竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

聖なるもの・聖地 カテゴリのアーカイブ

27 Entries

沖縄の聖地(久高島、斎場御嶽、浜比嘉島、宮城島、波上宮、首里城等)を、7泊8日掛けて巡礼の旅をして来ました!

  • 2023年7月11日 16:47
  • Posted by Yamatofuji

PTDC0088.JPG久高島のイシキ浜
ニライカナイから神々が神船に乗って上陸したとされる聖地
五穀の種が入った壺が流れ着いたともされる聖地


沖縄の聖地を、7泊8日掛けて、巡礼の旅をして来ました。

私が沖縄に行くのは、今回が初めてになります。

沖縄には行こうと思えばいつでも行けるのですが、単なる旅行ではなく、御神業としての旅なので、然るべき時が来るのを、じっと待っていました。

今回、沖縄へ旅する時期を迎え、無事に必要な御神業を成就出来たことを、とてもうれしく感じています。

那覇市内のリゾートホテルに7連泊で部屋を取りましたが、6月30日だけはホテルには戻らず、久高島の宿泊施設に1泊して、7月1日の夜明けを、神の島・久高島で迎えることが出来ました。

東洋の「日出づる神国」日本の象徴である霊峰富士山開きの日、そして、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日である7月1日の夜明けを、久高島の東岸にあるイシキ浜で迎えることが出来ました!
PTDC0130.JPGイシキ浜で迎えた7月1日の夜明け


沖縄は元々、琉球(りゅうきゅう)と呼ばれてきました。

琉球(りゅうきゅう)は、竜宮(りゅうぐう)と似たような言霊を持っています。

琉球(りゅうきゅう)は、竜宮(りゅうぐう)と深い関係があり、竜宮城や竜宮神と深く関係しています。

今、竜宮(りゅうぐう)と深い関係がある、琉球(りゅうきゅう)に眠る古代からのエネルギーが、新たに蘇る時を迎えています。

今回の旅においても、竜宮神につながる聖地を色々訪れることが出来ました。

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
PTDC0121.JPG
今回の旅の大きな目的の一つは、琉球創世神アマミキヨが最初に降り立ったとされる神の島・久高島を訪れることにありました。

沖縄の琉球創世神話では、海の遥か彼方にある神々が住む常世・理想郷ニライカナイからやって来たアマミキヨが最初に降り立った場所が久高島であり、アマミキヨは琉球創世神とされています。

そして、琉球創世神アマミキヨが最初に降り立ったとされる久高島は神の島と呼ばれ、琉球最高の聖地とされています。

今回、初めてとなる沖縄の御神業に際して、琉球創世神アマミキヨが最初に降り立ったとされる神の島・久高島を中心として、沖縄本島最高の聖地とされ、久高島遥拝所がある世界遺産・斎場御嶽などを中心にして、7泊8日の日程を組みました。
PTDC0002.JPGPTDC0003.JPG
PTDC0007.JPG斎場御嶽の三庫理
金の勾玉三つが出土

7泊8日の沖縄旅行の日程は、下記のようなものとなりました。

☆1日目
那覇空港に到着し、那覇市内のリゾートホテルへ。(7連泊)

☆2日目(6月30日、夏越大祓の日)
*朝、世界遺産・斎場御嶽を見学。
*昼頃、フェリーで久高島へ。レンタサイクルで半日掛けて久高島を一通り見学。
*久高島に宿泊。

☆3日目(7月1日、日本三霊山山開きの目出度き日)
*久高島東岸のイシキ浜から、7月1日の夜明けと日の出の太陽を迎える。
*夕方の最終フェリーまで、1日掛けて、レンタサイクルで久高島全体を、再度観光。
*夜、那覇市内のリゾートホテルへ戻る。

☆4日目
*南城市に行き、奥武島を徒歩で1周して観光。

☆5日目
*南城市でレンタカーを借りて、1日掛けて、百名ビーチを中心に、「東御廻り」の8番から14番の拝所などを参拝。

「東御廻り」とは、琉球の時代から沖縄に伝わる14か所の聖地を巡る行事であり、斎場御嶽は7番目の拝所になります。

☆6日目
*レンタカーを借りて、1日掛けて、うるま市にある4つの離島、浜比嘉島・平安座島・宮城島・伊計島を観光。

久高島は琉球最高の聖地とされ、神の島と呼ばれていますが、沖縄にはもう一つ、神の島と呼ばれる島があり、それが浜比嘉島になります。

この4つの離島には、琉球創世神アマミキヨに縁のある聖地を始め、竜宮神に関係する聖地が多くあります。

☆7日目
那覇市内の聖地を観光。
波上宮、沖宮、沖縄県護国神社、首里城、玉陵等。

☆8日目
*那覇空港から沖縄を後にして、無事帰宅。

梅雨明けした沖縄では、8日とも快晴の日が続き、猛暑の中、かなりハードな動きとなりましたが、無事、予定していた御神業を成就することが出来ました。

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
PTDC0044.JPGPTDC0120.JPG
今月7月1日に発売開始された書籍『花咲く都・黄金文明』の中にも書いておきましたが、皇室の祖神とされるアマテラスとは、実は、日本にやって来た創造者エロヒムの女性科学者がモデルとなっています。

その女性科学者が最初に降り立った場所が、沖縄県の久高島であり、琉球の創世神話では、アマミキヨと呼ばれています。

沖縄の琉球創世神話で、創世神アマミキヨがやって来た、遥か彼方の理想郷・常世・神の国ニライカナイとは、実際には、地球の全生命の創造者であるエロヒムの宇宙船(UFO)か、あるいは潜水艦などの海底基地のことなのです!

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

地球の全生命の創造者エロヒムは、遥か彼方の惑星から空飛ぶ宇宙船(UFO)で地球にやって来て、今の地球の科学よりも2万5千年進んだ高度な科学によって、科学的に地球の全生命を創造しました。

地球での生命創造活動を行っていた時、海底にも潜水艦などの基地を持っていました。

皇室の祖神とされるアマテラスとは、日本にやって来たエロヒムの女性科学者がモデルとなっており、その女性科学者が最初に降り立った場所が、沖縄県の久高島であり、琉球創世神話では、創世神アマミキヨと呼ばれています。

こちらの過去記事もぜひご参照下さい。
『皇室の祖神・天照大御神』

真実が啓示される時代である「アポカリプス(黙示録)の時代」を迎えていますので、地球の歴史の真実をきちんと科学的に理解すべき時を迎えています。
PTDC0060.JPGフボ―御嶽(久高島最高の聖地 中は立入禁止)
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

天橋立の元伊勢・籠神社がある宮津市の北に、京都府伊根町があり、そこに浦嶋神社があります。

私も昨年3月に初めて訪れ、先月3回目の参拝をしましたが、浦嶋神社の御祭神は、その名の通り、竜宮城へ行ったとされる浦島太郎が御祭神として祀られています。

浦島太郎の竜宮城伝説は、いつどのような形で始まったのか、また、そこに歴史的事実があったのかなど、正確なことは現代の誰にも分からないとは思いますが、もし、浦島太郎の竜宮城伝説に歴史的な事実があったとしても、何ら不思議なことではありません。

もし、浦島太郎の竜宮城伝説に歴史的な事実があったとしたら、浦島太郎が行った深海(しんかい=神界)にある竜宮城とは、創造者エロヒムの潜水艦などの海底基地のことだからです。

地球の全生命の創造者は異星人エロヒムであり、地球の全生命は、創造者エロヒムの2万5千年進んだ科学により、科学的に創造されたものなのです。

有史以来の人類史において、古今東西を問わず、創造者エロヒムと接点を持った人物は色々いたので、浦嶋太郎もその一人の可能性があります。

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

旧約聖書の預言者ヨナも、創造者エロヒムの潜水艦の中に3日間連れて行かれて、必要なメッセージを伝えられた一人なのです。

「ヤーウェは大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜そのの腹の中にいた」
(『ヨナ書』第1章第17節)

この潜水艦の中で、創造者たちはヨナに話しかけ、当時の政治的事象の推移について詳しく教えました。

「ヤーウェはにお命じになったので、はヨナを陸に吐き出した」
(『ヨナ書』第2章第10節)

ヤーウェは、地球の全生命の創造者エロヒムの惑星のリーダーであり、ユダヤ教の唯一神ヤーウェであり、イスラム教の唯一神アラーであり、イエスが「天の父」と呼んだ、イエス・キリストの実の父親でもあります。

進化論は誤りであり、地球の全生命の創造者は異星人エロヒムであり、エロヒムの2万5千年進んだ科学により、科学的に創造されたことを、きちんと理解すべき時を迎えています。

そもそも、日本の神話においても、日本の国土を創ったとされる夫婦神、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)が、天浮橋(アメノウキハシ)に立って、天沼矛(アメノヌボコ)を使って、日本の国土を創り固めたということが、『古事記』の中に書かれています。

天浮橋(アメノウキハシ)とは勿論、創造者エロヒムの宇宙船(UFO)のことであり、古代においては、そのようにしか表現できなかったのです。

何千年も前の旧約聖書の時代に、「潜水艦」などという言葉はなかったので、預言者ヨナは、「大いなる魚」に飲み込まれたと表現するしかなかったのです。

『旧約聖書』や『新約聖書』において、創造者エロヒムの宇宙船(UFO)は、「神の霊」、「主の栄光」、「ヤーウェの栄光」、「雲」、「雲の柱」、「光の柱」など、様々な表現で書かれていますが、古代においては、そのような表現しか出来なかったのです。

「宇宙船(UFO)」などという言葉は、人類が飛行機で空を飛ぶことが出来るようになり、米ソ冷戦時代の宇宙開発競争などによって、宇宙ロケットを飛ばせるようになった20世紀中頃になってようやく使われるようになった言葉であることを理解する必要があります。
PTDC0100.JPG久高殿(御殿庭)
イザイホー(12年に一度の大祭)が行われる聖地
左は海蛇イラブ―の燻製所

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
PTDC0209.JPG
PTDC0288.JPG
PTDC0264.JPG
PTDC0337.JPG
PTDC0360.JPG
PTDC0366.JPG
PTDC0409.JPG
PTDC0429.JPGPTDC0432.JPG
PTDC0457.JPG
PTDC0463.JPGPTDC0507.JPGPTDC0524.JPG
今月7月1日に発売開始された書籍『花咲く都・黄金文明』の中にも書いておきましたが、皇室の祖神とされるアマテラスとは、実は、日本にやって来た創造者エロヒムの女性科学者がモデルとなっています。

その女性科学者が最初に降り立った場所が、沖縄県の久高島であり、琉球の創世神話では、アマミキヨと呼ばれています。

沖縄の琉球創世神話で、創世神アマミキヨがやって来た、遥か彼方の理想郷・常世・神の国ニライカナイとは、実際には、地球の全生命の創造者であるエロヒムの宇宙船(UFO)か、あるいは潜水艦などの海底基地のことなのです!

琉球(りゅうきゅう)は、竜宮(りゅうぐう)に深く関係しており、また、神国日本の創世にも深く関係しています。

今回、琉球・沖縄への御神業を成就して、改めて、琉球・沖縄が持つ深いエネルギーを感じることが出来たと思います。

初日と最終日を除いた丸6日間のことは、ある意味においては、全て克明に覚えているのですが、ある意味においては、ほとんど何も覚えていないと言うか、何か夢・幻であったかのような感じさえしており、竜宮城へ行って帰って来た浦島太郎のような、何処かそんな感じさえしています。

いずれにしても、琉球・沖縄はとても素晴らしい所であり、今回、7泊8日にわたる聖地巡礼の旅を無事に成就出来たことを、とてもうれしく感じています。
PTDC0071.JPGPTDC0072.JPG久高島最北端カベール岬(ハビヤーン)
琉球創世神アマミキヨが降り立ったとされる聖地
PTDC0068.JPGカベール岬に向かう一本道


福井県を中心に北陸の聖地(平泉寺白山神社、永平寺、若狭彦神社、天橋立、気比神宮等)を巡礼して来ました!

  • 2022年9月 7日 11:52
  • Posted by Yamatofuji

CIMG2117.JPG
福井県を中心とした北陸の聖地を4泊5日で巡礼して来ました。

福井県敦賀市を拠点として4泊し、東は石川県加賀市から、西は京都府の天橋立まで、福井を中心とした聖地巡礼の旅をして来ました。

今年7月1日にリリースしたCD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」のレコーディングが春から始まるので、その前の3月に、1泊2日で天橋立を訪れ、そして4泊5日で尾張名古屋の御神業を行いました。

その時の様子は、こちらの記事をご参照ください。
『元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社、天橋立神社、浦嶋神社、智恩寺に参拝して来ました!』
『尾張名古屋の聖地を旅して来ました!(熱田神宮と白鳥御陵、真清田神社、東谷山山頂・尾張戸神社、豊川稲荷、名古屋城)』

尾張名古屋の御神業は、神界の「尾張の仕組み」という、言わば「終わりの仕組み」とも言うべき最後の仕上げの仕組みを成就させる為のものであり、それを成就実現させることが出来たので、ひとまず一段落ついた形になっていました。

今回の、福井を中心とした御神業は、「尾張の仕組み」を締めくくる為のものであり、とても奥深い御神業となりました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

実は、「福井」という言葉には、「福の中心」という意味があります。
「い(井)」という言霊(ことだま)には中心という意味があるということを神界から伝えられており、型として、お腹の中心に「胃(い)」があるとのことです。

「い(井)」という言霊(ことだま)には中心という意味がありますので、「福井」という言葉には、「福の中心」という意味が秘められています。

そう言われても、ほとんどの方は、ピンと来ないと思います。
何故なら、福井県は、裏日本と呼ばれる日本海側の地味な場所であり、とても「福の中心」というイメージは湧いて来ないと思います。
しかしそれは、現代人としての感覚であり、21世紀の現代は、東京・横浜・名古屋・大阪などの大都市は、全て太平洋側に位置しており、表日本と呼ばれています。

しかし、何千年も前の太古の時代はそうではありませんでした。
船による航海技術が発達して、朝鮮半島などの大陸と交流が始まった頃は、北九州などの日本海側が、大陸からの表玄関であり、日本海側こそが、表日本だったのです。

かつて太古の時代においては、西は北九州から、東は能登半島辺りまでの日本海側が、表日本だった時代があり、「福井」という地名には、「福の中心」とも言うべき、とても大切なエネルギーが封印されてきました。

福井県北部には、「山」のエネルギーが封印されており、その中心となるのが、日本三霊山の白山になります。
白山を開いたのは福井市出身の泰澄大師であり、泰澄大師は最初、福井県側の平泉寺白山神社側から白山を開山しており、石川県側(白山総本宮白山ひめ神社側)を開いたのは、その後のことになります。

そして、福井県西部には、「海」のエネルギーが封印されており、その一つの重要な聖地となるのが、若狭国一宮の若狭彦神社(上社・下社・神宮寺)になります。
若狭彦神社上社の御祭神は、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)であり、『古事記』の神話の中で、失くした釣り針を探しに、海の龍宮城の中に入って行った「山幸彦」として知られています。
そして、若狭彦神社下社(若狭姫神社)の御祭神は、海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)であり、「山幸彦」こと彦火火出見命は、龍宮城の中で、豊玉姫と結ばれました。

二人の夫婦神の孫にあたるのが、初代天皇となる神武天皇になります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

天橋立の元伊勢・籠神社の御祭神は、天火明命(アメノホアカリノミコト)ですが、かつて別名を彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)と呼ばれており、竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮(龍宮、常世)に行かれたとの故事により、社名を籠宮と言うと伝えられているそうです。
そして、元伊勢・籠神社の本殿右隣には、恵比寿社として、彦火火出見命が祀られています。

『山幸彦こと彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は恵比寿様』、こちらの記事でも書きましたが、山幸彦こと彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は恵比寿様でもあり、神界における恵比須の働きがよく表されています。

若狭国一宮の若狭彦神社(上社・下社・神宮寺)と、少し西に位置する天橋立の元伊勢・籠神社は、霊的に深くつながっていると感じており、そのキーワードとなるのが「龍宮城」ということになります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

元伊勢・籠神社の奥宮真名井神社は、徒歩10分位の場所にあり、伊勢神宮の外宮と同じ豊受大神が祀られています。

そして、元伊勢・籠神社の「海の奥宮」とされているのが、舞鶴市の沖合30km位の場所に位置する冠島と沓島になります。
冠島と沓島は古代から、元伊勢・籠神社の御祭神である天火明命(アメノホアカリノミコト)と市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)が天から降臨されて夫婦となられた神聖な場所とされています。

冠島と沓島は、調査・研究以外での一般人の上陸は認められておらず、天橋立の元伊勢・籠神社の近くからケーブルカーかリフトに乗って傘松公園に上り、傘松公園の一角にある冠島・沓島遥拝所から拝むしか出来ない特別な聖地になります。

        ・
        ・
        ・
        ・
        ・
        ・

そして、冠島・沓島遥拝所から拝むしか出来ない特別な聖地である冠島・沓島が、宮津市ではなく舞鶴市に所属しているというところが、とても大切なポイントとなります。
天橋立や元伊勢・籠神社は宮津市に所属していますが、元伊勢・籠神社の「海の奥宮」とされる冠島と沓島は舞鶴市に属しており、これがとても重要なポイントとなるのです。

「舞鶴」とは「鶴が舞う」と書きますが、「鶴」とは東洋の「日出づる」神国、「霊(ひ)ノ元」日本を象徴する国鳥であり、ナショナルフラッグである日本航空のマークも「鶴」となっています。

「舞鶴」とは東洋の「日出づる」神国日本を象徴する国鳥である「鶴が舞う」という意味を持つ特別な地名なのですが、舞鶴市の陸地の部分には、それほど際立った聖地がある訳ではありません。
実は、元伊勢・籠神社の「海の奥宮」とされる冠島と沓島が鎮座しているということこそが、「舞鶴」という場所を、特別な場所としているのであり、冠島と沓島は、東洋の「日出づる」神国日本が蘇り、飛翔する上で、欠かすことの出来ない特別な聖地となります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

東洋の「日出づる」神国日本を象徴する国鳥である「鶴が舞う」という特別な聖地を持っているのが舞鶴市なのであり、舞鶴市の沖合約30kmの日本海に鎮座しているのが、特別な聖地である冠島・沓島になります。
そして、主島である冠島に祀られているのが、元伊勢籠神社と同じ天火明命なのですが、天火明命とは、別名ニギハヤヒのことでもあります。

ニギハヤヒは正式名を天照国照彦火明櫛玉ニギハヤヒ(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒ)と言い、神道の最高秘儀とされる「十種神宝(トクサノカンダカラ)」を携えて天界から降臨されたと伝えられています。

神道の最高秘儀とされる「十種神宝(トクサノカンダカラ)」を伝えたニギハヤヒこと天火明命は、極めて特別な大神であることがうかがい知れるかと思います。

極めて特別な大神であるニギハヤヒこと天火明命を祀る究極の聖地の一つが、東谷山山頂に鎮座する尾張戸神社になります。
尾張戸神社は尾張名古屋の熱田神宮の奥の院とされており、神界における最後の仕組み(終わりの仕組み)である「尾張の仕組み」の最高地点となります。

そして、極めて特別な大神であるニギハヤヒこと天火明命を祀るもう一つの究極の聖地が、元伊勢・籠神社の「海の奥宮」であり、神国日本の国鳥である「鶴が舞う」舞鶴の日本海沖合にあり、立ち入り禁止の聖地である冠島と沓島なのです。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

神界における最後の仕組み(終わりの仕組み)である「尾張の仕組み」の最高地点が東谷山山頂の尾張戸神社であり、尾張戸神社は熱田神宮の奥の院とされています。
熱田神宮は伊勢神宮と並んで最も格式の高いお社であり、熱田神宮で祀られているのは、三種神器の一つ「草薙剣(クサナギノツルギ)」になります。
「草薙剣」の「剣(ツルギ)」は、「鶴来(ツルギ)」に通じています。

白山総本宮白山ひめ神社は、十数年前の市町村合併により、石川県白山市になりましたが、元々は「鶴来(ツルギ)町」という地名でした。

「鶴来(ツルギ)町」とは、日本の国鳥である「鶴が来る町」なのであり、神国日本にとって、とても大切な場所であることがうかがい知れます。

そして、その「鶴来(ツルギ)町」に鎮座されているのが、白山総本宮白山ひめ神社なのであり、日本三霊山の一つ白山の重要性がうかがい知れるかと思います。

そして、白山総本宮白山ひめ神社が鎮座されている「鶴来(ツルギ)町」の「ツルギ」は、熱田神宮に祀られている三種神器「草薙剣」に通じているのです。
そしてまた、「ツルギ」は「鶴亀(ツルギ)」にも通じており、「鶴」(日本)と「亀」(ユダヤ)の統合は、これからの新しい時代を迎える上において、とても重要なポイントとなります。
『かごめかごめ』の歌の中の一節「鶴と亀が統(す)べった」にもつながっています。

加賀の白山総本宮白山ひめ神社は、白山の表の働きであり、福井の平泉寺白山神社は、白山の裏の働きであると、神界から伝えられています。

今回の福井を中心とした御神業により、霊峰白山の裏の働きが本格的に表に顕れることにもなりました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

「福の中心」という意味を持つ「福井」を中心とした北陸の御神業を成就させる為には、福井県敦賀市を中心にして、東は石川県加賀市大聖寺から、西は京都府宮津市の天橋立までの御神業が必要だったのであり、敦賀市のホテルに4泊して拠点にしたのには、単に交通の便が良かったという理由だけではなく、「敦賀(ツルガ)」は「鶴賀(ツルガ)」にも通じているからでもあります。

「鶴」はもちろん神国日本の国鳥であり、「賀」は年賀状や謹賀新年という慶賀の場面で使われる通り、お目出度い言葉であります。

そして、敦賀市の中心部には気比神宮が鎮座しており、気比神宮は、越前国一宮であり、北陸道総鎮守と謡われています。

7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日、CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」2枚同時リリースのレコーディングが始まる前に、3月の天橋立の御神業、「尾張の仕組み」を成就させる為の尾張名古屋の御神業を無事成就させることが出来ました。

そして、今年令和4年(2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日、CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」2枚同時リリース致しました!

そして、3月に成就した「尾張の仕組み」の締め括りとして、今回、8月最終週から9月に掛けて、福井を中心とする北陸の聖地の御神業を無事成就させることが出来ました。

「福の中心」を意味する「福井」という土地に、古代から封印されて来たエネルギーが、ここに晴れて目出度く封印を解かれて解放される時を迎えました!

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG2075.JPG菅生石部神社
第1日目に最初に訪れたのは、石川県加賀市大聖寺に鎮座する、菅生石部神社です。

菅生石部神社の御祭神は、彦火火出見命、豊玉姫命、ウガヤフキアエズノミコトです。
彦火火出見命こと「山幸彦」が龍宮城の中に入って行き、海神の娘である豊玉姫命との間に産まれたのが、ウガヤフキアエズノミコトであり、初代天皇神武天皇の父君にあたります。

菅生石部神社参拝後は、福井県に入り、坂井市丸岡の丸岡城を見学後、丸岡に鎮座する国神神社に参拝しました。
国神神社の御祭神は、椀子皇子(マルコノオウジ)であり、継体天皇と倭媛の皇子にあたります。

国神神社参拝後は、ある秘密の聖地(ブログでは公開出来ない)を訪れた後、敦賀市にあるホテルへと向かいました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

第2日目は、日本三霊山の一つである白山の裏の働きが、本格的に表に顕れて来る為の御神業を行いました。

CIMG2078.JPGまず最初に訪れたのは、福井市にある泰澄寺になります。
泰澄寺は、「越の大徳」と謡われ、霊峰白山を開山された泰澄大師が生誕された場所になります。
以前から、泰澄寺に参拝して泰澄大師にお礼がしたいと考えていましたが、ようやく念願が叶いました。

CIMG2086.JPGCIMG2082.JPG次に向かったのが、平泉寺白山神社です。
泰澄大師が最初に白山を開かれたのは、福井県側からであり、平泉寺白山神社から白山山頂へと登拝する禅定道が設けられています。

平泉寺白山神社は十数年ぶりになりますが、苔むした杉木立の中の静寂な雰囲気は、とても素晴らしいと改めて感じました。

CIMG2090.JPG平泉寺白山神社の次は、九頭竜川を下った隣町にある永平寺です。
永平寺は、曹洞宗の開祖である道元禅師が開かれた禅宗の大本山になりますが、道元禅師は白山大権現の御加護を受けていたことが知られています。
道元禅師は本山の鎮守社として白山大権現を崇敬されていたようです。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

第3日目は、若狭国一宮である若狭彦神社(上社・下社・神宮寺)を中心として、若狭湾を中心とした御神業を行いました。
若狭湾東部の常神半島から、若狭湾の中心都市である小浜市に鎮座する若狭彦神社(上社・下社・神宮寺)、さらには若狭湾の西部に位置する音海(オトミ)まで足を伸ばし、若狭湾に封印されて来た「海」のエネルギーを解放して、翌日4日目に訪れる天橋立(元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社、「海の奥宮」である冠島・沓島)へとつなげる御神業を行いました。

朝、敦賀市のホテルを出発してから、三方五湖レインボーラインを通って、常神半島に向かいました。
三方五湖レインボーラインを走りながら、CD「虹の輝く世界へ」を聴いていたのですが、とても快適なドライブとなりました。

常神半島北部の常神という土地には、常神社があります。
そして、常神半島最先端の沖合には、神が住む島とされる御神島があります。

CIMG2097.JPG御神島CIMG2093.JPG常神社の御祭神は、神功皇后・若狭彦・若狭姫を始め、九柱の神々が祀られています。
初めて訪れたとはとても思えないような、懐かしい感じがして、デジャブ(既視感)の感覚に包まれた中で、常神社の参拝を楽しみました。

沖合に見える、神が住む島とされる御神島の神聖な姿を仰いでから、小浜市にある若狭彦神社へと向かいました。

若狭彦神社は小浜市に鎮座する若狭国一宮であり、上社・下社があり、近くには別当寺にあたる神宮寺もあります。

CIMG2098.JPG若狭彦神社上社の御祭神は、彦火火出見命であり、失くした釣り針を探しに龍宮城へと入って行った「山幸彦」として知られています。

CIMG2102.JPGそして、若狭彦神社下社(若狭姫神社)では、「山幸彦」が龍宮城の中で結ばれたお后である、豊玉姫が祀られています。

CIMG2100.JPG別当寺にあたる神宮寺は、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り神事」で有名です。

若狭彦神社(上社・下社・神宮寺)参拝後は、若狭湾西部の音海(オトミ)まで車を飛ばし、若狭湾に封印されて来た「海」のエネルギーを解放して、翌日訪れる天橋立へとつなげました。
音海(オトミ)に向かっている時、ちょうどCD「富士は晴れたり日本晴れ」を聴いていたのですが、音海海岸の駐車場に着いた途端に、収録曲「竜宮の乙姫からの贈物」の曲がピッタリのタイミングでかかりました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

第4日目は、京都の天橋立の御神業となりました。
元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社は、今年3月に続いて3度目の参拝となりましたが、今回初めて、傘松公園に上り、冠島・沓島遥拝所に参拝して、冠島と沓島に封印されて来た古代のエネルギーを解放させる時期を迎えることが出来ました。

CIMG2105.JPGCIMG2106.JPG元伊勢・籠神社の御祭神は天火明命ですが、別名を彦火火出見命とも呼び、籠神社の名前の由来にもなっていることは、先程述べた通りです。
そして、本殿右隣の恵比須社において、彦火火出見命を恵比須様としてお祀りされています。
元伊勢・籠神社では、境内の脇で「亀」が飼われています。

CIMG2108.JPGCIMG2109.JPG元伊勢・籠神社の奥宮である真名井神社では、伊勢神宮の外宮と同じ豊受大神(トヨウケノオオカミ)が祀られています。
真名井神社の入り口には、「天真名井水(アメノマナイノミズ)」という御神水が湧いています。

元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社参拝後、近くにあるケーブルカーに乗り、傘松公園に上って、冠島・沓島遥拝所に参拝しました。

CIMG2116.JPGCIMG2121.JPG冠島(右側)と沓島(左側)
好天に恵まれ、冠島・沓島遥拝所からは、舞鶴沖の日本海に鎮座する冠島と沓島の神聖な姿が、海に浮かんでいるかのように輝いて見えました。
冠島と沓島に古代から封印されてきたエネルギーを解放して飛翔させる儀式を無事成就させることが出来、神界からの「贈物」を受けとることが出来ました!


CIMG2120.JPG冠島・沓島遥拝所での神聖な儀式を無事成就させた後は、傘松公園の上にある成相寺にバスで行って来ました。
成相寺からは、日本三景の一つ天橋立を一望することが出来ます。

とても晴れ晴れとしたお目出度い気分で、冠島・沓島遥拝所のある傘松公園を下り、天橋立を後にして、敦賀のホテルへと向かいました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

最終日の第5日目は、敦賀市内の聖地巡礼となりました。
まず、ホテルをチェックアウトしてすぐに、敦賀市中心部にある気比神宮に参拝しました。

CIMG2128.JPGCIMG2129.JPG気比神宮は越前国一宮であり、北陸道総鎮守と謡われています。
御祭神は、伊奢沙別命(イザサワケノミコト)など七柱となっています。
北陸道総鎮守と謡われるだけあって、敷地も広大で立派なお社でした。

CIMG2130.JPG気比神宮の次は、少し東にある金崎宮に参拝しました。
金崎宮では、後醍醐天皇の二人の皇子が御祭神として祀られています。

CIMG2131.JPG金崎宮を後にして、最後に向かったのが、敦賀湾の西部に位置する常宮神社です。
常宮神社は、元々は気比神宮の奥宮でしたが、明治の社挌制度によって、今は独立した形となっているようです。
常宮神社の主祭神は、天八百萬媛命(アメノヤオヨロズヒメノミコト)となっています。
常宮神社も初めてとは思えない程、懐かしい感じがする神社で、デジャブ(既視感)がかなり感じられる神社でした。

今回、常神社と常宮神社という、「常」という字が付く二つの神社を初めて訪れましたが、どちらもとても懐かしい感じがして、若狭という土地とは深い御縁があったようだと改めて感じることが出来ました。

常宮神社参拝を終えて、丸5日間にわたる亘る福井を中心とした聖地巡礼の旅を無事終えることが出来ました。
毎日200km以上を車で走り回るハードな御神業でしたが、何とか無事に成し遂げることが出来ました。
「福の中心」を意味する福井県を中心とした今回の御神業が無事成就したことにより、神国日本の蘇りに向けた新たなエネルギーが発動する運びとなりました!


尾張名古屋の聖地を旅して来ました!(熱田神宮と白鳥御陵、真清田神社、東谷山山頂・尾張戸神社、豊川稲荷、名古屋城)

  • 2022年3月26日 14:22
  • Posted by Yamatofuji

CIMG1852.JPG
尾張名古屋の聖地を、4泊5日かけて旅して来ました。

訪れた聖地は、以下の通りです。
熱田神宮と白鳥御陵、真清田神社、東谷山山頂・尾張戸神社、豊川稲荷、名古屋城になります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

振り返って見れば、今まで20数年に亘り、天の導きに従って、神社を中心とする全国の主な聖地を数多く訪れて来ましたが、今回の尾張名古屋への御神業をもって、ひとまず完結し、無事成就する運びとなりました。

マイカーを東京からフェリーで下関港まで運び、九州の主な聖地を丸14日間かけて車をすっ飛ばしながら全部回ったり、あるいはマイカーで四国の主な聖地を丸10日間かけて全部回ったりなど、かなりハードな旅もありました。
箱根には、箱根神社を中心とする聖地を数十回参拝させていただく機会を得ました。

今まで20数年の長きに亘って、天の導きにより全国の主な聖地を数多く参拝させていただいたのも、ひとえに、将来、大和富士としての天命成就の為に必要なプロセスであり、今回の尾張名古屋への御神業によって、無事成就完結出来たことを、心からうれしく感じております。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

『西暦2022年(令和4年)、新年明けましておめでとうございます!』、こちらの記事でも書きましたが、今年から大和富士としての天命成就に向けて、本格的に活動を開始致します。

本格的活動の第一弾として、今年令和4年(西暦2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、CD『虹の輝く世界へ』『永遠(とわ)の中今』を2枚同時リリース致します!
CD『虹の輝く世界へ』『永遠(とわ)の中今』(各10曲収録)2枚同時リリースして、全20曲を世に公表することによって、本格的に活動を開始致します。

4月に入ると、歌のレコーディングなども始まりますので、歌のレコーディングなどが始まる前の3月の内に、天橋立にある元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社、そして、熱田神宮や東谷山山頂・尾張戸神社などを中心とする尾張名古屋への御神業だけは、何としても実現させたいと考えていたので、今月中に無事成就することが出来、とても良かったと安心しています。

天橋立にある元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社への御神業につきましては、『元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社、天橋立神社、浦嶋神社、智恩寺に参拝して来ました!』、こちらの記事をご参照下さい。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1847.JPG
今回の尾張名古屋への御神業で、最初に訪れたのが、日本三大稲荷に数えられる豊川稲荷です。

豊川稲荷への参拝は、今回が初めてになります。

豊川稲荷は日本三大稲荷に数えられることがありますが、神社ではなく曹洞宗のお寺であり、正式名は円福山妙厳寺と言います。
御本尊は千手観音になります。

そして、境内の鎮守として祀られる秘仏「ダキニテン」が豊川稲荷と呼ばれており、妙厳寺では「ダキニシンテン」と呼称しています。

豊川稲荷は、東海屈指の霊場とも言われるだけあって、なかなか只ならぬ気配が感じられる聖地であり、今回の御神業の最初の目的地として組み込んで良かったと思います。CIMG1851.JPG

     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
CIMG1866.JPG
次に訪れた聖地は、熱田神宮になります。

熱田神宮には過去数回参拝の機会を得ましたが、前回の参拝から十年余りの歳月が流れていました。

熱田神宮は、伊勢神宮に次いで格式の高いお社とされており、三種の神器の一つである草薙剣(クサナギノツルギ)が祀られています。

三種の神器とは、八咫鏡(ヤタノカガミ)、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)、草薙剣(クサナギノツルギ)のことであり、八咫鏡(ヤタノカガミ)は伊勢神宮、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)は宮中、そして草薙剣(クサナギノツルギ)は熱田神宮に祀られています。

このことからも、熱田神宮が、伊勢神宮に次いで格式の高いお社とされている理由もお分かりになろうかと思われます。

三種の神器の一つである草薙剣(クサナギノツルギ)は、須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に、尾(しっぽ)から出て来た神剣になります。

高天原において乱暴狼藉を働き、姉である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の岩戸閉めの責任を取らされて、高天原から追放された須佐之男命(スサノオノミコト)が、その後、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して三種の神器の一つである草薙剣(クサナギノツルギ)を、高天原の姉・天照大御神(アマテラスオオミカミ)に献上したと『古事記』に書かれていることには、ものすごく奥深いことが秘められていると思います。

高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)が、草薙剣(クサナギノツルギ)を、高天原の姉・天照大御神(アマテラスオオミカミ)に献上し、晴れて目出度く櫛稲田姫(クシイナダヒメ)と結婚して出雲に居を構えられたことには、とても奥深いことが表されていると思います。

出雲の基盤を築いたのは、草薙剣(クサナギノツルギ)を、高天原の姉・天照大御神(アマテラスオオミカミ)に献上し、晴れて目出度く櫛稲田姫(クシイナダヒメ)と結婚した須佐之男命(スサノオノミコト)なのです。

その後、須佐之男命(スサノオノミコト)の娘である須勢理姫(スセリヒメ)と結婚した大国主大神(オオクニヌシオオカミ)が出雲大社の御祭神として、全国の八百万神々(ヤオヨロズノカミガミ)を統率する役割を担うことになります。

『越中国一宮気多神社に参拝して来ました!』、こちらの記事でも書きましたが、伊勢神宮が表の神界の表の働きであるのに対して、出雲大社は表の神界の裏の働きであり、「裏の結び」を担当する出雲大社の基盤を築いたのは、他ならぬ須佐之男命(スサノオノミコト)なのです。

須佐之男命(スサノオノミコト)が如何に重要な役割をもった神様なのかが、これで伺い知れるかと思います。
CIMG1862.JPG
『古事記』において、黄泉国(ヨミノクニ)から蘇って(黄泉帰って)来て、禊祓を終えた伊邪奈岐(イザナギノオオカミ)が最後に御生みになられた貴い三人の神様が、天照大御神(アマテラスオオミカミ)月読命(ツキヨミノミコト)、そして須佐之男命(スサノオノミコト)であり、三貴神と呼ばれています。

伊邪奈岐(イザナギノオオカミ)が左目を洗った時に生まれたのが天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に生まれたのが月読命(ツキヨミノミコト)であり、鼻を洗った時に生まれたのが、建速須佐之男(タケハヤスサノオ)と書かれています。

実は、須佐之男(スサノオ)というのは、中心の神の名前であり、正式名が建速須佐之男(タケハヤスサノオ)、別名が神須佐鳴大神(カムスサナルノオオカミ)になります。

顔の中心には鼻がありますが、建速須佐之男(タケハヤスサノオ)が鼻から生まれたと書かれていることで、本来、須佐之男(スサノオ)が中心の神であることが、型としても出されています。

乱暴狼藉を働いて高天原を追放された時の須佐之男(スサノオ)は、まだ本来の働きではありませんでしたが、その後、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して三種神器である草薙剣(クサナギノツルギ)を手にした時、本来の働きである中心の神、即ち建速須佐之男(タケハヤスサノオ)、別名・神須佐鳴大神(カムスサナルノオオカミ)として蘇った(黄泉帰った)のです。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)の岩戸閉めの責任を取らされて高天原から追放された須佐之男(スサノオ)は、草薙剣(クサナギノツルギ)を手にして神須佐鳴大神(カムスサナルノオオカミ)として蘇り(黄泉帰り)、晴れて目出度く、高天原の天照大御神(アマテラスオオミカミ)に神剣を献上され、それがやがて、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる天孫ニニギノミコトによって、三種の神器として地上に降ろされ、今は熱田神宮の御神体として祀られています。

『古事記』において、神武誕生までの、いわゆる神代の時代の神話には、人が神として出産する内的なプロセスが象徴的に描かれており、とても奥深い内容が秘められています。

須佐之男(スサノオ)の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治と草薙剣(クサナギノツルギ)を高天原の天照大御神(アマテラスオオミカミ)に献上する場面においても、とても奥深い内容が秘められていますので、ぜひ、深く掘り下げて読み進められることを、お勧め致します。CIMG1857.JPG

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1869.JPG
熱田神宮参拝の後、徒歩で十数分位の所にある白鳥御陵に参拝しました。

白鳥御陵は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお墓とされており、熱田神宮と深い関係があります。

元々、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が所持されていた草薙剣(クサナギノツルギ)が、后であるミヤズヒメを通して、熱田神宮に祀られることになったとされています。

戦に出陣して亡くなられた夫・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と草薙剣(クサナギノツルギ)が、后であるミヤズヒメによって祀られることになり、これが熱田神宮になったとされています。

白鳥御陵に歩いて行く途中、熱田神宮前の大通りを向側に渡ると、源氏を再興して鎌倉幕府を開いた源頼朝の誕生地があります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1871.JPG
熱田神宮と白鳥御陵参拝の後、次に向かったのが、一宮市に鎮座する真清田神社であり、真清田神社は尾張国一宮でもあります。
真清田神社の御祭神は、天火明命(アメノホアカリノミコト)であり、別名ニギハヤヒとしても知られています。

真清田神社は、ニギハヤヒの総本宮ともされています。

真清田神社には、十数年ぶり三度目の参拝になります。

真清田神社には、他の神社とはまた違った感覚での懐かしさのようなものを感じることがあります。CIMG1874.JPG

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1907.JPG
ニギハヤヒの総本宮ともされており、尾張国一宮でもある真清田神社の次に訪れたのは、東谷山山頂に鎮座する尾張戸神社になります。

東谷山は、標高198メートルの名古屋市最高峰の山であり、古来より信仰を集めた霊山であり、山頂には尾張戸神社が鎮座しています。

東谷山山頂に鎮座する尾張戸神社は、熱田神宮の奥の院ともされており、とても重要な聖地になります。

尾張戸神社の主祭神は、天火明命(アメノホアカリノミコト)であり、真清田神社と同じ御祭神になります。

また、天橋立に鎮座する元伊勢・籠神社の御祭神も、天火明命(アメノホアカリノミコト)であり、天火明命(アメノホアカリノミコト)、別名ニギハヤヒを祀る総本宮である真清田神社だけではなく元伊勢・籠神社、そして東谷山山頂に鎮座する尾張戸神社は、とても重要な聖地であると考えています。

何故なら、神道の最高秘儀とされる「十種神宝」(トクサノカンダカラ)を地上にもたらしたのは、天孫ニニギノミコトの兄にあたるニギハヤヒとされているからです。

ニギハヤヒの正式名称は、天照国照彦火明櫛玉ニギハヤヒ(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒ)になります。
CIMG1923.JPG
神道の最高秘儀とされる「十種神宝」(トクサノカンダカラ)とは、文字通り十種類の宝物のことであり、中には「死返玉」(マカルガエシノタマ)と呼ばれる、死者を蘇らせる働きを持つものなども含まれていますが、「十種神宝」(トクサノカンダカラ)とは、形や物質を超えたもっと本質的なものを表現しています。

ほとんどの人々は、神道の最高秘儀「十種神宝」(トクサノカンダカラ)とは、何かの物質や形であると勘違いしており、何処かに「十種神宝」(トクサノカンダカラ)という物質があると考えたり、「死返玉」(マカルガエシノタマ)を手に入れることが出来れば、死者をも蘇らせることが出来ると考えたりしています。

しかし、本当は、神道の最高秘儀「十種神宝」(トクサノカンダカラ)とは、物質や形を超えたもっと本質的なものを表している言葉になります。

神道の最高秘儀とされる「十種神宝」(トクサノカンダカラ)とは、本当は、単なる形や物質を超えた、もっと本質的なもの、即ち、神の愛の十通りの顕れ方、神の愛の十種類の表現を意味する言葉なのです。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1931.JPG
熱田神宮の奥の院とされる東谷山山頂の尾張戸神社にて、神道の最高秘儀を地上にもたらしたニギハヤヒこと天火明命(アメノホアカリノミコト)にご挨拶した後、今回の尾張名古屋の御神業の最後の締め括りとして訪れたのが、名古屋城になります。

「尾張名古屋は城で持つ」と言われますが、名古屋城の天守閣にそびえ立つのが、御存知「金鯱」(キンノシャチホコ)になります。

神界の仕組みとして、「尾張の仕組み」という仕組みがあります。

そして、「尾張の仕組み」の象徴として存在しているのが、御存知名古屋城の天守閣にそびえ立つ「金鯱」(キンノシャチホコ)なのです。

「尾張の仕組み」とは「終わりの仕組み」という意味でもあり、ある意味において、一番最後の究極の仕組みでもあります。

そして、「終わり」というのは、また新たな「始まり」でもあります。

今年令和4年(西暦2022年)3月、神界の最後の仕組みである「尾張の仕組み」が無事成就致しました!
CIMG1932.JPG
新しい時代の始まりに向けて、これから時代は急速に進んで行くことになります。

西暦2035年の年末までに、有史以来数千年続いて来た、人類の古い歴史が幕を閉じ、地球の新しい歴史が幕を開けることになります。

東洋の日出る神国、霊(ヒ)ノ元・日本から、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」が花開き、私たち人類は黄金時代を迎えることになります。

もはや誰も苦しむことの無い、平和で自由な喜びに満ちた世界が花開き、私たちが待ちに待った、全人類の春を迎えることになります。

キリスト教の世界で言われる「至福千年王国」のことでもあります。

有史以来数千年続いて来た、人類の戦いの歴史は、あと十年余りで幕を閉じます。

あと十年余り、2035年の年末までには、戦争や争い、飢えや貧困、人種差別などで苦しんできた人類の古い歴史が終わりを迎え、私たちが夢見た理想郷「ユートピア」が誕生するのです。
CIMG1938.JPG

大和富士の音楽は、「日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌」です。

今年令和4年(西暦2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日、大和富士の新作CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」が2枚同時リリースされ、全20曲が日本から地球・世界へ向けて発信されることにより、日本、そして地球・世界は、新たな時代へ突入することになります。

今年7月1日、大和富士の音楽「日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌」が、新作CD「虹の輝く世界へ」「永遠(とわ)の中今」(全20曲)となって、地球の新しい時代へ向けての出陣太鼓(タイコ)として鳴り響きます。

太古(タイコ)の響きが蘇り、太古の昔から仕組まれていた神界計画が見事に花開く時を迎えます。

2035年年末までに、有史以来数千年続いて来た人類の古い歴史が幕を閉じ、地球の新しい歴史が幕を開けることになるのです。

本当に楽しみですね!

pixta_13748036_S.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社、天橋立神社、浦嶋神社、智恩寺に参拝して来ました!

  • 2022年3月 9日 16:46
  • Posted by Yamatofuji

CIMG1839.JPG
京都府宮津市にある天橋立に行って来ました。

訪れた場所は、元伊勢・籠神社奥宮真名井神社天橋立神社磯清水、日本三文珠に数えられる智恩寺、さらには、少し足を伸ばして、伊根市にある浦嶋神社になります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社に参拝したのは、十数年ぶり2度目になります。

『西暦2022年(令和4年)、新年明けましておめでとうございます!』、こちらの記事でも書きましたが、今年から本格的に大和富士としての天命成就に向けて活動を開始致します。
その第一段として今年7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、CD2枚(各10曲収録)を同時リリース致します!

春には歌のレコーディングなども控えていますので、その前にもう一度、聖地である天橋立に行って元伊勢・籠神社奥宮真名井神社に参拝しておきたいという気持ちが強くなりました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
CIMG1808.JPG
まず初日は、天橋立のホテルの近くにある日本三文珠に数えられる智恩寺に参拝しました。
そして、智恩寺は天橋立の入口付近にありますので、そこから天橋立を歩いて、途中にある天橋立神社磯清水に行きました。

CIMG1812.JPG天橋立神社は智恩寺の鎮守社とのことで、智恩寺に属する神社であり、なんと天橋立自体が智恩寺の境内地だとのことです。

CIMG1813.JPG天橋立神社のすぐ近くに磯清水があります。
磯清水の名前の通り、海水の塩水ではなく真水であり、なんと元伊勢・籠神社から地下を通って湧き出ているとも言われています。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

日本三景に数えられる天橋立、そしてそこに鎮座する元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社は、とても重要な聖地だと考えています。

CIMG1840.JPG元伊勢・籠神社の主祭神は、彦火明命(ヒコホアカリノミコト)であり、別名ニギハヤヒとしても知られています。

また、境内摂社の恵美須社では、ヒコホホデミノミコトを恵比須様としてお祀りしています。
ヒコホホデミノミコトは『古事記』の神話の中で、失くした釣り針を探しに竜宮城へと入って行った山幸彦としても知られています。

『山幸彦こと彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は恵比寿様』、こちらの記事でも書きましたが、山幸彦こと彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は恵比寿様でもあり、元伊勢・籠神社ではきちんと境内摂社の恵美須社で、ヒコホホデミノミコトを恵比須様としてお祀りされており、流石だと感じます。
CIMG1829.JPG
元伊勢・籠神社から徒歩十分位の所に、奥宮である真名井神社が鎮座しています。

CIMG1821.JPG真名井神社の入り口に、「天の眞名井の水」と呼ばれる御神水があります。
そして、その奥に、真名井神社と磐座があります。
CIMG1823.JPG
真名井神社の御祭神は、磐座主座に豊受大神(トヨウケオオカミ)をお祀りし、磐座西座に天照大神(アマテラスオオカミ)、伊射奈岐大神(イザナギノオオカミ)と伊射奈美大神(イザナミノオオカミ)をお祀りしています。

豊受大神(トヨウケオオカミ)は伊勢神宮の外宮の御祭神であり、天照大神(アマテラスオオカミ)は伊勢神宮の内宮の御祭神になります。

かつて真名井神社では御神紋として六芒星(ダビデの星)が使われていましたが、今は使われていないようです。
六芒星(ダビデの星)は、伊勢神宮へと向かう参道の石灯籠にも使われています。

六芒星(ダビデの星)はユダヤの紋章であり、東洋の日出る神国日本と古代ユダヤとの深いつながりを感じさせます。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

元伊勢・籠神社と奥宮真名井神社の参拝を終えてから、昨日とは逆の方向から、天橋立の砂州を歩き、もう一度、途中にある天橋立神社と磯清水に向かいました。
これで、天橋立を両方向から全部歩いたことになります。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

天橋立を後にしてから、伊根市にある浦嶋神社へと向かいました。
浦嶋神社参拝の為に海沿いの道路をドライブしていると、暖かい風と明るい太陽の日差しがとても心地良く、春の到来を感じさせてくれました。

CIMG1842.JPG浦嶋神社の御祭神は、浦嶋子こと浦嶋太郎になります。
そして、相殿として月読命(ツキヨミノミコト)と祓戸大神(ハラエドノオオカミ)をお祀りしています。

浦嶋神社の参拝は今回が初めてですが、神殿でご挨拶した後、しばらく境内の御神気をいただいていた時に感じた、空気や風などがとても懐かしく感じられ、まさにデジャブ(既視感)という感じがしました。

       ・
       ・
       ・
       ・
       ・
       ・

今回、歌のレコーディングなどが始まる前に、聖地である天橋立を再び訪れて、元伊勢・籠神社奥宮・真名井神社などに参拝出来て、本当に良かったと感じています。

新たな意識の元、これから本格的な活動を開始出来る感じがしています。

大和富士の音楽は、「日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌」です。

今年7月1日、大和富士のCD2枚全20曲がリリースされて世に出ることにより、聖地である天橋立に「天に架かる光の橋が立つ」ことになり、東洋の日出る神国日本の真の蘇りに向けて、天と地との共同創造が開始されることになります。

とても楽しみですね!
富士の夜明け7 YouTube用切り抜き.jpg


西暦2021年(令和3年)、新年明けましておめでとうございます!

  • 2021年1月 4日 17:37
  • Posted by Yamatofuji

snow-3252673_640.jpg
西暦2021年(令和3年)が幕開け致しました!
新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い致します!

今、地球の新しい時代に向けて、意識変革の大きな風が地球規模で大きく吹いて来ています。
この流れは、今後様々に形を変えて、意識変革の大きな風として世界中に吹いていくことになります。

特に、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、新しい地球の誕生を実現させる為の中心的役割を果たすことになりますので、ある意味において、これからの十数年の間に、世界中のどの国・民族よりも、意識変革の大きな風を受けることになります。

西暦2030年代の半ば頃には、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、次世代の地球の新しい精神文明「花咲く都・黄金文明」が花開き、地球は黄金時代を迎えることになります。

新しい地球の誕生に向けて、意識変革の風を心地良く感じながら、新しい明るい未来に向かって邁進していくことが大切になります。

本年もどうぞよろしくお願い致します!
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
昨年11月に、約10年ぶりに奈良に所用で行くことになったのですが、その後も毎週奈良に所用で行くことになり、時間を取って奈良の聖地を旅することにしました。
その時の様子は、こちらの記事をご参照下さい。
『晩秋の奈良(飛鳥・明日香、桜井、奈良市内)を旅して来ました!』
『奈良の聖地(葛城山・金剛山・生駒山など)を旅して来ました!』

その後、昨年年末までに訪れた奈良の聖地について、記しておきたいと思います。
昨年12月中旬から年末に掛けて訪れた聖地は以下の通りです。
☆ 大神神社と三輪山登拝
☆ 平城京跡、宇奈多理神社、法華寺、海龍王寺、西大寺
☆ 元興寺、秋篠寺

     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
CIMG1045.JPGCIMG1042.JPG       三輪山登拝には摂社狭井神社での申し込みが必要CIMG1044.JPG        三輪山登拝口(ここから先は撮影禁止)
大神神社は、日本で最も古い神社の一つとされており、大物主大神をお祀りしています。
本殿はなく、背後にある聖なる山・三輪山を御神体山として拝む形式をとっており、古代の祭祀様式が取られています。
三輪山登拝は約10年ぶり、3度目の登拝となりました。
今回、約10年ぶりに登拝してみて、やはりこの聖なる山には、特別な何かがあると改めて感じさせられました。


CIMG1022.JPGCIMG1021.JPG和銅3年(710年)、飛鳥に近い藤原京(橿原市)から奈良盆地の北端に新しく造られた都が平城京になります。
784年に長岡京に都が遷るまでの約75年間を奈良時代と言います。
平城京跡は、今回初めてじっくりと全体的に見て回ることが出来ました。
実際に歩いてみると、想像以上にだだっ広く、広大な感じがしました。


CIMG1024.JPG宇奈多理神社は、平城京跡の中の東院の傍の、小さな森の中にあります。
正式には宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)と呼ぶようで、御祭神として高御魂尊(たかみむすびのみこと)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと)が祀られています。
高御魂尊(たかみむすびのみこと)は造化三神の一柱であり、天皇守護の八神である宮中八神にも数えられています。
宇奈多理神社から徒歩数分で法華寺がありますが、宇奈多理神社は元々法華寺の鎮守社でもありました。


CIMG1028.JPG法華寺の歴史は、今から約1300年前、聖武天皇の后・光明皇后の発願によって始まりました。
正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と言い、総国分寺である東大寺に対して、総国分尼寺として、女人成仏の根本道場としての役割を担いました。
御本尊は、十一面観音菩薩であり、十一面観音菩薩立像は国宝に指定されています。


CIMG1030.JPG海龍王寺は、聖武天皇・光明皇后の時代に、遣唐使が無事帰国できるようにとの願いにより、伽藍の整備が行われました。
僧玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇するも『海龍王経』を唱え無事に帰国を果たしたことに因んで寺号が海龍王寺と定められたと言います。
御本尊は、十一面観音菩薩です。


CIMG1033.JPG西大寺の創建は、奈良時代の天平宝宇8年(764年)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願の為に、七尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まります。
御本尊は、釈迦如来です。


CIMG1016.JPG元興寺は、蘇我馬子が飛鳥の地に建設した日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が前身になります。
平城遷都に伴って、新築移転され、元興寺と改められました。
智光曼荼羅が祀られています。

CIMG0973.JPG秋篠寺は、奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。
御本尊は薬師如来像になりますが、作家の堀辰雄が「東洋のミューズ」と称賛した伎芸天像(重要文化財)が有名です。
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
今年も、年明けからまた奈良に行くことになるかも知れませんので、時間を取って聖地に旅することになった時には、またご報告したいと思います。



奈良の聖地(葛城山・金剛山・生駒山など)を旅して来ました!

  • 2020年12月13日 15:25
  • Posted by Yamatofuji

CIMG0979.JPG先月、約10年ぶりに所用で奈良に行ったので、少し時間を取って、奈良の聖地を旅して来ました。
その時の様子は、『晩秋の奈良(飛鳥・明日香、桜井、奈良市内)を旅して来ました!』こちらの記事をご参照下さい。
その後も毎週所用で奈良に行くことが続いており、少し時間を取って、色々と聖地を旅することにしました。

今回は特に、今まで行っていなかった場所を回ることに重点を置くと共に、奈良市内から日帰りで行ける聖なる山をメインにして、その周辺地区の聖地を訪れることにしました。
今回訪れた聖なる山は、葛城山・金剛山・生駒山であり、その周辺地区の聖地になります。

具体的には、以下の聖地を訪れました。
☆葛城山・・・葛城山山頂、葛城天神社、笛吹神社(葛木坐火雷(かつらぎにいますほのいかづち)神社)、鴨山口神社
☆金剛山・・・金剛山山頂、葛城神社、転法輪寺、高天彦神社、高鴨神社、葛城一言主神社、鴨都波神社
☆生駒山・・・生駒山山頂、宝山寺

今回特に良かったのが、葛城山と金剛山の山頂に登拝すると共に、その周辺地域の聖地に参拝できたことです。
葛城山と金剛山は隣り合った山であり、現在はそれぞれ別の名前を持っていますが、昔は二つの山を総称して大和葛城山と呼ばれていたようです。
そして、大和葛城山のあたりは高天とも呼ばれており、葛城山・金剛山の麓の都市は、御所市と呼ばれています。
高天彦神社のある金剛山中腹地域は、地名もずばり「御所市高天」であり、神々の住む高天原の伝承地ともなっています。
何故そうなのかは、今回、葛城山と金剛山の山頂に登拝してみて、大和三山を中心とした飛鳥(明日香)地方との位置関係などから、納得できました。
古代の大和(奈良盆地)にとっての高天原が、大和葛城山(葛城山と金剛山)だったのです。

大和民族・大和心・大和魂など、大和という言葉は、現在では、日本という国の別名ともなっていますが、元々「大和」という言葉は、大和三山を中心とした飛鳥(明日香)地方を含む奈良盆地を意味する言葉であり、狭義における「大和」という言葉は、元々奈良盆地を意味する言葉になります。

古代において、「大和」(奈良盆地)における高天原として位置づけられていたのが、大和葛城山(葛城山と金剛山)ということになります。
このことはまた、日本の原型である阿波の国・徳島ということとも、深く密接に関わってくる話になります。

日本の原型である阿波の国・徳島については、『阿波の国・徳島は日本の原型であったが意図的に封印されて歴史の表舞台から姿を消した』、こちらの過去記事をぜひご参照下さい。
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
CIMG0981.JPG
葛城山山頂から見た大和三山(畝傍山・耳成山・天香久山)の様子です。
葛城山は標高959メートルあり、葛城山ロープウェイで山頂近くまで行くことが出来ます。

CIMG0976.JPG
葛城天神社は、葛城山ロープウェイの山頂駅を降りたすぐ近くにあり、国常立大神が祀られています。

CIMG0985.JPGCIMG0987.JPG
笛吹神社(葛木坐火雷(かつらぎにいますほのいかづち)神社)は、葛城山の麓に位置しており、火の神様と、笛・音楽の神様が祀られています。

CIMG0990.JPG
鴨山口神社は、葛城山の麓にあり、山の神様の総大将とも言える大山祇大神が祀られています。

CIMG1013.JPG
金剛山は標高1125メートルあり、去年までは大阪府側から金剛山ロープウェイで行くことが出来ましたが、ロープウェイの運休により、徒歩でしか登ることが出来ない状況にあります。
奈良県の御所市にある高天彦神社から、通称「郵便道」と呼ばれる登山道がありますが、自然災害により通行止めとなっていました。
ロープウェイもダメ、徒歩でもダメということで、一瞬あきらめたのですが、地元市役所の観光課に問い合わせたところ、ちょうど登山道が復旧したとのことで、何とか徒歩で登拝することができました。
高天彦神社からの往復で数時間掛かりますので、奈良市内からは、丸一日の行程となりました。

CIMG1010.JPG
葛城神社は、葛城山山頂にあり、葛城山の最高地点は、葛城神社の奥地にあり、聖域の為立ち入り禁止となっています。
ご祭神は、麓の葛城一言主神社と同じであり、一言主大神になります。

CIMG1012.JPG
転法輪寺は、金剛山山頂付近にあり、修験道の開祖、役小角(役行者神変大菩薩)が厳しい修行中に法起菩薩を感得されたことにより、建立されました。

CIMG1008.JPGCIMG1006.JPG
高天彦神社は、金剛山に登る登山道「郵便道」の開始地点にあります。
本殿はなく、背後にある白雲山をご神体として仰ぐ形になっており、三輪山をご神体山とする大神神社と同じような古代の形式をとっています。
ご祭神は造化三神の一柱である高皇産霊(たかみむずび)大神であり、高皇産霊(たかみむずび)大神は、天皇守護の八神である宮中八神にも数えられています。

CIMG0992.JPGCIMG0996.JPG
高鴨神社は、金剛山の麓にあり、古代豪族である鴨氏が発祥地に守護神を祀ったことに始まります。
京都の上賀茂神社や下賀茂神社を始め、鴨(賀茂・加茂)社の総本宮とされています。

CIMG0997.JPGCIMG0998.JPG
葛城一言主神社は、金剛山の麓にあり、金剛山山頂の葛城神社と同様に、一言主大神が祀られています。
一言主大神は「いちごんさん」で知られ、一言の願いなら何でも叶えてくれる神として信仰されています。

CIMG1002.JPG
鴨都波神社は、御所駅から歩いて数分の所にあり、高鴨神社に対して下社とも呼ばれていたようです。
また、大神神社の別院とも言われていたようであり、これは、ご祭神が積羽八重事代主大神であり、大神神社のご祭神である大物主の御子神にあたることと関係しているようです。
積羽八重事代主大神は、高天彦神社のご祭神である高皇産霊(たかみむずび)大神と同様に、天皇守護の八神である宮中八神にも数えられています。

CIMG0965.JPGCIMG0968.JPG
生駒山は、かつては白水山と呼ばれていたようであり、現在は、生駒山ケーブルカーで山頂まで行くことができます。
生駒山の中腹に、霊場である宝山寺があります。
役行者や弘法大師空海が修行したという大岩壁「般若窟」を背にして建っており、大聖歓喜天が祀られていることから「生駒の聖天さん」としても知られています。
     ・
     ・
     ・
     ・
CIMG0993.JPG     
今回、幸運だったのが、直前になって通行止めだった金剛山への登山道「郵便道」が通行可能になり、金剛山に登拝出来たことです。
お隣の葛城山と両方の聖山に登拝することが出来、古代において大和葛城山として総称されていた二つの聖なる山(葛城山・金剛山)に登拝出来たのは、とても良かったと思います。

また、今回初めて、鴨氏のルーツに触れることが出来たことも良かったと思います。
古代豪族である鴨一族は、天皇家である大和朝廷とも深い関係があったとされており、今回、高鴨神社を中心とする鴨一族のルーツに触れられたことは、とても良かったと思います。
高鴨神社には、古代から連綿と続いて来た、凛としたご神気のような雰囲気が漂っており、とても感慨深いものがありました。

皆さんもぜひ、機会があれば、大和葛城の聖地を訪れてみることをお勧め致します!



能登の山岳信仰の霊場、石動山(せきどうさん)に登拝して来ました!

  • 2020年8月28日 16:28
  • Posted by Yamatofuji

CIMG0560.JPG      石動山の最高地点 大御前(標高564メートル)


能登の山岳信仰の霊場である石動山(せきどうさん・いするぎさん)に登拝して来ました!

能登の山岳信仰の霊場である石動山は、石川県中能登町の東方に連なる標高564メートルの霊山です。
日本三霊山・白山を開いた泰澄大師によって、石動山が開かれたとも言われており、泰澄大師の命日とされる7月7日の七夕の日に、一年の健康と安全を祈願して、石動山開山祭の神事が行われています。

石動山は、石川県と富山県の両方にまたがる霊山であり、石川・富山の両方から行くことが出来ます。
今回、私は、富山県氷見市の温泉に泊まって、富山県側からのルートで石動山に登拝して来ました。

CIMG0563.JPG   石動山をお守りされている伊須流岐比古(いするぎひこ)神社

石動山をお守りされているのが、伊須流岐比古(いするぎひこ)神社です。
伊須流岐比古(いするぎひこ)神社の境内には、「動宇石」という神聖な石があり、石動山の名前の由来になったとされています。
昔、天より「動宇石」が落下して、全山が振動したことに由来するようです。


CIMG0565.JPG   伊須流岐比古(いするぎひこ)神社の境内にある「動宇石」


石動山の言い伝えによれば、伊須流岐比古(いするぎひこ)神社の境内にある大石「動宇石」は、異変がある時、動くとも伝えられているようです。

そのことは、十数年前から知っており、いつか時が来れば、石動山に登拝することにもなるだろうとは思っていたのですが、それっきり、石動山のことは意識することなくきたのですが、今回思いがけず、石動山に登拝することになりました。

「神々の御座(おわ)す石動山」と言われるだけあって、能登の山岳信仰の霊場である石動山は、かなりすごい霊山だと感じました。



出雲大社の意味は、神々を治める事ー国の治めの基本は、出雲から

  • 2013年11月17日 12:59
  • Posted by Yamatofuji

 出雲大社の神在祭が、今、行われています。

 旧暦の10月は、神無月と言いますが、出雲では、神在月と呼ばれます。
 全国の八百万神々が、出雲大社の大国主(オオクニヌシ)大神の元に集い、「神議(かみはかり)」の会議をするとも言われています。

 大国主大神は、大いなる力に支えられて、全ての国々を治め、これで国が治まります。
 国の治めの基本は、出雲から始まります。

 出雲大社の意味は、神々を治める事であり、神々を統率するという意味があります。

 伊勢神宮は、表の神界の表の働きであり、出雲大社は、表の神界の裏の働きになります。

 裏の結びは出雲で行われ、やがて表に現れて来ます。

 今年2013年(平成25年)は、表の神界の表の働きである、伊勢神宮の式年遷宮と、表の神界の裏の働きである、出雲大社の平成の大遷宮(60年ぶり)が重なる年であり、日本にとって、節目の年を迎えています。

 伊勢神宮の式年遷宮と、出雲大社の平成の大遷宮は、先日、無事執り行われました。

 そして、伊勢神宮の神嘗祭も先月執り行われ、出雲大社の神在祭も、明後日19日をもって終了致します。

 19日の神在祭の終了をもって、神界の一つの大きな開きが無事終了する事となります。

 裏の結びは出雲で行われ、やがて表に現れて来ます。

 今年行われた、神界の大きな開きは、来年2014年(平成26年)以降、表(現象界)に現れて来る事でしょう。

 そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる、2033年頃までの20年前後の歳月に亘って、現象界を大きく動かして行く事でしょう。

 今ある物質文明は、いずれ崩壊し、西暦2030年代、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が花開く時を迎えます。

 これからの20年前後は、有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面であり、今、私達は、稀有の時代を生きているのです。

 伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる、2033年前後には、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が日本から花開き、日本は、地球・世界の中心となります。

 その時、今からは想像だに無い、新たな地球が誕生している事でしょう。

裏の結び、心の結びが、出雲で表されている

  • 2013年11月 3日 21:15
  • Posted by Yamatofuji

 伊勢神宮と並んで、日本を代表する神社が、出雲大社になります。
 表の伊勢に対して、出雲は裏の働きになり、裏の結びが出雲で表されています。

 裏の結びは出雲で行われ、やがて表に現れて来ます。

 裏とは心であり、心の結びが出雲で表されていますので、心の内を見ない事には、出雲の働きは分からないという事になります。

 内なる心が治まり、やがて晴れ晴れとした日本晴れのような心になり、明るく元気に生きられるようになるのです。

 結びとはそういうものであり、心の結び、裏の結びが、出雲で表されています。

日本三霊山、立山について

  • 2013年10月15日 21:28
  • Posted by Yamatofuji

 日本三霊山の一つ、富山県にある立山で、一昨日の10月13日、初冠雪が記録されました。

 立山は、十数メートルから二十メートル位の雪が降り積もる、世界有数の豪雪地帯であり、日本には無いとされていた氷河が、近年になって確認された事でも知られています。

 以前、「日本三霊山(富士山、立山、白山)」の中にも書きましたが、立山は男性性を象徴し、白山は女性性を象徴し、富士山は、二元性(男性性と女性性)が統合された姿を象徴しています。

 日本三霊山で、男性性、女性性、二元性(男性性と女性性)が統合された姿を、象徴しています。

 男性性を象徴している立山が、世界有数の豪雪地帯にあり、日本には無いとされていた氷河を有している事は、立山が持つ働きと無縁ではありません。

 標高四千メートル以上の場所にしか、通常は無いとされている氷河が、標高三千メートル位の立山に存在しており、立山が世界有数の豪雪地帯であるという事は、それだけ峻厳な、厳しい環境の中にそびえ立っている霊山であるという事であり、立山が持つ、男性的な働きを象徴しています。

 立山という名前そのものが、男性的な名前であり、立山の雄山山頂にある峰本社の御祭神も、伊邪那岐命(イサナギノミコト)と天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)という、古事記の中で勇敢な働きをされる男性神です。

 そして、立山をお守りされている雄山神社の名前にも、男性を表す「雄」という文字が付けられています。

 立山の山容も、男性的な姿をしており、白山の女性的ななだらかな山容とは、対象的です。
 そして、富士山は、二元性(男性性と女性性)が統合された、雄大で美しい雄姿をしています。

 日本三霊山の一つ、立山は、峻厳な厳しい環境の中でも、「雄々しくそびえ立つ」男性的な働きを象徴して、雄大にそびえ立っています。

 三千メートル級の山を海岸から直接見られる光景というのは珍しいらしく、氷見から望む海越しの立山連峰を、世界遺産に登録しようという動きも始まっているようです。

金刀比羅宮について

  • 2013年10月12日 21:59
  • Posted by Yamatofuji

  香川県の琴平町に鎮座する、金刀比羅宮(コトヒラグウ)は、全国にある神社の中でも、一種独特の趣がある神社かも知れません。

 御祭神は、大物主(オオモノヌシ)、崇徳天皇です。
 大物主とは、大国主(オオクニヌシ)の和魂(ニギミタマ)です。

 奈良の三輪山にある大神(オオミワ)神社でも、大物主が祀られています。

 金刀比羅宮は、渡来人である秦氏によって創建されたとも言われています。

 金刀比羅宮の「コトヒラ」は、「事開(コトヒラ)」に通じています。
 「事(コト)を開(ヒラ)く」事に通じています。
 新しい事の始まりに通じています。

 何か新しい事を始める時には、金刀比羅宮に参拝してみるのも良いかも知れません。
 785段もある、あの長い石段を、一歩一歩昇りながら、自分自身の内面と向き合ってみるのも良いかも知れません。

 そして、金刀比羅宮の「コト」は、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)の「事」にも通じています。
 大国主の御子神であり、恵比寿様としても知られる、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)の「事」にも通じています。

 そして、金刀比羅宮の「コト」は、金刀比羅宮が鎮座する琴平山(象頭山)の「琴」にも通じているとともに、琴座(リラ)にも通じています。

 プレアデス(スバル)、シリウス、オリオンなど、地球と関係が深い星がいくつかありますが、ベガ(七夕の織姫星)を主星とする琴座も、地球と縁が深い星の一つです。

 古事記の正式な呼び方は「フルコトブミ」だという説がありますが、そこにも通じています。
 そして、その場合には、「九十(コト)」というのが、本来の言葉になり、やはり、琴座にも通じています。

 「こんぴらさん」の愛称で親しまれている、金刀比羅宮には、かなり奥深いものがあるようです。

伊邪那岐命の三貴子(天照大御神、月読命、須佐之男命)

  • 2013年10月 3日 18:39
  • Posted by Yamatofuji

 伊勢神宮には、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)がありますが、内宮と外宮ともに、境外別宮として、月読宮(外宮では月夜見宮)を持っています。

 それぞれの月読宮・月夜見宮は、内宮・外宮ともに、歩いても行ける距離の、少し離れた場所に、かなり広い敷地を伴って祀られています。

 月読命(ツキヨミノミコト)を本格的に祀っている神社は、全国でもそれ程多くはないかと思いますが、日本を代表する神社である伊勢神宮において、内宮・外宮ともに、それぞれ、かなり広大な敷地を用いて月読命をきちんと祀っている事に、私は、とても奥深いものを感じます。

 内宮(皇大神宮)で祀られている御祭神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。
 天照大御神は、古事記の中で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が禊払いの後、左目を洗った時に生まれた神とされています。

 そして、右目を洗った時に生まれた神が、月読命です。
 そして、鼻を洗った時に生まれた神が、須佐之男命(スサノオノミコト)です。

 天照大御神、月読命、須佐之男命は、三貴子と呼ばれています。

 天照大御神は、有名な天岩戸開きの場面、そして、須佐之男命も、有名な八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治の場面などで、古事記の中でも大活躍されて有名ですが、月読命だけは、何故か、古事記の中でも、その後ほとんど登場しません。

 しかし、天照大御神は左目から、月読命は右目から誕生したと書かれている通り、天照大御神と月読命は対の関係です。

 太陽と月があるように、一日に昼と夜があるように、光と闇があるように、天照大御神と月読命は対の関係なのです。

 そして、天照大御神と月読命の働きを統合した働きが、須佐之男命になります。

 須佐之男命は、伊邪那岐命の鼻から誕生したと、古事記に書かれています。
 鼻は、顔の中心にあります。顔の中心にあるのが、鼻なのです。
 須佐之男命が、天照大御神と月読命の働きを統合した中心の働きである事は、鼻から生まれたという表現で、型としても出されています。

 そして、須佐之男命が、天照大御神と月読命の働きを統合した中心の働き、本来の働きをする時の御神名は、古事記に書かれている通り、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)となります。
 またの名を、カムスサナルノオオカミとも言います。

 日本を代表する神社である伊勢神宮において、内宮・外宮ともに、それぞれ少し離れた場所に広大な敷地を用意して、別宮として月読宮・月夜見宮を持ち、月読命をきちんと祀っている事には、とても奥深いものがあるように感じます。

 伊勢神宮に参拝される時には、ぜひ、月読宮・月夜見宮にも参拝されると良いかと思います。

諏訪湖の御神渡り(おみわたり)、諏訪大社と古代イスラエル

  • 2013年1月23日 20:55
  • Posted by Yamatofuji

昨日の1月22日、諏訪湖で、御神渡り(おみわたり)が発生したとの事です。

これは、冬季、前面氷結した諏訪湖に氷の山脈が出来る珍しい現象で、諏訪七不思議の一つとされています。

御神渡りを通って、諏訪大社上社の男性神・建御名方(タケミナカタ)大神が、下社の女性神・八坂刀売(ヤサカトメ)大神の元へ通った恋の道とも言われています。

御神渡りが本格的に発生するのは、本州では、諏訪湖だけとの事です。

諏訪湖というのは、日本のへそと呼ばれる事もありますが、日本列島の、一つの要の場所ともなっています。
これは、諏訪湖が位置する、特異な地場エネルギーとも密接なつながりがあります。
諏訪湖は、中央構造線と、フォッサマグナの西辺である糸魚川静岡構造線という、二つの大断層線が交差する場所に位置しており、とても強力なエネルギーが秘められている場所だとも言えます。

そして、諏訪湖を囲むようにして、上社前宮・本宮、下社春宮・秋宮と、四社から成っているのが、諏訪大社です。

そして、諏訪大社は、古代ユダヤと密接な関係があります。

諏訪大社の御神体山は、「モリヤ(守屋)山」であり、旧約聖書「創世記」に出てくる「モリヤ山」と同じ名前であり、諏訪大社の「御頭祭」は、「創世記」のイサク伝承と瓜二つです。
そして、「御頭祭」は、代々「モリヤ(守矢)家」が祭主として行ってきたとの事です。

また、天下の奇祭として有名な、諏訪大社の御柱祭も、古代イスラエルがルーツのようです。

相撲のルーツは、古代イスラエルにあるとも言われていますが、上社・本宮には相撲の土俵があり、感慨深いものがあります。

相撲のルーツは、旧約聖書「創世記」の中で、イスラエルの祖であるヤコブが、天使と相撲を取った事に由来するようです。
相撲という言葉も、ヘブライ語の「SheMo(シュモー)」から来ているようで、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉でもあるようです。

「ハッケヨイ!」という言葉も、「投げつけよ、やっつけよ」という意味のヘブライ語のようです。

諏訪大社は、古代ユダヤと密接な関係があります。

「神武三千年の神計り」が開く時、諏訪大社に秘められていた封印が開かれる事になります。


白濱神社(伊古奈比咩命神社)、石廊崎、石室神社、役行者

  • 2011年4月 9日 22:51
  • Posted by Yamatofuji

本日、ふと思うところがあり、伊豆半島を海沿いに、車で一周してきました。

単に伊豆半島を一周するだけではなく、伊豆半島における、重要な聖地とも言える、白濱神社(伊古奈比咩命神社)、そして、伊豆半島最南端の石廊崎にある、石室神社に参拝するのが主な目的ですが、単に参拝するだけではなく、海沿いに伊豆半島を一周した方が良いようなので、初めて海沿いのルートで伊豆半島を丸一日かけて一周してきました。

その理由については、いつか機会があれば、書いてみたいと思います。

まず最初に、白濱神社(伊古奈比咩命神社)に参拝しました。
白濱神社は、伊豆ノ国最古の宮とされている古式ゆかしい神社であり、三嶋大神の最愛の后神である、伊古奈比咩命(イコナヒメノミコト)が主祭神です。
三嶋大社と御縁の深い神社であり、相殿には、三嶋大明神(事代主命)が祀られています。

白濱神社に参拝している時は、朝からの雨がかなり激しくなっていましたが、水が全てを洗い流して清めてくれるような感じがして、かえって清々しいような気分になりました。
白濱神社には、珍しく、聖徳太子も祀られています。
小さな境内摂社で、聖徳太子命神社という形で祀られているのが、うれしく感じます。

白濱神社の隣は、文字どおり、白い砂浜が広がっており、少し離れた所には、竜宮島という名前の小さな島があり、陸地からも歩いて行く事が出来ます。

白濱神社と、隣に広がる白い砂浜、そして、少し離れた所にある竜宮島は、古事記に出て来る、豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)の出産の場面の一つの型示しの場所のような感じもします。
以前書きましたが、「白」とは、「99」という意味があり、「一厘の仕組み」、「最後の一厘」における、九分九厘を意味する言葉でもあります。

「一厘の仕組み」により御魂が出産するのですが、御魂の出産は二度あり、一度目の出産は、火の働きにより、仮の出産をします。
古事記においては、木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)が産殿(うぶや)に火を放ち、その中で出産した事で表されています。

二度目の出産は、豊玉比売命の出産として描かれています。
水の働きにより、海中(水の神界)から、海辺(マコトの神界)へ上がり、出産をする事になります。
豊玉比売命の出産により、男性原理である、鵜萱草萱合不命(ウガヤフキアエズノミコト)が誕生する事になります。

白濱神社の次に向かったのは、伊豆半島最南端の石廊崎であり、ここには、石室神社があります。
石室神社の目と鼻の先には、熊野神社があり、石室神社と一つと考えられています。

石室神社には、秦の始皇帝五世の孫と言われ、日本に帰化した弓月君(ゆづきのきみ)が、物忌奈之命(モノイミナノミコト)と称されて祀られており、それを祀ったのが、子孫である秦氏だと言われているようです。

石廊崎は、役行者とも縁の深い場所であり、石室神社の参道入口には、大きな役行者(神変大菩薩)像が建てられています。
役行者は、大和国葛木の出身であり、賀茂氏の出身だと言われており、賀茂氏と秦氏は親戚関係とも言われていますので、役行者も秦氏の流れを汲む者なのかも知れません。

石廊崎は、断崖絶壁にある為、雨に加えて、風もかなり激しく吹いていましたが、石廊崎を後にして、西伊豆を海岸沿いにドライブしているうちに、突然、雨も強風も治まり、明るい太陽が輝いてきて、春らしい、爽やかな陽気になりました。
ちょうど、伊豆半島は、桜が満開でピークを迎えた頃なので、明るい春の太陽と、満開の桜を楽しみながら、伊豆半島一周の旅を終える事が出来ました。

五十鈴(いすず)について

  • 2010年12月15日 17:47
  • Posted by Yamatofuji

本日、思いがけず、五十鈴(いすず)という言葉が、目や耳から相次いで飛び込んで来たので、五十鈴(いすず)について、思いつくままに書いてみたいと思います。

五十鈴と言えば、奈良県の天河神社(天河大弁財天社)に古来より伝わる独自の神器として有名です。

天河神社(天河大弁才天社)のホームページによると、この五十鈴は、天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が、ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝えられているとの事です。

この五十鈴の特徴的な三つの球形の鈴は、それぞれ、「いくむすび」、「たるむすび」、「たまめむすび」という、魂の進化にとって重要な三つの魂の状態(みむすびの精神)をあらわしているとの事です。

そして、この五十鈴の清流のような妙なる音の響きによって、心身は深く清められ、魂が調和し本来あるべき状態に戻り、新たな活力が湧いてくるとの事です。

天河神社は、芸術・芸能関係者に縁の深い神社として有名ですが、この五十鈴は、芸能技芸練達の器教とされているとの事です。
天河神社の御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)こと弁財天ですが、弁財天は、別名「妙音天」とも呼ばれているようです。

五十鈴という言葉で想い出すのは、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の御手洗場を流れる五十鈴川の事です。
五十鈴川に架かる宇治橋は、聖俗界を分ける境界だとも言われています。
ちなみに、この五十鈴川から、いすゞ自動車の社名が付けられたとの事です。

五十鈴という言葉でもう一つ想い出すのは、初代天皇・神武天皇の皇后である、媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)の事です。
飛鳥(明日香)の橿原神宮には、初代天皇である神武天皇と、皇后である媛蹈鞴五十鈴媛が御祭神として祀られています。

以上、五十鈴という言葉から思い付く事を、取りとめも無く書いてみましたが、この五十鈴(いすず)という言葉には、とても深い意味と言霊(ことだま)が秘められているような感じがします。

霊(ひ)の元・日本の天岩戸開き、富士は晴れたり日本晴れ、真の大和の国の国創りの時、天から鳴り響いて来る妙なる音、それが五十鈴(いすず)なのかも知れません。

出雲大社、神在祭

  • 2010年11月16日 20:29
  • Posted by Yamatofuji

本日11月16日から、出雲大社において、神在祭が始まります。
陰暦10月10日にあたる昨夜15日、記紀神話における国譲りの舞台となった、稲佐の浜にて神迎祭が執り行われました。

旧暦の10月は、神無月と言いますが、出雲においては、神在月と呼びます。
全国から八百万神々が出雲大社に集い、会議をすると言われています。

表の伊勢神宮と並んで、裏の出雲大社は、最も重要な働きを担っている御社であると考えられます。
出雲大社の御祭神である大国主大神は、全ての国々を治め、大いなる力に支えられ、国を治められます。
これで国が治まります。
国の治めの基本は出雲から始まります。
出雲大社の意味は神々を治める九十(こと)であり、神々の統率の意味があります。

伊勢神宮と出雲大社という、最も重要な働きを担う御社の式年遷宮が、奇しくも2013年に重なります。
2013年という年は、霊(ひ)ノ元・日本にとって、おそらく、歴史的大転換期になると思われます。

出雲大社、神迎祭

  • 2010年11月15日 20:20
  • Posted by Yamatofuji

本日11月15日は、旧暦10月10日にあたります。
十は、神を表しますから、神が重なる目出度き日でもあります。
今夜は、明日からの、神在祭を前に、出雲大社では、神迎祭が、稲佐の浜にて執り行われます。
稲佐の浜は、記紀神話において、国譲りが行われた場所とされています。

私も、数年前に、神迎祭に参加させて頂いた事がありますが、何とも言えない雰囲気がありました。
稲佐の浜は、神迎祭が執り行われるのにピッタリの、独特の感じがあります。

表の伊勢神宮と並んで、裏の出雲大社は、最も大きな働きを担っておられる御社であると思われます。
旧暦の十月は、神無月と言いますが、出雲では、神在月と言います。
全国から、八百万神々が出雲に集うと言われています。
出雲大社の意味は、神々を治める事であり、神々の統率の意味があります。

伊豆國霊社・来宮神社

  • 2010年11月10日 19:06
  • Posted by Yamatofuji

私がよく訪れる神社が、熱海にある、伊豆國霊社・来宮神社です。
「だいこくさん」として知られていますが、御祭神は、大己貴命こと大黒様、五十猛命、日本武命です。

ここの御神木は、樹齢二千年の大楠です。
国の天然記念物に指定されており、全国二位の巨樹とも言われています。
江戸末期までは、「木宮明神」と呼ばれていたようで、「木」に宿る神々をお祀りする神社として崇敬を集めていたようです。

本殿にご挨拶してから、その奥にある御神木の所に行き、しばらくそこの空間に佇んでいると、いつも不思議な静けさと安らぎを感じます。
「木」に宿る「気」が、波動として周囲の空間に満ち満ちているような感じがします。
最近、パワースポットとして、来宮神社も人気が高いようです。

来宮神社は、いつ行っても、清々しい感じがする空間です。
樹齢二千年の大楠の近くのベンチに腰掛けて、晴れた天気の良い日に、しばし風に吹かれていると、何とも言えず、いい感じがします。

伊勢神宮・神嘗祭(かんなめさい)

  • 2010年10月15日 20:34
  • Posted by Yamatofuji

本日・10月15日は、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)の初日です。旧暦では9月8日にあたります。
本日10月15日から17日までの三日間、神嘗祭が執り行われます。
神嘗祭とは、その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げる、最も由緒深い祭りとされています。
皇室のご繁栄と国家の安泰、五穀の豊穣、国民の平安を祈願して、伊勢神宮とともに、皇居の宮中三殿でも儀式が執り行われます。
戦前は、国の祝日となっていたようです。

私は、一昨年の神嘗祭に参加させて頂いた事があります。
伊勢神宮は、いつ行っても、日本という国に生まれて来たありがたさをしみじみと想いださせてくれる所だと感じますが、この時も、さわやかな秋晴れの下、神嘗祭で賑わう伊勢神宮の空間の中にいると、日本人に生まれて来て本当によかったというありがたさを改めて味わう事が出来ました。

20年に一度の式年遷宮は、実は大規模な神嘗祭だとも言われているようです。
伊勢神宮のような神聖な空間があり、そして、20年に一度の式年遷宮が長い年月に亘って続けられ守られて来ているというのは、驚嘆すべき事なのかも知れません。
大和の国・日本というのは、本当に美(うるは)しい国なのだと感じます。

私達は今、日本人・大和民族としてのアイデンティティーを蘇らせるべき時を迎えているようです。
なぜなら、資本主義に象徴される物質文明が間もなく終わりを告げた後、次に来る霊性の幕開けの時代をリードするのは、私達日本人だからです。
近い将来、日本は霊性の大国として、世界中から賞賛される時を迎える事でしょう。

その時には、日本の文化は、世界中から賞賛されるようになるでしょう。
伊勢神宮に代表されるような神社・仏閣の聖地なども、世界中から注目されるようになる筈です。

日本神道の最高の聖地である伊勢神宮における、最も由緒深い祭りである神嘗祭などは、最も美しいセレモニーの一つとして、世界中から賞賛される時を迎える事でしょう。

箱根神社、元宮、九頭龍神社、箱根は箱舟?

  • 2010年10月14日 18:15
  • Posted by Yamatofuji

本日、箱根に行って来ました。
6月13日の、箱根芦ノ湖・九頭龍神社例大祭以来、約4ヶ月ぶりになります。

箱根に行く途中、十国峠(日金山)にある日金山東光寺に寄って行きました。
ここは、伊豆山神社の御神霊が最初に祀られていた所であり、その後、今の伊豆山神社本宮のある場所に移され、それから、現在の伊豆山神社が建立されたということです。
日金山東光寺には、延命地蔵菩薩が祀られています。

箱根は、私が大好きな場所であり、いつ行っても、心が癒される空間です。
箱根の空間の中にいると、他の場所では味わえないような、ある種独特の静けさ、心の平安・安らぎのようなものを感じます。
箱根という空間は、私にとって、特別にご縁が深いと感じます。
神社に参拝したりするようになったのも、十数年前、思いがけず、箱根芦ノ湖の九頭龍神社に導かれるようにして行く事になったのが最初でした。
それ以来、箱根とのご縁は、ずっと続いています。

まず箱根神社に参拝し、その後、駒ヶ岳山頂にある箱根神社元宮に、そして最後に、芦ノ湖・湖畔にある九頭龍神社に参拝しました。
九頭龍神社の近くには、白龍神社という小さなお社もあります。
芦ノ湖・湖畔の九頭龍神社の空間の中で、湖面の波の音や木々のざわめきなどを聞いていると、とても神妙なものをいつも感じます。
九頭龍大神は、芦ノ湖ではなく、九頭龍神社の背後に聳える箱根第一の高峰、神山に鎮座されているとも言われています。

九頭龍神社参拝後、温泉に入ってきました。
芦ノ湖・湖畔には、「龍宮殿」という大きな高級旅館が聳え立っています。
その中にある蛸川温泉という湯に日帰り入浴が出来るので、本日初めて入浴してきました。殿方の湯には「明神」、ご婦人の湯には「明星」という名前が付けられていました。

ところで、箱根(ハコネ)という言葉は、箱舟(ハコブネ)という言葉とよく似ています。
私も箱根という言葉を思い浮かべると、よく箱舟という言葉がほとんど同時にイメージされたりします。
箱舟とはもちろん、旧約聖書に出て来る、「ノアの箱舟」の事です。

箱根と、「ノアの箱舟」とは、何となくイメージが重なる要素があるようです。
芦ノ湖遊覧船の発着場の一つには、「ノア」という名前が付けられています。
また、箱根の森高原教会は、「ノアの箱舟」をイメージしたユニークな創りになっているとの事です。

「ノアの箱舟」とは、英語で、「Noa'Ark」と書くそうです。
Arkとは、「失われたアーク」とも呼ばれている、古代イスラエルの「契約の箱(柩)」と同じ言葉です。
モーゼの十戒の石板などが納められた、ユダヤの至宝である「失われた契約の箱(柩)」は日本に運ばれたとも言われています。

そして、日本語の話し言葉は、古代ヘブライ語がベースになっており、書き言葉の方は、仏教の伝来の影響で、漢字を導入したとも言われています。
だとすると、ハコネ(箱根)とハコブネ(箱舟)とは、古代において、何かつながりがある言葉なのかも知れません。

また、標高約700メートルの山深い所にある芦ノ湖・湖畔に聳え立つ大きな高級旅館の名前が「龍宮殿」というのも一見意外な感じがします。
しかし、箱根神社の御祭神は、天孫ニニギノミコトとそのお后であるコノハナノサクヤヒメ、そして、二人の間に生まれたヒコホホデミノミコトの三柱の神であり、ヒコホホデミノミコトこそが、「古事記」の中で、「山幸彦」として「龍宮城」に行った神様なのです。
ですから、山深い芦ノ湖・湖畔に「龍宮殿」という大きな高級旅館が聳え立っているのも、一見意外ではあるのですが、また一面においては、似合っている感じもします。

昔から箱根は、「箱根の山は天下の険」と謳われた山深い所なのですが、「ノアの箱舟」といい、「龍宮城」といい、何故か海との関係をイメージさせる、不思議な空間とも言えそうです。

毘沙門天、聖徳太子、信貴山、寅

  • 2010年10月 1日 20:42
  • Posted by Yamatofuji

日本で最初に毘沙門天が御出現されたのは、寅の年・寅の日・寅の刻に、信貴山にて聖徳太子の元に御出現されたと伝えられています。

物部守屋討伐の為に聖徳太子が戦勝祈願したところ、毘沙門天が御出現され、勝利の秘宝を授けたと伝えられています。
その場所が、信貴山であり、「信ずべき貴ぶべき山」というところから、信貴山と名付けられたと言われています。

毘沙門天の総本山とされる信貴山朝護孫子寺では、寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が御出現されたことに因んで、寅年には、12年に一度の奥秘仏御開帳が行われます。
今年平成22年(2010年)は寅年であり、奥秘仏御開帳が特別の期間だけ行われていました。

私は、2月1日に信貴山朝護孫子寺に参拝し、奥秘仏を拝見させていただきました。
奥秘仏と対面していると、深い静けさと、懐かしさのようなものを感じました。

信貴山朝護孫子寺には昨年初めて参拝したのですが、朝護孫子寺の本堂から下を見渡した時、とても懐かしいような、うれしい気持ちになりました。
私にとって、信貴山はご縁が深い場所のような気がします。

2月1日には、奥秘仏御開帳の時だけの特別のお札もいただく事が出来ました。
それから、山頂に登ったのですが、丁度、山頂の空鉢護法に着いた時、折からの雨が雪になり、あたり一面が見る見る銀世界に変わっていく様子が、とても美しく感じられました。

寅年の今年は、平城遷都1300年祭とも重なっており、信貴山朝護孫子寺は、「四神・白虎」をキーワードに、平城遷都1300年祭のオープニングを飾りました。

今年の奥秘仏御開帳は終わりましたが、平年は正月十日間と7月3日の大祭期間限りの秘仏御開帳が、本日10月1日から11月3日まで行われています。

私は、毘沙門天が、寅の年・寅の日・寅の刻、聖徳太子の元へ日本で最初に御出現され、その場所は信貴山であった、という話が、とても気に入っています。


山宮浅間神社御鎮座1900年祭

  • 2010年9月19日 20:13
  • Posted by Yamatofuji

山宮浅間神社は、全国1300余社と言われる浅間神社の総本宮、富士山本宮浅間大社の元宮にあたります。
本日、平成22年9月19日(日)、山宮浅間神社御鎮座1900年祭が開かれたとのことで、奉祝祭として、舞楽・神楽・雅楽が奉納されたようです。

山宮浅間神社は、本殿を設けず遥拝所から富士山を仰ぐ、最も古い形の祭祀を今に伝える貴重な史跡でもあるようです。
古代の祭祀場である遥拝所からは、かなり間近に富士山を仰ぎ見ることができます。
1900年もの長きに亘って人々が霊峰富士を信仰してきたこの神聖な空間に立つと、仰ぎ見る霊峰富士の雄姿は、また一際感慨深いものがあります。

私は、本日の御鎮座1900年祭には行けなかったのですが、今年平成22年7月1日の富士山開きの日の御来光を富士山頂で仰ぎ見てから、下山後、村山浅間神社、山宮浅間神社、そして最後に、富士山本宮浅間大社に参拝して来ました。

山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社から数キロメートル程、富士山方面に行った所にあります。
富士山本宮浅間大社に参拝される際、お車で行かれる方は、元宮である山宮浅間神社にも参拝されることをお奨め致します。

富士と飛鳥(明日香)

  • 2010年9月14日 20:47
  • Posted by Yamatofuji

日本の象徴・霊峰富士と、飛鳥明日香)とは、深いつながりがあります。
霊的に深く結ばれていると言ってもいいのかも知れません。

飛鳥(明日香)のシンボルとも言える、石舞台の近くに、「日本の飛鳥から世界の飛鳥へ」という世界遺産登録を目指したキャッチフレーズが掲げてあるのを、旅の途中で目にしたことがあります。

もちろんこれは、あくまでも観光地としての飛鳥のことなのですが、実は、飛鳥(明日香)という空間には、「日本の飛鳥(明日香)から世界の飛鳥(明日香)へ」と言ってもいいような、深い霊的な意味での役割のようなものがあります。

富士の夜明け、日本の夜明け、地球・世界の夜明けを迎える上で、飛鳥(明日香)という空間にある働きが、必要になります。

「あすか」とは、飛鳥とも、明日香とも書きます。
明日の香りに向って飛ぶ鳥、それが、飛鳥(明日香)なのかも知れません。

飛鳥(明日香)という空間は今、長い年月の眠りから目覚め、封印が解かれて、その本来の役割を果たす時を迎えているのかも知れません。

飛鳥(明日香)とは、21世紀に人類の意識が飛躍的進化を遂げ、新たな黄金文明を迎える時、その中心的役割を果たす日本人の霊性が蘇り、花開く時に現れて来る、聖なる空間のことです。

そのあたりのことを、CD「富士は晴れたり日本晴れ」収録の「聖なる飛鳥(明日香)」という曲の中で歌っています。
ぜひ聴いてみていただけると幸いです。

安芸の宮島、厳島神社、広島

  • 2010年9月13日 20:37
  • Posted by Yamatofuji

猛烈に暑かった夏も終わり、先日の台風を境に、めっきり秋らしくなって来ました。
いよいよ秋到来、といったところでしょうか。

本日、広島にある、安芸(あき)の宮島のこと、そして、厳島神社のことが、ふと脳裏をよぎりました。

世界遺産の厳島神社がある、宮島は、安芸(あき)の宮島と呼ばれており、季節の秋と同じ言霊(ことだま)を持っています。
文字は後から付けられたものであり、言霊のほうが先にありますので、宮島という所は、季節の秋と何か関係があるように思われます。

宮島名物と言えば、「もみじ饅頭」が有名です。何気ないようですが、ああいうところにも、宮島と季節の秋の関係性のようなものが、表されていると思います。

そして、秋という言葉から連想されるのは、実り、とか、収穫、というようなイメージかも知れません。
宮島、厳島神社、そして、広島という所は、何かそういう役割を持った所なのかも知れません。

広島と言えば、人類史において、初めて原爆が投下された所です。
そして、そういう場所だからこそ、平和の尊さを訴え、世界平和を推進して行く、一つの中心地にもなりうるのかも知れません。

そして、厳島神社と言えば、平清盛を始め、平家一門が篤く崇敬した神社です。
一方、平家を滅ぼした源氏が篤く崇敬したのは、鎌倉の鶴岡八幡宮です。

先日少し書きましたが、源氏と平家というのは、神の経綸において、二元性の対立というものを、ここ霊(ひ)ノ元・日本において演じる役割を担った氏族でした。

これから、日本の象徴・霊峰富士の働き「二元性の統合」が本格化していく中において、平家の霊的な蘇り、霊的世界での源氏と平家の和解・統合ということが、とても重要になってくると思います。
そしてそれは、厳島神社が持つ真の働きが表に出るということになるのかも知れません。

いずれにしても、安芸(あき)の宮島、厳島神社、広島という所は、これから人類の意識が統合へと向かう上において、とても重要な役割を果たすのではないかと思われます。


三嶋大社、金色恵比寿・日之出大神

  • 2010年9月 8日 19:04
  • Posted by Yamatofuji

昨日の大山阿夫利神社に続き、本日、三嶋大社に参拝して来ました。

三嶋大社は、源頼朝が源氏再興を祈願した所で、由緒ある旧官幣大社です。
伊豆山神社箱根神社の「二所詣」とともに、源頼朝は、三嶋大社を篤く崇敬したと伝えられています。
頼朝の妻・北条政子が勧請した厳島神社が、境内の大きな池の中に祀られています。

まずは、境内末社の祓所神社にて、祓戸大神にご挨拶をしました。
祓戸大神とは、神道の大祓祝詞に出て来る、四柱の神々のことです。
 ・瀬織津比売(せおりつひめ)
 ・速開都比売(はやあきつひめ)
 ・気吹戸主(いぶきどぬし)
 ・速佐須良比売(はやさすらひめ)

私の知る限り、祓戸大神がきちんとした形で祀られている神社はあまり多くない感じで、祓戸大神の総本宮とされる、滋賀県の佐久奈度神社も、あまり一般的には知られていない印象を受けます。
神国・日本が、これから、本来の力を発揮する上で、祓戸大神の蘇り、ということが必要なのかも知れません。

次に、境内の中の大きな池の中にある、厳島神社にて、市杵島姫(弁財天)にご挨拶しました。

それから、本殿へと進み、ご挨拶を致しました。
三嶋大社の御祭神は、大山祇大神、積羽八重事代主(恵比寿)、の二柱です。
昨日参拝した大山阿夫利神社もそうですが、三嶋大社でも、大山祇大神が祀られています。
八重事代主は、恵比寿様としても知られていますが、三嶋大社のホームページでは、大きな鯛に乗った恵比寿様が、金福神として描かれています。

実は、八重事代主こと恵比寿様の真の姿は、金色恵比寿であり、日之出大神でもあります。これから、神国・日本が日之出の御世を迎えるにあたり、なくてはならない働きをされる神様です。
その理由の一つのヒントが、八重事代主が、天皇を守る宮中八神の中に入っていることに表れています。天照大御神との隠された関係性にありますが、詳しいことは、書ける機会があったら書きたいと思います。

とにかく、三嶋大社は、とても重要な働きを担っているようで、神様も、「富士(不二)と三嶋は、二つで一つ」と仰っています。

三嶋大社には、三嶋暦という、古くから伝わる独自の暦があり、社務所でも販売しています。私も、手元に置いてあり、折に触れて見ています。
本日9月8日は、旧暦八月一日にあたります。八には、開くという意味もあります。

ある神示の中に、「九月八日から仕組みスクリと変える」というコトバ(九十八)が出て来ます。
今年2010年(平成22年)9月8日も、ある意味において、新たな始まりの日とも言えるのかも知れません。
明治維新やルネッサンスなど、かつて人類が経験した大変革とは比較にならないような、意識の大変革を、これから人類が経験していく流れが本格化した、新たな始まりの日になるのかも知れません。

大山阿夫利神社、大山祗大神・艮(うしとら)の金神

  • 2010年9月 7日 21:23
  • Posted by Yamatofuji

本日、神奈川県伊勢原市にある、大山阿夫利神社に参拝し、大山に登拝して来ました。

大山阿夫利神社の御祭神は、大山祗大神、高おかみ神、大雷神です。

大山祗大神は、山の神様の代表格とも言える大神で、その娘の木花之佐久夜毘売が、霊峰富士の守り神です。
富士と大山の御祭神は、娘と父の関係になるわけで、昔から、大山と富士の一つだけに詣でるのは片参りと言われ、両方に詣でるのが良いとされてきたようです。

大山祗大神はまた、全国の産土神(うぶすながみ)の総大将とも言われており、愛媛県の大三島にある大山祗神社は、日本総鎮守とも言われています。

大山祗大神は、艮(うしとら)の金神として出て来るとも言われています。

大山祗大神を祀る代表的な神社がもう一社あり、静岡県の三嶋大社です。
御祭神は、大山祗大神と、積羽八重事代主大神(恵比寿様)の二柱です。

明日は、三嶋大社に参拝する予定です。

大天使ミカエル

  • 2010年9月 4日 20:40
  • Posted by Yamatofuji

私は何故か、大天使ミカエルが大好きです。
ミカエルのことを想うと、とても親しみを感じるとともに、何だかうれしくなります。
聖ミカエルは言語によってサン・ミゲルとも呼ばれていますが、私にとって、決して近寄り難い遠い存在ではなく、フレンドリーな感じがする、懐かしい感じの存在なのです。

ミカエルのことは、折に触れて想い出しますが、数字の94、あるいは9月4日という数字から、あらためてミカエルのことを想ったりします。

今日は9月4日なので、折に触れてミカエルのことを感じました。

もうずいぶん昔、10年程前になりますが、オーラソーマのセッションを、信頼できる友人から一度受けた事があります。
その時、私が選んだ4本のボトルのうち、2番目のボトル「ギフト&タレントのボトル」が、大天使ミカエルのボトルでした。
私がミカエルのボトルを選んで手にした時、ミカエルからとても深いメッセージが友人の元に届けられたそうですが、あまりにも深い意識状態で聞いていたので、内容については全く想い出せない、と友人が後から言っていました。

オーラソーマの大天使ミカエルのボトルナンバーが94番であり、色は、上がペールブルー、下がぺールイエローです。

この日に私が選んだ4本のボトルは、以下のとおりです。

1番目「魂のボトル」
    101番「大天使ヨフィエル」(ペールブルー、ペールオリーブグリーン)
2番目「ギフト&タレントのボトル」
    94番「大天使ミカエル」(ペールブルー、ペールイエロー)
3番目「゛今、ここ"のボトル」
    74番「勝利」(ぺールイエロー、ぺールグリーン)
4番目「未来のボトル」
    61番「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」(ペールピンク、ペールイエロー)

大天使ミカエルは、邪を払う「光の剣」を持っていると言われています。

最近の記事|recent Entry

カテゴリー|Category

月別アーカイブ|Archives

リンク|Links

フィード|FEEDS