユダヤの聖なる祭であり、旧約聖書の「創世記」の中に、その事が記されています。
もし、「創世記」の記述が本当だとしたら、今日の7月17日という日は、人類が絶滅から免れて新たな再出発を開始した、記念すべき日と言えるのかも知れません。
そして、ソロモンの秘宝、モーゼの十戒の石板を入れた契約の箱・失われた聖櫃(アーク)が隠されているとも言われている、四国の剣山でも、同じ7月17日に、剣山神社本宮大祭が行われ、神輿を山上に担ぎ上げる儀式が行われます。
神輿は、モーゼの十戒を入れた契約の箱とそっくりだと言われています。
これらのことは、日ユ同祖論でもよく言われていることですが、ユダヤの失われた十支族の事といい、古代日本と古代ユダヤには、とても面白いミステリーが秘められているようです。
これらの事に想いを巡らせていると、今日の7月17日という日が、とても神秘的で神聖な日のように感じられました。
大和富士ブログ始めました
本日、大和富士の公式ウエブサイトを公開させていただきました。
そして、本日より、大和富士ブログも始めさせていただきます。
本日6月21日(月)は、夏至の日であり、日照時間が一年で最も長く、太陽のエネルギーがとても強い日です。
私は、真鶴半島最先端の三石に行って、夜明けの時間をしばし過ごして来ました。
ブログを書くのは初めてなので、まだあまりイメージが湧いてきていないのですが、心に感じたことなどを中心に、少しずつ書いていきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。
先日の6月13日、箱根・芦ノ湖の九頭龍神社の年に一度の例大祭に参加して来ました。
例大祭への参加は、一昨年に続いて二回目でしたが、九頭龍神社へは、箱根に行くたびに足を運ばせていただいています。
箱根は、私の最も好きな場所の一つで、箱根の空間の中にいると、心が静まり安らぎを覚えます。箱根は、私にとっての癒しの空間であり、そこにいるだけで、ある種のヒーリングを大自然から受けているような感じがします。
箱根神社と駒ケ岳山頂の元宮に、CD「富士は晴れたり日本晴れ」を献納させていただきました。
箱根神社元宮のある駒ケ岳山頂から、神山のはるか向こうにそびえ立つ雄大な富士山の麗姿を仰ぎ見るのが好きです。
富士山の雄姿を仰ぎ見ていると、勇気と力が湧いてくるのが感じられます。
富士山のように美しさと力強さを兼ね備えた、癒しの音楽を奏でられたらいいなと思います。
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